最高気温が18度の25日。所用があるので僅かな時間ですが陣場平へ。貝母は順調に成長しています。今回は、長坂峠へ登る林道の(法的には昔桑畑ばかりだったので農道)6番目のカーブの補修をしました。重機がないのでヤマグワ(山鍬)で30分ほど格闘。なんとかなりましたが、岩のように硬い土で腰が壊れました。
今回は、陣場平の貝母の保全活動を中心として、里山の保全活動もしている「妻女山里山デザイン・プロジェクト(妻女山SDP)」の歴史を紹介したいと思います。
妻女山駐車場から長坂峠を経て徒歩で約30〜40分で陣場平です。いつも載せている陣場平の標識がある入り口はこの80mほど上ですが、知っている人はこの下から入ります。矢印を緩く登ると50mほどで陣場平の広い台地に出ます。右のPは我々が山仕事をするときのために作った駐車スペースです。貝母を見たいけれど足が悪くて登れないという方は、車で登ってここに駐車してもかまいません。ただし林道が悪路なので、4WDの最低地上高の高い車でないと無理です。
右向こうが上の入り口からの場所で、丸太のベンチが二つあります。貝母(編笠百合)は、大きさがまちまちです。種から生えたばかりのものは、3センチぐらいしかありません。この広い群生地が、林道からは見えないというのがミソです。知らないと通り過ぎてしまいます。初めて小道を歩いて満開の群生地を見た方は、皆歓声をあげます。陣場平とは、上杉謙信が川中島の戦いで陣城を構えたと伝わる広い台地です。
堂平大塚古墳の先の谷にある湧き水。川中島の戦いの際に、上杉軍の陣用水になったと伝わっています。水量は豊富で、一年中枯れることはありません。蟹沢(がんざわ)といい、昔はサワガニがたくさんいました。ここは、麓でなにかあった時に非常用の水として使えます。他にも縄文の名水とか湧き水がいくつかあります。
■ここからは、妻女山里山デザイン・プロジェクト(妻女山SDP)の活動の歴史の一部を紹介したいと思います。
●2014年9月23日
これは一番上のカットの場所からを矢印の方向へ少し登ったところです。現在は切り払われて清々としていますが、当時はカラコギカエデやダンコウバイ、山桜の立ち枯れなどがあり、ヤマフジなどのつるも絡んで鬱蒼とした藪でした。陣場平まで50mですが、ここを切り開くのは本当に大変でした。
●2016年4月2日
(左)藪を刈り払った場所に、ヨシが大繁殖して貝母に迫りました。ヨシの中にはノイバラも。(右)仲間を集めてヨシの除去です。根っこが少しでもあると出るので、地下茎も全て掘り出しました。加えてヨシだけでなくノイバラもたくさん混じっていて、その地下茎も掘り出しました。
●2016年5月8日
陣場平の中心部。来たことがある方は、手前の捕虫網のある倒木で場所が分かると思います。現在は貝母の群生地ですが、当時はヨシとノイバラの群生地で、貝母の方に侵入してきていました。その除去作業を始めました。これが想像を絶するほど大変でした。ヨシは、3センチぐらい根があると発芽します。よって根を全て掘り出さないといけないのです。ノイバラの地下茎は、長いものは6m以上ありました。それも全部掘り起こしました。周囲の森も鬱蒼としています。風通しを良くするために、間伐や枝落としをしました。
●2016年5月22日
左上が丸太のベンチがある入り口です。これだけの地面を全て掘り起こしました。落ちている根っこは全て拾い集めました。これは、人海戦術で地下茎を荒堀りした後です。これで終わりではありません。小さな根っこを全て掘り出します。基本のメンバーは5人ですが、多いときには、10人ぐらい集まってくれました。関わってくれた人は15人以上。現在は新型コロナの関係で、声をかけるのを遠慮しています。残念ですが仕方ありませんね。
●2016年5月22日
掘り起こした根っこや茎を一箇所に積み上げました。結局、高さ2m以上になりました。現在見られないのは、腐って土に返ったからです。目のいい人は、周りに有害帰化植物のオオブタクサがあるのが見えるでしょう。
●2016年5月29日
一列になって順番に掘り起こしていきます。根気作業です。5月末ですから暑いです。サンコウチョウが鳴いています。藪を切り開いたことで、ゼフィルスや鳥も集まるようになりました。ウスバシロチョウやオオムラサキも舞います。ニホンカモシカが満開の貝母の中に座っていることもありました。子熊と遭遇したことも。
●2016年5月29日
地面に茎と根が混じって落ちています。茎はいいのですが、根は全て拾い集めます。更地にした場所には、貝母の球根を植えていきました。
●2016年8月7日
真夏の作業は、ヨシの根塊を掘り起こす作業です。いわゆるヨシとは別の種類ですが、大きな根塊を作り繁殖するので掘り起こしました。これも大変な作業でした。
●2017年7月9日
仕事が忙しく目を離していたら、なんとヨシなどを掘り起こした場所にハルジオンが大繁茂してしまいました。環境省の有害帰化植物100選にも入っているものです。根を残すと出るので、全て引き抜きました。現在ここは貝母の中心的な群生地となっています。今もハルジオンが出ることがあるので、全部引き抜いています。YOASOBIの「ハルジオン」とか松任谷由実の「ハルジョオン・ヒメジョオン」とかいい歌がありますが、ウスバシロチョウの貴重な吸蜜の花なんですが、結構厄介な有害帰化植物なんです。春紫菀、姫女菀と書くので、ハルジョオンは間違いですけどね。
●2018年7月16日
帰化植物の抜き取りは、毎年梅雨明けの7月に行います。引き抜きがほぼ完了したので、草刈り機で除草しました。帰化植物がなくなると、地中の昔の在来の種が発芽するのです。アカネ(茜)も復活しました。そして、掘り起こした場所には、遠くに根付いた球根を掘り起こして植えることを毎年行いました。種から開花までは数年かかりますが、球根の場合は翌年に開花します。
●2019年7月15日
妻女山SDPの作業は、陣場平だけでなく、そこまでの林道も保全します。これは立ち枯れの山桜を伐採しているところです。立ち枯れの樹木は、強風などでいつ倒れるか分かりません。ハイカーの安全のためにも危険な木は切ります。
●2020年4月25日
突風で林道に三本の倒木が。これを伐採します。倒木はたいてい掛かり木になり、ヤマフジなどのつるが巻き付いているので、伐採は非常に危険を伴います。枯れ木は、伐採時にチェーンソーの振動で、上の太い枝が折れて落ちてくることもあります。事前に入念な打ち合わせが必要です。
今回の写真は、貝母の開花期ではないため、ほとんどの方はご存じないでしょう。私の保全の話を聞いたことがある方でも、写真を見るのは初めてだと思います。里山保全というのは、毎年行わなければならないのです。そして、状況は変わります。ほとんどの場合、私が事前に調査して指示を出すことが多いのですが、皆の協力がなければ、とても現在のような貝母の大繁殖には繋がらなかったと思います。感謝です。そして、続きます。というとまるで苦行みたいですが、昼はバーベキューをして楽しみます。皆食いしん坊なので、和洋中華エスニックとごちそうが並びます。椎茸のホダ木栽培や味噌作り、米作り、大豆作り、いつできるか分からないワインぶどう作り、山菜採りやキノコ狩り、里山トレッキングや博物館・美術館めぐりとか楽しいことも満載です。平和でなければ、こういうことはできません。
●2021年4月11日
昨年の満開の様子です。例年より一週間ほど早く満開になりました。今年は例年通りだと思います。4月10日頃から咲き始め、15日頃から25〜30日頃までが見頃でしょう。
貝母を最初に発見したのは、2009年4月2日でしたが、その時は名前が分かりませんでした。そして、父に薬草じゃないか。川中島の薬草問屋が畑を借りて栽培していたと言われ。それから調べてやっと中国原産の貝母(和名:編笠百合)と分かり、4月29日に残花を撮影。とても貴重なものと分かり、世話役をしていた父に、集落の重鎮達に整備の許可を得てもらい藪の除去を始めました。そして3年目に、ログハウスのKさんや高校時代の友人達がやりたいと参加し、妻女山里山デザイン・プロジェクトの活動が始まりました。そんなわけで、現在の状態になるまで13年かかったのです。
度々紹介している万葉集の一首。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集) 「季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は今咲かないのだろうか(咲いていれば摘み取って共に行くのに)」。
天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌の中の一首です。これが貝母のことであるという説があります。貝母は球根の形から、母栗(ははくり)という古名があったそうです。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。二月は現在の三月としてもまだ貝母が咲く前です。
防人というのは、663年に朝鮮半島の百済救済のために出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のため設置されました。668年に唐により高句麗が滅びたことで危機感を強めたこともあったでしょう。防人は、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
●妻女山陣馬平の貝母を発見してからの保全活動の歴史。今年も満開です(妻女山里山通信) :貝母を発見してからの陣場平の変遷の歴史が分かります。
●MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery:目次の一番下の妻女山SDPの1〜15で、初期の活動が分かります。それ以降は当ブログに載せています。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
今回は、陣場平の貝母の保全活動を中心として、里山の保全活動もしている「妻女山里山デザイン・プロジェクト(妻女山SDP)」の歴史を紹介したいと思います。
妻女山駐車場から長坂峠を経て徒歩で約30〜40分で陣場平です。いつも載せている陣場平の標識がある入り口はこの80mほど上ですが、知っている人はこの下から入ります。矢印を緩く登ると50mほどで陣場平の広い台地に出ます。右のPは我々が山仕事をするときのために作った駐車スペースです。貝母を見たいけれど足が悪くて登れないという方は、車で登ってここに駐車してもかまいません。ただし林道が悪路なので、4WDの最低地上高の高い車でないと無理です。
右向こうが上の入り口からの場所で、丸太のベンチが二つあります。貝母(編笠百合)は、大きさがまちまちです。種から生えたばかりのものは、3センチぐらいしかありません。この広い群生地が、林道からは見えないというのがミソです。知らないと通り過ぎてしまいます。初めて小道を歩いて満開の群生地を見た方は、皆歓声をあげます。陣場平とは、上杉謙信が川中島の戦いで陣城を構えたと伝わる広い台地です。
堂平大塚古墳の先の谷にある湧き水。川中島の戦いの際に、上杉軍の陣用水になったと伝わっています。水量は豊富で、一年中枯れることはありません。蟹沢(がんざわ)といい、昔はサワガニがたくさんいました。ここは、麓でなにかあった時に非常用の水として使えます。他にも縄文の名水とか湧き水がいくつかあります。
■ここからは、妻女山里山デザイン・プロジェクト(妻女山SDP)の活動の歴史の一部を紹介したいと思います。
●2014年9月23日
これは一番上のカットの場所からを矢印の方向へ少し登ったところです。現在は切り払われて清々としていますが、当時はカラコギカエデやダンコウバイ、山桜の立ち枯れなどがあり、ヤマフジなどのつるも絡んで鬱蒼とした藪でした。陣場平まで50mですが、ここを切り開くのは本当に大変でした。
●2016年4月2日
(左)藪を刈り払った場所に、ヨシが大繁殖して貝母に迫りました。ヨシの中にはノイバラも。(右)仲間を集めてヨシの除去です。根っこが少しでもあると出るので、地下茎も全て掘り出しました。加えてヨシだけでなくノイバラもたくさん混じっていて、その地下茎も掘り出しました。
●2016年5月8日
陣場平の中心部。来たことがある方は、手前の捕虫網のある倒木で場所が分かると思います。現在は貝母の群生地ですが、当時はヨシとノイバラの群生地で、貝母の方に侵入してきていました。その除去作業を始めました。これが想像を絶するほど大変でした。ヨシは、3センチぐらい根があると発芽します。よって根を全て掘り出さないといけないのです。ノイバラの地下茎は、長いものは6m以上ありました。それも全部掘り起こしました。周囲の森も鬱蒼としています。風通しを良くするために、間伐や枝落としをしました。
●2016年5月22日
左上が丸太のベンチがある入り口です。これだけの地面を全て掘り起こしました。落ちている根っこは全て拾い集めました。これは、人海戦術で地下茎を荒堀りした後です。これで終わりではありません。小さな根っこを全て掘り出します。基本のメンバーは5人ですが、多いときには、10人ぐらい集まってくれました。関わってくれた人は15人以上。現在は新型コロナの関係で、声をかけるのを遠慮しています。残念ですが仕方ありませんね。
●2016年5月22日
掘り起こした根っこや茎を一箇所に積み上げました。結局、高さ2m以上になりました。現在見られないのは、腐って土に返ったからです。目のいい人は、周りに有害帰化植物のオオブタクサがあるのが見えるでしょう。
●2016年5月29日
一列になって順番に掘り起こしていきます。根気作業です。5月末ですから暑いです。サンコウチョウが鳴いています。藪を切り開いたことで、ゼフィルスや鳥も集まるようになりました。ウスバシロチョウやオオムラサキも舞います。ニホンカモシカが満開の貝母の中に座っていることもありました。子熊と遭遇したことも。
●2016年5月29日
地面に茎と根が混じって落ちています。茎はいいのですが、根は全て拾い集めます。更地にした場所には、貝母の球根を植えていきました。
●2016年8月7日
真夏の作業は、ヨシの根塊を掘り起こす作業です。いわゆるヨシとは別の種類ですが、大きな根塊を作り繁殖するので掘り起こしました。これも大変な作業でした。
●2017年7月9日
仕事が忙しく目を離していたら、なんとヨシなどを掘り起こした場所にハルジオンが大繁茂してしまいました。環境省の有害帰化植物100選にも入っているものです。根を残すと出るので、全て引き抜きました。現在ここは貝母の中心的な群生地となっています。今もハルジオンが出ることがあるので、全部引き抜いています。YOASOBIの「ハルジオン」とか松任谷由実の「ハルジョオン・ヒメジョオン」とかいい歌がありますが、ウスバシロチョウの貴重な吸蜜の花なんですが、結構厄介な有害帰化植物なんです。春紫菀、姫女菀と書くので、ハルジョオンは間違いですけどね。
●2018年7月16日
帰化植物の抜き取りは、毎年梅雨明けの7月に行います。引き抜きがほぼ完了したので、草刈り機で除草しました。帰化植物がなくなると、地中の昔の在来の種が発芽するのです。アカネ(茜)も復活しました。そして、掘り起こした場所には、遠くに根付いた球根を掘り起こして植えることを毎年行いました。種から開花までは数年かかりますが、球根の場合は翌年に開花します。
●2019年7月15日
妻女山SDPの作業は、陣場平だけでなく、そこまでの林道も保全します。これは立ち枯れの山桜を伐採しているところです。立ち枯れの樹木は、強風などでいつ倒れるか分かりません。ハイカーの安全のためにも危険な木は切ります。
●2020年4月25日
突風で林道に三本の倒木が。これを伐採します。倒木はたいてい掛かり木になり、ヤマフジなどのつるが巻き付いているので、伐採は非常に危険を伴います。枯れ木は、伐採時にチェーンソーの振動で、上の太い枝が折れて落ちてくることもあります。事前に入念な打ち合わせが必要です。
今回の写真は、貝母の開花期ではないため、ほとんどの方はご存じないでしょう。私の保全の話を聞いたことがある方でも、写真を見るのは初めてだと思います。里山保全というのは、毎年行わなければならないのです。そして、状況は変わります。ほとんどの場合、私が事前に調査して指示を出すことが多いのですが、皆の協力がなければ、とても現在のような貝母の大繁殖には繋がらなかったと思います。感謝です。そして、続きます。というとまるで苦行みたいですが、昼はバーベキューをして楽しみます。皆食いしん坊なので、和洋中華エスニックとごちそうが並びます。椎茸のホダ木栽培や味噌作り、米作り、大豆作り、いつできるか分からないワインぶどう作り、山菜採りやキノコ狩り、里山トレッキングや博物館・美術館めぐりとか楽しいことも満載です。平和でなければ、こういうことはできません。
●2021年4月11日
昨年の満開の様子です。例年より一週間ほど早く満開になりました。今年は例年通りだと思います。4月10日頃から咲き始め、15日頃から25〜30日頃までが見頃でしょう。
貝母を最初に発見したのは、2009年4月2日でしたが、その時は名前が分かりませんでした。そして、父に薬草じゃないか。川中島の薬草問屋が畑を借りて栽培していたと言われ。それから調べてやっと中国原産の貝母(和名:編笠百合)と分かり、4月29日に残花を撮影。とても貴重なものと分かり、世話役をしていた父に、集落の重鎮達に整備の許可を得てもらい藪の除去を始めました。そして3年目に、ログハウスのKさんや高校時代の友人達がやりたいと参加し、妻女山里山デザイン・プロジェクトの活動が始まりました。そんなわけで、現在の状態になるまで13年かかったのです。
度々紹介している万葉集の一首。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集) 「季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は今咲かないのだろうか(咲いていれば摘み取って共に行くのに)」。
天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌の中の一首です。これが貝母のことであるという説があります。貝母は球根の形から、母栗(ははくり)という古名があったそうです。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。二月は現在の三月としてもまだ貝母が咲く前です。
防人というのは、663年に朝鮮半島の百済救済のために出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のため設置されました。668年に唐により高句麗が滅びたことで危機感を強めたこともあったでしょう。防人は、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
●妻女山陣馬平の貝母を発見してからの保全活動の歴史。今年も満開です(妻女山里山通信) :貝母を発見してからの陣場平の変遷の歴史が分かります。
●MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery:目次の一番下の妻女山SDPの1〜15で、初期の活動が分かります。それ以降は当ブログに載せています。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
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