午前中は晴れて気温が20度ぐらいになるということで、久しぶりに貝母が咲く陣馬平へ。旧知のS夫妻とO夫妻に久しぶりに邂逅しました。色々話をし、里山保全に協力もしていただいたので、お土産に我々が育てている原木椎茸をお土産に持っていってもらいました。今回が4度目ですというご婦人にも邂逅。今日は鞍骨山にも何組も登った様です。カタクリが咲いていたとか。
貝母はほぼ満開ですね。それでもまだてっぺんには開いていないものも。ここ数日の最高気温が高くなかったためでしょう。明日からも低めなので、本当の満開は、この週末になると思います。丸太のベンチもあります。新型コロナウィルスの蔓延で自粛の日々。ストレスも溜まります。ここに来て、ボーッと過ごすのもいいと思います、ただ少人数でおいで下さい。
群生地の西の落葉松やカスミザクラなどの林内から見る群生地。ここのものは自然に増えたものです。
南のオオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)越しに見る群生地。左奥のクマノミズキの周りは山蕗の群生地なので貝母はありませんが、その右の侵入してきたヨシやノイバラを除去した空き地に、この7月に球根を植える予定です。数年で、群生地は2倍に広がると思います。有害帰化植物のオオブタクサやハルジオンは除去しなければなりません。里山保全は大変です。
(左)あちこちで咲き始めたカスミザクラ。ウワミズザクラはまだですね。(右)あちこちでミヤマウグイスカグラが満開です。よく見ると、花や花柄、葉に毛があります。なのでミヤマとつきます。
(左)花の下の総苞が反り返っていないのでシナノタンポポ。セイヨウタンポポとの交雑種が増えているので貴重です。(右)ヤマブキ(山吹)。七重八重の歌で有名な太田道灌の逸話は有名です。このブログでも過去に詳しく記しています。
久しぶりに斎場山へ。山頂は、古代科野国の古墳(円墳)です。里俗伝では、第四次川中島合戦の際に、上杉謙信がここに本陣を構え、盾を敷き、陣幕を張り鼓を鳴らして謡曲を吟じたといわれています。五竜願塚古墳の記述もありますが、これは間違い。斎場山古墳です。
(左)そこから100mほど尾根を西へ歩くと御陵願平。転訛して五竜眼平とも。よく見ると二段になっています。里俗伝では、往古ここに会津比売神社があったとか。上杉謙信が庇護していたために、武田信玄に焼かれ、その後麓に隠れるように再建されたとか。現在は、上信越自動車道の薬師山トンネルの松代側の入り口の裏にひっそりと鎮座します。祭神の会津比売命は、大国主命のひ孫で、夫は崇神天皇に初代科野國造に任命された神武天皇の後裔といわれる武五百建命(たけいおたつのみこと)といわれています。(右)斎場山から見る陣馬平と天城山(てしろやま)。
■科野国造 武五百建命と妻 会津比売命の家系図(諸説あり)
神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)
会津比売神社はいわゆる式外社(しきげしゃ・『延喜式』神名帳に記載の無い神社)ですが、「国史現在社」です。「国史現在社」とは、式外社ですが、『六 国史』にその名前が見られる神社のことを、特に国史現在社(国史見在社とも)と呼びます(広義には式内社であるものも含む)。『六国史』とは、『日本書紀』、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』。
『延喜式』神名帳の選定には政治色が強く反映されているそうですが、『延喜式』が平安中期に編纂されるずっと前に無位だったということは、それ以前に国府の埴科からの移動や仏教伝来による神格の低下、諏訪系統の勢力が衰えたなどの理由があったのかもしれません。
(左)御陵願平から斎場山へ戻る途中にある巨大なイノシシのヌタ場。冬の猟期に追われたイノシシが、氷を割ってここで火照った体を冷やすこともあります。(右)泥あびしたイノシシは、周囲の木に体を擦り付けます。それを追っていくと、どこにねぐらがあるのか分かります。ねぐらは、ここの麓ではなく、その先の尾根の深い谷にあります。
(左)あちこちにシロバナケマンが咲いています。(右)やや赤紫のものも。ただ、本当に紫のものは。妻女山山系にはありません。氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウの食草です。6月にこの山系のあちこちで見られます。
(左)ウバユリ(姥百合)の若葉。ここから花が咲くまでに7年かかります。(右)出会った女性が見つけたクロモジ。高級な爪楊枝になります。山で箸を忘れた時に、この枝を切って箸を作ったことがあります。
招魂社の近くに咲くカスミザクラ。
山菜の季節も始まりました。天ぷらやおひたしでいただきます。里山の恵みです。
先程ツイッターで、ブルー・コメッツのリーダー、ジャッキー・吉川さんが亡くなったというツイが流れてきました。ショックです。在京時代、ご夫妻が隣に住んでいらして、小さかった息子たちを可愛がってくださいました。信州の野菜をあげたり、番屋漬けの塩鮭を頂いたり。我が家と同様に里山歩きが大好きな方でした。思い出がたくさんあります。ご冥福をお祈りします。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
貝母はほぼ満開ですね。それでもまだてっぺんには開いていないものも。ここ数日の最高気温が高くなかったためでしょう。明日からも低めなので、本当の満開は、この週末になると思います。丸太のベンチもあります。新型コロナウィルスの蔓延で自粛の日々。ストレスも溜まります。ここに来て、ボーッと過ごすのもいいと思います、ただ少人数でおいで下さい。
群生地の西の落葉松やカスミザクラなどの林内から見る群生地。ここのものは自然に増えたものです。
南のオオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)越しに見る群生地。左奥のクマノミズキの周りは山蕗の群生地なので貝母はありませんが、その右の侵入してきたヨシやノイバラを除去した空き地に、この7月に球根を植える予定です。数年で、群生地は2倍に広がると思います。有害帰化植物のオオブタクサやハルジオンは除去しなければなりません。里山保全は大変です。
(左)あちこちで咲き始めたカスミザクラ。ウワミズザクラはまだですね。(右)あちこちでミヤマウグイスカグラが満開です。よく見ると、花や花柄、葉に毛があります。なのでミヤマとつきます。
(左)花の下の総苞が反り返っていないのでシナノタンポポ。セイヨウタンポポとの交雑種が増えているので貴重です。(右)ヤマブキ(山吹)。七重八重の歌で有名な太田道灌の逸話は有名です。このブログでも過去に詳しく記しています。
久しぶりに斎場山へ。山頂は、古代科野国の古墳(円墳)です。里俗伝では、第四次川中島合戦の際に、上杉謙信がここに本陣を構え、盾を敷き、陣幕を張り鼓を鳴らして謡曲を吟じたといわれています。五竜願塚古墳の記述もありますが、これは間違い。斎場山古墳です。
(左)そこから100mほど尾根を西へ歩くと御陵願平。転訛して五竜眼平とも。よく見ると二段になっています。里俗伝では、往古ここに会津比売神社があったとか。上杉謙信が庇護していたために、武田信玄に焼かれ、その後麓に隠れるように再建されたとか。現在は、上信越自動車道の薬師山トンネルの松代側の入り口の裏にひっそりと鎮座します。祭神の会津比売命は、大国主命のひ孫で、夫は崇神天皇に初代科野國造に任命された神武天皇の後裔といわれる武五百建命(たけいおたつのみこと)といわれています。(右)斎場山から見る陣馬平と天城山(てしろやま)。
■科野国造 武五百建命と妻 会津比売命の家系図(諸説あり)
神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)
会津比売神社はいわゆる式外社(しきげしゃ・『延喜式』神名帳に記載の無い神社)ですが、「国史現在社」です。「国史現在社」とは、式外社ですが、『六 国史』にその名前が見られる神社のことを、特に国史現在社(国史見在社とも)と呼びます(広義には式内社であるものも含む)。『六国史』とは、『日本書紀』、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』。
『延喜式』神名帳の選定には政治色が強く反映されているそうですが、『延喜式』が平安中期に編纂されるずっと前に無位だったということは、それ以前に国府の埴科からの移動や仏教伝来による神格の低下、諏訪系統の勢力が衰えたなどの理由があったのかもしれません。
(左)御陵願平から斎場山へ戻る途中にある巨大なイノシシのヌタ場。冬の猟期に追われたイノシシが、氷を割ってここで火照った体を冷やすこともあります。(右)泥あびしたイノシシは、周囲の木に体を擦り付けます。それを追っていくと、どこにねぐらがあるのか分かります。ねぐらは、ここの麓ではなく、その先の尾根の深い谷にあります。
(左)あちこちにシロバナケマンが咲いています。(右)やや赤紫のものも。ただ、本当に紫のものは。妻女山山系にはありません。氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウの食草です。6月にこの山系のあちこちで見られます。
(左)ウバユリ(姥百合)の若葉。ここから花が咲くまでに7年かかります。(右)出会った女性が見つけたクロモジ。高級な爪楊枝になります。山で箸を忘れた時に、この枝を切って箸を作ったことがあります。
招魂社の近くに咲くカスミザクラ。
山菜の季節も始まりました。天ぷらやおひたしでいただきます。里山の恵みです。
先程ツイッターで、ブルー・コメッツのリーダー、ジャッキー・吉川さんが亡くなったというツイが流れてきました。ショックです。在京時代、ご夫妻が隣に住んでいらして、小さかった息子たちを可愛がってくださいました。信州の野菜をあげたり、番屋漬けの塩鮭を頂いたり。我が家と同様に里山歩きが大好きな方でした。思い出がたくさんあります。ご冥福をお祈りします。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。