今日、毎年息子の命日に来てくれる
同級生がお参りに来てくれ、今年の
命日が終わりました。
命日が過ぎると、また一歩と思い
22年が過ぎました。
私は、亡くなった息子に導かれ
育てられ、ここまで来たなと
思います。
死は終わりではなく、その存在は
在り続けるのだと思えるのです。
28日の土曜日には不思議なことがありました。
父は民話や伝説を書いていたの
ですが、父の本の復刻版が出版され
それをきっかけに、語り継ぐ会が
出来て、毎年集いが開催されて
いるのですが、昨日はその集いで、私と姉が父を語る時間があり、
事前に何を話すか姉が
打ち合わせをしようと言って
いたのですが、私は天のお父さん
からメッセージが来るよと、
何も考えていませんでした。
ところが、当日の朝になっても
メッセージは何も来ず、困ったと
思っていたら、今まで見つからなかった父の日記が、突然目の前に
飛び込んできたのです。
赤いビニール袋に入っていた日記を、今の今まで気がつかなかった
のです。
日記を開き、何となくみてると、
このページを父は皆さんに聞いて
貰いたいのだなと、感じました。
当日の朝に父の日記が現れた!
そんな気がしました。
そして、姉と打ち合わす時間も
なく本番を迎え、舞台に立つと、
なぜか椅子が3客出ているのです。
二人なのになぜ?と思いながら
父の日記を読み、姉と父のことを
語りましたら、びっくりするほど、皆さんの心に伝わる話になったの
です。
あの椅子にお父さん居たよねと、
終わった後に姉と頷き合いました。
来年はホールでの父の生誕100年
をひらいてくれるそうです。
父は生前、お金はないけど仲間が財産だと言ってました。
誠実で、どこまでも人が良くて、
お酒を飲むと情けない姿になる父でしたが、父と繋がる人たちから
父の生き方が見えてくるようで、
今更ながら父の子どもで
良かったと心から思いました。