先日書いた「苦しみの受けとめかた」を、もう一度見つめ直して
みようと思います。
人は次々と苦しみを体験しますが、苦しみの質が変わってくるので
しょうか?という問いに、初女先生が「同じです。受けとめ方が
変わってくるのです。」と答えられたことについて、もう少し
深く考えてみようと思います。
困難や苦しみが降りかかって来た時、苦しみながらも出来るだけ
前向きに、ポディティブに考えたいと思ってきました。
でも、初女先生の言われている「受けとめ方が変わる」というのは
このことを言っているのではないような気がするのです。
前向きに受けとめることによって解決できる問題は、それで
いいのですが、深い深い苦しみはそれでは解決できないのです。
前向きに捉えようと思ったり、このことの意味を考え
出来る限りプラス方向にもって行こうとしても、次なる
苦しみや悲しみが来ると、すべて潰されてしまうのです。
そのくり返しに、私自身ズタズタになったことがあります。
先生の言われる「受けとめ方」を、私はまだ1度しか体験
してないので、偉そうなことはいえないのですが…
うまく言葉が見つからないのですが、先生の言われる
受けとめ方が変わるとは、魂の受けとめ方が変わると言う
意味だと思うのです。
本当に深い苦しみや悲しみは、気持ちや考えを変えるという
程度では、真の解決の至らないのだと思います。
魂で受けとめなければ、本当の意味で立ち上がることが
出来ないのだと思います。
私は息子を亡くした時に、このことを初めて体験しました。
腹を決め、魂で受けとめられた時に、初めて何があっても
揺るがず立ってられる、受けとめ方が出来たのです。
頭ではなく、気持ちでもなく、魂で受けとめる…
初女先生が「神の計らいは限りなく、生涯私はその中に生きる」
というところに到達されたのは、深い深い苦しみを魂で
受けとめてこられたからだと思うのです…
みようと思います。
人は次々と苦しみを体験しますが、苦しみの質が変わってくるので
しょうか?という問いに、初女先生が「同じです。受けとめ方が
変わってくるのです。」と答えられたことについて、もう少し
深く考えてみようと思います。
困難や苦しみが降りかかって来た時、苦しみながらも出来るだけ
前向きに、ポディティブに考えたいと思ってきました。
でも、初女先生の言われている「受けとめ方が変わる」というのは
このことを言っているのではないような気がするのです。
前向きに受けとめることによって解決できる問題は、それで
いいのですが、深い深い苦しみはそれでは解決できないのです。
前向きに捉えようと思ったり、このことの意味を考え
出来る限りプラス方向にもって行こうとしても、次なる
苦しみや悲しみが来ると、すべて潰されてしまうのです。
そのくり返しに、私自身ズタズタになったことがあります。
先生の言われる「受けとめ方」を、私はまだ1度しか体験
してないので、偉そうなことはいえないのですが…
うまく言葉が見つからないのですが、先生の言われる
受けとめ方が変わるとは、魂の受けとめ方が変わると言う
意味だと思うのです。
本当に深い苦しみや悲しみは、気持ちや考えを変えるという
程度では、真の解決の至らないのだと思います。
魂で受けとめなければ、本当の意味で立ち上がることが
出来ないのだと思います。
私は息子を亡くした時に、このことを初めて体験しました。
腹を決め、魂で受けとめられた時に、初めて何があっても
揺るがず立ってられる、受けとめ方が出来たのです。
頭ではなく、気持ちでもなく、魂で受けとめる…
初女先生が「神の計らいは限りなく、生涯私はその中に生きる」
というところに到達されたのは、深い深い苦しみを魂で
受けとめてこられたからだと思うのです…