世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2011-11-10 08:01:43 | 月の世の物語
そこは月星さえもない闇の中でした。そう遠くないところから静かな波の音が繰り返し聞こえ、濃い潮の匂いがまずい酒のように風に混じって流れていました。海があるのでしょう。こんなに波がうるさくては眠れやしないと、誰かが暗闇の中で考えていました。
「やれ、これもおつとめとはいえ、つらいものがありますな」
どこからか声がして、愚痴るように言ったかと思うと、何かぱちりとスイッチを押すような音が聞こえました。すると一瞬のうちに闇は消え、青空と砂浜、そして遠い海の風景が現れました。しかし太陽は見えず、もちろん月星もなく、空はまるで安物のペンキで塗った壁のようでした。

ひとりの竪琴弾きが、小さな竪琴を背負い、細い立木のように砂浜に立っていました。彼は足元に横たわっているものを見てしゃがみこみました。そこには半分砂にうずもれた白骨の死体がありました。竪琴弾きはポケットから不思議に光る月長石の玉を取り出し、それを頭蓋骨の空っぽの眼窩に押し込みました。「今日は右目にしましょう」竪琴弾きはそう言うと、「立ちなさい」と白骨に言いました。白骨は、ぎりっという音をさせながら苦しげに動き出し、やっと砂の上に半身を起して、重いため息をつきました。

白骨は、月長石の目で、久しぶりに見る世界を見回していました。竪琴弾きは背の竪琴を手に持ち、演奏の前のような姿勢をとりながら、いつものように先ずは白骨に尋ねました。
「さてあなたはなぜ、このように白骨のまま、永遠に砂に埋もれていなくてはならないのでしょうか」
竪琴弾きが聞くと、骨の女は風の混じる声でしぶしぶと答えました。
「自分の娘をふたり捨てたためです」
竪琴弾きは琴糸をびんとはじき、女の言葉につけたしました。
「そうです。まだ世間のことなど何もわからぬ少女をふたり、あなたは見知らぬ町の雑踏の中で見失ったふりをして、一片の迷いさえなく捨てて行ってしまいました。娘ふたりはあなたを泣きながら探していましたが、そこを性質の悪い男につかまり、娼館に売られてしまいました。ふたりのうち姉は若くして自ら命を絶ち、妹は散々働かされた揚句、使い物にならなくなると追い出され、孤独のうちに、路上で餓死しました」

風が、頭蓋骨の中をとおり、ひいというような音が響きました。白骨の女は、特に何も思わないという様子で、ぼんやりと空を見上げていました。
「母親だというのに、なぜあなたは自分の娘を捨てたのです。どんな女がそんなことをできるのかと、お月さまさえ怒っていらして、仕方なくわたしがこうして、ときどき月の光を持ってこなければならないのです」
白骨は口の中につまった砂をほじくりだすと、生きていたときとそっくりな言い方で、言いました。
「あんなもの、なんの役にもたたないんですもの」

「ほお!」と竪琴弾きは言いました。そしていましがた聞いたことを清めるように、竪琴を、びんと鳴らしました。白骨の女は続けました。
「全く、世話がかかるだけで、何にもできないんですもの。料理をやらせたって、そうじをやらせたって、何一つまともにはできないのよ。あんなばかなものはいらないんです。亭主が死んで、商売もだめになって、わたしひとり生きてくのさえ苦しかったのに、余計なものがふたりもいたんです。もういいでしょう。これくらいで」

竪琴弾きは何も言わず、しばし単純な旋律を繰り返し弾いていました。口元は笑っていましたが、帽子のひだの影に隠した瞳には怒りの色が見えました。やがて竪琴弾きは弾くのをやめ、すっと立ち上がりました。白骨の女は肋骨につまっている砂がとても重苦しいと訴えました。竪琴弾きはため息をつくと、黙って彼女の右目から月長石を取り出しました。するとまた、白骨は動けなくなり、貝殻のように軽い音をたてて砂の上にたおれました。

竪琴弾きは、竪琴を再び背負うと、これもつとめだといいながら、白骨を正しい形にきれいに並べました。そうしながら、白骨にささやきました。
「ここよりもっと深いところに落ちた罪人さえ、あなたのしたことは決してまねできないと言いますよ」
そして彼は立ちあがると、風の中の、自分にしか見えないスイッチを押しました。世界は再び暗闇となりました。竪琴弾きの気配はそれと共に消え、白骨は首を傾げるように倒れたまま、空っぽの頭の中でじんじんと考えていました。

(だれもなにもわかってないのよ)


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