世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-02-11 07:22:08 | 月の世の物語・別章

月の世に、修羅の地獄はありました。そこには群青色の空の真ん中に、深くさげすむ歪んだ目の形をした細い二日の月がかかっており、たくさんの罪びとたちのやっていることを、いつも静かに見下ろしていました。

地上には深い森があり、罪びとたちはそれぞれに、木の棒や石や考えられる限りの使える武器を使って、常に他人と戦い、殺しあっていました。どのような原始的な武器でも、打たれた痛みはすさまじく、流血を見ることなどしょっちゅうでした。そして殺されても死ぬことはなく、三日後にはよみがえって、再び戦いを始めました。彼らは生前、敵と戦ってばかりいて、たくさんの人を殺しました。そして死後もそれを止めることができず、自分以外の者は全て敵だと言うように、会う者会う者、全てを攻撃していました。

今、その修羅の地獄で、一つの反乱が起こっていました。ある、最近死んだばかりの罪びとを中心に、生前縁のあった者たちが集結して、修羅の地獄を管理していた青年たちを攻撃しはじめたのです。彼らは一斉に青年たちに憎悪の瞳を向け、火のついた棒や石を投げられるだけ投げて、必死に彼らを殺そうとしました。青年たちは、何とか彼らを鎮めようとしましたが、彼らの首謀である罪びとは、かなりの知恵者らしく、巧妙に青年たちの裏を読み、思わぬところから攻撃をかけ、彼らを散々悩ませていました。

「やあ、どうだ、今の様子は?」乱を聞きつけて急いで降りてきた、茶色の髪をした一人の青年が、修羅の地獄の上空で、反乱で少し傷を負った同僚の、緑の目の青年に声をかけました。「やあ、君、休みはどうだったかい?」緑の目の青年は茶色の髪の青年を振り向き、少し息を荒げながら言いました。「ああ、友人と会ってきた。懐かしかったよ。それで今度は、こっちの友人の相手をしに来た」「それはご苦労なことだ。大変な友人だよ」緑の目の青年は、ポケットから小さな月長石のかけらを取り出すと、それを指でぽんと弾き、魔法で宙にひとりの男の顔を描きました。それはあごだけが奇妙に細長く伸びた、ぼんやりとした三白眼のどこか陰湿な感じのする男でした。

「二か月前にここに落ちた罪びとだ。彼は生前、テロリスト滅殺のための特殊部隊に所属していて、テロ組織の幹部を十人殺した。そのうちの四人は獄中での拷問殺。これがまた惨い。また暗殺活動中に関係の無い市民十六人を巻き込んで殺したこともある。結局は自分もテロリストに殺されたんだが、こいつがここで、自分が殺したテロリストたちと出会って、こういうことになった。要するに、どうして自分があいつらと同じなんだと言いたいらしい」「よくあることだ。自分が敵と同等だとは思っていないんだ、彼らは」「修羅の地獄とはそういうものだ。とにかく、彼らを鎮めるためには、この罪びとを何とかしなきゃいけない」「聖者様の助けは?」「いや、僕たちで何とかしよう。聖者様たちは今、地球の方で忙しい」。

修羅の地獄を管理する青年たちは、それぞれに、月長石でできた美しい短剣を持っていました。茶色の髪の青年は、胸を右手でぽんと打つと、その光る短剣を出して手に持ちました。そして下界の森を見渡しながら、反乱の首謀者である罪びとを探しました。「目印は、特徴的なあごだ。あれが修羅の森の木々を脅かす。たぶん木々が彼をみつけたら、何かの合図をしてくれるだろう。石が飛んでくるから、低空を飛ぶ時には気をつけろ」緑の目の青年もまた、短剣を持ちながら、森の木々の上を飛び、茶色の髪の青年に言いました。森の上には、同じように彼を探す青年たちの姿が、たくさん飛んで見えました。

茶色の髪の青年は、すいと低空に降り、しばし森の梢すれすれを飛びました。すると、ぐあお、と獣のような声をあげて、森に潜んでいた罪びとたちが一斉に彼に向かって石を投げ始めました。そのうちのいくつかを彼は短剣で跳ね返し、いくつかを、足と腹に受けました。木々の隙間から見える罪びとたちの顔は、憎悪に歪み、相手を殺すということだけしか考えていない、まるで魂の見えぬ獣よりも落ちた瞳をしていました。
「すさまじいな。修羅は人の魂をすりつぶす。まるで人間に見えない」茶色の髪の青年は言うと、呪文を唱え、月光を自分の周りに集めて、罪びとたちには自分の姿が見えないようにする魔法を使いました。そうして森に降りると、ほう、と梟の声真似をし、森の木々に合図しました。森の木々の樹霊たちは、その合図に応えて、かすかに枝をさわさわとゆらしました。

(かれは、かれは、石の中にいます!)樹霊のひとりが心の声で言いました。(石の中?)青年が返すと、(はい、かれは、かれは、まほうを、まねします。すこし、まねします、石にかくれる、まほう、つかえます。いま、いま、かれは、石の中を、いどうしています。つねに、せいねんたち、みています。にくしみに、もえています。ころそうとしています。ころそうとしています。ころそうとしています)と、木々たちは教えました。

ふと、上空から、おおう!と誰かの叫ぶ声が聞こえ、森がざわりとうごめきました。ほかの樹霊が、ほう、ほう、ほう、と声をたて、心の声で叫びました。(ちゅうい!ちゅうい!ちゅうい!ひとりやられた!右目、火の棒にやられた!ちゅうい!ちゅうい!かれら、目をねらう!目をねらう!)

茶色の髪の青年は、上空を驚いた目で見上げながらも、とにかく、森の中をあごの長い男が隠れていそうな岩を探し始めました。時に、罪びとが潜んでいる茂みのそばを通りましたが、姿を消している彼の気配には気付かず、彼らはただ、ぐるぐると吠えながら、目をきょろきょろとまわし、握りしめている石を投げつける的を探していました。

茶色の髪の青年は、木々の枝下を飛ぶように走りながら、森の中に点在する岩を一つずつ確かめ、例の罪びとの気配を探しました。上空を飛ぶ青年たちは、あるいは短剣で石を跳ね返し、あるいは鎮めのラッパを吹き、何とか罪びとたちの憎悪を鎮めようとしていました。森の中の岩を探して走っているうちに、茶色の髪の青年は、ふと、背後に不穏な気配を感じ、振り向きました。しかしその時にはもう遅く、あごの長い例の男が、「馬鹿め!それで隠れたつもりか!」と叫びながら、彼の頭めがけて火のついた棒を振り下ろすところでした。青年は頭に一撃を受け、うっと声をあげてそのまま地面に倒れました。そのとたんに、魔法が消えて、彼は罪びとたちの前に姿をさらしてしまいました。彼を見つけた罪びとたちは、目に狂気の笑いを見せながら一斉に彼の周りに集まり、嘲笑いながら彼を足で踏みつけたり蹴りつけたりし始めました。あごの長い男は、歯をむいて恐ろしい笑いを見せ、火の棒を彼の目めがけて突き刺そうとしました。青年は反射的に火のついた棒を左手でつかむと、右手で短剣を光る玉に変え、すばやく呪文を唱えて、それを爆発させました。

爆発は、森の木々をも巻き込んで、罪びとたちをいっぺんに吹き飛ばしました。茶色の髪の青年は、文字通り踏んだり蹴ったりの目に会った体をふらふらと立ち上がらせ、周りを見回しました。例のあごの長い男は、腰のところで体が半分に割れ、ずいぶんと離れたところに吹き飛ばされて倒れていました。他の罪人も、彼と似たような格好で、体に惨い傷を負い、あちこちに散らばって横たわっていました。森の木々が、一斉に叫びました。

「つかまえた!つかまえた!つかまえた!かれを、つかまえた!」すると上空を飛んでいた青年たちが何人か、茶色の髪の青年のところに降りて集まってきました。緑の目の青年が、参事の真ん中に茫然と立っている茶色の髪の青年の肩をたたき、言いました。「すまなかった。君ひとりにやらせてしまった」すると茶色の髪の青年は青ざめながらも、落ち着いた声で言いました。「いや、これが僕の仕事だ。それよりも、今回は、たくさんの罪びとを、殺してしまった」「死んではいないよ。修羅の地獄では、死にたいと思っても死ねない。どんなむごい殺され方をしても、三日後にはよみがえって、また殺し合いを始めるんだ」「わかってる。でも、殺したことには変わりはない。木々も傷つけてしまったし、お役所に行って、罪の浄化を願ってくるよ」「ああ、そうした方がいい。後の処理は僕たちがやる。…言っておくけど、君のしたことは、決して間違ってはいない。あの場合、仕方なかった。僕でも、あの状況に落ちたら、君と同じことをやったろう」「…ああ、ありがとう」茶色の髪の青年と、緑の目の青年が会話を交わしている間、上空を飛ぶ青年たちはラッパを吹き、呪文の曲を流しながら、罪びとたちに首謀者のつかまったことを教え、鎮まるように叫び続けていました。

こうして、何とか反乱は治まりました。あごの長い三白眼の男は、三日後には割れた体もつながって生き返り、何もかもを忘れて、また憎悪と狂気に燃えて、戦いを始めました。しかしもう、彼を中心に罪びとたちが集まることはありませんでした。なぜなら、彼は乱を起こした罪により、首から下が毛の生えた類人猿のような姿になって、人間の声を発することができなくなり、魔法も使えなくなったからです。

茶色の髪の青年は、罪を浄化するため、三か月の間、罪びとたちに混じって、巨大な石臼を回し、豆真珠の粉をひく労働をしました。それは時には管理人に奴隷のように扱われ、鞭打たれねばならない、とてもつらい仕事でした。

彼は重い臼を回す棒を額に汗を流して押しながら、今頃修羅の地獄では、あの細いさげすみの月の光を浴びながら、罪びとたちはまだやっているのだろうかと、考えていました。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ | 魔法学者とその助手 »
最新の画像もっと見る

月の世の物語・別章」カテゴリの最新記事