アンダルシアの庭園と自然 (アルハンブラ宮殿、他)
最近、中国・上海の「豫園」という、ちょっとごてごてした明代の庭園を見た。
思うに、西洋の庭園ではベルサイユ宮殿の目を見張るような広大な庭園を以前に掲載
しているが、他にも感動した庭園が幾つかあるので、今回はスペインで見たアルハン
ブラ宮殿等の庭を掲載してみることとする。スペインの歴史遺産や植物については
これも掲載済みであるので、若干重複するところも出てくるが、ご容赦いただきたい。
グラナダのアルハンブラ宮殿(庭園を含む)と谷を挟んだヘネラリーフェ庭園は
イスラム文化とキリスト文化の融合した郷愁をそそる史跡だ。ここに、庭園や植物、
自然の風景を中心に掲載するが、史跡も入ってしまうのはやむを得ない。次いで、
ロンダやミハス等アンダルシアの高台(城塞)の素晴らしい自然の風景を掲載する。
ムーア人のイベリア半島進出とアルハンブラ宮殿の歴史
スペインはキリスト教(カトリック)の西ゴート王国が支配していたが、711年
イスラム教のウマイヤ朝(ムーア人)がイベリア半島に進出し、数年で半島全域を占領
してしまった。最初に栄えたのは後ウマイヤ朝でコルドバを首都とした。この頃のアル
ハンブラは要塞としてのお城だけがあった。11世紀前半からレコンキスタ(キリスト
教徒の国土回復運動)が本格化し、1085年トレド、1236年コルドバ、1246
年にはセビリアが陥落した。この時点で、グラナダを首都とするナスル朝(1238-1492)
が最後までイベリア半島南部(アンダルシア南部)に残った。アルハンブラ宮殿の充実
は、14世紀のムハンマド5世の前後に主に行われた。その後、キリスト教徒に渡った
後も王様の避暑地として宮殿は強化された。
スペイン中部 (首都マドリッドと古都トレド)
主題からそれるが、現在の首都マドリッドにある王宮の庭と古都トレドの風景を追加
で掲示する。
以上です。以下個別の写真を掲示する。
以上で、終わりです。