大学に通う娘から、困りごとの相談があった。
熊本地震の被災地へボランティアに行った際、同じ班になった九州大学の学生から交際を迫られているが、自分としてはまったくその気がない。
それなのに仙台まで押しかけてくるそうなので、何とかしてほしいとのことだった。
こういうときこそ、父親の出番である。
仕方なく待ち合わせたという場所へ行ってみると、当の相手は先に来ていた。
背が高く、色白の顔にウェーブがかかった長めの髪。
ショーウインドウを背にしてすうっと立っている姿からは、そんな悪い男の子には見えなかった。
声を掛け、私が父親だと名乗ると少し驚いたような表情は浮かべたものの、悪びれる様子もなくコーヒーショップについてきた。
ウチの娘はおっとりしているから、ぐいぐい来るきみが苦手だって話していたよ。
さすがに彼は苦笑した。
ボランティアはその日限りのことも多いので、もう会えないかもしれないかと思い、多少強引だったことは認めます、すみません。
でも、お嬢さんを見た時、このひとこそ自分にとって運命の女性じゃないかな、と思ったんです。
それはありがたいけれど、福岡市の人口は仙台の1.5倍の150万人だろ、あちらで運命のひとを探した方が何かと都合がいいと思うけどなあ。
私も二十代の頃、東京で何人か、博多んもんに会ったけど、みな揃いも揃って「のぼせもん」だった。きみも一時の感情でのぼせてしまったのではないのかい?
たしかに僕は博多んもんで、父親もそうですが、母は横浜のひとなんです。
さっきから私の中でぼんやりと渦を巻いていた感覚の焦点が定まったような気がして、胸が早鐘のように鳴り出していた。
彼は見覚えのある黒目がちの瞳で私をまっすぐ見つめながら言った、
都内で新聞記者をしていた頃に、バンドを組んで上京した父親と知り合い、結婚したそうです。
そうか、、、。きみの名字は聞いたことがないけれど、お父さんはその後どうなった?
え??プロにはなれず、博多に二人で戻って家業の電気工事店を継ぎました。
母は福岡リビングというフリーペーパーの編集長を務めています。
きみが私の娘に目をとめてくれたことには感謝するし、理由も、きみの気持ちも、よくわかった。
不思議なこともあるものだ。
でもこの運命は誰も幸せにはしないので、あきらめて欲しい。
あきらめられない場合は、お母さんに今日のことを話してくれるといい。
いや、そうならないことを願うな。
頭のいい男の子だった。
多くを聞かず、気持ちよく別れることができた。
雑踏を歩きながら、私は不思議なことがあるものだ、とまた思った。
夏目漱石に「趣味の遺伝」という短編があったけれど、そんなレベルかな。
今日のことを、娘にはなんて言おう。