有名企業とは違い、広告宣伝費をかけられない零細企業にとってのブランディングとは、大量の広告でイメージを構築するのではなく、実際にその企業の商品やサービスを体感した顧客がイメージを後付けしていくという手法しかない。
また、ブランディングに必要なものは、自社の商品やサービスに対する確固たる自信だ。
これを根幹に、さまざまなものを肉付けして、ブランドは成り立って行く。
ブランディングは一過性のものではなく、長期的に(根気強く)継続してイメージを構築する必要性のあるものなので、派手な広告宣伝が絶対というわけでもないし、その企業あるいは商品に合った戦略を考えることが大切だ。
時代は移り変わる。どんなものにも始まりがあれば終わりがある。そんな流れの中で、企業のブランディングを考えた時、いわゆるオワコンになってしまうのが一番残念なケースだ。
怒涛の広告宣伝で世間にある程度認知はされたものの、短期間でブームが去ってしまい、そこに投入した費用や労力が無駄に終わってしまうケース。
何も残らないどころか、その後長く負のイメージが付きまとうような。
企業を運営して行く限り続いて行くブランドは重要だ。
ブランドは時代と一緒に育てていくもの、共生していくもの。
それには気力と忍耐が必要で、ブランディングは決して短期で結果が出るものではない。
根幹に確固たる自信を持ちつつ、腰を据えて焦らず育てて行かなければならないものなのだ。
マイクを持つとひどく手が震える。
別段アガっているわけではないのに、相手から一目でわかるほどなので、不格好なことこのうえない。
公の場でも、ある程度融通が利く集まりなどは、あらかじめM事務局長に依頼してスタンドマイクをさりげなく準備してもらうのだが、県・市などの各種会合となるとそうも行かない。
意見を求められマイクが回ってくると、別の意味で冷や汗ものだ。
カラオケをやらなかったので、場慣れしていなくて、と短く言い訳するのだが、自分の中では続きがあって、カラオケやゴルフなんかはロックじゃないから、だ。
ずいぶん前、元パンクボーカリストの文筆家MがギタリストのHに殴られた、と警察(ポリ)に被害届を出したそうだが、それはロックじゃないから。
「ちょうど10年前の3月末、法人事務局を置いていたグループホームカムパネルラへいつものように出勤すると、玄関に見慣れない茶のショートブーツがあった。
利用者様が靴を履く際に使うベンチの下にきちんと揃えられていて、どなたか家族様がいらしているのかな、とホールをのぞいたところ、翌月からグループホーム虔十の管理者に着任する予定のYさんが、食堂テーブルの脇にしゃがんで目線を低くしたうえで、利用者様のお話に耳を傾けていた。
重い認知症で、ここがどこなのかはおろか、自分が誰なのかも半ばわからなくなり、暴言を吐くこともしばしばだった男性利用者K様が、彼女へなにかを切々と訴えている。
その光景を目にして、僕は思った、これからの日々はまるで違ったものになるだろう、と。
あの時、胸に湧いた暖かい感情はなかなか忘れられるものじゃない。
僕の視線に気づいたYさんは照れくさそうに立ち上がるとK様に一礼して、その場を離れた。
僕たちは事務室で翌月からのことを熱心に打ち合わせた。
そこへ、調理員のHさんがお手製のごま団子を運んできた。
彼女が帰った後、手をつけられずに残った団子を見つめていると、茶碗を下げに再度入室したHさんから、立派なお嬢さんですねえ、理事長、と心底感じ入った口調で声を掛けられた。
その言葉に免じて、僕は喉元まで出かかっていた小言を飲み込むことにした。」
NPO法人なごやかの理事長に同行して、グループホームカムパネルラの開設13周年記念の茶話会に参加した。
理事長の短いスピーチのあと、T管理者の音頭で乾杯し、利用者様・職員でイチゴのショートケーキをいただいた。
余興にと、最近入居された方が詩吟の「宝船」を披露して下さった。
壽海波平らかにして 紅旭鮮やかなり
遙かに看る宝字 錦帆にかかるを
同乗の七福 皆笑を含む 知る是れ金銀 珠玉の船
(寿海は波が穏やかで、真っ赤な朝日が鮮やかだ。遥か彼方に見えるのは、錦の帆に書かれた宝の字。船には七福神が乗っており、皆笑みを浮かべている。ご存じの通り、これが金銀珠玉を満載した宝船だ。)
理事長が立ち上がって言った。
「歌詞の中にある、珠玉は私の一番好きな言葉です。今日は大変立派なお祝いを頂戴しました。誠にありがとうございます。」
思いがけない謝辞に利用者様はとても喜び、もう一曲、「富士山」を吟じた。
おお、これは末広がりでいいですね、と理事長はさらに上機嫌の様子だった。
LOVE IN VAIN (Robert Johnson)
駅まで女について行った スーツケースを手に持って
駅まで女について行った スーツケースを手に持って
ああ、むずかしい むずかしい
愛がむなしく終わるときのことを言い表すのは
彼女との愛はむなしく終わった
列車がホームへ入ってきたとき オレは女の目を見た
列車がホームへ入ってきたとき オレは女の目を見た
ああ、オレはさびしい ひどくさびしい
泣かずにはいられなかった
彼女との愛はむなしく終わった
列車が出て行った 最後尾には二つのライト
列車が出て行った 最後尾には二つのライト
ああ、青いライトはオレのブルース 赤いライトはオレの心
彼女との愛はむなしく終わった
ああ、ウィリー・メイ
ああ、ウィリー・メイ
ああ、彼女との愛はむなしく終わった
黒人ブルースが胸を打つのは、歌詞すべてがむき出しの、本物の感情だからだ。
過酷過ぎる日々の労働や生活。苦しい別れ。
劣等感の裏返しのセクシャルな強がりとユーモア。
大別するとブルースにはこの二つしかない。
「ラヴ・イン・ヴェイン(むなしき愛)」はロバート・ジョンソンの1937年の曲。
27年間の短い生涯に残した曲は合計29曲・42テイクのみで、写真もわずか2枚しかない(それも後年になって発見された)こともあり、「十字路(クロスロード)でギターテクニックと引き換えに魂を悪魔に売り渡した」というクロスロード伝説がまことしやかに語り継がれている、不世出のブルースマンである。
この曲が広く世に知られるようになったローリングストーンズのカヴァー(1969年)は、さすが出色の出来だ。
Love in Vain
And I followed her to the station
with a suitcase in my hand
And I followed her to the station
with a suitcase in my hand
Well, it's hard to tell, it's hard to tell
when all your love's in vain
All my love's in vain
When the train rolled up to the station
I looked her in the eye
When the train rolled up to the station
and I looked her in the eye
Well, I was lonesome, I felt so lonesome
and I could not help but cry
All my love's in vain
When the train, it left the station
with two lights on behind
When the train, it left the station
with two lights on behind
Well, the blue light was my blues
and the red light was my mind
All my love's in vain
hoo, Willie Mae
hoo, Willie Mae
Ou ou ou ou ou ou hee vee oh woe
All my love's in vain