新型コロナウイルスの感染を恐れてだろう、人出のまったくない仮設住宅のメインストリートを、大きなアマビエがまっすぐこちらへ歩いてくる。
知らん顔をしてやり過ごそうか、「ご苦労さまです」とねぎらいの声を掛けようか、迷っていると、2メートルほど手前でそれは立ち止った。
ソーシャル・ディスタンスを心得ているなんて、しゃれた妖怪だな。
僕も立ち止まって、対峙した。
すると、アマビエの両脇からほっそりとした白い腕が突き出て、その頭部をすっぽりと持ち上げた。
ざしき童子だった。
なんだ、きみか、脅かすなあ。
大げさに驚いて見せたが、彼女がなぜそんないでたちなのか、察するにたやすかった。
困っている方々のことを思い、安息を願って、居てもたってもいられなくなったのだろう。
「このコロナ禍で、全国各地から自分の思いを押し付けてくるボランティアが来れなくなったのは、せめてもの幸いですね。ほら、きみはぐいぐい来るひとが苦手だから。」
「誰だって苦手ですわ」
すねた顔を見せたあと、彼女はカラカラと笑った。
僕もつられて笑った。
笑いながら、目が覚めた。
夢だったのか。
周囲を見渡すと、つぶらな目をした小さなアマビエこけしがサイドテーブルの上にぽつんと載っていた。
C大と同じ駅が最寄りの東京都立多摩動物公園、通称タマ動で学生時代の4年間、週末にアルバイトとして働いた。
タマ動直接のバイトではなく、納入業者(雪印乳業の下請工場)の雇用で、特設テント内にアイスクリームのストッカーを置き、同社の既製品アイスや動物たちの指人形などを販売する仕事だった。
4月から10月までの、いわゆるハイシーズンのタマ動の混みようは尋常ではなく、テント脇に置かれたごみ箱は多い時で20回(袋)以上交換することもあった。
さらに大変なのが、入場無料の子供の日だった。
僕は公園の一番奥、「ライオンバス」(ライオンが放し飼いになっている園内をバスで遊覧するアトラクション)のチケット売り場前が定位置?だったのだが、開園から20分ほどたつと、黒い波のように人が押し寄せてくるのが遠目にもはっきりと見え、やがてそれがだんだんと坂を上ってくる。
初めはぞっとして、映画「黒い絨毯」(軍隊アリの恐怖を扱った元祖パニック映画)や、シェイクスピアの「マクベス」を連想した。
暗殺によって王位を奪ったものの、不安に怯えるマクベスは魔女たちから「バーナムの森が動いて向かってこない限り安泰だ」という予言を引き出す。
ところがその後、木の枝を隠れ蓑にして進撃してくるイングランド軍の様子がまるで森が動いているかのように見えたため、マクベスは半狂乱に陥ってしまう―。
100円のアイスを買い求めて親子連れが殺到し、ストッカーはテントから押し出されるわ、商品棚は倒されるわ、果てはストッカーへのアイスの補充が間に合わなくなり、後ろに停めていた保冷車の扉を開け、そこで直接売りさばいたこともある。
良くも悪くも急激な右肩上がりの、とんでもない時代だった。
幸運な子は銀のスプーンを口にくわえて生まれてくる、あるいは赤ちゃんに銀のスプーンで食べさせると一生食べ物に困らない、という言い伝えが欧米にある。
セックス・ピストルズがカバーしたザ・フーのシングル曲「恋のピンチヒッター」の中に「オレはプラスチックのスプーンをくわえて生まれてきた」という面白いフレーズがあって、お金に縁がなかった自分もそうなのだろうな、と長く考えていた。
息子が生まれた際、巻き添えにしては申し訳ないので、ティファニー・ブティックへ行き、銀のベビースプーンを買って名前を刻んでもらった。
娘の時もそうした。
厄除け、厄払いのようなものだ。
おかげさまで二人とも決して裕福とは言えないものの、たいした不自由なく学生生活を謳歌している。
初めそのベビースプーンは二人が結婚する時にそれぞれ持たせよう、などとぼんやり考えていたのだが、最近は変質してきて、娘の相手が訪ねてきたら、僕はしっかりやったのだからここからはきみがちゃんとやれ、と突き付けてやろうかな、と思っている。
娘はそんな僕の妄想を察知しているらしく、私が超えるべきハードルは高いのよ、と兄にこぼしているそうだ。
「恋のピンチヒッター」(1966年)