(映画「バックトゥザフューチャー」のサウンドトラック版CD。)
人間が対象を把握する仕方に「説明と了解」という2つの仕方があると19世紀以来言われています。物理学などの自然科学では「法則を説明」するという把握が行われます。それに対して、歴史学のような分野では、「筋道を了解」するという形で把握が行われるそうです。
たとえば、元寇が来たとき神風が吹かなければ歴史は変わっていたでしょう。あの日、信長がお腹をこわさなかったらとか、家康が転ばなかったらとか些細なことで歴史は変わっていたはずだと考えられます。
(「バタフライ効果」といって、ブラジルの蝶々のはばたきがテキサスに竜巻を起こすようなことが、カオスの世界ではありえます。)
進化で言えば、巨大隕石が恐竜を絶滅させたから哺乳類が栄えたと言われています。このように、進化においては「ほかでもありえた」ということが沢山あります。
タイムパラドックスでは、過去をいじると未来が変わってしまうという設定で、過去をいじったために未来が化け物のような生物で満たされるSFがあります。これも「ほかにもありえた」生態系です。
生命が誕生してからこれまでに、「大絶滅」が4回起こっているのだそうです。その都度「ほかにもありえた」生態系が出番を阻まれています。現在ある生態系が唯一無二というわけではないのですね。
地球上には現在400万種以上の生物種がいるそうです。著者は、その1000倍は絶滅しているといいますが、それは4回の大絶滅以外にも、ちょっとしたことで出番がなかった生物種も入っているのではないでしょうか。
生物学は自然科学ですから「説明」という把握のされ方をします。一方、進化論は生物の歴史ですから「了解」という把握のされ方をするので、進化論は「説明と了解」の両方にまたがっていると著者は主張します。
地道に「適者生存」の原理で「自然淘汰」によって合目的的な生物だけが生き残ったと考えられるだけではなく、それこそ家康が転んだだけで(バタフライ効果で)生態系がガラリと変わってしまう可能性があります。それを著者は「理不尽」と名付けたのでしょう。
本書『理不尽な進化』の著者は自分を素人と規定していますが、なかなかどうして素人にはこれだけ書けるものではありません。繰り返しを省き過去の学者たちをもっと整然と並べれば、けっこうな名著になると私は思います。