(栗本慎一郎著、カッパブックス。)
30年前、私は上の本によって思考方法を大きく変えられ、目から鱗が落ちました。カッパブックスでしたが私には大部の思想書のように思えました。
内容を極端に大ざっぱに言ってしまうと「人間はパンツをはいた時点で、みな性倒錯だ」というのが私なりの理解でした。そう考えると、たとえば他人に見られながらのSEXが好きな人、制服でのSEXが好きな人、普通のSEXが好きな人がぜんぶ等質になります。
さらに、サドマゾや幼児愛、老人愛、死体愛までもが別の性的な嗜好と大差がなくなってしまいます。(被害者がいるかどうかを別問題とすればの話ですが・・。)
「LGTB」とはレズビアン、ゲイ、トランスジェンダー、バイセクシュアルの頭文字で、それらの人を差別してはいけないという方向に世は動いています。
はっきり証明されたわけではありませんが最近有名な「性同一性障害」はどうも先天的な状態なのではないかと考えられています。この厳しい世の中、性同一性障害の人は過酷な世渡りを強いられてきました。これはれっきとした「疾患」で、とても気の毒です。
ひるがえって「LGTB」は「疾患」なのでしょうか?そうではなくて、「好み」とか「嗜好」の部類に入るのではないでしょうか?ここを混同してはならないでしょう。
先進国では同性婚が認められつつあります。栗本慎一郎氏の「人類オール性倒錯」の観点からは、それも当然の成り行きでしょう。
人類にとってSEXはイコール子造りでは、もはやありません。いくぶん珍しいSEXでも好きなようにやってくださればよろしい。ところが、ここで変なカップルが出てきたのです。それは、女性の同性婚のカップルですが、(他の男性の人工授精による)子どもが欲しいと言い出したのです。
SEXの自由と子造りを混同しているのではありませんか?人類にとってSEXと子造りはぜんぜん別物です。同性婚でSEXを享受するのはよいでしょう。しかし、最先端医療によって子どもをもうけるというのは、いかがなものでしょうか?なにか勘違いしているのではありませんか?みなさまは、どう思われますか?
(昨日から、このブログのテンプレートやサイズが急に変わりました。これは私がしたことではなく、たぶんブログ会社が勝手にやったことで連絡もありませんでした。しかし、すぐに直せないので、このまましばらく様子を見ます。)
※今日、気にとまった短歌
夏休みに綿を育てる子は気儘いまだ「農奴」といふを知らずに (富山県)仲井真理子