院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

高校校長の自殺

2006-10-31 08:39:03 | Weblog
 それは富山の高校から始まった。授業未履修問題である。

 未履修の高校はどんどん広がり、とうとう10万人以上の高校3年生が未履修ということになった。

 それがきっかけで、茨城県の校長が一人自殺した。かわいそうである。

 未履修なんて昔からあった。でも、なんらかの救済処置で履修したことにしていたのである。

 私が憎むのは、富山の高校の未履修をタレこんだ人物である。そいつは少なくとも校長一人を殺した。

 私が高校生のころは、漫談しかしない教師もいた。それで単位もきちんとくれた。高校レベルはるかに超えた授業をする教師もいた。でも、それは高校生の向学心を刺激した。

 大学受験に役立つ授業なぞする教師は一人もいなかった。それでも、東大に百人受かった。(私は受けなかった)。

 それなのに、今の履修問題である。バカバカしいにもほどがある。バカバカしいならまだよいが、校長を殺すまでになってはいけない。

 問題をここまで発展させた最初の告発者とマスコミに災いあれ。 

大新聞の社説

2006-10-30 12:40:12 | Weblog
 新聞記事で一番読まれないのは社説だそうだ。

 でも、私は社説をよく読む。それは、社説にはしばしば当たり前のことや、バカなことが書いてあるからである。

 大新聞の編集者と言えば大秀才である。そのような人がバカなことを書く。大秀才であることと、思想的に秀才であることは関係がないのかもしれない。

 私は「なんてバカな事を考えるのだろう」と嗤うために社説を読むのである。

 (もっとも新聞全体がバカバカしいので、拙宅は新聞を取っていない。新聞は蕎麦屋などで読んでいる)。

マニュアル手技の弊害

2006-10-29 08:06:45 | Weblog
 スペースシャトルの成功は、ひとえに製造マニュアルの充実によっていると思う。マニュアルに従えば誰がやっても同じ結果が得られる。大人数が手分けをしても同じ結果が出る。スペースシャトルの製造マニュアルは何百冊にも及ぶだろう。

 その影響かどうか知らないが、アメリカでは精神疾患の診断マニュアルを作ってしまった。今やそれがわが国を席巻しようとしている。しかし、人間や病は物体ではない。スペースシャトルで成功したことが、精神医療で成功するとは限らない。だから、わが国では診断マニュアルをまったく相手にしない精神科医も少なくない。

 最近、マニュアルばやりである。医療事故防止マニュアルなんていうのもある。しかし、医療事故はとっさの判断が重要で、いちいちマニュアルを引いている余裕なぞない。マニュアルは膨大な辞書のようなものであるから、それをあらかじめ全部頭に入れておくことも難しい。だから医療事故防止マニュアルというものの存在価値には疑いがある。

 ところが医療事故が起きると、マスコミは「防止マニュアルさえ整備されていなかった」と責める。

 だから医療機関も防衛的になって、どんどんマニュアルを作っている。でも、相手が人間や病というスペースシャトルよりも格段に複雑なものであるから、マニュアルはほとんど役に立たないことを強調しておきたい。

 医療機関は、ただマスコミから「マニュアルさえなかった」と言われるのが怖くて、マニュアルを用意しているだけである。実用に役立たないものの製作にエネルギーを費やしているのである。

輸血で拒絶反応が起こらないのは何故が?

2006-10-28 08:52:46 | Weblog
 違う型の血液を輸血して問題が起きるのは、すでに被輸血者の血液に抗体があるからであって、臓器移植の拒絶反応とは違う。

 輸血は一種の臓器移植であるにもかかわらず、拒絶反応が起こらないのは何故だろうか。私はそれが不思議でならない。

 これは想像だが、拒絶反応が起こるのには一定の時間がかかる。その時間より前に輸血血液は消滅してしまうのではないだろうか。正確なところをご存じの方は教えてほしい。

高速増殖炉もんじゅ

2006-10-27 11:48:16 | Weblog
 実験とか試験というものは必ず成功するとはかぎらない。だからこそ実験や試験をして、失敗すれば、どこが悪かったのかを探求して、次の実験や試験を行うのである。

 高速増殖炉もんじゅが事故を起こした。あれから10年、実験再開のめどは立っていない。もんじゅは実験炉である。だから、それが失敗すれば悪いところを直して、実験を再開するのがスジである。

 だが、なぜかわが国のマスコミや国民は実験再開を許さない。実験とは必ず成功すると思い込んでいるようなふしがある。必ず成功するなら実験はいらない。

 年配の方なら、アメリカのロケット実験で何人もの飛行士が亡くなったことを覚えておられるだろう。それでも、アメリカは有人飛行をやめなかった。

 そのくらいの意気込みがないと、新しい技術は開発できない。

 今回のもんじゅの件は、廃船に追い込まれた原子力船「むつ」に似ている。わが国はあと何十年間も原子力船を持てないだろう。

 あの時、「むつ」を推進した人の中に扇千影さんがいた。扇さんは今、参議院議長である。元タレント議員とは言え、スジが通った人である。

児童虐待と児童相談所

2006-10-26 13:23:05 | Weblog
 児童相談所とは元来、子供のことで悩みをもった親が相談に行くところである。だから、児童相談所は親の味方であり続けてきた。職員もそのような姿勢に慣れていた。

 ところが、児童虐待の問題がクローズアップされると、虐待への対応がなぜか児童相談所に任された。誰が何を勘違いしたのだろう。

 今、児童相談所は困っているだろう。だって、これまで親の「味方」をしてきたのに、今度は親の「敵」になれと命じられたのだから。相談所の職員の混乱振りは想像に難くない。

 これでは弁護士に検事の役をもやれというのに等しい。もともと児童虐待の問題を相談所に振ったことに無理があったのだ。虐待死が起こって怠慢だとなじられる相談所が気の毒である。

 児童虐待の問題は、警察にそのような部署を設けて対応すべきなのである。児童相談所を早くもとの役割に戻してあげてほしい。

新聞の投書欄

2006-10-25 08:51:19 | Weblog
 新聞の投書欄ほどつまらないものはない。理由はいくつかある。

 ひとつは読者の名を借りながら、投書の内容は新聞社の意見だからである。

 二つ目は内容が道徳的過ぎることである。「老人には席を譲ろう」、「タバコのポイ捨てはやめよう」のたぐいが多すぎるのである。この点を衝いて「大衆は修身が好きなのだ」と喝破したのはエッセイストの故山本夏彦氏である。

 三つ目は「投書者交流会」のようのものがあるらしいということだ。投書を趣味にしていて、何度も掲載された人たちが仲良しクラブのようなものを作っているという。会員は老人が多い。

 投書欄の編集者はこのクラブを無視できず、ときどき載せてあげなければならない。奇妙な世界が出来上がってしまっている。

 投書欄に「若い声」なぞと銘打って、10代の意見ばかりを載せることがある。これは老人のクラブに新聞社が対抗するためにむりやり作った企画ではないか。

 老人と若者の投書欄と言われて久しい。働き盛りの投書が極めて少ない。投書数は少なくないのだろうが、当たり障りのない意見を載せようとすると、働き盛りの意見は鋭すぎて投書欄には向かないのだろう。

 まあ、新聞社には末永く、投書欄に「修身」を載せていただくしかない。ご苦労様。

擬似社会テーマパーク

2006-10-24 12:38:27 | Weblog
 子供に仕事やお金のことを教えようとして、商店街や銀行などのミニ版を揃えたテーマパークが増えている。その擬似社会では擬似通貨も用意されている。

 けっこう繁盛しているようだが、いつまで持つだろうか?子供は飽きやすい。幼児には擬似通貨は難しい。年長児には店が子供っぽすぎる。どこか中途半端なのである。

 私はこうしたテーマパークは失敗すると見ている。お金をやりとりするなら、本物のお金を持っておつかいに行ったほうが楽しい。

 完全な遊びなら、人生ゲームのほうが楽しい。私はこういうテーマパークに子供を連れて行きたくないと思っている。偽善の匂いがするからである。子供をダシにして金儲けをしたいのなら、変に教育のごとき衣をまとわないでほしい。

日本の医療崩壊

2006-10-23 12:31:01 | Weblog
 私はS総合病院のK元院長があまり好きではなかった。「丁寧に生きる」なぞという、意味不明の標語を多用してマスコミに出ていたからである。K院長のひげ面も好感を持てなかった。髪型や髭で自己主張するのが私はいやだ。

 ところが、そのK元院長が久々に良いことを週刊誌に書いていた。自分が50歳で引退したのは「経営も成り立たせて、いい医療をすることに燃えつきてしまった」というのである。初めてK元院長の本音を聞いた。

 日本の医療制度はWHOの評価では世界一である。しかも、医療費は先進国で一番安い。虫垂炎の手術料は日本は37万円だが、ニューヨークでは243万円だそうである。あまりの差に驚く。

 K元院長は、日本が医療費をこれ以上削っては、医療は崩壊して立ち直れなくなると言っていた。同感である。特に若い医師たちの労働は過酷である。医療費を値切ってこのままの状態を続けていれば、ほんとに日本の医療は崩壊するだろう。現に病院から医師がいなくなっている。

 K元院長は単なる目立ちたがり屋ではないと、このたびの発言で見直した次第である。

天気予報はよく当たる

2006-10-22 21:11:28 | Weblog
 昔、天気予報は当たらないものの代名詞だった。

 ところが最近はほとんど当たる。いったい何があったのだろうか?

 まず気象衛星の出現が挙げられる。これにより、広域の天気図が精密に描けるようになった。

 だが、気象衛星が出てきただけで、今日の天気予報の確度は説明できない。たぶん、気象衛星の情報を基にして、精力的な研究が行われたのだろう。そうでなければ、画面を見ただけで予報ができるわけはない。

 気象庁の研究を多としなければならない。私たちの知らないところで、日が当たらない努力をしている方々に敬意を表さねばなるまい。

浅野右橘先生の句

2006-10-21 08:11:14 | Weblog
 浅野右橘(ゆうきつ)先生は、私の最初の俳句の師である。前にも書いたが、私が精神障害者リハビリ施設の所長をやっていたころ、嫌がりもせず障害者の俳句指導に来てくださった方である。

 浅野先生が88歳で亡くなってから、早いものでもうじき3年になる。

 浅野先生は数々の名句を残した。中でも私が好きな句は次の句である。

     なもといふ名古屋言葉を涼しとも

「なも」というのは、「そうだなも」というように用いられる。このような名古屋弁を話す人は急激に減っている。

 季語は「涼し」で季節は夏である。「涼し」が夏の季語とは奇妙に思われる方もおられるだろうが、昔の人は夏の暑い時期のちょっとした涼しさに敏感だったと思われる。

 この句は場所は忘れたが、どこかに句碑となって残っている。浅野先生の句碑は名古屋市内に20ほどある。


茶髪ピアス

2006-10-20 10:44:20 | Weblog
 新聞に「男の子の茶髪ピアスは、親が早めに注意すべきだ」という投書が載った。

 その数日後、高校生と思われる男子から反論が寄せられた。主旨は「茶髪ピアスはすでに若者の文化なのだから、とがめる必要はない」というものだった。

 私はその男子高校生に聞きたい。「君は進学や就職の面接に茶髪ピアスで行きますか?」と。もし面接のときは普通の恰好で行くというのなら、男子高校生の主張は成り立たない。

 面接でも茶髪ピアスで行くと言うのなら、男子高校生の主張を認めよう。ただし、面接には必ず落ちるだろう。世の中、そんなに甘くはない。

 ふだんジーパンを愛用している友人でさえ、たんなる内輪のクラス会でもジーパンをはいてこない。服装や恰好には重い意味があるのだ。

病院は不潔である

2006-10-19 12:57:06 | Weblog
 このところ病院での院内感染が取りざたされている。前はMRSA(多剤耐性黄色ブドウ球菌)だったが、今は多剤耐性緑膿菌である。

 院内感染がこれだけ騒がれるのは、病院は清潔だという幻想があるからである。考えてもみて欲しい。世の中には病院ほど不潔な場所はないのである。保菌者がたくさん訪れる。病院がきわめて不潔であることは、常識で考えればすぐに分かることである。

 遊びがてらに子連れで病院に来る人がいる。困ったものだ。病院は黴菌の巣窟なのである。

 だから、院内感染も起こる。それは至極当然のことで、大騒ぎするに値しないことである。病院は汚いところだということが常識になれば、院内感染もこれほど大ごとにならないことだろう。

 病院は清潔だという幻想を捨ててほしい。 

女性医師の憂うつ

2006-10-18 06:38:00 | Weblog
 日本の大学生が勉強しないと言われて久しい。遊びやアルバイトにうつつを抜かし、大学はレジャーランドとまで言われている。だが、医学生はものすごく勉強する。医師国家試験が控えているからである。
 
 案外知られていないことだが、医学生に専門はない。医学生はすべての科を勉強する。内科も外科も産婦人科も精神科もすべてである。だから、医学生は膨大な知識をマスターしなくてはならない。本にして積むと、ゆうに1メートルは超えるだろう。

 さらに医学生には実習が課せられている。患者さんに馬鹿にされながら、打聴診、その他の手技を全部覚えなくてはならない。医者になる修行は生半可なものではないのである。

 医学部の6年間を終えて、首尾よく医師国家試験に受かったとしても、難関はまだある。国家試験合格者には、その後2年間の臨床研修が義務付けられている。これも、ほとんどの科を回って研修する。

 この2年間の研修を終えてから、やっと医師は各自の専門科に分かれていく。ストレートで行っても、歳はすでに26歳である。浪人や留年をしていれば、30代もざらである。

 専門科に入ってから、その科の専門医として通用するようになるには、さらに3年はかかる。医者の下積み生活は長いのである。

 私が医学生のころには、女子学生は1割程度だった。それが今や、女子が半数に迫ろうとしている。彼女らは大変である。生物学的に妊娠や出産に最適な時期を、勉強、研修に費やさねばならない。かわいそうである。

 それを承知で医学部に入ったのだろうという論もあろうが、16歳や17歳の高校生にそこまでの将来展望を持てというのは酷である。
 
 医者は過酷な仕事であるから、妊娠すると辞めてしまう女性医師が多い。出産しても子供の世話に追われるから、なかなか現場に復帰できない。
 
 かつて田中角栄内閣の時代に、一県一医大論が唱えられ、医学部が倍増した。しかし、倍増したのは女子学生であった。その女性が医療現現場に出られないのであれば、医学部倍増の意味がない。日本の医療界は、医師供給の面で、もうどうしようもないところに来ている。

オムライスの作り方

2006-10-17 13:15:02 | Weblog
 ご存じの方も多かろうが、オムライスはご飯の上に薄焼き卵を乗せるのではない。薄焼き卵の上にご飯を乗せるのである。

 洋食屋の厨房で初めて見て驚いた。コックはフライパンでまず薄焼き卵を作り、そこにケチャップライスを乗せて、左手で持ったフライパンを右手で3回ほどたたく。そうすると薄焼き卵が見事にケチャップライスを包んでしまうのである。

 母が作ってくれたオムライスは、ケチャップライスをほどよくまとめてから、その上に薄焼き卵をかぶせていた。だから、薄焼き卵がきれいに巻きつかない。ちょうど、炬燵に炬燵布団をかけたような感じになる。

 昨今、オムライス専門のチェーン店がはやっている。そこでのオムライスの作り方を見ていると、うちの母式である。やっぱりチェーン店の店員には洋食屋の親父のような技がないのだ。

 いろんな技が消えていってしまう。