院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

職人としての医者

2018-01-07 20:19:15 | 教育

(コトバンクより引用。)

 当地では正月につけた注連縄(しめなわ)を一年中外さない風習があった。10年ほど前から、その風習はなくなってきた。

 注連縄を作る職人は私と同世代である。彼らは中学を卒業してからすぐに注連縄作りを始めた。

 私はさらに高校大学と10年近く後から医者になった。医者には職人の部分が大きく、私は注連縄職人から10年も遅れてスタートをきった。

 だから注連縄職人の腕に追いつくのが大変だった。

 ※今日の俳句(新年)
   大濤にをどり現れ初日の出
   高浜虚子

高卒では遅い教育

2017-12-01 00:00:16 | 教育

(中島誠之助さん。TV東京のHPより引用。)

 写真の中島誠之助さんは大学を出てから骨董の道に入った。南青山に「骨董通り」という辻があるが、その歌を作ったのが中島さんである。(「なんでも鑑定団」については2013-10-28 参照。)

 もっと前、私の祖父の世代、多くの町人は丁稚に入った。骨董屋に丁稚に入った場合、そこの主人なり番頭は、丁稚にはよい骨董しか見せなかったという。よい作品だけを見ているうちに丁稚の目が肥えてくる。そこに変な骨董が出てくると、丁稚は直感的に「変だ」と感じ取るようになる。こういうのがホンモノの教育だろう。

 芸事はなんでもそうだが、中学を出てからでは遅いのだ。ピアノ、バイオリンなどは4歳くらいから始めなくては何ともならない。

 法隆寺の宮大工は高卒だが、先代の宮大工に「高校を出てからでは遅い」と言われたそうだ。さいきん高校の調理科に行く子が増えてきた。これは、よいことである。中卒ですぐに包丁を持たされ材料をいじるのだから、立派な料理人が育つことだろう。

 ※今日の短歌
   二時間ごと貼り替ふるとふ痛み止め痛みは少しと君は言へども
   酒井京子(明日香)

イジメ撃退法

2017-11-19 04:39:47 | 教育

(小学生のイラスト。matome.never より引用。)

 小学校3,4年生のころ、私はM君Y君と3人でつるんで下校することが多かった。

 あるときM君がY君とひそひそ話をしたりして、何となく私を仲間外れにしようとし始めた。「こいつはいったい何を始めたのか?」と私は無性に腹が立った。

 あるとき私はなんの脈絡もなく、M君の頭頂部にげんこつを一発見舞った。「何するんだよう」とM君。私は「悪りぃ悪りぃ。痛かった?」とトボけたが、せいせいした。

 当時、イジメという言葉を知らなかった。だが、このままずるずると付き合いを続けていたら、イジメに遭っていただろう。イジメには一発かますに限ると私は学習した。

 M君との付き合いは、これで終わった。その後、M君は高卒後、近くのクリーニング屋でアルバイトをしていると聞いた。それ以来、私はM君の消息を知らない。

 ※今日の短歌
   棺(ひつぎ)にはドライアイスを入れること髪流すこと二時間待つこと
   藤川侑子(香川県)

「お友だち~」って誰のこと?

2017-11-18 03:30:14 | 教育

(幼稚園の戸外授業。ウィキペディアより引用。)

 私が幼稚園生のころ園に歌のお姉さんのような人が来て「☆☆園のお友だち~。こんにちは~」と明るく呼びかけられて困った。そのお姉さんは初対面で友だちとは言えなかったからである。

 さらにお姉さんは「隣りのお友だちとじやんけんをして順番を決めましょう」と言った。隣りの奴は嫌いな奴で、「隣りのお友だち」と言われても困ると思った。

 「お友だち」にさほど深い意味があるわけではないと知ったのは、その後何年もたってからだった。

 幼な子はまじめだから、意外なところで困るのだ。本当の友達は何10年生きてきて、現在でも十指に満たない。

 ※今日の短歌
   病院か施設か迷うわが母の淡いいのちの安らぐ所
   平山敬子(山口県)

東大出は自分が東大出であることを忘れない

2017-10-27 00:48:24 | 教育

(東大赤門。ウィキペディアより引用。)

 東大出は自分が東大出であることを日も夜も忘れない。暮夜思い出してにんまりとする。
 
 私は東大に入れなかったが、有名高校出身なので辺りに東大出がごろごろいる。東大出にも一流と末流があって、一流は40年以上たったいま、かなりの地位についている。末流はそうでもない。

 東大の授業は進みかたが早くて、末流は付いていくのが大変らしい。目的が東大入学で、やっと受かった学生には過酷だそうだ。東大入学が目的化している高校があるが、そこの出身者は東大の底辺を構成していることだろう。

 大学はともかくとして、勝手に事業を始めて成功している者もいる。私はこういう奴が一番好きだ。学歴なぞには目もくれないのだ。

 では自分を顧みてどうか?東大には入れなかったけれども、そこそこの人生だったのではないか?そうとでも考えなければ、とてもじゃないがやって来られなかった。

 ※今日の短歌
    「勢力を強めながら」と予報士のフリルブラウス無風にそよぐ
    たえなかすず(京都府)

頭の良さは遺伝する

2017-10-26 00:02:06 | 教育

(受験風景。毎日新聞より引用。)

 頭の良さ(知能、学校の成績)は遺伝するようである。頭の良さを「上中下」に分けると、私の友人には「上」が多いが、その子弟も「上」ばかりである。

 私は父母がいずれも「中」だったが、兄弟のなかで私だけ偶然「上」だった。しかしながら、妻も「上」であるにもかかわらず、息子も娘も「中」である。

 こういう統計は一部の実例だけを見ても正確なことは分からない。だが、壮大な実例がある。ひとつは筑波研究学園都市である。ここの研究所に赴任した友人は多い。みな「上」の中でも「特上」だった。

 しばらくして異常事態が起こった。茨城県の筑波村にむかしからあった名もない高校が突然、東大合格者数で頭角を表わし始めたのである。

 実例はまだある。愛知県の岡崎市に自然科学研究機構ができたときだ。日本中の頭脳が岡崎市に集まった。結果、県立岡崎高校が名古屋の超有名高校を抜いて東大合格者数一番に躍り出た。愛知県で、なんと巨大都市名古屋を抜いてしまったのだ。

 むろん環境もあるだろう。「上」の親たちは子弟の教育に余念がないと思われる。だが、世の中には「英才教育」というのがある。「英才教育」を受けた子は小学生の間は成績が良い。だが、高校生になると「上」の子にどんどん追い抜かれていくのだ。可哀そうである。

 まったく残念なことだが、どう考えても頭の良さは遺伝するとしか思えないのである。

 ※今日の短歌
    「おとうちゃん」「ナンダ?」「何でもない」後の微苦笑夫は在さず
    松本ちよこ(ぬはり)

予備校で習う受験テクニック

2017-08-26 00:06:23 | 教育

(駿台予備校の広告)。

 予備校で教師が生徒の質問に「そういう愚問を発するから落ちるんだ」と突っ込むので驚いた。この予備校が特別だったのかもしれない。生徒はお客さんである予備校で「来年も落ちるぞ」とか何かにつけて痛いところをついてくるとは。

 予備校の授業を受けていて「こりゃぁ、すごい」と思ったことが何度かある。英語や古文は分量をこなすしかないと思っていたのだが、英語の場合、発音の間違えやすい単語は30個ほどしかなく、それだけ覚えれば発音はクリア。古文も助詞は8個で、それぞれの機能を覚えればクリア。

 そこまで整理されていれば、無駄な労力が(受験に対するかぎり)必要がなくなる。さすがに予備校は学問を教えるところではなく、受験テクニックを教えるところだと感心した。

 ひるがえって考えると、現役でやすやすと大学に合格した連中は、こうしたテクニックなしに入っていったのだから、すごいものだと改めて思った。むかし「親不孝通り」と呼ばれていた道を通って思い出した。

 ※私の俳句(秋)
    天高し跳び箱の段上げらるる

小学3年生を恨む女教師

2017-08-16 09:08:05 | 教育
 一昨日言っておいたようにる暴力は振るわなかったものの、激しい圧力を生徒たちにかけて辟易させた最低の女教師について今回は言わせてください。

 小3のある日、女教師が生徒に「屋のつくお店を言ってください」と問いました。野村君という子が「おわい屋」と例を挙げました。(当時まだ東京には水洗便所がなく、便壺にたまった汚物を柄杓で汲んで肥えたごで持っていく仕事があり、その仕事をおわい屋(汚猥屋)といいました。汲み取り屋とも)。

 そうしたら女教師はキッとなって、「お椀屋」でしょと問い直すのです。野村君は食器のお椀ではなくて「おわい屋」と言いましたが、それでもなお女教師は「お椀屋」のことでしょと無理に野村君に迫っていきました。野村君は気おされて、だんだん小声になり「・・はい」と引っ込みました。

 私は女教師の強引さのムッして、それが顔に出ていたかもしれません。東京は工芸品の産地ではないから、お椀専門店というのはなく、ふつう瀬戸物屋で売られています。(ここでのタテマエ主義は、2012-03-12のそれと根本的に違います)。


(肥えたごかつぎ。映画「一枚のハガキ」。allcinema より引用)。

 別の日、女教師と近くで話をしたことがありました。ところがなんだか臭い。どうも匂いは女教師から出ていたようです。それで私は「先生は臭い」と言ってしまいました。女教師にはワキガがあったのです。

 私が隣りの子にちょっかいを出したり、女教師に反論したりするのは、あいかわらずでした。でも叩かれはしませんでした。その代わりと言うか、通知簿にものすごいことを書かれました。

 「なにを言っても屁理屈をこねるイヤな子」
 「言うことをきかず根性がねじまがっている」
 「将来が思いやられる」ect...

 いつもなら相当に怒る父親ですが、このときはまったく怒りませんでした。大人どうしから見て、ずいぶん変な教師だと感じたのでしょう。この通知簿はまだ東京の実家に残っています。

 ※私の俳句(夏)
    給食のおかずは汁と冷ややっこ

体罰(3)(ばかりでない面も)

2017-08-14 22:05:28 | 教育
 毎日体罰で私はほんとうに「不登校」になったかもしれない。私を救ったのはクラブ活動だった。図書部とか理科部とかエンゲイ部などがあった。えっ?エンゲイ部?小学生が落語や漫才をやるの?と不思議に思った。園芸部と理解するまで結構時間がかかった。

 理科が好きだった私は理科部に入った。校庭の百葉箱の中身を毎日記録するのだ。百葉箱の中身に何が入っているかご存じだろうか?中にはその日の最高気温、最低気温、湿度を測る特殊な寒暖計がはいっている。(百葉箱のきわには雨量計があり、それも記録した)。

 最高気温は水銀体温計と同じ原理で、最高値から下がらないようにできている。最低気温はアルコール柱のてっぺんに1センチくらいの小さな棒が入っており、その棒は下には行くが上には行かない物質だった。原理は未だに知らない。

 湿度計は寒暖計2本からできており、片方だけ湿ったガーゼが巻いてある。ガーゼから気化熱が奪われるので、常にそちらのほうが気温が低い。普通の寒暖計とガーゼの寒暖計の温度差は、湿度が低いほど差が大きい。その差と気温から(一覧表によって)湿度を割り出すのである。大人って頭いいなぁと思った。


(マリモ。ウィキペディアより引用)。

 クラブ活動とは別に教室には常に生物がいた。(小3の女教師を除いて)。まず阿寒湖のマリモ。なぜすでに特別天然記念物だったマリモが教室にあったのか分からない。いずれにせよ、あれ以来ほんもののマリモを見たことがない。


(オタマジャクシの成長。ウィキペディアより引用)。

 次がオタマジャクシ。オタマジャクシがカエルになるとき、まず後ろ足から生えてくることを知った。そんなこと実地で学ばなくては(本で学んでも)仕方がない。よい体験だった。


(トカゲのしっぽのみ。ウィキペディアより引用)。

 トカゲを飼っていたこともあった。自然界でトカゲがしっぽを自切したのを見たことはあったが、その後はどうなるかは見たことがなかった。知識としてはまた生えてくると分かっていた。だが実際に生えてきたしっぽは、もとのしっぽと全然色が違うのだ。そんなことは本に書いてなかった。

 東京中心部のことだから、すでに水田はなかった。そのためか、教師は校庭に1X3メートルほどの水田をコンクリートで作った。こうして都会の子の私は稲が実るのを実感できた。殴られても、それらの観察は私を学校に行かせる魅力があった。

 小3のときだけ女教師だった。この人は殴ったり立たせたりしない代わりにスジ金入りの意地悪のタテマエ主義者だった。現在に至るまでその女教師は私の反面教師である。それについては、またいつか稿を改めて述べよう。

 ※私の俳句(夏)
    車庫までは歩く必要百日紅(さるすべり)


 

体罰(2)(イジメを含む)

2017-08-14 05:24:26 | 教育

(眠気に対するビンタ実験。ガジェット通信より引用)。

 「足を開け!胸を張れ!」という掛け声は、これからビンタを始めるという合図の掛け声だったらしいです。このようにして日本の旧軍隊ではビンタが日常的に行われていたようです。

 シベリヤ帰りの亡父はビンタの経験があまりありません。それは父が士官だったからです。シベリヤでは日本軍での指揮系統が温存されました。温存したほうが統率がとれるとロシア軍は考えたようです。士官は拳銃の携行を許されていました。でも食い物は同じ。薄いおかゆのような配給ではとても足りず、被抑留者はネズミさえ獲って食べたそうです。

 もっとも旧軍隊でビンタは「いじめ」の手段としても行われたようです。いかにも、ありそうなことです。

 上官「便所掃除はちゃんとできたか?」
 部下「できました!」
 上官「自信あるか?」
 部下「あります!」
 上官「じゃあ、便器を舐めてみろ!」

 このようにしてイジメは行われました。なにも体罰だけに限ったことではないようです。こうしたことは姿を変えて現代でも行われました。急に仲間外れにされるのです。私もされました。(小学生のころ)。でも、(問題児だった私は)そういう連中をすぐに殴ってしまい、それで即チャラになりました。

 私の娘は小3で同じ経験をしました。仲間の女の子たちに突然無視されたのです。娘は意味がわからず目を白黒させていました。私は言ってやりました。

 「そういう子はマトモな大人になれないよ。見ていてごらん」

 娘は自分に非がないと分かって安心したようです。そして意地悪をしない子に育ちました。

 話は元に戻りますが、私が中学生になると教師による暴力はなくなりました。これで毎日苦労しなくてすむとホッとしたものです。中学では勉強さえちゃんとやっていればいいのです。教師はみな紳士でした。

 ただ例外が一例。あだなが「青パン」という体育教師です。同じクラスのH君は「青パン」のムシの居所具合で、ささいなことでボカボカに殴られました。クラスの全員が思いました。

 「青パンって頭悪そ~」

 私の中学の生徒は大部分が温和で意地悪をしない子たちでした。しかも、ものすごく勉強ができる。みんなとは現在でも仲良くしてもらっています。


 ※今日の俳句(夏)
    八月を灯す火のあり忘るるな  (亜紀)

体罰(1)

2017-08-11 22:58:08 | 教育

カラパイアより引用)。

 自分の小学生時代を振り返ってみると、よい思い出があまりありません。あの6年間をもう一度やるのはイヤですね。なぜなら毎日、学校で教師から殴られたり廊下に立たされたりしていたからです。1960年か70年くらいまで、学校の体罰は問題にされませんでした。

 学校で殴られたことや立たされたことを親にも言えませんでした。シベリヤ抑留の生き地獄から生還した亡父は気が荒く、そんなことを言ったら亡父は竹の物差しで私を叩きました。母(存命)は止めに入ってくれました。

 このブログを始めて10年以上、私もいい年になりました。おまけに1年半前から病身となり、いつ死んでも気の毒がられない立場から、幼い日のことを(読者諸兄が飽きない程度に)記しておこうと思います。

 当時、私は自分ばかり叩かれたり立たされたりしていると感じました。下校の時に「今日は何事もなくすんだ。明日もないように」と祈っていたのを思い出します。これは私の被害妄想ではありません。いまなら「不登校」になっていたでしょう。ですが当時、学校には今より権威があり、「不登校」は落伍者と同義でした。(ここ3、40年ほど「不登校」が流行り始めたのは、学校の権威失墜と相関関係があります)。

 殴られるのもイヤでしたが一発ですみます。もっとイヤだったのは廊下に立たされることでした。児童に恥をかかせるのが目的なんですよね。廊下で立っていると、別のクラスの子たちが当方を見ながらひそひそ話をするのです。

 どうも私は多動児だったようです。しょっちゅう席が隣りの子にしゃべりかけていたのは事実でしょう。そのとき私は担任教師から、おしゃべり横綱「シャベリ~ナ」という「称号」を与えられました。それって、つい数年前、教師も一緒になって「お葬式ごっこ」をやり、やられた子が自殺した事件を思い出されませんか?

 動物の調教ではないのですから、叩いたり恥をかかせたりする必要はありません。現在の私は「温厚な人」で通っています。でもそれは、幼児期に調教されたからではありません。私なりに我慢をしている面もあるのです。 


 ※今日の俳句(夏)
    でろでろと晩夏の寄席の締め太鼓  甘納豆

大秀才は若年のときから人柄が丸い?

2015-12-23 10:56:24 | 教育

(私の母校。校舎は東京都の文化財になっている。)

 「人柄が丸くなったのは老化の証拠」と週刊誌に出ていた。

 私はまだ丸くなっていない(すぐに怒る)から、それでもよいかと考えた。

 私の出身高校は、大秀才を山ほど輩出している。彼らは高校生のときから丸かった。「人柄が丸い」ということは何なのか、少し考えてみる必要があるだろう。


※私の俳句(冬)

  妻に似し若き仲居の白き足袋

乞食、ルンペン、浮浪者、「おもらいさん」という言葉が若者に通じない

2015-11-18 15:08:51 | 教育

ヤフー知恵袋より引用。)

 先日、精神病をテーマにして、20代の理系の若者に対して講演した。

 先ず困ったこと、言葉が通じない。乞食、ルンペンが、若者は言葉さえ知らない。知っている者も実物を見たことがない。

 ホームレスはすぐに理解できたが、「おもらいさん」という用語が通じない。浮浪者という言葉も理解できたかどうか疑問である。

 実は、そういった人々の中に精神病の人が少なからずいる、ということを言いたかったのだが、通じない。

 ホームレスや「おもらいさん」には、かえって精神病者はいないと言ってもなおさら通じない。精神病者は「おもらいさん」をするほどズル賢くないのだ。

 この辺の機微がどうしても20代の若者には通じなかったようだ。


※私の俳句(冬)

   理容師の外見てをりぬ雪もよひ

蒲田薫早大総長の弁明

2015-11-05 21:16:18 | 教育
「大学側にも指導、審査の過程に重大な不備・欠陥があり、学位を受けた者(小保方氏)だけに一方的に責を負わせることは妥当でない」と早大の蒲田総長の談話があったという。

 やっぱり、ちゃんと分かっているんですね。あとは、大学側がどのように落とし前をつけるか注目したい。

 大学側は06年から14年までの学位論文2000篇以上を洗いなおして100件近くの不備がある論文が見つかったらしい。不備がある論文の指導教官は、まさか特定の人ではありますまいね。

 うち50論文ほどを精査しているらしいが、この中から博士号取り消しが1件も出なかったら、小保方論文が「社会情勢に迎合して」狙い撃ちにされたと考えるのが妥当でしょうね。


※今日、気にとまった短歌

  名月を余所(よそ)に子と飲むハイボール打ち明けるまで問はぬつもりで (豊田市)塩谷美穂子

小保方声明への早大側の反論の大いなる矛盾

2015-11-04 14:24:36 | 教育
 早大の声明より。「それは(学位取り消しは)、教育の場としての本学にとっても辛い結果ではありますが、これは学問の府として揺るぎない基準をもって博士学位にふさわしい論文を評価するとの姿勢の帰結でもあります。」

 「揺るぎない基準」で、早大はかつて小保方さんに学位を与えたのではなかったのですか?あくまでも、小保方さんに騙されたと主張するおつもりですか?

 少なくとも指導教官は、印刷前の小保方論文を読んでいたのでしょう?(読んでいなければ論外!)

 内容はともかく、形式さえ整っていない(本文に引用のない文献欄がある)ような珍妙な論文にめくら判を押した指導教官と早大教授会には、まったく責任がないと言い切れるのですか?


※今日、気にとまった短歌

  この駅に降りねば海につく電車降りて職場に向ひぬ今朝も (可児市)前川泰信