毎日体罰で私はほんとうに「不登校」になったかもしれない。私を救ったのはクラブ活動だった。図書部とか理科部とかエンゲイ部などがあった。えっ?エンゲイ部?小学生が落語や漫才をやるの?と不思議に思った。園芸部と理解するまで結構時間がかかった。
理科が好きだった私は理科部に入った。校庭の百葉箱の中身を毎日記録するのだ。百葉箱の中身に何が入っているかご存じだろうか?中にはその日の最高気温、最低気温、湿度を測る特殊な寒暖計がはいっている。(百葉箱のきわには雨量計があり、それも記録した)。
最高気温は水銀体温計と同じ原理で、最高値から下がらないようにできている。最低気温はアルコール柱のてっぺんに1センチくらいの小さな棒が入っており、その棒は下には行くが上には行かない物質だった。原理は未だに知らない。
湿度計は寒暖計2本からできており、片方だけ湿ったガーゼが巻いてある。ガーゼから気化熱が奪われるので、常にそちらのほうが気温が低い。普通の寒暖計とガーゼの寒暖計の温度差は、湿度が低いほど差が大きい。その差と気温から(一覧表によって)湿度を割り出すのである。大人って頭いいなぁと思った。
(マリモ。ウィキペディアより引用)。
クラブ活動とは別に教室には常に生物がいた。(小3の女教師を除いて)。まず阿寒湖のマリモ。なぜすでに特別天然記念物だったマリモが教室にあったのか分からない。いずれにせよ、あれ以来ほんもののマリモを見たことがない。
(オタマジャクシの成長。ウィキペディアより引用)。
次がオタマジャクシ。オタマジャクシがカエルになるとき、まず後ろ足から生えてくることを知った。そんなこと実地で学ばなくては(本で学んでも)仕方がない。よい体験だった。
(トカゲのしっぽのみ。ウィキペディアより引用)。
トカゲを飼っていたこともあった。自然界でトカゲがしっぽを自切したのを見たことはあったが、その後はどうなるかは見たことがなかった。知識としてはまた生えてくると分かっていた。だが実際に生えてきたしっぽは、もとのしっぽと全然色が違うのだ。そんなことは本に書いてなかった。
東京中心部のことだから、すでに水田はなかった。そのためか、教師は校庭に1X3メートルほどの水田をコンクリートで作った。こうして都会の子の私は稲が実るのを実感できた。殴られても、それらの観察は私を学校に行かせる魅力があった。
小3のときだけ女教師だった。この人は殴ったり立たせたりしない代わりにスジ金入りの意地悪のタテマエ主義者だった。現在に至るまでその女教師は私の反面教師である。それについては、またいつか稿を改めて述べよう。
※私の俳句(夏)
車庫までは歩く必要百日紅(さるすべり)