院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

電気カミソリ

2007-10-31 16:22:58 | Weblog
 私は皮膚が弱いので、髭をカミソリで剃るとカミソリ負けしてしまう。そのため長年、電気カミソリを使ってきた。

 今使っているのは、ナショナルの3000円の製品である。2000円のも使ったことがあるけれども、蓄電池が長持ちしないので止めた。

 長い髭剃り生活の間には2万円の製品を使ったことがある。でも、剃り味は3000円のと変わらなかった。

 前にこの欄に、楽器の音色は値段と正比例すると書いた(2007/1/18)。ところが電気カミソリの値段と剃り味は正比例しないのである。

 2万円の製品と3000円の製品が同じ剃り味なのだ。どうして値段がこうも違うのだろう。私には謎である。

沖縄集団自決の教科書検定

2007-10-30 13:32:11 | Weblog
 沖縄集団自決の教科書検定に反対して、沖縄で11万人の抗議集会が開かれたと報道にあった。

 この11万人という数字は主催者発表だそうである。主催者は普通、過大に人数を言う。

 それをそのまま報道するとは、マスコミはどういう意図をもっているのだろうか?11万人という数字が一人歩きして、国会をも動かす事態となった。

 ある警備会社が人数を数えたところ、多く見積もっても1万2千人だそうである。マスコミは教科書検定に反対なので、主催者発表をそのまま報道したのだろうか?

 もっとも史実というものは、静かに研究されるべきものであって、集会やデモには本来なじまないものだが・・・。

高浜虚子の矜持

2007-10-29 08:27:04 | Weblog
 俳句をはじめて20年になる。下手の横好きで、才能がないから20年たっても上達しない。ただ、俳句を見る目だけは肥えてしまった。

 話は飛ぶが、数年前、戦時中の雑誌「旅」が復刻されたので購入した。そこに読者の俳句欄があって、興味深かった。

 選の上位に入る句は、みな戦争と関係があるのだ。

 兵隊の体操が凛々しいとか、兵器工場の炎が勇ましいとか、そんな句が一席、二席に入っている。今読むと、なんにも面白くない。時事の句が後々まで残らないということを痛感した。

 ところがホトトギスは、時事を徹底的に拒んだ。どんなに戦争が激しくても、蝶や花を詠んだ。だから古くならない。ホトトギスの花鳥諷詠という哲学は、一定の批判はあるけれども、一目を置かざるをえない。

 戦後、「ホトトギスはこのたびの戦争で、どのような影響を受けましたか?」というインタビューを虚子は受けた。

 虚子の答えは「何の影響も受けなかった」であった。

帝王切開

2007-10-28 13:19:21 | Weblog
 腹を切って分娩するのを帝王切開というのはなぜか、ご存じだろうか?

 なぜ手術と「帝王」が関係があるのか?

 帝王切開をラテン語でゼクチオ・カエサレアという。それをドイツ語に訳すときに、「切る」という意味のカエサレアを「帝王」と誤認したために、ドイツ語でカイザーシュニットとなってしまった。要するに誤訳である。

 それをまた日本語に訳したので、帝王切開となったわけである。このことは医学部でも教わらなかった。

 カエサル(シーザー)が帝王切開で生まれたというのはデタラメである。カエサルの時代にそんな技術はなかった。

病気は神罰?

2007-10-27 13:38:27 | Weblog
病気は神罰であると平安時代末期の文書にある。

 ここで言う病気とは、脳卒中や心筋梗塞のように目に見えず、すぐに死んでしまうような病気のことではないらしい。

 死なないが患者を苦しませ、かつ傍目にも分かりやすい皮膚病などを指しているようである。

 何か悪いことをしたから皮膚病になったという論理である。

 これでは、病人はたまったものではない。皮膚の弱い私は、平安末期に生まれなくてよかった。

朝青龍問題ふたたび

2007-10-25 08:24:27 | Weblog
 朝青龍はモンゴルに帰ったらケロリと良くなったそうだ。

 これで朝青龍は乖離性障害ではなかったことがはっきりした。また、うつ病の一歩手前でないこともはっきりした。

 要するに朝青龍はショックでふてくされれていただけなのである。

 朝青龍の診察をした医者は、ほんとうに精神科医だったのだろうか?どうして、やすやすと乖離性障害なぞと言ったのか、同業者として分からない。

 うつ病の一歩手前と言った御仁は、精神科医でないからまだ許せる。でも、ちゃんとした精神科医が診断して、どうして乖離性障害としたのかが疑問である。

 前にこのブログで朝青龍の復帰はないと書いた(2007/8/30)。乖離性障害だったらすぐには治らないし、すぐに治ったらただのふてくされである。

 内館牧子さんも、朝青龍は日本をナメているから、引退すべきだと言っている。

父の没年

2007-10-24 09:46:01 | Weblog
 父が66歳で死んでから17年になる。肺がんで2ヶ月で逝ってしまった。

 父が死んだ齢まで、私はあと8年しかない。私が父と同じような生涯を送るとしたら、残された時間は8年である。

 あまり科学的ではないけれども、父の没年の重みは大きく、私は8年後のことまでしか考えられない。

 つまり10年後のことは、もう考えられないのである。

 経済的な計画を立てるとしたら、3年計画である。それ以上は想像の外である。

 私の母はまだ健在である。もうじき私の娘にひ孫が生まれる。私にとっては孫であるが、その孫の小学生姿までしか、私には考えられない。ひ孫なんて想像もできない。

今の腕時計は手間いらず

2007-10-23 08:34:59 | Weblog
 つい最近、私の腕時計は電波時計になった。しかもソーラーの・・・。

 夜中に2回、標準電波で時刻を補正するのだもの、正確極まりない。秒単位まで毎日正確で、精神衛生上非常によい。

 初めはゼンマイ時計を20年も使った。これは2,3日で数分狂うので、しょっちゅう時刻合わせをしなくてはならなかった。ゼンマイは毎日回さなければならなかった。

 次に買ったのがクオーツである。正確さは格段に上がったが、それでも1ヶ月に1回は補正しなければならなかった。補正するわずらわしさより、専用電池をとりかえるのが手間だった。

 それが今回のソーラー電波時計である。補正も必要ない。電池の交換も必要ない。それでいて3万円台である。

 この腕時計を使ったら、ゼンマイ式なんて不便で使えない。パテックとかロンジンは今どうしているのだろうか?ソーラー電波時計を生産しているのだろうか?

 私にはパッテクやロンジンに100万円も200万円も出すことはできない。ましてソーラー電波時計でなければ、ただの贅沢な腕輪である。

雑食は例外

2007-10-21 21:16:14 | Weblog
 生物はみんな食べ物が決まっているのではないか?

 蜂は蜜しか吸わない。肉食獣は肉しか食べない。草食獣は草だけだ。体や内臓の作りからして、そうなっている。

 それによって、生物界の食物連鎖というものが成り立っているように思われる。

 しかし、雑食という例外がある。人間と犬と猫とチンパンジーと熊である。

 これらの生物は、肉も食べるし、植物も穀物も食べる。生物界の異端と言うほかはない。

 野菜を食べるライオンがいるだろうか?肉を食べる象がいるだろうか?食べても消化できないだろう。

 だが、人間と犬と猫とチンパンジーと熊は消化できるのである。

 犬や猫は人間が作った品種だから、雑食できるように改良されたのだろう。だから、チンパンジーと熊だけが本当の例外である。

 造化の神はどうして、このような例外を作ったのだろうか?

習い事

2007-10-20 08:35:15 | Weblog
 小学校2年生のときにピアノを習いたいと親に申し出た。

 親の反応は「おまえは体が弱いから習い事は無理だ」というものだった。実はピアノを買う財力がなかったのではないかと今でも疑っている。

 小学校3年生のときには、算盤を習いたいと申し出た。

 父親の答えは「算盤を弾くような仕事には就くな」というものだった。これは一理ある。算盤は電卓に凌駕されてしまったけれども、今日的に言うなら「電卓を叩くような仕事には就くな」ということだろう。

 父親は算盤を弾く仕事だった。金の計算をするのがよっぽど嫌だったのだろう。息子には金の計算をさせたくないという、父親の気持ちを感じて今は感謝している。じじつ、私は金の計算に汲々とする仕事には就かなかった。

 ピアノを蹴られたので、中学生になってから学校のピアノで猛練習した。しかし、独学の悲しさで、ベートーベンのソナタの一部を弾けるようになるのがやっとだった。

 やっと習い事を始めたのは37歳のとき、俳句結社に入ってからである。俳句は未だに続けているが、上手くならない。才能がないのだろう。

和室と洋室

2007-10-19 13:04:21 | Weblog
 和室が激減している。

 新築のアパートやマンションでは、和室が全然ないか、あっても一室である。ほとんどがフローリングの床だ。

 フローリングだと、椅子やベッドの生活になる。フローリングの上にじかに座ったり横になったり人もいるけれども、さぞ硬いだろう。

 その点、畳は体に心地よく、座っても寝そべっても楽である。畳という文化をなぜ排除するのだろう?理由が分からない。

 私が子供のころは、洋室がある家は少なく、洋室や応接セットがある家はステータスが高かった。それへの憧れが、現在の洋室一辺倒の遠因なのではないか?

 そのうち和室は復活するだろう。現在では立場が逆転して、床の間付きの和室のほうがステータスが高い。今の子供たちは和室に憧れて、彼らが家を購入するときには和室を求めるだろう。

 畳屋さん、いましばらくの辛抱です。いずれ、われもわれもと床の間付きの和室を求めるようになりますから。

焼香の作法

2007-10-18 13:20:05 | Weblog
 今年は結婚式が多く、葬式が少ないのでほっとしている。寒くなると葬式が連続する可能性もあるけれども・・・。

 私は焼香の作法を知らない。前に焼香した人のをマネてやっていた。多くの人がそうなのではなかろうか?

 いい年をしてこれではいけないと思い、調べてみた。

 焼香の作法は宗派によってまちまちである。が、焼香の回数は全部1回または3回で、ほかの回数の宗派はなかった。線香の場合は、1本、2本、3本、1本を二つに折るなどの違いがあった。

 浄土真宗は、抹香をおしいただかないのが他宗派との目だった違いだった。後はほんとに細かい違いで、覚える必要はないだろう。

 数珠の持ち方に宗派による違いはなかった。焼香するときは左手に持つ。合掌するときには、両手を数珠にくぐらせて、親指で押さえる。

 これだけでも知っておくと、何かの役にはたつだろう。

洋楽の美・邦楽の美

2007-10-17 07:03:11 | Weblog
 昭和30年代にピアノブームがあった。このころ、かなりの家がピアノを購入した。

 当時の日本家屋にはピアノは重かった。それでも高度成長時代の始まりは、庶民にピアノを買わせた。鉄筋コンクリートのアパートが次々と建てられ、ピアノの重さで家が曲がるということはなかった。

 少女はみなピアノを習った。当時、アメリカ人やフランス人は、わが国の少女の多くがピアノを弾けることに驚いていた。(外国では一部の趣味人がピアノをやるだけだった)。

 でも、ピアノは戦前から上流階級は持っていた。庶民がそれをマネしたのが昭和30年台だった。

 豪邸からピアノが聞こえることがあった。弾いている人は男性だった。幼い私は驚いた。こういう階級があるのだと思い知った。

 民家からピアノの音が聞こえるのは、なにかほのぼのとした感じになった。だが、それはバイエルだった。もうちょっと上手いとしばし聴き入った。

 それより前から、邦楽をやる家があった。三味線の音がぽつんぽつんと聞こえる。むろん、木造住宅である。これがまた良かった。

 邦楽も捨てたものではないと思った。ピアノより情緒があった。

 あるとき、学校帰りにすばらしい三味線を弾く家に出会った。ものすごく上手いのである。少年の私は、その家の前にたたずんで聴き入った。

 あまり立派ではないその民家の表札には「杵屋」と書いてあった。

超一流レストランを体験

2007-10-16 13:09:22 | Weblog
 一生に一回くらいは東京の超一流フレンチ・レストランに行ってもよいだろうと、家族で行ってみた。

 まずワインを注文したが、ワインは値段に上限がないので、国産の安物を頼んだ。

 料理が出てくるのがゆっくりだった。お腹をすかせた息子は料理を待ちきれず、テーブルにあったパンを沢山食べていた。

 確かに料理はすばらしいものだった。

 しかし、周囲になんという職種だろうか、タキシードを着た男の人が何人も立っており、ちょっとスプーンを落とせばすぐに新しいものを持ってくる。なにか、見張られているようで、ゆっくり食事ができなかった。

 やっぱり、自宅で冗談を言いながら鍋でもつつくのが最高だと思った。

 値段は1人4万円もした。その上、息子は始めにパンを食べ過ぎてしまい、コースを最後まで食べられずに残した。ああ、もったいないことをした。もう2度と行くまいと思った。

最近のNHK大河ドラマは難しい

2007-10-15 13:49:34 | Weblog
 最近のNHKの大河ドラマの視聴率はどれくらいなのだろうか?

 私は今やっている「風林火山」のストーリーが分からない。脚本や出演者が多すぎて、分からなくなるのである。

 一応、教養人と思われている私が、ドラマの筋が分からない。私がボケてきたのだろうか?他のみんなはキチンとドラマの筋を追えているのだろうか?

 松本幸四郎がまだ市川染五郎と名乗っていた時代の大河ドラマは、とても面白く、次週が楽しみだった。他にも面白い大河ドラマはいくつもあった。大河ドラマの筋が分からなくなったのは最近のことである。

 繰り返すが、私がボケてきたのだろうか?まず、主人公が誰か分からない。そしてドラマが何を訴えようとしているのかは、もっと分からない。

 NHKの大河ドラマの視聴率の変遷を知りたいものである。