院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ご飯のふりかけ

2008-10-31 08:26:19 | Weblog
 寿司の太巻きに欠かせないものに「でんぶ」がある。鯛の肉を処理して甘く味付けをして、ピンク色に染めたものである。

 これが最近、見かけなくなった。どうしてしまったのだろう。太巻きに入っている「でんぶ」は、他の素材の味を引き立てる。

 鯛の「でんぶ」は庶民には手に入らず、庶民は鱈の「でんぶ」で代用していた。幼い私はこの「でんぶ」をご飯にかけて食べるのが好きだった。その少し後、ふりかけという食品が出回るようになった。

 ふりかけの嚆矢は「これはうまい」という商品名だったと思う。鰹節や胡麻や海苔を調合した製品で、ご飯にふりかけて食べた。その後、今でも売っている「のりたま」がでた。
これはおいしかった。さらに2年ほどして「磯のふきよせ」という製品がでた。

 中学校の弁当に「磯のふきよせ」をかけてくる友人がいた。鰹節、海苔、アミの乾燥したのが入っていたように記憶する。

 私が少年のころは、3食に1食はふりかけで済ませていたのである。ご飯だけで十分だったのだから、肥満児というのはいたにはいたが、今よりも少なかった。お米のご飯は釜で炊いた。おいしかった。今、炊飯器で炊くが、パソコン制御が行き届いていて、お釜で炊いたのよりおいしいご飯が炊ける。ありがたいことである。

寿司ネタはナマである必要がない

2008-10-30 08:36:01 | Weblog
 私は小学校4年生ころから、父によく寿司屋に連れて行かれた。こんなにうまいものが世の中にあるのかと思った。

 当時はナマのネタは少なかった。冷蔵庫が普及していなかったので、一度、火を通したネタが多かった。

 ナマのイカなんてなかった。すべて煮たイカだった。タコは今でも火を通してある。むろんハマグリも煮たもの。アナゴは今でも煮たもの。マグロだけは近海ものの刺身があった。

 あるいは10歳くらいまでに味覚の基本が決まってしまうからかも知れない。私はナマのイカの寿司をおいしいと思わない。煮たほうがよほどおいしい。当時、私にはワサビが辛かったので、煮たイカにサビヌキでタレをかけて食べた。これが、すこぶるおいしかった。

 魚肉も獣肉もふつうは火をとおしたほうがおいしい。ホタテ貝も少しあぶったほうがおいしいから、今でもそうしてもらっている。

 おいしい寿司ネタに生暖かい寿司飯がくっついているのだもの、まずいはずがない。

 かんぴょう巻きとカッパ巻きがおいしかった覚えがある。一流のかんぴょう巻きを出す店は今は少数になってしまった。

 私が寿司を食べ始めたころ、軍艦巻きというのが銀座・九兵衛で発明され、またたくまに全国に伝播した。これによって、イクラが寿司ネタとして使えるようになったが、当時からイクラはナマではなく、今でも塩漬けである。

 ナマの流行は私には面白くない現実である。

マトモな寿司屋が衰退

2008-10-29 08:18:49 | Weblog
 うちのスタッフたちが行きたいというので、ある寿司屋に行った。きれいな建物で、職人や仲居さんのもとても良かった。

 この寿司屋は、金土ともなると超満員の人気店で、予約を取るのさえ難しいという。

 だが、刺身や寿司を食べてみて驚いた。ものすごくまずいのである。なんでこんな店に客が集まるのだろうか?こぎれいで安いからだろうか?

 かりにも寿司屋である。ブラックタイガーの寿司を出すのは勘弁してほしい。スーパーのマグロよりスジの多い刺身を出すのは止めてほしい。いくら安くても、これではチェーンの居酒屋のほうがマシである。回転寿司よりはるかにまずい。

 ところが、そういう寿司屋がはやる時代になったのである。客はカウンターよりテーブルを好む。うちの子供たちからしてすでにそうだ。カウンターは緊張するのだそうだ。

 わたしの馴染みの寿司屋は、頼まれたってブラックタイガーは出さない。寿司屋にはそれなりのプライドがあるのだ。

 ところがタクシーの運転手の話によると、私の馴染みの寿司屋は斜陽で、この寿司屋が大繁盛だそうである。

 マトモな寿司屋が不遇の時代になってきた。

ジェントル革命

2008-10-28 08:26:13 | Weblog
 私が子供のころは夜ともなると、街のあちこちで喧嘩が起こり、怒声が飛び交っていた。大人たちが殴り合いの喧嘩をしていた。

 私の父も喧嘩をして帰ってきたことがあった。街はもっと喧騒だった。それが1970年ころになると、街で喧嘩を見かけなくなった。

 大人たちは急にジェントルマンになってしまった。これを「ジェントル革命」と名づけた欧州人がいる。

 わが国の大人だけがジェントルマンになったわけではないらしい。ほぼ同時にアメリカでもヨーロッパでも大人たちが静かになり、街から喧騒と怒号がいっせいになくなった。

 理由はなぜだかよく分からない。とにかく、先進国全体がジェントルマンになってしまったらしい。

 韓国では今でも巷で怒鳴りあいがあると聞く。市場などでは怒号が普通らしい。(行ったことがないから、本当かどうか責任はもてないけれども・・・)。

 また、かつてヨーロッパで怒号が飛び交っていたのかどうか、それも実見聞していないので知らない。

 ただ、わが国ではある時を境に、急に街から怒号や喧嘩がなくなったことを、私は体験している。

ワラワン殿下

2008-10-27 07:15:37 | Weblog
 むかし、自民党の派閥の領袖で河本さんという人がいた。この人は笑わないので「ワラワン殿下」とマスコミに呼ばれていた。

 でも、ワラワン殿下の本家は実はタイの外交官である。戦後しばらく日本で有名になった。その人こそワイワイタヤーコーン・ワラワン殿下である。

 河本さんは笑わないので「ワラワン殿下」とマスコミで呼ばれたが、その語源を知っている記者諸君はどれほどいるだろうか?

 何も知らないのなら、若手記者諸君は河本さんを「ワラワン殿下」なぞと呼んではいけない。河本さんにもワラワン殿下にも失礼である。

料理の値段

2008-10-26 10:07:02 | Weblog
 「空腹は最大の調味料」というのは至言である。

 熱いご飯に海苔の佃煮をかけて食べるのは、値段は安くてもとてもおいしい。

 私も年輪を重ねてきて、高級な料理店で飯を食うことが多くなった。確かにおいしいのだが、佃煮を乗せたご飯よりおいしいわけではない。

 フランス料理のフルコースが特に苦手だ。そりゃぁ確かにおいしい。でも、値段が高すぎるのである。

 コストパーフォーマンスから見れば、佃煮ご飯のほうがずっと上である。

 料理のおいしさは、「おいしさ」X「値段」で考えねばなるまい。実名を挙げて恐縮だが、有名なフランス料理店オテル・ド・ミクニは、東京駅店も四谷店も行ったが、確かにおいしい。

 しかし、値段が高いのである。一人前、ワインも入れて4万円である。4万円出せば、うな丼が何杯食べられるだろうか?佃煮ご飯に至っては、一生かかってもこの値段を超えられまい。

 オテル・ド・ミクニの料理は、値段を考えると佃煮ご飯以下である。もう一流のフルコースは沢山である。

アナタハン島

2008-10-25 08:27:51 | Weblog
 天才マンガ家、手塚治虫氏の「鉄腕アトム」を幼い私は夢中になって読んだ。

 何かの巻に「アナタハン島」と「コナタハン島」というのが出てきて私は笑った。

 その数年後、地図帳を見ていたら、「アナタハン島」というのは東南アジアに実在すると知って、手塚氏の教養に驚嘆したものだ。「コナタハン島」のほうは手塚氏の創作だったようだ。

 さらに後年、「アナタハン島」は太平洋戦争の要衝だった知った。だから、手塚氏のような戦争体験者には「アナタハン島」は有名だったようである。

 東南アジアの島々には面白い名前の島がいくつもある。地図帳を見ていて、私が発見した島に「エロマンガ島」というのがあった。少年時代の話である。

失語・失認・失行

2008-10-24 08:28:20 | Weblog
 脳の障害で「失語」が起こることは、けっこう知られるようになった。

 「失語」とは分かっているのに言葉が出なかったり、言葉の意味そのものが分からなくなったりする症状である。

 脳の障害で起こるものに、あと「失認」、「失行」がある。たとえば、「空間失認」というのがって、これは目をつぶって物体を触ったとき、健常なら分かるはずの物体の形が分からなくなるものである。さまざまな「失認」や「失行」があるのだが、くだくだしくなるから説明は省く。

 認知症で息子に対して「どちらさまでしょうか?」と言うようになるケースはよく知られている。これは認知症特有の症状ではなくて、脳障害の症状である。「相貌失認」という。

 「相貌失認」を世界で初めて記載したのは、恩師・故大橋博司先生である。

 つまり、人間の顔を識別する脳の部分があるということだ。そこが障害されると「相貌失認」を起こす。人間が人間の顔を識別するというのは、先天的な能力である。

 だから、人間はイノシシやシカの顔を識別することができない。他人の顔を識別できるのは、人間という種が保存されるための特別な能力として進化してきたのだろう。嗅覚で個体識別できなくなったからだろうか?

医者は儲かるか?

2008-10-23 07:34:11 | Weblog
 先日、医学部のクラス会があって、驚いた。

 私は開業したてで、これから頑張らねばと思っているのに、もう引退を考えている同級生がいる。

 彼らは若くして開業している。もう疲れ果てて廃業するのだという。まだ59歳なのに消耗してしまっている。

 それに引き換え、高校の同級生はすごい。上場企業の重役がたくさんいて、中には社長もいる。彼らからはそのような声は聞かれなかった。まだまだこれからという感じだった。

 これから分かることは、医者の労働がきついということだ。きつさの割りに収入面で恵まれない。私なぞは上場企業の重役の収入に遠く及ばない。しかも、休んだらアウトだ。

 医者は儲かるという俗説が流布されているようだが、同じ能力の高校同級生の収入を聞くと唖然とするほど少ない。

 医者は儲かるというのは、いまや神話である。

食物による窒息死

2008-10-22 08:22:31 | Weblog
 いま給食のパンをノドに詰まらせ、小学生が死んだことが問題となっている。

 学校の責任問題にもなっている。だが、パンを詰まらせて窒息する例は多いのである。それば、たまたま給食だったとして、どうして学校の責任が問われるのだろう。不思議である。

 コンニャクゼリーでは、17名が窒息死した。それでゼリーの会社は販売を中止した。これも理不尽である。

 世間では毎年、餅で窒息死する例が何千例とある。それなのに餅は販売中止にはならない。コンニャクゼリーやパンを問題視するなら、まっさきに餅の販売を禁止すべきである。

 どこかおかしいとは思わないだろうか?家庭でパンを詰まらせる例は多い。餅はさらに多い。それなのに、学校の管理不行き届きを責められたり、コンニャクゼリーが販売中止に追い込まれたりしている。

 そういうことを追求する人々は、まずもって餅の禁止に声をあげるべきである。

競輪開催には医者が必要

2008-10-21 08:26:55 | Weblog
 競輪を開催するには医者が付いていなければならないと法律で決まっているらしい。

 その場に医者がいないと、競輪は開催できないのだそうだ。

 私も昔、競輪用の医者がいないというので1日だけ競輪に付き合ったことがある。

 事故さえ起きなければ、医者は競輪場にただ居るだけの存在となる。たいくつなこと、甚だしい。拘束されて、競輪場の外ににも出られないし、通信も許されない。

 通信が許されないのは、医者は当日の選手の健康状態を把握しているので、「今日はこの選手は調子が悪い」といった情報を外へ流せないようにするためだ。

 昼飯もむろん競輪場内。

 選手たちはもっと哀れだ。競輪開催期間中は宿舎から外へ出られない。それが4日も続くのである。私なら参ってしまうだろう。

 私が競輪の医者をやったとき、集団での転倒事故が起きた。それに。すばやく対応したのは競輪場著直属の看護師たちだった。彼女らはすばやく動き、選手を治療した。

 精神科医である私の出る幕はなかった。必要なのは私の救急の手腕ではなく、医師免許証だけだった。

 それ以外は恐ろしいほどヒマだったので、競輪を見ていた。私なりに予想をしてみた。競輪場直属の看護師によると、出身地が判断の大きな目安だそうだ。人情で選手たちは同郷者を勝たせようとするのだそうだ。

 私の予想は全部外れた。私には賭け事は向いていない。

 そもそも競輪場の医者は、その日は車券を買ってはいけないことになっている。

アライグマは何科の動物か?

2008-10-20 14:38:19 | Weblog
 最近アライグマが民家の屋根裏など、人里に出没している。

 アライグマはタヌキに似ている。だったらタヌキ科か?それは違う。タヌキがすでにイヌ科だからである。

 アライグマというくらいだから、クマ科か?これも違う。

 実はアライグマは、アライグマ科として、ひとつの独立した科をなしているのである。

飯盛り女

2008-10-18 06:48:23 | Weblog
 高校生のころ房総の宿に家族で泊まった。そこには飯盛り女が付いていた。

 いまでこそ、旅館はかなりの所が食堂で夕食を摂らせるようになっている。でも、当時は自室で食べるのが当たり前だった。しかもそこに、専属の飯盛り女が付いたのである。

 今よりよほど貧富の差が激しい時代だった。

 私の部屋に付いた飯盛り女は、20歳前後で愛嬌の良い娘だった。父は飯盛り女をからかったり、笑わせたりしていた。飯盛り女もよく笑い、茶碗を出すと飯を盛ってくれた。

 それ以外にも、なにかと客の身の回りの世話をした。

 飯盛り女が、私たちのような家族連れでない場合、男どもの夜のお世話もしていたことを知ったのは、かなり後になってからだった。

 今はもう飯盛り女なんていない。私の20歳代には日本人が男だけで台湾に行くと、レストラン、ホテルで夜のお世話の引き合いがものすごかったという。

 一時韓国もそうで、キーセン観光として批判された。

 現在はタイなどの東南アジアで、そういうことが行われているらしい。そういうものを求めて海外旅行をするのは日本人だけではないだろう。

 性欲は万国共通である。だから、何らかのかたちでどこの国にも、そのような「産業」があるだろうと私は思っている。

五百円札の岩倉具視

2008-10-17 08:38:52 | Weblog
 小学校の同級生に岩倉さんという女の子がいた。

 岩倉さんは東京・目黒の質素な一戸建てに住んでいた。

 私は岩倉さん宅への敷石をはがした。そうするとダンゴムシが沢山出てきて面白かったのである。

 岩倉さんは、さして勉強ができるわけでもなく、美人でもなく、ごく普通の女の子だった。

 私が岩倉さん宅の敷石をはがしていると、岩倉さんのお父さんがやさしく注意してくれた。

 そのお父さんが、五百円札の岩倉具視にそっくりなのである。あまりに似ているので驚いたが、それも当然。岩倉さんのお父さんは、岩倉具視のお孫さんだったのである。

 東京にはまだまだいろんな歴史上の人物の子孫が住んでいる。

妹の友人、頼さん

2008-10-16 08:26:02 | Weblog
 小学6年生で死去した妹に、頼(らい)さんという女友達があった。

 頼さんはすばらしく頭のよい小学生で、父親はキャリア官僚だった。

 頼さんの学校の成績はずばぬけていた。普通の頭の妹とどうして話が合ったのか不思議である。

 後に、頼さんは頼山陽の子孫だと知った。頭のよいのはやはり家系というものがあるのかと思った。

 少女だった頼さんは現在55歳くらいになっている。今、どうしておられるか、まったく知るすべがない。