院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

犬の尿

2008-12-26 08:25:25 | Weblog
 犬は電信柱に尿をかけて歩く。自分の縄張りを示すためだとの説がある。

 犬はどうも、尿の匂いの個体差が分かるらしい。それどころか、体臭の個体差も分かる。だから警察犬に使用される。

 これは犬がもつ超能力である。われわれ人間は人の顔の個体差が分かる。これも犬の嗅覚に匹敵する超能力である。

 ところで、犬は糞の匂いの個体差は分かるのだろうか?ちょっと知りたいところである。

世界で初めてのクリスマス

2008-12-25 08:27:45 | Weblog
 クリスマスの行事がわが国に定着して久しい。

 私が子供のころは、大人が三角帽をかぶって、盛り場で大騒ぎをしていた。

 私もクリスマスプレゼントをサンタさんの贈り物だと思っていた時期があったことは、先日述べた。

 うちの子供たちの保育園はミッション系だった。だが、キリスト教の新興宗教みたいなもので、キリストの教えを子供たちに刷り込むことはなかった。(そんなことをしたら、私が怒鳴り込む)。

 とてもフレンドリーな保育園だった。でも、学芸会の劇だけはキリストをやった。いちおうミュージカルである。そのときに次のような歌があった。

 ♪世界で初めのクリスマスは
 ♪ユダヤの田舎のベツレヘム
 ♪宿には泊まれず家畜小屋でマリアとヨゼフの二人だけ

 とても良い歌だった。

 いまや、クリスマスはわが国でも完全に定着してしまった。
 宗教色はゼロである。

 良いことだと思う。わが国は八百万の神をたたえる国である。神社があっても、仏様があってもへっちゃらである。そこにキリスト教のクリスマスが入ってきても何ら違和感はない。

 イスラム教はちと困る。酒が呑めなくなるからである。

医者と女性看護師の結婚

2008-12-24 09:15:57 | Weblog
 医者と女性看護師が結婚することは、思われているほど多くはない。

 私の知っている数百人の医者で、女性看護師を妻にしたのは4件に過ぎない。医者と結婚する機会が多いからとの理由で看護師になった女性は、まずダメである。

 医者の妻になった看護師に共通する点は、まず知力である。容姿は二の次である。

 医者の妻になった看護師は、例外なく看護師を辞める。それは、医者と看護師の収入が圧倒的に違うからである。わずかの看護師の給料のために、看護師を続けるのは、夫の医者が忙しいのに、またったくムダだからである。

 知力がさほどでないのに、容姿だけで医者と結婚した看護師は、やがて離婚する。

 今は看護大学というものがあるけれども、昔は看護学校は専門学校だけだった。6年制大学に学んだ医者と、3年の専門学校出身者では、つりあいがとれない。

 だから、世が世なら東大に入れるような女性が、家庭の事情などで看護学校へ行かざるをえなかったような女性が、医者と結婚することが多い。

 世の中はつりあいが大切である。


やかんカルピス

2008-12-23 08:33:16 | Weblog
 私が子供のころは暖房は火鉢だけだった。電気炬燵がでてきたのは、もっと後のことである。

 むろん冷房なぞなかった。扇風機で真夏の酷暑をしのいだ。だから、真夏は食欲もなくなった。「夏痩せ」というのは夏の季語である。

 子供が好きな清涼飲料は、ラムネと三ツ矢サイダーとバヤリースオレンジとカルピスだった。冷蔵庫というものがまだなかったから、井戸水で冷やした。それらの飲み物もふだんは飲めず、慶事のときだけだった。

 そんな時代、近所の歯医者さんが子供会なるものを開いた。(歯医者といえば、当時、町の名士だった)。場所は歯医者の待合室。

 子供たちは、歌でも何でも、何か芸をやるよう命じられた。私は手品をやった。ずいぶん年上のいとこの夫がデパート勤務で、「シカゴの四つ玉」という手品をプレゼントしてくれた。(当時は、手品用品売り場というのがデパートにあったのである)。

 「シカゴの四つ玉」というのは、指の間に挟んだ赤い玉が増えたり減ったりする手品である。小学校3年生の私には玉が大きく、苦労して練習をした。

 手品を終える前か後か忘れたが、アルマイトのやかんがでてきた。そこには、きりっと冷えたカルピスが入っていた。飲み放題である。

 カルピスがやかんで飲み放題なんて、私はめまいがするほど感動した。その歯医者の娘さんは、私と同級生である。子ども会以来、会っていない。名前も忘れた。

 最近、私はブログに昔の思い出を書くことが多いようだが、それは深夜に酔って原稿を書くからだろうか?

 深夜に書いたものを、翌日アップすることが多い。

恵比寿、大黒、招き猫

2008-12-22 08:38:47 | Weblog
 恵比寿、大黒は金儲けの神様であり、招き猫は金が入るおまじないである。

 全員が貧乏人だったら貧乏人という言葉はない。全員が金持ちでも同じである。

 貧乏人あっての金持ちである。

 だから、恵比寿、大黒、招き猫は、格差拡大を望むキャラクターである。

最適な旅行年齢

2008-12-21 08:37:55 | Weblog
 子供たちが小さいころ、沖縄に大名旅行をした。でも、子供たちは全然覚えていない。無駄な出費だった。

 私の例で言うと、印象的だったのは幼稚園年長のころの熱海旅行だった。父と二人で行った。当時は東京暮らしだったから、熱海は身近だった。

 どこかの会社の招待だったと思う。宴会があった。箱膳だった。大浴場があって、父は私をおぶって泳いでくれた。子供用の浴衣や丹前がなくて、小学生用のを折って着た。

 この旅行は今でも忘れられない強烈な印象だった。

 息子が中学2年のころ、妻と二人でエジプト旅行をした。これは息子には強烈な印象として残っている。物乞いの少年を見たのは息子にとって初めての経験だった弁当がひどくまずかったことも知った。

 娘は高校生のころ、単身カナダへ行った。山奥にも身障者用のトイレがあり、紙もちゃんとあったことに、娘はとても驚いていた。

 旅行にも最適年齢というのがありそうだ。幼稚園くらいなら、東京なら熱海か?小学生になると箱根くらいは連れて行ってやりたい。

 中学生になると海外旅行である。中学生の感性は鋭敏である。発展途上国が望ましい。多くを吸収するだろう。

 高校になったら一人で行かせるのが良い。

 このように、最適な年齢にしかるべき旅行をさせるのは、最高の情操教育である。

 だから私は修学旅行に海外に行くことに賛成である。


まっすぐなキュウリ

2008-12-20 08:24:47 | Weblog
 私は曲がった格好の悪いキュウリが市場に受け入れられないのは、ただその形にだけよっている思っていた。

 だが、それは違うようだ。

 スーパーは生産者にまっすぐなキュウリを要求した。農家はキュウリにコンドームのような筒をはめてキュウリをまっすぐに作った。

 まっすぐなキュウリは、箱詰めしやすく、流通コストが格段に下がるということである。スーパーは形だけを求めて農家にまっすぐなキュウリを要求していたわけではないのである。

 曲がっていても安ければ、スーパーも買う。消費者も安ければ気にしない。

 だが、問題はそんなことではなく、まっすぐなキュウリでないと、コストがかえって高くなってしまうところにあったようだ。

 まっすぐなキュウリは形の美しさを求めているのではなく、流通コストを抑えるために小売が要望していたのである。

 意外な事実であった。私はこのことを、私が好きなTV番組、ワールドビジネスサテライトで初めて知った。


キャノンという会社

2008-12-19 08:28:57 | Weblog
 不況でキャノンが人員削減をするという。時代の波は恐ろしい。

 キャノンはカメラ会社として発足した。最初は「観音カメラ」と言った。「観音」を横文字風に直したのが「キャノン」という名称だった。

 キャノンのカメラは、昭和40年代に高級品として有名だった。キャノン・ぺリックスという鏡のない変な一眼レフを出してコケるまでは、そこそこの業績を残した。

 だが、このころからすでにキャノンは「次」を狙っていた。コピー機である。すでにゼロックスがあった。そんな中に分け入っていくことができるのかどうか、私には疑問だった。

 ところがどうだ。あとは破竹の勢いである。キャノンはコピー機でどんどん収益を伸ばし、ついに社長が財界の重鎮になるまでになった。

 キャノンはついにカメラではニコンを追い越せなかったけれども、会社としてはニコンを追い抜いてしまった。コピー機に目をつけた当時のキャノンの指導部に、いまごろになって敬意を表する私である。

 それなのに今回の人員削減である。業界とは本当に浮沈があるものだなと、この歳になってやっと分かった。

 

サンタクロースは両親だと気付くとき

2008-12-18 10:19:26 | Weblog
 サンタクロースなぞいない。プレゼントをくれるのは両親だと知るのは何歳くらいだろうか?

 私は小学校に上がる前に気付いた。

 世界中の子供たちにプレゼントをサンタクロースが独りで配れるはずがない、という論理が理解できるようになった年頃である。

 そのとき私は両親に感謝した。サンタクロースは両親だったのだと直感したとき、子供心に感動した。

 戦後10年もたたない貧しい時代、樅の木なんて手に入らなかった。だから父親は、針金と紙でクリスマスツリーを作ってくれた。

 クリスマスケーキはバタークリームのケーキだった。おいしくなかった。生クリームなんて手に入らない時代だった。

 それでも嬉しかった。

 だから、私も子供たちを同じように遇した。もちろん、ケーキは生クリームになっていた。ツリーは出来合いのプラスチック製のですませた。

 きっと子供たちも、孫たちを同じように遇するだろう。

ほとんどのブログはつまらない

2008-12-17 08:48:44 | Weblog
 アイドルのブログが人気である。一日に何万件ものアクセスがあるらしい。

 内容は他愛もないことである。愛犬が子を産んだとか、自分がふだんTVでは見せないパジャマ姿の写真が載っていたりする。

 そんな身辺雑記でもアイドルならファンは喜ぶのだろう。

 ところが、私のような無名の人が身辺雑記を載せていることがある。(それがブログのほとんどである)。

 無名の人の愛犬が子を産んだとか、無名の人のパジャマ姿は見るに値しない。つまらない。

 私は無名だから、極力、身辺雑記をブログに書かないようにしている。

童謡の覚え間違い

2008-12-16 08:26:57 | Weblog
 童謡には意外に間違って覚えられているものが多い。

 ♪雪やこんこん あられやこんこん

と歌われることが多いけれども、正確には・・・

 ♪雪やこんこ あられやこんこ

である。

 ♪汽車汽車しゅっぽしゅっぽ しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ

と歌われがちだけれども、元歌は・・・

 ♪汽車汽車ぽっぽぽっぽ しゅっぽしゅっぽ

である。

 こうした事実は意外に知られていないので、述べてみた。

忘年会

2008-12-15 08:34:32 | Weblog
 忘年会というのは、わが国のよい風習だと思う。

 一杯呑みながら、歌が出たり踊りが出たり・・・。こういう機会でもなければ、互いに親交を暖めることができない。

 若いときから、何百回と忘年会を経験しただろうか?ほとんどの忘年会が楽しめた。まだ私が酒が呑めなかったころの忘年会も面白かった。

 イヤな忘年会もあった。私が若かったころ、古参の看護師がからんでくるのである。不愉快になって二次会には行かなかった。

 でも、それは例外的で、最近の酔客は上品になった。無理に酒を勧めることもない。むろん、からむこともない。

 それは私が歳をとったからだろうか?未だに若い医者はからまれているのだろうか?

 「今日もまた忘年会か」なぞとボヤきながらも、実は私はけっこう忘年会を楽しんでいる。

終幕ですぐ立つ客

2008-12-14 09:51:25 | Weblog
 映画やコンサートが終わると、我先にと帰ろうとする観客が多いのが不思議である。

 終電に間に合わなくなるような時間ではない。それなのに、そそくさと席を立つ。もっと作品の余韻を席で味わえばよいのに・・・。

 あるコンサートのあと、私がコンサートの余韻を座席で味わっていたら、10分もたたないうちに会場は私だけになった。

 さらに驚いたことには、会場の掃除が始まったのである。早く帰れと言わんばかりである。どこの国でもそうなのだろうか?

 10分でも20分でも、作品の余韻を味わいたい私である。

オケサ、ウラパン

2008-12-13 09:11:00 | Weblog
 少年時代に少年雑誌で読んだ記事だから、真偽のほどは分からない。

 南洋の未開民族の数の数え方である。

 1をオケサという。2をオケサオケサという。このようにして、4はオケサオケサオケサオケサということになる。ここで繰り上がりが行われる。

 5をウラパンという。そして6はオケサウラパン、7はオケサオケサウラパンである。

 日常生活では、このような数の数え方でも十分なのは先進国でも同じである。実用的な数え方である。

 先進国の我々だって、億は馴染みがないし、兆となるとまったく検討もつかない。

 オケサとウラパンで十分なのである。