院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

漫画「ひまわりさん」

2017-07-31 05:25:59 | 漫画


私が小学校2年生のころ、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」がリアルタイムで漫画雑誌に載っていた。

なかに「ひまわりさん」という読切りの少女漫画があった。「ひまわりさん」という女の子が町を花でいっぱいにしようと考え、ひまわりの種を町のいたるところに撒くのだ。

(とうじ東京はまだ土がむき出しで、舗装された部分は中心部だけだった。馬車が通り、道には馬糞が落ちていた)。

心ない大人たちは「あの子は、ばい菌を撒いている」と噂した。それでも「ひまわりさん」はめげなかった。

そして、花の時期になったら、町じゅうはひまわりでいっぱいになった。「ひまわりさん」の努力はやっと報われたのだ。

戦隊モノや正義の味方モノが好きだった私が、なぜ「ひまわりさん」だけを感動的に覚えてえているのか、不思議というほかはない。



 ※私の俳句(夏)
    水貝をブルーライトに肴とす

「少年マガジン」の表紙

2015-10-11 04:18:17 | 漫画


 最近の「少年マガジン」の読者層は何歳くらいなのだろうか?私は小中学校のころ少年マガジンで育った。その後は漫画研究会を主宰していた関係上、「マガジン」を見てはいたが、次第に「ガロ」など前衛発掘に移っていった。

 もはや「マガジン」を見ることはない。ヒットした作品の単行本だけを買うようにしている。

 ところが、さいきんの「マガジン」の表紙は毎回、美女が写っている。

 小学生にはこの美女たちの凄さが分からないだろう。「マガジン」は「少年」と名乗っても、もっと年長者を読者とするようになったのかもしれないね。


※私の俳句

  窟の闇ひかるきのこと云ふがあり

アニメ「団地ともお」の面白さ再論

2015-09-01 05:44:20 | 漫画

(「団地とも」の単行本。amason より引用。)

 「週間東洋経済」9月5日号で、コラムニストの「ミスターWHO」氏が、NHKのアニメ「団地ともお」(8月14日放送分)を褒めている。

 ともおが老人に「戦争に負けたから悲惨なの?勝ったら祝うの?」と訊ねて、「戦争とは悲惨なものじゃ!」と老人を怒らせてしまうシーンなどが引用されている。

 「ミスターWHO」氏は8月のマンネリ化した終戦報道を「8月ジャーナリズム」と名づけて嫌っている。平和が大事だ、戦争体験を語り継げとおっしゃるが、具体的な提案は何もない。おまえたちは、鶴を折っていれば平和が来ると本気で思っているのか!?と手厳しい。

 その点、「ミスターWHO」氏は「団地ともお」に光るものを感じたのだ。「団地ともお」が優れた漫画であることは、2013-12-21 にもこのブログで紹介した。



(さて、昨日の高級犬を連れた観光客の問題だが、まず犬を飼っている人全体(母集団)が高級犬を飼うようになったと考えられるだろう。観光地に連れてくるのは「家につないでおきたくない」という動物愛護精神の普及によるものかもしれない。しかし、高級犬を見せびらかしたいという見栄もあるのかも。)

漫画「ワカコ酒」第5巻発売!

2015-07-30 03:59:26 | 漫画
 (徳間書店刊。)

 漫画「ワカコ酒」第5巻が出たので買った。第4巻までと同様とても面白かった。(2015-01-26)。

 味のあるこれまでにないスタイルの漫画で、特別なストーリーもなく、出てくる酒や料理も高級なものではないのだが、読んで引き込まれ、しみじみとした気持ちになる。なに気ないネームが詩的である。

 漫画好きの若い女性に薦めてみたが「どこが面白いのか全然分からない!?」という反応だった。

 今度は少し齢が行った女性スタッフに薦めてみたところ大受け!「感動した!今日、帰りに呑みに行くわ」と。この漫画に惹かれるにはある程度のトシであること、呑兵衛で食べるのが大好きであることが必要のようだ。


※今日、気にとまった短歌

  酢醤油がやや少しだけ余るので冷凍餃子もう三つ焼く (茨城県)小笠原啓太

漫画「ワカコ酒」

2015-01-26 06:29:32 | 漫画
    (徳間書店刊。)

 このごろの若い人たちは、私たちのむかしのような酒のガブ呑みをしませんね。銘柄にこだわって多種類を少量ずつ呑みます。

 上の漫画の主人公ワカコさん26歳は、独酌女子です。けっしてグルメではないけれど、酒の肴を十二分に味わって、しんみりと独り酒をするのが趣味。

 これまでなかったジャンルの漫画です。しかも面白い。面白いだけでなく、ときに私たち年配者がドキッとするような人生の深淵をワカコさんは覗きます。

 最近、漫画界には新しい才能が次々と現れて、漫画ジジイは嬉しいです。映画界はいつまでたっても詰まりませんな。これは、映画という表現形式の限界ではないかと、つねづね考えているところです。


※今日、気にとまった短歌

  一人だけ制服の違う君だけど写真の中に確かにいたよ (東根市)岡田芳浩

続々・漫画は映画を超えている

2015-01-05 06:13:30 | 漫画

(石塚真一の漫画「ブルージャイアント」(小学館)より。)

 漫画「ブルージャイアント」ではバークレー音楽院出身の師匠が「俺よりおまえのほうが上だ。おまえの音は人を”圧倒”できんだよ」とつぶやくシーンがあります。上の場面は見開き全体を使って主人公の「音」を表現しています。むろん漫画ですから音は出ません。

 映画などの映像媒体では、解説を入れずに映像だけに語らせることがよくあります。ですが、「おまえのほうが上」の「音」を音なしで表現することができるでしょうか?漫画は(小説でもそうですが)音がない分、想像させることができます。

 映画好きの人には洋画の吹き替えを嫌う人がいます。吹き替えの声が元の俳優の声と違うので、苦になるのだそうです。音があるとかえって邪魔になることがあるのですね。

 そう考えると、「ブルージャイアント」はアニメ化しにくいでしょう。アニメ化されるのが漫画家の栄誉だそうですから、「ブルージャイアント」は損をしているかもしれません。


※今日、気にとまった短歌

  ドトールの二階席にて目覚めたるひとは床より帽子を拾う  松村正直『午後3時を過ぎて』

続・漫画は映画を超えている

2015-01-04 05:38:11 | 漫画

(マレーネ・デートリッヒの「カフェ・エレクトリック」。TimeOutTokyo より引用。)

 映画は劇場演劇とはぜんぜん違うものです。アップとかズームとか早い場面転換などは劇場演劇ではできません。このようなことは映画が好きな方には当たり前のことでしょうが、先日、映画の歴史を追ったTV番組で、私は「なるほど」と思ったのでした。

 その番組では、次のような無声映画の例が挙げられていました。すなわち、2階建ての家の2階が火事の場面です。家の外からは消防士が2階へ向けてハシゴをかけようとしています。

 2階の室内で人々があわてている場面と、外で消防士が急いで作業をしている場面が交互に映し出されます。つまり中からと外からをほぼ同時に見せたのですね。その映画は、火事場の緊迫した様子を示すものとして観衆になんの抵抗もなく受け入れられたそうです。つまり、映画は劇場演劇では不可能な描写を可能にしました。

 このような映画の手法を、漫画は大いに取り入れました。顔のアップだけのコマによって、心理描写さえ行われます。先日述べた『乙嫁語り』でも映画的な手法がふんだんに用いられています。

 石森章太郎は著書『マンガ家入門』(1967)で、映画をたくさん見るようにと薦めています。石森は手塚以上に映画的手法にこだわった人でしょう。(手塚は同じキャラを別の漫画に登場させています。監督が同じ俳優を別の映画に起用するのと同じですね。)

 『乙嫁語り』の記事にも書いたように、もはや漫画表現は映画表現を超えてしまったのではないでしょうか?映画は俳優の個性やイメージに縛られますが、漫画は縛られません。映画は人物でも背景でも実物が映っているので、想像力を膨らませる余地が漫画より少なくなります。制作費用も漫画のほうが圧倒的に少なくてすみます。

 読者のみなさまは、どのようにお考えになるでしょうか?


※今日、気にとまった短歌

  ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過ぐと言はむとぞする 斎藤茂吉『つきかげ』

漫画の約束事

2015-01-02 05:47:02 | 漫画

(赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」。昭和37年の「少年サンデー」より。)

 上の漫画「おそ松くん」ではチビ太の頭から湯気のようなものが出ています。これは怒っていることを表します。イヤミから水滴のようなものが出ていますが、これは焦って汗をかいていることを表します。

 これらのことは至極当然のように思われるかもしれませんが、「湯気」や「水滴」が何を意味しているのかをあらかじめ知っていないと漫画が理解できません。これらは一見絵のように見えますが、じつはある約束事を示す記号です。

 幼いころサザエさんの漫画を見て、私はサザエさんの頭の周りに出ている水滴の意味がわかりませんでした。そのためその漫画が理解できませんでした。

 「状態」を表す記号の意味がわからなければ漫画を理解することはできませんが、じつは漫画の絵のデフォルメそのものが記号すなわち約束事の役割を果たしています。

 漫画では美少女は小さい鼻と口に異常に大きな目が描かれますが、それらを約束事と知った上で見ないと化け物のように見えます。

 同じことが浮世絵の美人画にも言えるでしょう。現代の私たちには浮世絵の美人画は美人に見えませんが、それは浮世絵の約束事を知らないからだと思われます。

(ふきだしの形も平常心や怒りや驚きを表す約束事です。)

漫画「ブルージャイアント」が面白い(その3)

2014-12-20 06:04:51 | 漫画
   (小学館刊。)

 この漫画の題名もそうですが、モダンジャズにはよく「ブルー」という用語が出てきます。マイルス・デビスには「カインド・オブ・ブルー」、ジョン・コルトレーンには「ブルートレイン」という題名のLPレコードがあります。

 この「ブルー」とは「気分がブルー」の「ブルー」です。すなわち「ブルース」の「ブルー」でもあります。「ブルース」は黒人霊歌をルーツとする12小節の楽曲形式で、特有の音階、ブルーノート音階で演奏されます。ブルーノート音階とは、演歌の47(ヨナ)抜き音階(ペンタトニックスケール)にソ♭を付け加えたような音階で、このソ♭をブルーノート(悲哀な音)といいます。ブルースはモダンジャズにも大いに取り入れられました。青山のライブハウス「ブルーノート」の店名は言うまでもなくここから来ています。

 主人公が「ジャズはハードで熱いものだ」と述べるシーンがあります。それはそうなのですが、「ジャズは悲哀(ブルー)だ」とも言えるのです。この漫画の推薦文を書いているグラミー賞ジャズピアニストの上原ひろみさんは「ジャスは殺気だ」と言っていますが、なるほどそうとも言えますね。

 いずれにせよ、ブルーノート音階には悲哀感があります。(それは虐げられた黒人霊歌から出てきたからだという説がもっぱらですが、私はこじつけだと思います。古代ローマ時代以来、虐げられた民族は黒人奴隷だけではありませんから。)

 その後、ジャズはギリシヤ音階テンジョンノート(緊張の音)を採用して洗練を重ね、そこに生まれたサウンドこそがモダンジャズの特徴だと言われるようになりました。

漫画「ブルージャイアント」が面白い(その2)

2014-12-19 05:07:38 | 漫画
    (小学館刊。)

 漫画「ブルージャイアント」では現在、主人公がテナーサックスの激しい練習をしている真っ最中です。師匠はバークリー音楽院(アメリカのジャズのメッカ)を出ながらビッグになれなかったサックス奏者です。

 この漫画の各号の終わりに今から数年後の話が出てきます。そこでの登場人物は、むかし主人公と共演したことを誇りに思っていたりします。そこから読者は、主人公が将来ビッグになることを、あらかじめ知ります。

 つまり、先行きがある程度分かるストーリー構成です。このような手法は、ありふれているのでしょうか?先行きが分かる手法は、私は小説やドラマを含めてこの漫画で初めて経験しました。

 読者はつまり、主人公がビッグになっていく経過を追えばいいわけで、安心して読み進めることができ、途中経過のストーリーの機微に気持ちを集中することができます。

漫画「ブルージャイアント」が面白い(その1)

2014-12-18 05:47:51 | 漫画
    (小学館刊。)

 世界一のジャズプレイヤーを目指す少年の物語「ブルージャイアント」が20万部の大ヒットだそうです。いまどき、モダンジャズというマイナーな音楽の漫画がヒットするなんて、世の中分からないものですね。

 現在、第3巻まで出ています。さっそく読んでみました。とても面白い。そして、読んでいる間じゅう泣けました。この漫画、ほんとうに今の若い人たちに受けているのでしょうかね。(私はモダンジャズに凝った世代だから、すごく分かるのですが・・。)

 少なくとも若い人たちは泣けはしないでしょう。私が泣けたのは、兄が主人公に高価なテナーサックスを36回の分割払いで買ってやるというような、ありがちな部分なのですが、私自身10代にサキソホン(私はアルト)を買ってもらって、楽器がいかに高いかを知っていたからかもしれません。

 先日亡くなった作家の山崎豊子さんは、まるでその世界にいた人でもあるかのように、大阪商人の世界、医学界、商社の裏側、中国問題などに詳しかったですね。この漫画もジャズ界やジャス理論の記述に大きな誤りはありません。この漫画家はジャズをまったく知らなかったそうですが、一流の作家は取材すればすぐに理解できちゃうのでしょうか?

 主人公の高校の音楽の女教師が初老のデブで、いかにもタテマエ主義的なタイプなのに、近代西洋クラシックの一部がインドネシアのガムラン音楽の影響を受けたことを知っており、さらにモダンジャズにも感動してしまう、なんていうストーリー運びはニクイです。泣けます。

 次の巻の刊行が待たれます。

漫画「インベスターZ」の描かれ方(その2)

2014-11-24 04:48:42 | 漫画

(明日のジョーのソングファイル。)

 漫画の原作者という立場を確立したのは梶原一騎でしょうね。「巨人の星」や「明日のジョー」は不朽の名作です。

 それまでは、漫画家はストーリーも絵も両方作るものとされてきました。ちばてつやは自分のストーリーの傾向がすでに出来上がっていたのに、あえて「明日のジョー」を描いたときには私は驚きました。ですが、大ヒットとなりました。

 「美味しんぼ」の原作者、雁屋哲はのちにグルメ小説を書きましたが、面白くなかったです。雁屋のアイデアには漫画というジャンルがもっとも適しているのでしょうね。(里中満智子の小説もつまらなかったです。)

 前回お示しした三田紀房は、株取引の漫画の原案を作っていますが、彼は株取引ができないそうです。なぜかと言うと、彼が取引をするとインサイダー取引になる恐れがあると言います。そこまで株に深くかかわっているのですね。

 思えば梶原一騎は巨人軍の沖縄キャンプに同行して取材しました。雁屋哲もしょっちゅう海外に取材旅行に行っていますよね。勉強の量が半端ではありません。

 そのうち、漫画の原案作りも作画も行わない、ちょうど映画の監督のような人が出てくるだろうと考えてみたのですが、じつはその役は出版社の編集者が務めているのかもしれませんね。

(私が思春期のころ、漫画編集者の地位は低いものでした。有名出版社の編集者ということで縁談が決まっていたのに、漫画の吹き出しに写真植字の活字を張っているところを婚約者に見られて、破談になったという話がありました。)


※今日、気にとまった短歌

  赤い鼻こすりて友は顔をあぐいよいよ反論始めるらしい  (柏市)重藤竹夫

漫画「インベスターZ」の描かれ方(その1)

2014-11-23 20:22:55 | 漫画
   (講談社刊。)

 ひな壇芸人のおふざけ芸のバラエティーばかりで、まったくつまらないテレビのゴールデンタイムですが、深夜にはけっこう面白い番組をやっています。

 エッチな番組だけではなく、私たちが知らない業界の紹介などがあります。先日は漫画界の裏側を放送していました。漫画の原作者が出て、制作場面の実際が紹介されていて驚いたことが2、3ありました。

 まず漫画の原作者のギャラは、絵を描く人と折半だそうです。折半でない場合は、画家の方が多いと言います。

 売れっ子漫画家はキャラクターの顔だけ描いて、体や背景はアシスタントがやることは知っていました。手塚治虫もそうでした。ところが上掲の漫画の作者は違うのです。

 三田氏はキャラクターさえも描きません。ネーム(セリフ)が入った鉛筆の荒原稿をそのまま外注に出すのだそうです。すると外注は背景はもちろんキャラクターの顔まで描いてくれます。そんなこと可能なの?と思いました。

 それが可能らしいのです。三田氏はあらかじめ外注先に何パターンもの顔を送っておきます。漫画のスケッチに「顔の何番」という指定をしておくと、外注先が「何番」の表情を選んで背景から何から全部描いてしまいます。

 これなら同時に何本も連載することが可能です。先日ご紹介した「乙嫁語り」は衣装の描き込みなどすべて自分でやっているでしょうから、三田氏よりもずいぶん原始的だなと思いました。


※今日、気にとまった短歌

  街角でぶつかる出会いなど無くて田んぼの向こうに君は見えとる  (三田市)今北紀美恵


漫画は映画を超えている

2014-11-16 01:11:34 | 漫画
  (KADOKAWA刊。)

 私たちの親の世代は、映画が娯楽の王様でした。私も幼少のころから映画を見ていましたが、考え方や人生の指針などを映画から学んだことはありませんでした。

 むしろ、手塚治虫や白土三平やちばてつやらの漫画に影響を受けました。漫画は一人(と数人のアシスタント)で描きます。それに対して映画は、俳優や撮影器具や技術陣やセットなど、膨大な費用がかかります。

 そのわりに、映画の影響力は大したことはなく、漫画を超えるとは思えません。

 上に掲げた「乙嫁語り」という漫画は今年のマンガ大賞作品です。とにかく、絵の描き込みがすごいのです。舞台は19世紀の中央アジアで、民族衣装や民族建築が克明に描かれています。動物が動いている姿のデッサン力も非常に優れています。

 この漫画はストーリーで引き込む力はさほどではありません。ただ、画力がすごいので何となく引っ張られてしまいます。これと同じことを映画でやろうとしたら、衣装や建物や馬などを揃えねばならす、平原でのロケが必要ですから、それこそ何100億円とかかってしまうでしょう。その一点だけでも、漫画のほうが映画よりも優れているとは言えないでしょうか?

漫画「美味しんぼ」作者の挑発

2014-05-13 20:27:23 | 漫画

(BIG COMIC スピリッツ・2014年5月26日号より。)

 むち打ち症が真正の「疾患」ではなかったことについてかつて述べたように(2011-04-22)、人は思い込まされると病気でもないのに症状を出すことがある。だから確かに風評被害は怖い。

 このたびの漫画「美味しんぼ」による福島の放射線被害に関する表現は、作者による政治への挑発だと見た。双葉町前町長が「真実」を語ろうとして町長を降ろされたとは、ありそうなことである。

 政治が科学を捻じ曲げてきたことは歴史上、明らかである。(例:ルイセンコ事件、ガリレオへの弾圧 etc. )。

 ここで「美味しんぼ」の作者に注意していただきたいのは、客観的に明らかな「症状」だけを取り上げるべきことである。今回の漫画では「鼻血」、「疲労感」、「眼やのどや皮膚の不快な症状」が挙げられているけれども、ここで取り上げるに値する誰の目にも明らかな現象は「鼻血」だけである。

 「疲労感」とか「不快な症状」のような主観的な陳述は他覚的に証明ができず、科学的な分析には耐えられない。むち打ち症ブームの昭和40年代にも「疲労感」は言われていたのだ。

 双葉町が本当に住めない土地であるのかどうかは、何年かすれば明らかになる。そこで初めて、「美味しんぼ」の作者が正しかったのか、漫画の作者に抗議をした福島県知事(今は立場上、そうせざるをえないが・・)が正しかったのかが、科学的に証明されるはずだ。