院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

マスコミが検察批判を始めた

2009-03-25 15:22:47 | Weblog
 先日、このブログで検察権力は批判・監視するシステムがなく、検察の横暴を許してしまう恐れがあると書いた。

 小沢民主党第一秘書が逮捕され、拘留されたのがきっかけである。逮捕容疑は、政治資金規正法違反である。これは言ってみれば形式犯で、追徴金を納めれば済むことである。

 それが逮捕、拘留3週間というので驚いた。民主党への何らかの恣意が働いて、世論を操作しようとしたとしか思えないと、私は述べた。

 私は無党派で、民主党員でも自民党員でもない。その私が驚いたのだもの、検察は勇み足をした。

 とうとうマスコミが検察批判をするようになった。あの田中角栄氏のときにもリクルート事件のときにも検察批判をしなかったマスコミがである

 マスコミの検察批判はもっとエスカレートしていくと今から予言しておく。次の検察権力の標的はマスコミにならないとも限らないからである。

昭和初期の瀬戸物

2009-03-20 08:31:59 | Weblog
 昭和初期の食器が妻の実家から多量に出てきたので、これは値打ちがありそうだと先日書いた。

 ところが、知り合いの古老によると、昭和初期といえども10脚、20脚もあるのは、いくら箱書きがあっても日用雑器に過ぎないのだそうだ。つまり、安物である。

 言われてみれば、織部の皿も色合いが下品で、食べ物を置いても引き立たない。

 一時の夢だった。昭和初期の食器は値打ちがないのだ。どんどん使って、どんどん割ってしまおう。

 昭和初期の焼き物を割るのは、気持ちよいですよ。

このブログの書き込みの間隔が開きます

2009-03-14 23:02:11 | Weblog
 詳しいことは省きますが、このブログをきっかけに、執筆の仕事が入りました。

 そのため、ほとんど毎日書き込んできたこのブログの間隔が開きます。

 私は流行作家と違って、同時に2つ以上のことを考えることができないので、執筆に専念するために、このブログを毎日書くことをしばらく休みます。

 思えば3年間、毎日書いてきました。記事数ももうじき1000に及びます。

 愛読者の数も1000を超えると推察されます。しかし、時間をください。愛読者の方々には大変申し訳ないのですが・・・。

 でも、書き込みを止めるわけではありません。これまで、毎日書き込んできたのを一週間に一度くらいに頻度を減らしたいのです。どうかご了承ください。

天才手塚治虫氏・その3

2009-03-13 08:29:52 | Weblog
 手塚氏に匹敵するような漫画家はだれかと問われれば、私は「ドラエモン」の藤子不二夫B氏を上げたい。

 共通点は子供に夢を与え、教育するという点である。

 藤子B氏も鬼籍に入ってしまわれたのが残念である。「どこでもドア」や「竹コプター」は、どんなに子供に夢を与えたか、計り知れない。

 藤子B氏は、鬼才手塚に比べれば陰が薄いかもしれない。それは、手塚氏がすごすぎるのであって、藤子B氏の価値をいささかも減じるものではない。

 藤子B氏は一生、小児漫画に徹した。見方によっては、小児漫画ひとすじと言うのも、すごいことではないか?

 ついでのようで恐縮だが藤子A氏も私は好きである。「笑うセールスマン」とか、ときどき現れる「小池さん」というキャラクターは藤子A氏のものである。

 変な顔でいつでもラーメンを食べている「小池さん」。私は好きである。

 

天才手塚治虫氏・その2

2009-03-12 08:47:54 | Weblog
 大人になって読んだ作品に「ブラックジャック」がある。

 それなりに面白かったが、鉄腕アトムほどの鮮烈さはなかった。手塚が稀代のストリーテラーだということが、「ブラックジャック」からはよく分かる。

 でも、すでに私は医者になっていたから、ストーリーの無理も分かってしまった。「ブラックジャック」は子供向けではない。夢が膨らまない。しいて言えば、さいとうたかお氏の「ゴルゴ13」に似ている。

 次に出てきて未完の大作となった「アドルフに告ぐ」も青年漫画である。私はこの作品を詳しく読んでいない。幼かったころの私の心を躍らせた鉄腕アトムの雰囲気がまったくなくなってしまった。

 これは手塚氏にとっては自然のなりゆきっだったのだろう。どんどん作風を変えていくのは、モダンジャズで言えばマイルス・デビスみたいなものだ。一流芸術家の宿命なのかもしれない。

 手塚治虫氏は60歳で胃がんで亡くなった。早すぎる死だった。かく言う私も、もうじき手塚氏の歳になる。

天才手塚治虫氏・その1

2009-03-11 11:57:28 | Weblog
 今年は手塚治虫氏の生誕80周年だそうである。だからTVでも手塚治虫氏の特集は多いし、いまさらここで手塚氏の天才性について語ろうとは思わない。

 その代わり、私と手塚氏(の作品)との初対面のことを語ろう。

 私が小学校2年生のころだったろうか、祖母が「鉄腕アトム」のハードカバーの単行本を買ってくれた。私は夢中になって読んだ。

 場面はエジプトのピラミッドである。ピラミッドが正確な(滑らかな)四角錐ではなく、四角い石の積み重ねであることを、手塚氏の絵によって私は初めて知った。

 ピラミッドには穴が開いており、王の棺は「玄室」という部屋にあることも知った。手塚氏の漫画はかなりの教育効果を私に及ぼした。

 「玄室」には水が溜まっており、そこに悪者でクラブマンという蟹の形をしたロボットが棲息していた。そこで私は「クラブ」というのはクラブ活動のクラブではなく、蟹のこともクラブというのだと知った(スペリングが違うことは後に学んだ)。

 クラブマンは鉄腕アトムにピラミッドの石のかたまりを投げてきた。鉄腕アトムは、ことごとく石をよけてクラブマンを破壊するのであるが、クラブマンは外側だけでできていて、中身は中空なのである。

 外骨格生物を模写したクラブマンの印象は鮮烈だった。蟹は外骨格だけ硬く中身はふにゃふにゃではないか。子供の私にはクラブマンの描写が腑に落ちた。

 「ジャングル大帝」の時代は知らないが、私にとっての「手塚体験」は鉄腕アトムが初めてだった。

続・国策捜査

2009-03-10 08:34:04 | Weblog
 検察が「国策捜査」を行いうるとは4日前に書いたが、さすがに今回は見え見えだったから、対立者の捜査も始めたのだろう。検察は世論の後押しが必要だから、バランスを取る意味だと思われる。

 早急に「検察監視システム」を作らねばならない。

 ホリエモンを検挙したのも、「国策捜査」であると私は思っている。上告したホリエモンの態度は立派である。高裁の判決は「反省の色がない」という、最初から有罪と決め付けているものだった。

 最高裁まで世論に迎合した判決を出したら、わが国の司法は地に堕ちるだろう。

教育は模倣でよいのだ・その3

2009-03-09 08:28:47 | Weblog
 今の量子力学を数学的に厳密に体系化したのは数学者である。現在主流のプログラム内蔵型コンピュータのアイデアを出したのは数学者フォン・ノイマンである。

 最近、悪名が高い金融工学に従事しているのも数学者である。どうやったら金融市場で儲けられるかということを、数学的に考えるのが金融工学である。

 これらを考える人は、数学的基礎がしっかりしている。かれらも最初は模倣から始まったのである。

 昨年ころから、小学生が「凧」という文字を、前衛書体で大きく書いた「書」が海外で高く評価され、高値が付いているという。

 私はこの現象に疑問をもつ者である。その小学生は楷書でまともに文字が書けるのだろうか?あるいは行書はどうか?

 基礎がしっかりしていないと、一時のパフォーマンスで終わってしまう。猿が描きなぐった絵や、象が鼻で描いた絵が評判を呼んだ昔の話と同じことになってしまうことを、私は恐れる。

教育は模倣でよいのだ・その2

2009-03-08 13:54:40 | Weblog
 教育が模倣でよいのは、幼児教育ばかりではない。高校、大学受験、大学の授業も、実は真似でよいのである。と言うよりも、真似しなくては生徒学生の力では何ともならない分野がまだまだ多いのである。

 実は数学は専門の数学者以外には「暗記もの」である。いわんや、他の科目をや。

 たとえば、ある式が出てきたときに、x を t/(t-1) で置き換えれば式が単純化されるなんて、暗記していなければ限られた受験時間に誰が思いつくか?

 フェルマーやコーシーが何年もかけて証明した定理を、誰がその場で証明できるか?だから数学は暗記ものだと言っているのである。

 大学の数学でもそうである。微分方程式の曲芸的な解法なぞ、どこの学生が考え付くか?

 過去の数学者たちが開発した解法をまず暗記して、自分自身で考えるのは、そこから先である。それが研究の過去からの積み重ねを利用するという意味である。

 自分で思ったとおりに、考えたとおりに、というお題目は、こういう積み重ねの暗記を無視した教育方法であり、誤っていると私は思う。

教育は模倣でよいのだ・その1

2009-03-07 14:27:07 | Weblog
 自分で思ったとおりに感想文を書きなさい。自分で感じたとおりに絵を描きなさい・・・なぞと教育するから、手紙一つ書けない、略図一つ描けない大人になるのだ。

 現在、このような大人の多いことよ。戦後に教育を受けた大人はみなそうである。

 教育は初めは真似からである。習字を見よ。手本を真似するところから始まる。自分の思ったとおりに字を書きなさいなぞと言われては、子供は困るし、読める文字が書けるようにならない。

 戦前はお絵かきの授業も、お手本を模写するところから始まった。だから、どんな子も簡単な富士山の絵くらいは描けた。

 それが戦後、個性の尊重の名のもとに、創造性を重視しようと「思ったとおりに」ということになってしまった。これが現代教育の一番の瑕疵である。

 真似という基礎のないところに創造性もへったくれもないではないか。語学が端的に示すように、すべては真似から始まる。

 「学ぶ」というのは、語源が「まねぶ」である。

鍼治療への疑問

2009-03-05 20:31:31 | Weblog
 C型肝炎はいまや国民病である。数十年かけて、肝硬変から肝癌にまで進行する。

 原因は昔行われていた予防注射の、注射器の使い回しによると言われている。

 昔は予防注射は針をアルコール消毒するだけだった。アルコールでウイルスが死ぬのだろうか?専門家の私でも今ひとつ分からない。

 そこで鍼治療である。そこで使う鍼はどうやって消毒しているのだろうか?私は鍼治療をやったことがないから、分からない。

 他人に使った鍼を、別人に使って大丈夫なのだろうか?

 マスコミも誰も言わないから、ここで私が言っておく。 

アメリカ国債

2009-03-04 09:49:27 | Weblog
 経済のことにはとんと疎いけれども、日本がアメリカ国債を買っているという。

 国債を買うということは、金を貸すということだろう。わが国は大量の金をアメリカに貸しているのである。

 逆にアメリカは日本国債を買っているのだろうか?寡聞にして知らないが、たぶん買っていないのだろう。

 ということは、わが国はザブザブとアメリカに金を貸していることになる。そのお陰でアメリカは潤ってきた。

 このたび、アメリカ経済が不況である。貸した金は返ってくるのだろうか?

 それとも、アメリカの核の傘の下に入って、平和を取って貸し金はチャラにするつもりだろうか?

感謝されない医者

2009-03-03 13:12:52 | Weblog
 医者の中でもっとも感謝されない医者は精神科医ではなかろうか。それも精神科単科病院の精神科医。

 病識のない患者を強制入院させるときには、患者から恨まれる。罵詈雑言を浴びせられる。

 退院させるときにも、家族から感謝されない。むしろ、もっと入院させておいてくれとせがまれる。

 医者のモチベーションは感謝によって保たれる。感謝があれば、少々の過重労働でも耐えられる。

 私が医者になったころに比べて、何科でも感謝が減ったような気がする。なんだか契約関係という感じで、若い医者は過重労働に耐えられるだろうか?

 医者を殺すに刃物はいらぬ。「ありがとう」の一言だけで医者は一生懸命になる。

 医者とはそういう単純な生き物なのである。

謝らせるなら金を取るな

2009-03-02 18:12:06 | Weblog
 飛行機事故であっても、医療ミスであっても何でもよい。

 被害者は慰謝料なり保障金なりを取る。しかも、謝らせる。これは少しおかしいのではないか?

 と言うのは、私が金を取るなら謝らせるな、謝らせるなら金を取るなと考えているからである。

 両方とも取るというのは取り過ぎではないか?

 私は謝ってくれなくてよいから、金をよこせと言いたい。