院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

孤独死(2)

2012-06-30 00:14:19 | 文化
 私はある高齢の婦人と少しおつきあいがあった。その婦人は生涯独身で、身よりもなかったが、ひとりで立派に生きていた。

 あるとき私のクリニックに警察から連絡があり、その婦人が亡くなったが心当たりはないか?という。

 その婦人には一回、風邪薬を処方したことがあるからかもしれない、私のクリニックの診察券を持っていたいうのである。

 死因にはまったく思い当たるフシはない。室内はきれいだったという。心臓発作か脳卒中だろうということになった。

 警察が入ったのだから「孤独死」だったのだろう。マスコミは孤独死を絶対に防がなくてはならない重大問題のように言うが、孤独死はそんなにいけないことだろうか?

 誇り高いその婦人は、誰の世話にもならず、誰にも面倒をかけず、一人で旅立ったのだ。これは「孤独死」として防がれるべきものなのだろうか?「孤高死」と呼んで尊敬すべきではないか?

孤独死(1)

2012-06-29 00:01:28 | 文化
 東京在住の父ががんの末期で、もうじき死にそうなころ、私は名古屋に住んでいた。

 ある会議中に「父キトク」の連絡が入り、私は会議場からTシャツのままで名古屋駅へ行った。ちょうど新幹線がホームに入ってきて、それに飛び乗った。

 私が病院に付いたときには、父は意識がなかった。その30分後に息を引き取った。つまり、私は「親の死に目」に間に合ったことになる。

 役者は(公演中に中座するわけにいかないから)親の死に目に会えない因果な商売だという。 だが「親の死に目」に間に合うというのは、そんなに重要なことなのだろうかとも思う。

 死んだ後の采配は長男が振るわなくてはならない。病院を辞し、葬儀屋を手配して、めぼしい人に連絡するということを、数時間でやらなくてはならない。東京では通夜には酒食のもてなしをするから、その注文だけでも大変だった。

 だが、これらは父が息のあるうちに枕元に駆けつけることとは、何の関係もない。

 「親の死に目に会う」という風習が、いつからどういう根拠で出てきたのか、私は知らない。死に目に家族が付いていないと「孤独死」みたいに見えるからだろうか?

ソニーの株主総会

2012-06-28 00:16:42 | 経済
 昨日、ソニーの株主総会が開かれた。

 株主からは、かなりの不満があがったという。まず、前CEOのハワード・ストリンガー氏を、まだソニーの枠内に留まらせることへの批判がでた。

 次に、ソニー首脳は、今後デジタルカメラ、ケイタイ、ゲームなどに力を入れていくというが、その提案になんら具体性がないという批判が強かった。

 2012-06-16 のこの欄で、私は「ソニーに復活はない」と言明したが、株主たちも分かっていたのだ。私はソニーと利害関係がないが、利害関係がある株主たちは、私よりもっと切実に危機感をもっているようである。

 再度、言明しよう。「世界のブランド・ソニーに復活はない」。復活させるためには、首脳陣を変えなくてはならない。(変えても復活できないかもしれないが、少なくとも今の首脳陣ではソニーは潰れる。)

ドイツの「多文化共生政策」

2012-06-27 03:19:59 | 社会
 30年前に一度だけドイツを旅行したことがある。美しい街並みと道路。歴史を感じた。

 ドイツの街をあれだけ美しくしているのは誰か?それを知ったのは、日本に戻ってからだった。

 実はドイツの道路は夜中に移民たちが掃除をした。そして、きれいになった道路を昼間にドイツ人が歩くのである。ドイツの街の美しさは、移民によって支えられていたのだ。

 思い起こしてみれば、ホテルのフロントは夕方5時きっかりに、ドイツ人からイタリア人移民に代わった。電車の改札口は黒人に代わった。

 昼間の綺麗な仕事はドイツ人がして、夜の仕事や汚れ仕事は全部、移民に押し付けられていたのだ。

 その移民が2世3世になったら、汚れ仕事を唯々諾々とやっているはずもなかった。だからだろう、今、移民排斥運動が盛んになり、極右政党がかなりの支持を集めるようになった。

 かつて、移民導入は積極的に行なわれ、「多文化共生政策」と言葉だけは美しかった。今、メルケル首相は「多文化共生政策」を廃止する方向に圧力をかけられている。

 要するに、移民が素直に汚れ仕事してくれている間は国内に置いておいて、言うことをきかなくなったら排斥するということだ。

 わが国に一千万人の移民を入れようと力んでいる者があるが、それは暴論である。物品ならいくら輸入してもよいが、人間は輸入してはいけないと、何年も前から私はこの欄で言ってきた。

 やっぱり移民導入は、まずいぜよ。

日活ロマンポルノ

2012-06-26 00:01:50 | 芸能
 高校生のころ、こっそりポルノ映画を見に行ったが、年齢をいつわるのに結構勇気がいった。

 1971年から日活ロマンポルノが始まった。すでに堂々と見られる年齢になっていながら、私は日活ロマンポルノを一本も見ていない。

 当時、同級生が日活ロマンポルノを激賞していたけれども、なぜか見なかった。激賞されるだけあって、同ポルノからは名優、名監督が輩出している。筋立ても舞台道具も凝っているという。

 キネマ旬報では、読者による「女優賞」に、栗原小巻さんを抑えてロマンポルノ女優が一位になったとか。とにかく、ただのポルノではなく、極めて上質なのだそうだ。

 このほど、日活ロマンポルノ1,100本のうち、優秀作40本が上映されうという。場所は名古屋の名駅ピカデリーである。距離的に近いから見に行こうかとも思っている。

子どもの足

2012-06-25 05:49:55 | 社会
 子供のころ随分距離があると感じたところを、大人になってから歩いてみると、あれ?こんなに近かったのかと驚くことがある。

 それは、子どもの足の歩幅が小さく、かつ筋力もなかったから当たり前のことである。

 電車やバスで、老人には席を譲れという。私も2回、譲られたことがある。譲ってくれたのは2件とも子どもだった。私は彼らに感謝し、ありがたく席を譲ってもらった。

 しかし、老人と言っても、私たちくらいだとまだ子どもの足よりは強い。すなわち、私は自分たちよりも弱い者から席を譲ってもらったことになる。

 西洋では(日本でも)子どもは車内で座るなというしつけがある。でも、これは子どもには酷なしつけである。

 子どもが吊り革に手も届かず、そのまま立っているのは、実は私たち初老の者が立っているよりよほど苦痛である。

 単に苦痛かそうでないかという理屈だけから言うなら、小学生以下は座り、70歳くらいまでは立っているべきである。

季語・五月闇(さつきやみ)

2012-06-24 10:46:30 | 俳句
 五月闇とは今時分の季語である。梅雨の暗い天候をさす。必ずしも夜とはかぎらない。

 五月雨(さみだれ)とは、梅雨の雨のことであって、五月の雨ではない。俳句では旧暦を用いるから、このようなことが起こる。良し悪しは別にして・・。

 五月闇と言えば、俳句を趣味としている人には一発でその雰囲気が伝わる。多言を要しない。

 俳句は短いから、このように含蓄のある用語を季語として約束しておくことにより、17文字でかなりの内容を述べることができる。

 だから、季語という約束事は俳句に必須であり、かつ合理的なものである。季語なぞなくてもよいではないかと、いちいち屁理屈を言うまでもないのである。

名古屋の「テレビ塔」

2012-06-23 02:52:38 | 技術
 名古屋の数少ない名所だった「テレビ塔」が、電波塔としての役割をすべて終えた。

 取り壊す話もあったけれども、やはり名古屋のシンボルとして残そうという論が優勢となって、テレビ塔はモニュメントとして残されることになった。

 だから、名古屋のテレビ塔は今、なんの技術的な役割もしていない。造られたのが東京タワーができるよりも前だから、一層残す価値があったのだろう。

 一方、地デジ化は名古屋でも行なわれたし、名古屋にも高層ビルはあるから、地デジ波の届かないところもあるだろう。しかし、名古屋にはテレビ塔に代わる新たなタワーを造ろうという話はない。

 東京スカイツリーが地デジ波をビル陰まで送るために造られたのなら、名古屋にも似たようなタワーが必要になるはずである。

 東京スカイツリーの機能が「地デジ波をビル陰まで届かせるため」という理屈付けは、やはりウソだと思う。

医者の代わりをするコンピュータ・ソフト

2012-06-22 03:57:28 | 医療
 将棋の米長邦雄さんがコンピュータに負け、囲碁の武宮正樹九段が3子局だが、やはりコンピュータに20目も負けた。

 米長さんも武宮さんも天才である。その天才がコンピュータに負けたのである。これは大ごとである。

 医者は天才でなくても勤まる。かなり勘や経験に頼る部分もあるけれども、それは囲碁や将棋を凌駕するほどではない。

 ということは、もう来年当たり、コンピュータで一流の診断と治療法を提示できるコンピュータソフトができるだろう。

 とくに最近では、医学は検査データに頼ることが多い。数値データの処理はコンピュータが最も得意とするところである。すぐに人間の医者を追い越す。心電図はパターンデータだが、心電図の解析はすでに本物の医者を追い越している。

 コンピュータが苦手なのは、患者の表情を読むことである。精神科は患者の表情で、診断の50%以上は決まる。だから、コンピュータ化が一番遅れるのは精神科だと思われる。

 じきに医者はコンピュータのセンサーとしての役割しかなくなるだろう。

 これらは遠い未来のSF的な話ではない。医者がいらなくなるのも、もうすぐである。今、医者が商売になっているのは、コンピュータのほうがまだ高くつくという理由だけである。

イクメンとは何か?

2012-06-21 05:29:20 | 社会
 夫の給料が妻よりも圧倒的に多い場合には、イクメンはありえない。

 夫が高給取りだということは、夫は毎日、受験戦争のような競争にさらされているはずである。

 受験生に「赤ちゃんのおむつ換えといて」と頼む親がいるだろうか?また、これから受験会場へおもむく受験生に対して「どうせ通り道だから、ついでに納豆買ってきて」と命じる親がいるだろうか?

 受験生には受験のことだけ考えさせればよいし、高給取りの夫には仕事のことだけを考えさせればよい。

 それが解らずに、なんでもイクメン礼賛の風潮は困ったものだ。

 逆に言うと、イクメンをやっている夫というのは、妻と大して給料が変わらないか、それ以下であることを白状しているのと同じである。

「ピアノ売ってちょうだ~い」

2012-06-20 05:48:46 | 経済
 戦前は貧富の差が激しかった。金持ちは西洋館に住み、貧乏人は長屋に住んだ。

 ピアノは戦前から金持ちの家にはあった。それを羨ましく見ていた貧乏人が、戦後ある程度の資産ができると、こぞってピアノを買った。

 こうして子女にピアノを習わせるというブームが起こった。狭い2DKの住宅にピアノを入れて、うちも文化的な生活ができるようになったものだと、中産階級は溜飲を下げた。「三丁目の夕日」の時代の話である。

 このブームに乗ったのがヤマハとカワイだ。当時はピアノの性能が極めてよかった。しかし、やがて粗製乱造となり、材料の木材を十分に乾かさずにピアノを生産したから、20年もすると国産ピアノの質は著しく低下した。

 質の悪いピアノはすぐに音が劣化する。いま、中古市場にあるのは、この質の悪いピアノだろうと私は思う。中古ピアノの音なんて聴けたものではない。

 「ピアノ売ってちょうだ~い」というCMをテレビで流しているが、このような商売が成り立つのかと不思議に思う。

 質の悪い中古ピアノを安値で買って、高く売って利ざやをもうけるのだろうが、質の悪い中古ピアノの需要がそんなにあるのだろうか?

 現在は、ピアノブームではない。やれエレクトーンだ、やれフィギュアスケートだと、子どもたちの習い事も多様化している。

 「ピアノ売ってちょうだ~い」と言っている会社は、今どうやって儲けているのか?謎である。

打聴診

2012-06-19 03:39:12 | 医療
 私の医学生時代には身近にCTはなかった。(すでに発明はされていて、ノーベル賞を受賞した。)

 そのため、CTを読映する研修もなかったし、むろんCT装置を動作させる実習もなかった。

 その代わり、打聴診の実習はみっちりあった。だから、今でも打聴診ができる。

 CTが普及してからの医学生はどうなのだろうか?打聴診ができないのではあるまいか?聴診器をもっているから聴診はできるのだろう。でも、打診はどうか?

 一般の方には何のために打診をするのか知らない人も多いだろう。打診とは、X線の代わりになるものである。打診で心臓の形や肺の空洞などが分かる。

 いま、年配でないドクターで打診をする人はいるのだろうか?意外に他の科のことは知らないものだ。

 打診なぞしなくても、X線やCTで一発で分かってしまう。私たちは打聴診の実習で苦労したけれども、CTがすでにあった分だけ、私たちの世代より下の医者が勉強が楽だったとは思わない。

 CTが出て、MRIが出て、エコーが出て、医学生が勉強することは格段に増えている。それは教科書を積んだ高さからも分かる。今の医学生が勉強すべき教科書は、私たちの世代が勉強した教科書の2倍くらいの高さがある。

マスクという「目出し帽」

2012-06-18 05:18:59 | 医療
 総合病院でスタッフにマスクをさせることが多い。紙の薄手のマスクである。あんなもので感染防止になるのだろうか?

 患者にも同じマスクを勧めて、自動販売機で売っている。

 マスクは覆面と一緒で、誰が誰だか分からなくなる。だから、総合病院内は、「目出し帽」かぶった強盗のように、みんな顔を隠した状態となる。笑っているのか、怒っているのかも分からない。

 その病院に1週間入院したことがあるが、看護師が1人残らずマスクをしているので、誰が担当の看護師か最後まで分からなかった。名札だけでは識別できないものだ。

 結局、退院まで誰一人として看護師の顔を覚えられなかった。サービスを台無しにするほどにマスクをして、本当に感染症が防げるのだろうか?

 口だけ覆って、鼻は出している看護師もいた。

栄養学は必要がないのではないか?

2012-06-17 04:13:21 | 学術
 栄養学ほどころころと学説が変わる学問も珍しい。昨日あれを食えといえば、今日はもう食うなという。

 そもそも生物はエサをどのように識別しているのだろうか?まさか栄養学にしたがって識別しているわけではあるまい。本能的に食べたいものを食べているだけだ。

 人間もそうだ。水が不足すれば水分が欲しくなる。塩分が不足すれば同じく欲しくなる。

 もし、亜鉛などの微量金属が不足すれば、それらを含んだ食物が食べたくなるようにできているのだろう。そのくらいの精巧さがなければ何千万年も生き永らえない。

 栄養学は木を見て森を見ずで、瑣末なことばかり研究しているのではないか?

 栄養学に従う必要はない。本能に従えばよいのだ。

 栄養学は毎年変わるが、本能は何千万年とかかって培われてきたものである。

世界のブランド・ソニーの復活はない

2012-06-16 04:17:34 | 技術
 俗に人品骨柄という。これは何かの尺度で測定するものではなく、一見して分かってしまうものである。

 別に器(うつわ)という言い方もある。その人の器がどの程度のものなのか、これも理屈ではなく分かってしまう。

 老練の面接官は、被面接者の発言内容に注目するのではなく、人品骨柄や器に注目して、その良否が直感的に分かる。

 私が老練の面接官であるかどうかはさておいて、私にも相手がどの程度の人物か、第六感で本能的に分かる。

 その伝で行くと、現在のソニーの首脳陣は落第である。根拠のない誹謗中傷と言われるかもしれないが、根拠は私の眼力、すなわち人を見る目である。

 それを信じるならば、ソニーは復活できないだろう。かつて、トリニトロンやウォークマンで一世を風靡した世界のブランド、ソニーはもう戻ってこないだろう。

 ソニーの首脳陣はソニーを再び復活させると豪語しているけれども、無理だ。なぜなら、彼らの人品骨柄や器から、分かる人には分かるからである。