数日前の毎日新聞電子版に表題の見出しで記事が載っていた。被災者とはむろんこのたびの東日本大震災の被災者である。
拒否の理由は、あまりに同じことばかりを聞かれるからだそうだ。こころのケアは、人が入れ替わり立ち替わりしたら、できるものではない。第一、ラポール(疎通性)が生じようがないではないか?
もちろん、これらの「こころのケア」の中には調査研究もたくさん混ざっていることだろう。「傾聴ボランティア」や研究者や本当にケアをしようと思っている人が、ぜんぶ一緒くたになって、被災者には見えるのだろう。
ラポールがついている同じ人が長期にわたってケアしなければ、こころのケアといっても仏作って魂入れずとなってしまう。
この中に研究者によるアンケート調査なぞが混ぜこぜになっているとしたら問題である。調査というものは、どんなにマイルドあっても、ある程度相手を侵害するものだ。
今後、アンケート調査の分析が行われ、学者が「被災者は云々」と述べだしたら、その学者をあまり信用しないほうがよい。彼にとっては、被災者よりも自分の研究のほうが重要だからである。
この記事を書いたのは女性記者だった。彼女はさっそく中井久夫氏のところへ出向いた。中井氏は阪神淡路大震災のときに「こころのケアセンター」の初代所長を務めた。
これは私の推測だが、中井氏は「こころのケア」という用語に違和感を抱いていたのではあるまいか?でも、それは人口に膾炙した用語だし、わざわざ名称にこだわる必要もないと考えて、「こころのケアセンター」の所長を引き受けたのではないか、と私は思っている。
学者によるアンケート調査が被災者にとってどんなに迷惑なものであるかは、中井氏がすでに『1995年1月神戸』(みすず書房)の中で述べたところである。
拒否の理由は、あまりに同じことばかりを聞かれるからだそうだ。こころのケアは、人が入れ替わり立ち替わりしたら、できるものではない。第一、ラポール(疎通性)が生じようがないではないか?
もちろん、これらの「こころのケア」の中には調査研究もたくさん混ざっていることだろう。「傾聴ボランティア」や研究者や本当にケアをしようと思っている人が、ぜんぶ一緒くたになって、被災者には見えるのだろう。
ラポールがついている同じ人が長期にわたってケアしなければ、こころのケアといっても仏作って魂入れずとなってしまう。
この中に研究者によるアンケート調査なぞが混ぜこぜになっているとしたら問題である。調査というものは、どんなにマイルドあっても、ある程度相手を侵害するものだ。
今後、アンケート調査の分析が行われ、学者が「被災者は云々」と述べだしたら、その学者をあまり信用しないほうがよい。彼にとっては、被災者よりも自分の研究のほうが重要だからである。
この記事を書いたのは女性記者だった。彼女はさっそく中井久夫氏のところへ出向いた。中井氏は阪神淡路大震災のときに「こころのケアセンター」の初代所長を務めた。
これは私の推測だが、中井氏は「こころのケア」という用語に違和感を抱いていたのではあるまいか?でも、それは人口に膾炙した用語だし、わざわざ名称にこだわる必要もないと考えて、「こころのケアセンター」の所長を引き受けたのではないか、と私は思っている。
学者によるアンケート調査が被災者にとってどんなに迷惑なものであるかは、中井氏がすでに『1995年1月神戸』(みすず書房)の中で述べたところである。