院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

新文明が旧文化を破壊する!

2015-07-31 06:01:42 | 文化
  (文芸春秋社刊。)

 サイ人(ブッシュマン)は貨幣経済に馴染めず困っているという。

 以前にイヌイットが栄養障害を起こしていると報告した が (2014-03-04)、現在は先進国から送られてきた炭水化物でイヌイットは激太りし、同じく先進国から入ってきたアルコールのためアルコール依存症が多発し問題になっているらしい。(上の本が出版された1989年には、イヌイットはそのような状態にはなってはいなかった。)

 イヌイットという狩猟民が、狩猟を放棄して炭水化物を食べ、アルコールを飲んだらこのような結果になってしまう。

 前回述べたハザ族に文明を入れることには、慎重の上にも慎重を重ねなければならないだろう。


※今日、気にとまった短歌

  画用紙のおひなさまはみな歪なり全員ピカソのひばり組の児 (東久留米市)小林久枝

まだ残っていた狩猟採集民族

2015-07-30 11:31:54 | 文化

(ハザ族の日常生活。)

 だいぶ前、サイ人(ブッシュマン)に定住化政策が押し付けられて、これで純粋な狩猟採集民は地球からいなくなったと報告しましたが (2013-11-30)、じつはまだ残っています。

 それは、アフリカのハザ族です。文明化の象徴として先進国から最初に入ってくるのは、金属鍋とナタとTシャツなのですが、彼らにはそれさえありません。

 このような民族の暮らしを、私たちは手本にしなくてはなりません。それにしても、残っていたよかったぁ。

(彼らは植物がなくなる乾期には草の根(広い意味での芋)を食べているそうです。)


※今日、気にとまった短歌

  手渡したボールを手にし礼を言う子の父もまたはにかみており (東京都)清水伸子

漫画「ワカコ酒」第5巻発売!

2015-07-30 03:59:26 | 漫画
 (徳間書店刊。)

 漫画「ワカコ酒」第5巻が出たので買った。第4巻までと同様とても面白かった。(2015-01-26)。

 味のあるこれまでにないスタイルの漫画で、特別なストーリーもなく、出てくる酒や料理も高級なものではないのだが、読んで引き込まれ、しみじみとした気持ちになる。なに気ないネームが詩的である。

 漫画好きの若い女性に薦めてみたが「どこが面白いのか全然分からない!?」という反応だった。

 今度は少し齢が行った女性スタッフに薦めてみたところ大受け!「感動した!今日、帰りに呑みに行くわ」と。この漫画に惹かれるにはある程度のトシであること、呑兵衛で食べるのが大好きであることが必要のようだ。


※今日、気にとまった短歌

  酢醤油がやや少しだけ余るので冷凍餃子もう三つ焼く (茨城県)小笠原啓太

「爆買い」は、いっときのこと!?

2015-07-29 15:35:10 | 経済

(ビックカメラなんば店で買い物する外国人。asahi.com より引用。)

 中国人がたくさん来日して日本製品を「爆買い」している。それを目当てに日本の業者が、さらに「爆買い」をしてくれるよう工夫を凝らしている。

 日本製品は質が良いし、そこに円安があって、中国人の「爆買い」を誘っているらしいが、ある経済学者によると円安は基本的には日本にとってよくないことだそうだ。

 円安によって原油などの輸入品が高くなると、やがて物価全体が高くなる。こうして中国人の「爆買い」もすぐに収まる。あとに残るのは物価高だけで、いま期待しているようには外国人旅行者は増えない。円安とは円の信用が低いということであって喜んではいけないと極めて説得力のある意見だった。

(ギリシャ人はユーロ離脱を恐れている。自国通貨ドラクマになれば暴落する。それにより一時的には外国人旅行者が増えるが、やがて物価高(インフレ)を招き今度は外国人旅行者を遠ざける。観光が生命線のギリシャの人はそれが分かっているだけ日本人より賢いと上の経済学者は言っていた。)


※今日、気にとまった短歌

  針の穴を通った糸はそれまでの糸よりやる気を感じさせるぜ (仙台市)工藤吉生

俳句は事物を提示するだけの文芸である!

2015-07-28 05:56:50 | 俳句

(蕪村の俳画「岩くらの狂女恋せよほととぎす」。ウィキペディア「蕪村」より引用。)

 私のもうひとりの俳句の師、H氏は現代俳句協会の人で、ホトトギス派とは全然違います。表題の言葉はその先生に教わったものです。

 H氏は、俳句には副詞も形容詞も要らない。場合によって動詞も要らないという立場をとっておられます。なるほど、もっともな点があって、芭蕉の次の名句は名詞だけで作られています。

    夏草や兵どもが夢のあと 芭蕉

 蕪村の有名な俳句・・。

    五月雨や大河を前に家二軒 蕪村

にも副詞形容詞のみならず動詞も使われていません。

 確かに名句と言われている俳句には名詞だけでできているものがあります。今後、俳句を見かけたら、ちょっと注意してみてくさだい。(反対に副詞が使われている俳句は安っぽく見えます。)


※今日、気にとまった短歌

  なつやすみさいたかずだけいろをぬるワクワクしたよあさがおにっき (学研庄小学校)間野竜五

いにしへのパソコン通信時代・「番号取りゲーム」

2015-07-27 05:19:50 | コンピュータ

(パソコン通信終了のお知らせ。マイナビニュースより引用。)

インターネットはまだなく、電話回線でパソコン通信をやっていた時代、「番号取りゲーム」というのが流行りました。(世界で初めてのネット句会 (2011-11-06) もパソ通から始まりました。)

 パソ通時代には、やりとりは掲示板だけで、そこに寄せられるメッセージには番号が自動的にふられました。そこでパソ通ファンは自分のメッセージが 1,000番 とか 10,000 番とかきりのよい数字がほしくなるらしいですね。

 何人もがそのゲームに参加して、9,500 番あたりになると猛烈に接続ダッシュが行われて、ほんのタッチの差で 10,000 番をつかみ取る人が出てきます。そういうゲームがありました。真夜中がねらい目でした。

 インターネットでもブログランキング1位を取るのが目的で、ブログの内容は問わないゲームが出てきていますね。パソ通のときもそうでしたが、このようなゲームのログは、あとから見る人には無内容で面白くもなんともありません。

 それでも、人間はどんなところでもゲームを考える逞しい存在ですね。(亡父がシベリヤ抑留中、材料を工夫して麻雀牌一式を作ってしまった日本人捕虜がいたそうです。)


※今日、気にとまった短歌

  自転車の荷台に手をのせよそ見して「乗れば?」とつぶやく君をみつめる (近江八幡市)中村由衣

  

  

タテマエこそ重要!

2015-07-26 05:09:11 | 文化

(韓美連合軍事演習。中国報道による(台湾の?)外軍聯合軍事演習嚴格按照實戰環境進行規劃より引用。)

 昨日、例に出した反戦川柳はホンネを言いすぎてしまったのだ。ホンネを言うと危険だから、外交や福祉は徹頭徹尾タテマエで行われる。ホンネを出すと殺し合いになる。

 ホトトギスの俳句は首尾一貫してタテマエである。汚いもの苦しいものは俳句に詠まない。これはきわめて正しい姿勢である。私の俳句の師、故浅野右橘先生は「人間界は醜いもの汚いもので満ちているのは分かっています。分かっているからこそ、俳句の世界ではそれらを詠まないのです」とおっしゃった。

 タテマエがいかに大切かについては、かつて述べた(道徳教育の教科化。2013-03-12。)。軍隊は国家のホンネの部分である。しかし、その実力を行使しないのがタテマエである。行使したらホンネになってしまう。このようなことからもタテマエの大切さが分かるのではないか?


※今日、気にとまった短歌

  子が親に似ていることを悲しげに噂されてるモリさん一家 (仙台市)工藤吉生




川柳は俳句より下ではない!

2015-07-25 04:26:43 | 俳句

緒方まゆみブログより引用。)

 俳句を趣味にしている人に川柳を下に見る人がいる。あからさまには言わないが、そう思っているフシがある。言うまでもないことだが、俳句と川柳は出自が違う別の文芸で、比較はできない。

    手足もぎただの丸太にしてかへし

 と戦時中に詠んだ川柳作家は拷問死させられた。俳人で命がけになった人がいるだろうか?

 俳句でも「かへし」のような止め方をすることがある。ただ、私は俳句なら「かへす」と止めたい。

 以前に拙句「酔ひさうな浮桟橋に鯊(はぜ)を釣る」は、やはり「釣り」ではなく「釣る」だろうと俳句仲間と討論したことがあった。(続・未だに迷う俳句の語尾。2013-12-11。)「釣り」によってかもしだされる滑稽味は、この句には必要がないのではないか?


※今日、気にとまった短歌

  北風が強いし朝から体育だしジャージの上から制服を着る (桑名市)いとうなつと


非関税障壁としての英会話音痴

2015-07-24 05:15:25 | 日本語

英会話教材、口コミランキングより引用。)

 小学校から英会話を教えることになった。街で外国人に道を問われ、英語でうまく答えられず残念な思いをした人も多いだろう。私もその一人である。

 しかし、英語を母語とする国の人間と難しい外交交渉や前例のない契約をするとき、いくら英語がペラペラでも英語で交渉するのはNGで、通訳を立てるのが鉄則である。ぜったいに有利な結果にはならないからだ。

 もちろん道を教える程度の英会話力では、外国人を配下にもって仕事をすることなぞできない。ならば、いっそ全然できないほうがよいかも。

 むしろ、日本人が英会話ができないことは、非関税障壁としてのメリットのほうが大きいかもしれない。外国人のサーバントにならずに済むからだ。

 英語以外が母語なのに国民全体が英会話ができる国は、国民がメイドなどとして裕福な外国に出稼ぎ出る。なまじ英語が話せるために外国人に便利に使われてしまうのだ。お金は助かるかも知れないが、母国の文化的発展には役立たないのではないか?

 小学生に中途半端な英会話をうかうかと教えると、ヤブヘビになりますぞ!(ちゃんとした日本語ができなければ、英会話もヘッタクレもありません!)


※今日、気にとまった短歌

  待ち切れずもぎて齧(かじ)れり焼け跡の瓦礫除きて作りしトマト (日立市)滑川皓一

嬰児殺しを非難する欺瞞

2015-07-23 07:02:09 | 社会

(フランシスコ法王と握手するコロンビアのサントス大統領。AFP・BBニュースより引用。)

 生まれたらすぐに赤ん坊を殺す嬰児殺人が話題になっている。押入れから嬰児の遺体が4体も出てきたという。マスコミはその母親を鬼のように言うが、彼女は鬼でも何でもない。人工妊娠中絶の知識とお金がなかったのだ。

 カトリックは人工妊娠中絶を禁止しているけれども、カトリックには前科がある。地動説を唱えたガリレオを弾圧したことは有名だし、ほかにも未開地支配権をスペインとポルトガルだけに与えたり、間違ったことをいっぱいしている。カトリックは、そんなに命の選別が駄目だというなら、むかしのように電気も水道もない暮らしをやってくれ!事実アメリカには電気も水道も自動車もない生活で、移動は馬車しかない暮らしをしている村があるのだ。むかしの日本のように「四つ足」は喰わないでくれ!もっと言えば、生き物である植物も喰わないでくれ!

 ちょっと7,80年前なら「間引き」は当たり前だった。いま「お利口さん」が嬰児殺しはいけないと(当たり前のことを)、鬼の首でもとったように言うから、あえて言ってみた。


※今日、気にとまった短歌

  火の言葉次から次へ吐く女(ひと)に憧れてをるお茶啜りつつ (愛知県豊川市)河合正秀

経済という「有機体」の振る舞い

2015-07-22 04:48:53 | 歴史

(ユーロマーク。手短かニュースより引用。)

 有機体の振る舞いは複雑で、いろんな切り口で語ることができる。むしろ、有機体を一言で説明している説があったら眉にツバを付けたほうがよい。

 ドイツが、盗っ人に追い銭のように、なぜギリシャの債務を大目に見たか?ドイツ国民には、自分たちの汗の結晶で(ギリシャのような)ナマケモノを救う必要はないという声が多いらしい。

 一方過去において、ドイツがギリシャを身ぐるみ搾取したという認識がギリシャにはあるらしい。

 ドイツ人は自分たちの汗の結晶と言っているが、ドイツは現在たまたま輸出で儲かっているに過ぎないという話もある。さらに、ドイツがマルクではなくユーロを使っているからこそ労せずに儲かっているという人もいる。その心は、ドイツがいまだにマルクを使用していたら、ものすごいマルク高になって儲けは相殺されるはずなのに、ユーロだから諸資本がピンポイントでドイツ経済に介入できない!というのだ。

 有機体というものは、ほんとにどんな角度からでも眺められるものですなぁ。


※今日、気にとまった短歌

  あこがれの人が社長と言う定時制高校生の投書読む朝 (静岡市)菅沼美代子

人文科学の冷遇反対!

2015-07-21 06:39:46 | 教育

(女性研究者が語る考古学最前線。山梨県立考古博物館協会のブログより引用。)

 学問は哲学から始まった。古代ギリシャでの数学は、もともと哲学の一部だった。

 現代において自然科学は物質文明に役立つ。人文科学は役立たないから、大学教育から排除せよ文科省は言う。

 冗談ではない!人文科学の歴史のない土壌でノーベル賞はぜったいに生まれない。人文科学は重要である。それが、女子学生の「花嫁道具」であってもだ。

 (まあ、直接の役に立たない学問の面倒を国が見られないということは、日本はヨーロッパに比べてまだまだ貧困なんだろうね。およそ役に立たない研究をしているのは、また白人だけになるんだろうか?)


※今日、気にとまった短歌

  爪のにおいハーモニカでも吹くようにかいでいました 窓際の席 (大阪市)蒼井杏

芭蕉の俳句が解らない!

2015-07-20 17:06:20 | 俳句

(芭蕉の肖像画。早稲田大学の古典籍総合データベースより引用。)

 私は「俳聖」松尾芭蕉の俳句のどこがよいのか分からない。あくまでも古典として知識で知っているだけである。

 そもそも芭蕉が「俳聖」と呼ばれるようになったのは明治時代で、当時の俳諧師たちが自らのアイデンティティーの拠りどころとして芭蕉を「俳聖」に祭り上げたらしい。(明治維新の学制改革で教師が足りなくなり、僧侶などの「教養人」が教師として取り立てられた。「教養人」の中には俳諧師も入っていた。俳諧師たちは、自分たちはただの教養人ではなく、俳諧師だと言いたかったのかもしれない。)

 正岡子規は、むしろ「蕉風」のアンチとして俳諧を俳句と言い換え、写生を強調した。ところが私には子規の俳句がつまらない。これは私だけの意見ではなく、「子規は駄句の山を築いた」と言った有力俳人と食事をしたことがある。子規の句にかんする「鶏頭論争」なんて裕福なヒマ人のお遊びである。(そのころ私のおじいさんは馬車馬のように働いていた。)

 「これはいい句だ!」と私が思うと、たいがい高濱虚子の俳句なのだ。私はホトトギス系の結社にも属しているが、ホトトギス本体には投句したことがない。それはホトトギスの「家元制」が嫌いだからだ。私と同じころからホトトギス本体に投句している人は皆、ホトトギス同人になった。(20~30年間投句を続けないとホトトギス同人にはなれない。ホトトギス同人に推挙されることはたいへんな名誉で、叙勲と同じように祝賀パーティーを開く人が多い。俳句をやるにも、なかなか金がかかるのである。)

 ホトトギスと袂を別った水原秋桜子の俳句も私には「すごい!」とは思えない。彼は有季を守ったが、彼に倣った新興俳句運動は季語を捨ててもっと過激になっていった。無季不定形なんて、私にとってはただのザレ言である。

 (茶道華道の家元制は集金システムだ、あんなの芸術じゃないと白洲正子は言った。)


※今日、気にとまった短歌

  さびしさを吾子には抱かせまいとして痛めた手首耐えて抱く日々 (埼玉県吉川市)猫丘ひこ乃

祭りの露店(テキ屋)の存在意義

2015-07-20 06:28:37 | 文化

(露店。ウィキペディア「的屋」より引用。)

 神社の例祭からテキ屋が締め出されるようになって話題になっている。締め出されるのは、そこに不良たちが集まって気勢を上げるからだという。テキ屋はたしかに怪しい。テキ屋保護派は、子どもは祭りの夜のテキ屋から詐欺やインチキや裏切りを学ぶのだという。

 私がテキ屋にコノヤローと思ったことは2回。小学校3年生のころ、ヤドカリを売るテキ屋が店を準備していた。「坊や坊や、バケツで水を汲んできてくれたらヤドカリをひとつやる」という。苦労して水場と何回も行き来をして、そのあと知らん顔でヤドカリをくれない。くれとも言えず、コノヤローと思いながら帰った。

 もう一回は、焼き鳥の串のようなものを4本、テキ屋の親父が指の間に挟んで、当たりの串が引ければ景品を貰えるというものだ。一種の手品だから当然当たらない。それだけならよいのだが、(タネを見破られるからだろう)その親父は一回終わると子どもたちの頭を叩いて、もうあっちへ行けと言う。かなり痛かった。なにも叩くことはないだろう、コノヤロー。

 小学校4,5年生になると、テキ屋の手口がかなり分かってきた。ピストルのおもちゃをくれるという触れ込みで、ガムの山からアタリのガムを見つけるガム売りがいた。テキ屋は、「ほうれこれだ」と当たりのガムを見つけて、ガムの山に戻すのだが、そこは手品だからもう当たらない。高いガムを買わされることになる。

 私が取ったガムは、他のガムとは違って半分腐ったように融けていた。「おじさん、このガム変だよ」と私。おじさんは、「そういうのがうまいんだよ」という。「じゃあ、おじさん食べなよ、あげるから」と私。おじさんは食べられず、ごまかすのに必死である。「こういうのがうまいんでしょ、だったら食べなよ」と追い打ちをかける私。

(私よりももっと悪ガキがいて、金魚すくいのおじさんがちょっと横を向くと、金魚を手づかみで大量に盗ってしまった。50匹くらい。)


※今日、気にとまった短歌

  あこがれた制服を今着ているの私はあこがれられているかな (都立鷺宮高校)池田なつき

芸能(芸術)が完成したあと

2015-07-19 09:47:47 | 芸能

(九州交響楽団。ファミ通.com より引用。)

 西洋クラシック音楽は、もうベートーベン、モーツァルトあたりで完成しており、それ以上やりようがない。あとは、映画音楽すなわち「エデンの東」などの伴奏音楽に発展したけれども、N饗はそれらを演奏しない。

 西洋音楽や黒人音楽がない交ぜとなって、1940年代からモダンジャズが出てきた。それらは従来の音楽とは似ても似つかぬもので、1960年代のマイルスデビス、ハービーハンコック、コルトレーンあたりで完成して、1970年代のジャズは現在もう残っていない。BGMで流されるのも1960年代のものだけである。

 一度完成してしまったら、それ以上、変わらず残るのが芸能の世界の常である。もう、何百年も前から「能」は変わっていない。というより変えてはいけない。面打ちは古い面をそっくりに写すのが役目である。囃子、舞、謡ともにいっさい変えてはいけない。

 このように、優れた芸能は完成したものだけを引き継ぐことになる。

 だから、世界中のオーケストラはベートーベン、モーツァルトなどを演奏する頻度が他を圧して多いのではないか?能もいまだに世阿弥の曲が演じられるのではないか?

 新作歌舞伎が見たくないのと同様、発掘された能の曲も見たくない。消えていったのには、それなりのワケがあるはずだから。

 俳句も芭蕉あたりに始まって、高濱虚子で完成した。戦後の新興俳句運動は別の新しい文芸を創造するのに失敗したとは言えまいか?。現在、無季不定形俳句を詠む人はわずかである。


※今日、気にとまった短歌

  三センチ詰めねばならぬズボン丈再び夫を立たせて測る (宇都宮市)佐藤順子