院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

音楽は性欲のはけぐち

2008-08-31 10:22:24 | Weblog
 私は高校生のころ、一日6時間くらい音楽(モダンジャズ)を聴いていた。まだCDはなかったから、レコードである。

 だが、最近はCDもレコードも聴かない。音楽に対する渇望が薄れてきたのである。

 若者は今でも音楽を聴いている。シングルCDがオリコンチャートの上位にある。若者にとって音楽は必須の要素なのだと思う。

 若者が音楽にハマるのは、それが性欲を満たすからだと私は思っている。歌詞がではない。旋律が性欲のはけぐちになるのだ。

 性欲を無視して音楽は語れない。性欲が衰えてきた私は、音楽を聴かなくなったのだろうと思う。

 ただし、性欲の衰えた私でもナマ演奏は好きである。ナマにはCDにはないスリルがあるからである。

 音楽と性欲の関係に関する論考を見たことがないから、私がここで指摘しておく。

雨が好き

2008-08-30 14:23:49 | Weblog
 一昨日、愛知県は豪雨にみまわれた。そして、きょうも大雨である。

 豊橋、岡崎では水害があった。被害に遭われた方には申し訳ないけども、私は驟雨が好きだ。

 妻は、夜中ぢゅう大雨と雷の音で眠れなかったというが、私は返ってぐっすり眠れた。

 大雨の音を聞きながら、家の中でぬくぬくとしていられるのは、私にとってとても幸福である。雨の日に雨のかからない場所で、のんびりできるなんて、最高ではないか?

 雨がやむと、かえってしらけてしまう。

降圧剤を飲むことに意味はあるのか?

2008-08-29 08:42:25 | Weblog
 血圧が高いと降圧剤を飲まされる。

 だが、降圧剤の効果に疑問符が付されている。それは、降圧剤を飲んで血圧を下げれば血管性の病気になりにくいのかという疑問である。

 どこかの国で、降圧剤を飲んでいる群とそうでない群を比較して、何十年にわたって調査したという。

 結論は、降圧剤を飲んでいる群とそうでない群とで、死亡率に差がなかったそうである。じゃあ何のために薬を飲むのか?わけが分からない。

 こういう事例が「がん検診の大罪」(新潮選書)に沢山載っている。医学はまだ「おまじない」の域を出ていないという、これは好例である。

「自我」がなければ何もない

2008-08-28 08:27:49 | Weblog
 「何にもない」ということは文字通り「何にもない」ということである。

 世の中で「ある」ことは「自我」だけである。これは疑いようもなく「ある」ことである。その「自我」が宇宙を創造した。「自我」がなければ、宇宙があるとかないとか言うことはできないだろう。

 どうして「自我」があるのか、これは永遠の謎である。あるものは仕方がないとしか言いようがない。

 世の中のあらゆるものが、本当に存在するのかとつきつめて行った時、どうしても疑えないのが「私は存在する」ということである。

 だから「私」がなくなってしまえば、何にもなくなる。宇宙もエネルギーも物質もすべて「無」になるのである。要するに存在するのは「自我」だけで、それが無くなれば、もう何にもないのである。

「無」が自然

2008-08-27 09:47:04 | Weblog
 人間の生は「無」から「無」への一瞬の奇跡だと、「こころの科学」141号に書いた。

 元来、「無」が普通なのである。人間が生まれて「自我」をもって活動するほうが、よっぽど不自然なのである。

 元来は「無」、すなわち何にもない状態なのである。そこに「自我」なるものが、ほとんど奇跡的に現れた。そして「自我」があれこれの闘争や和解をやっている。

 馬鹿馬鹿しいことおびただしい。もともと宇宙は「無」なのである。というよりも、宇宙というものが、「自我」なしにには存在し得ないのである。

 「自我」が異常な奇跡的な事態で、世の中には宇宙はもちろん、何にもないというのが普通なのである。

帯広は変わった

2008-08-26 08:37:13 | Weblog
 この夏季休暇に北海道へ行ってきた。北海道はもう何度も行ったが、いつも「秘境」としての驚きがあった。それが、今回はなかった。

 20年前の冬、帯広へ行った。千歳空港から帯広までの列車は雪景色の中を走った。景色はどこまでも白一色。これが北海道の冬の姿なのかと感動した。

 途中、不自然な人工建築がトマムというところにあった。これもご愛嬌だった。結局、トマムのリゾート開発は失敗に終わった。バブル絶頂期のことだった。

 今回、襟裳岬に回った。しかし、強風と寒さでレンタカーを降りたのは数分だった。これが襟裳の夏なのかと、妙に納得した。

 帯広へ行った。帯広は20年前とは比較にならないほど開発されていた。前はさびれた町だった。ホテルも駅ホテルだけだったように記憶する。宿泊費は破格に安かった。その夜、私は帯広の町でうどん屋を探した。でも、一軒もなかった。

 帯広ではうどんを食べる習慣がないのかと思った。しかたなく、見つけた食い物やで晩飯を済ませた。

 私はさびれた町が好きだ。帯広はもうさびれた町ではない。

 次にさびれた町を探そうとして、今、探しあぐねているところである。

やっと静かになった

2008-08-25 08:38:50 | Weblog
 オリンピックがようやく終わった。やっと静かになった。

 高校野球の喧騒が、オリンピックにかき消されたのは幸いだった。毎年、高校野球報道のうるささには辟易としている。

 それが今回のオリンピックで、さほどでもなかった。でも、オリンピックの報道もうるさかった。

 これで、やっと静かな秋を迎えられる。

 わが国のスポーツ報道は過剰に思える。でも、これがないと国民の不満が
鬱積して暴動にでもなるのだろうか?

 暴動が起こるよりは、スポーツ報道で国民のガス抜きができれば、それに越したことはない。 

星野ジャパン負ける

2008-08-24 10:21:21 | Weblog
 私はプロ野球には興味がない。でも、オリンピックの野球は見た。

 韓国に負けたって?メダルが取れなかったって?

 これ、どういうことよ。日本のプロ野球は大リーグに続いて強いのではなかったのですか?

 高校野球から、ドラフトとかいう制度で選抜されて、強い選手がいっぱいいるのではないですか?

 しかも、プロ野球の中から選抜されて出かけた星野ジャパンでしょう。どうして負けるの?

 韓国にもプロ野球があるの?アメリカも大リーグ選手が出たのはわずかでしょう。なのに、どうして負けるの?

 今回の件で、私は球場で贔屓のチームを熱狂的に応援する人々を、哀れに思った。

レジ袋有料化の欺瞞

2008-08-19 08:24:54 | Weblog
 レジ袋を有料化する地域が増えている。私にはなぜレジ袋を目の敵にするのかが分からない。

 レジ袋は廃油から作る。廃油は廃棄処分されて燃やされる運命にある。それをもう1度レジ袋に再生して利用しているのである。さらにレジ袋は家庭でゴミ袋として利用される。このように何度も利用された後に燃やされるのだから、これほどエコなことはない。

 レジ袋1枚につき5円取る。このお金はどこへ行くのだろうか?

 消費税のように国が決めたことではないから、使い道は自由である。少しはエコ活動に寄付されるかもしれない。だが、私がスーパーの経営者だったら、ほとんどを会社の収入にしてしまう。

 5円だって、チリも積もれば山である。しかも、そのお金は使途を明示する義務はない。儲かるから、業界はレジ袋有料化に反対しないのだと思う。

箱根旅行の思い出

2008-08-18 08:37:48 | Weblog
 生まれて初めて箱根に行ったのは、わたしが小学校3年生のときだった。母に連れられて行った。小学校6年生で病死した妹も一緒だった。

 箱根は旅館が高くて泊まれないので、母が関係していた上場企業の慰安寮に泊まった。当時は、多くの会社が観光地に山の家、海の家を持っており、職員の福利厚生に使っていた。

 場所は強羅だった。硫黄の匂いがした。登山電車で登っていくと、だんだん寒くなってきた。真夏に寒いところへ行くというのが、エアコンのなかった時代、最高の贅沢だった。

 都会育ちの私は、初めて山の「緑の絨毯」を見て感動した。

 夕食は豪華ではないがしゃれた料理。いつも食べている赤いウインナーソーセージにも包丁が入っていて、それだけで感動した。

 母の知り合いの上司も家族で来ていた。息子さんが中学1年くらい。ということは、その父親もたいした歳ではなく、中間管理職か。

 夜になって強羅は急に冷え込んできた。霧が出てきた。そのため、ガラス窓の外はすっかりミルクで覆われたようになって、何も見えなくなった。

 たった1泊の体験だが、私には強烈な印象として残っている。

 小学生には1泊でよいから、旅行経験が必要である。中学生ともなれば、海外旅行が一生の思い出になる。高校生以後ではもう遅い。自分で行けるからだ。

世界3大数学者

2008-08-17 08:10:09 | Weblog
 歴史的に、世界3大数学者を挙げろといわれれば、アルキメデス、ニュートン、ガウスだろう。

 アルキメデスは2000年以上前に、円周率の近似値を計算していた。

 ニュートンは微積分、万有引力の法則を見つけていた。

 ガウスは、天文学、曲線論、複素関数論、楕円関数論に大きな業績を残し、ガウス分布(正規分布)の発見者であり、現代の数学、物理学、生物学への貢献は計り知れない。

 私は、アルキメデスは古代人として別格として、ニュートンを3大数学者に入れるのはどうかと思う。当時はなぜ磁力が存在するのか、引力が存在するのかが考えられていた時代である。

 そこで、ニュートンは存在するものの原因を問うても仕方がないから、その法則性に着目して、ニュートン力学を確立した。でも、いまだに磁力や重力がなぜ存在するのかは分かっていないのである。

 ニュートンは微積分学を打ち立てたと言うが、おなじころライプニッツも同様な考察をしている。だから、私にとっては、ニュートンは3大数学者に入れにくい人物である。

 ニュートンの代わりに、3大数学者の一人を挙げれば、それはフォン・ノイマンである。ノイマンは、少なくとも現代の物理学とコンピュータ技術に多大な影響を与えた。歴史的にノイマンはあと100年もつかどうか分からないけれども、ノイマンなくして、いまの量子論、コンピュータ論はなかった。

 ノンマンは量子力学の法則に厳密な数学的基礎を与えた人物である。そのおかげで量子論は市民権を得ることができた。

 いっぽう、コンピュータ技術の方面では、ノイマンはプログラム内蔵型コンピュータの可能性を、コンピュータが発明される以前から出していた。

 そして、現在のコンピュータはすべて、プログラム内蔵型である。この方式を、ノイマン型コンピュータというのだが、そんなことが言われなくなるほどに、ノイマン型がすべてのコンピュータの基本になってしまった。

(補足)日本の金メダル数が7個になってしまいました。私の予想ははずれました。白旗を揚げなくてはなりません。でも嬉しい白旗です。

日本の金メダル数予想

2008-08-16 08:25:04 | Weblog
 先日、北京オリンピックでの金メダルは、せいぜい4個だろうと予想した。

 そうしたら、北島康介選手が水泳で2冠、男子柔道、女子柔道でそれぞれ金メダル一個。すでに金メダル4個に達してしまった。

 これ以後、私の予想が外れないためには、陸上で0個。女史レスリングで0個でなくてはならない。

 予想を立てた以上意地でも、私は陸上でも、女子レスリングでも金メダルを取れないだろうと予想しておく。むろん卓球でもである。

地球温暖化論への疑義

2008-08-15 08:25:52 | Weblog
 先日、紹介した「地球温暖化論のウソとワナ」(KKベストセラーズ)では、CO2 を温室効果ガスであると認めている。

 本書では、他にもメタンや酸化窒素を温室効果ガスであると認めている。そして、メタンにいたってはCO2 の300倍近くの温室効果があると指摘している。

 ただし、認めているのは「温室効果」についてだけであって、それらのガスが地球温暖化の原因であるとは認めていない。それどころか、地球温暖化が本当に起こっているのかさえ認めていない。

 本書は、気温測定の杜撰さについて警鐘を鳴らしている。各国各地の気温測定の方法があまりにいい加減であることに苦言を呈している。だいたい著者は馴染み深い百葉箱を信用していない。

 国によっては、百葉箱を熱しやすい建物の近くに設置しているところがまだあるという。それどころか、世界各地から報告される気温が、その国の観測者の体感温度で決められる国もあるそうだ。

 だから、本当に地球温暖化が起こっているのか、正確には分からない。世界的な氷河の後退は800年前から起こっている現象で、人為的な地球温暖化では説明できないという。

 北極海の氷の減少も同断で、北極海では定期的に氷が減少することがそうだ。バイキングが12世紀にグリーンランドを発見できたのは、ちょうどそのころが、北極圏の氷が少なかったからだそうで、今のように氷の堤防ができていては、バイキングはグリーンランドまでは到達できなかったと本書は言う。

 だから、地球温暖化は幻想に過ぎない。その幻想の「犯人」としてCO2 を槍玉に挙げても意味がないと本書は主張する。

 要するに地球温暖化論は、政治的な意味合いが強い。今となっては、世界でわが国ほどマスコミが地球温暖化、CO2 削減と言いつのっている国はないそうである。

シベリヤ抑留その2

2008-08-14 11:07:37 | Weblog
 シベリヤ抑留での一番の苦痛は飢えであると亡父は言っていた。

 他人の人糞を洗って、糞に残っている未消化の穀物を食べていた者もいるという。さすがに父はそこまではできなかったという。

 父は自分の金歯を抜いて、現地人にパンに交換してもらったことがあるそうだ。2斤くらいのパンをもらったが、いっきに食べてしまったとか。

 次に怖かったのは、ささいなことでの処刑であったという。夜中に看守が回ってくる足音に恐怖を感じたと父は言っていた。いつ、引っ張り出されて、理由も分からないまま処刑される者が多かったという。

 アメリカの原爆という暴挙は忘れられないが、ソ連によるシベリヤ抑留という暴挙は忘れられそうである。

 シベリヤ抑留の生き証人は、まだいるが高齢である。それを引き継ぐわれらの世代も、じきにいなくなるだろう。

 ソ連の暴挙の跡は、北方領土占領という現実としてまだ残っている。