院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

江の島の思い出

2013-10-31 06:04:28 | レジャー
 私が幼いころ、大きなレジャーの一つに江の島観光があった。当時住んでいた東京都心からバスで2時間ほどの、大人も子供も楽しめる観光スポットだった。


(Wikipediaより「江の島」。中央に建っているのが展望台の鉄塔。)

 町内で貸し切りバスを1台仕立てて、日帰りで行った。当時から江の島には展望台のタワーが建っていたが、上の写真ほど立派ではなく、むき出しの鉄塔だった。(江の島のタワーのほうが東京タワーより前からあったのだ。)タワーにはエレベーターがないから階段で登った。手すりがあるだけで、風防がないので、登るのはスリル満点だった。木の板一枚の床には節穴があって、節穴から下界が見えた。

 江の島へは橋がかかっていて有料だった。橋を渡るのにお金を取るのかと、幼い私は世間の世知辛さを初めて知った。(のちに陸地と島の間に砂州ができて、橋を使わなくても江の島に行けるようになった。私は有料の橋に対して「ざま見ろ」と思った。)

 橋の手前にも島にもテント造りの土産物屋がたくさんあって、サンゴのようなものを売っていた。すべての店が同じ品物を売っているので、不思議に思った。

 江ノ電は今ほど有名ではなく、バスで行ったせいもあって、江ノ電に乗ることはなかった。

 貸し切りバスにはバスガイドがいて、道程の各所に伝わる「伝説」(孝行息子がここで金を掘り当てた類の話だ)をしきりに話した。その「伝説」が本物なのかどうか、今となっては分からない。

 東京タワーが着工されたころ、デパートではエスカレーターを導入し始めた。なんと江の島にもエスカレーターができた。長大なエスカレーターで、振り向いて今来た下の方向を見ると怖かった。

 クーラーや冷蔵庫はデパートにさえなかった。風呂は薪で炊いた。都市ガスはあったが、風呂はガス代がかかるからか、薪だった。庶民はクーラー冷蔵庫よりも、エスカレーターのほうを先に体験していたのだ。

 やがて東京タワーが完成し、日本は高度経済成長時代へと突入していった。


毎日JPより。1958年、建設中の東京タワー。周囲にビルがない!)

もうちょいな雑誌「サライ」(小学館)

2013-10-30 05:09:57 | 読書
 「ハイカルチャー」というのは、元来ヨーロッパのエリート男性が担ってきた文化らしい。他の文化を一段低く見なした一定の支配階層の文化をいう。

 わが国でハイカルチャーというと、源氏物語などの古典文学、仏教美術、和歌、能、歌舞伎、茶道などを指すようだ。海外から移入された文化としてはクラシック音楽、バレエ、オペラなどがある。

 それに対して戯作、俳諧、狂歌、浮世絵、落語は大衆文化と呼ばれる。歌舞伎がハイカルチャーに入るのはどうしてか?歌舞伎役者の大首絵は江戸庶民に大いに受けた。私が幼いころ、近所の仕立て屋のおじさんが歌舞伎の声色(こわいろ)をやっていた。

 私が好きなモダンジャズはどちらだろうか?もともと黒人の音楽だから、被支配層のものである。だが、一定の耳がないとモダンジャズの父・チャーリーパーカーの音楽を理解できないから、日本ではハイカルチャーに入るのかもしれない。

 俳句は俳諧から出てきたから大衆文化だろう。私が所属する俳句結社も、平凡なおじいさんおばあさんで構成されている。俳句から見ると、和歌はややしきいが高い。

 ここに「サライ」というシニア向けの雑誌がある。クリニックで待合室に置くためにとっている。


(「サライ」ホームページより。)

 この雑誌は月ごとにテーマがあり、これまで「大人の自然観察」、「温泉の極意」、「日本ワインの教科書」、「和の極意」など、もう一息でハイカルチャーになりそうな対象を取り扱う。上の号の特集は「奈良の仏教美術」である。

 「古典落語の昔の名人」や「桜の名所探訪」や「ジャスの名盤」などが特集されたこともある。宣伝のコーナーには、高級腕時計や高級革財布などが出ている。

 ハイカルチャーに届こうとして、どうしても届かない、また大衆文化を極めようとして、今一つ掘り下げが足りないという、「サライ」はトホホな雑誌である。スノッブな雑誌と呼んでは気の毒なので、もうちょいな雑誌というくらいにしておこうか。

 私たち「サライ」の読者層に持てるのはせいぜい高級腕時計か高級革財布までで、別荘までは無理だろう。さすがに別荘の特集は行われたことがない。

参考:歌舞伎考
   :ヰタ能アリス

観光立国日本?

2013-10-29 02:28:37 | レジャー
 国土交通省が世界に向けて、日本を観光地として選んでくれるように活動している。これをビジット・ジャパン・キャンペーンという。

 フランスに来る外国人観光客は年間8,000万人。日本は800万人くらいだそうだ。外国人観光客が日本にお金を落としてくれると、産業構造が第3次産業化してしまった日本は助かる。

 だが、日本国民の私としては、言語も歴史も知らないで押し寄せるパリの観光客のような連中には来てほしくない。

 現在、日本に来ている外国人観光客は、日本通の外国人に言わせるとオタクなのだそうだ。外国人にとって日本にはまだまだ「秘境」というイメージがあるらしい。日本がパリのような定番になったら、オタクたちはもう来てくれないだろう。

 私自身は、国内ではもう京都奈良はけっこうだ。北海道沖縄も卒業した。つぎに行きたいのは観光地でも何でもない土地である。

 妻との西国三十三か所巡りを10年ほど前に満願した。途中、観光地ではないのに魅力的な町に行きついた。1例を挙げると兵庫県の三田市(さんだし)などがそれである。私たちが行ったのは、まだ福知山線の大事故が起きる前だった。


(Wikipedia「三田市」より。)

 三田市は観光地でも何でもない。だからリゾートホテルがない。ビジネスホテルに泊まったのだが、どこも一杯でやっと一部屋だけ見つけた。町の住人が普段行く食堂で食事をした。観光客相手の食堂がまったくないのが心地よかった。

 国土交通省の企画が成功しても、外国人が行くのはせいぜい京都奈良、東京大阪だろう。まさか三田市にまでは来ないだろう。

 北海道のニセコや九州の湯布院くらいまでなら、ヘヴィーな外国人旅行者なら来るだろう。でも、まさか三田市のようなところまでは来ないだろうし、来てもらっても困るのだ。通りすがりの外国人は、有名な場所だけを通り過ぎて行ってほしい。

参考:箱根旅行の思い出

テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」は面白い

2013-10-28 06:02:16 | 芸能
 テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」が未だに面白い。こんなものが1千万円もするのかぁ、といつでも驚かされる。


(開運!なんでも鑑定団のホームページより)

 番組が始まったのが、1994年というから、私はもう20年近くこの番組を見ていることになる。アシスタントの吉田真由子さんは、初めのころアイドル風だったが、いまや立派なおばさんだ。相変わらずただ笑うだけで、ほとんど言葉を発しない。あのころはメインの「お宝」だけがスタジオで開陳された。両開きのドアから麗々しく「お宝」が登場する。そのドアを開けるのだけが仕事の女の子がいて、こんなところにも凄い美形をそろえているのだなと感心した。(今はそうでもない。)

 かつてこの番組が、イギリスの同種の番組のパクリだと批判されたことを知る人は少ないだろう。元のイギリスの番組は、視聴者が物置きから出てきた古い顕微鏡などを鑑定士に鑑定してもらう番組で、ショウスタイルではなかった。鑑定価格も5千円ほどで、さほど引き込まれる番組ではなかった。

 初代の司会者、島田紳助さんは1980年代の漫才ブームでビートたけしさんとともに頭角を表わした芸人である。私は浜松の赴任先で漫才ブームに遭遇した。まだ長男が生まれたばかりのころだった。

 紳助さんは反応(つっこみ)が他の芸人より、0コンマ2秒くらい早い。そこが一流とそうでない芸人との違いである。今、芸人ブームだが、生き残る人はいないだろう。紳助さんのような速さの芸人が見当たらないからだ。彼らの世界は100メートル走のようなもので、0.2秒も違ったら話にならない。この話はまた別の機会に。

 私は絵画は昔から鑑賞しているから、油絵や日本画についてはある程度分かる。これまで20年近く見てきて、未だに価値が全然分からないのが焼き物である。とくに抹茶茶碗がよいのか悪いのか分からない。中島誠之助さんの言うがままに聞くしかない。

 おもちゃの値段の高さには驚く。本当にアメリカのオークションでは、そんなに高値がついているのだろうか?ブリキのロボットが50万円も100万円もするのだろうか?北原照久さんは古いおもちゃの値付けで食べている人だから、値段を釣りあげているのではないか?

 古文書の鑑定をしている増田先生がどんな書でも読んでしまうのが面白い。これまで学者は鑑定だけして値付けをしないのがこの常だったが、この人は気取らずにどんどん値付けをしてしまう。

 西洋アンティークも面白い。鑑定士が「この工房は1895年から1年間しか活動しなかったから、そのころの作品はなかなか出てこない」なぞと衒学的に説明するのだが、よく調べたものだと思う。

 まだ「鑑定団」をまだ見たことのない人には、一見をお薦めする。

参考:骨董品の値段
   :昭和初期の食器

医師当直室の居住性は最高でなくてはならない

2013-10-27 06:00:42 | 医療
 病院を建設するとき、患者スペースを最優先にして設計する。スタッフの居場所は二の次になる。それはよいのだが、当直室だけは豪華でなければいけない。

 私が一番最初に努めた病院は、今でも尊敬している院長(故人)が、院内で医者の居場所はもっとも貧弱でなくけれらばならないという考えだった。よって、医局も医師当直室もみすぼらしく、エアコンはもちろん冷蔵庫さえなかった。院長は病院内で医者ばかりがふんぞりかえっていてはいけないという考えだった。その病院で、私は月に12回も当直をすることがあった。綿のように疲れた。当時はひどい医師不足だったのだ。

 代が次の院長(これも故人)に代わったら、即座に医局と当直室をまともな部屋に取り替えた。当直の疲れが格段に減少したことを覚えている。

 現在でも当直室に心を砕く病院は少ない。私が最後までいた病院の当直室は、木賃宿みたいだった。そこで横になろうとは思わない、物置きのような部屋だった。そのため、ただでさえきつい当直業務がいっそうつらくなった。

 当直室は、医者が自宅よりもこちらのほうが居住性がよく、当直が楽しみだと感じるほどの造りでなくてはならない。バストイレ・テレビ付で一流ホテル並みにするべきだ。冷蔵庫には缶ジュースや缶コーヒーで常に満たされていなくてはならない。最初の院長は、この点だけは失敗したと思う。

 そして、現在新築中の病院でさえ、患者福祉にせいいっぱいで、医師当直室の設計にはぜんぜん心が配られていない。つい先日まで勤めていた病院の当直室は、倉庫を流用したような狭い部屋で、バストイレ冷蔵庫はもちろん、なんと窓がなかった。当直はろくろく寝られないから、寝床はいい加減でよいという発想は間違いだ。

 医者を大事にしないから医者が疲弊し、回り回って患者の福祉がおろそかになる。患者の居住スペースだけを広く立派にして、医者のスペースを削ることは、本当は正しくないのである。


(現状の当直室のイメージ)


(当直室はこうありたい)

参考:夜は眠るものである

レストランの数に見る官民の意識の差

2013-10-26 05:45:31 | 医療

(藤田保健衛生大学病院全景)

 一昨日紹介した私が元勤めていた病院は、約1,000床ある。病床数では日本で10本の指に入る。それが20年前に建て替えをしたことはすでに述べた。

 建て替え時に何科の病棟をどこに配置するかなど、いろんな議論があった。そのときに私が「これについては議論しないのだろうか?」と思ったことがある。それは院内食堂の数である。1,000床もあるなら、外来患者数だけでで1日2,000名は超える。家族や見舞客、業者を入れると万という数になる。田圃の中に作られる病院だが、建ったらそこは一つの街になるだろう。

 当然たくさんの院内レストランが必要になるだろうと思っていた。でも、医療と関係がない話だから、医者はレストランについては意見を述べる機会がなかった。

 その結果どうなったか?1,000床の病院にレストランがなんと1軒だけしか作られなかった。たった1軒では競争が起こらない。しかも、そのレストランは給食会社が経営する店だった。その結果、そのレストランの味はいつまでも不味く。客があまり寄り付かなくなった。病院の利用者は、別のところで食事をせざるをえなくなった。

 経営母体は市である。役人に経営のセンスはない。医者はと言うと、大学卒業直後から定年までいる医者は皆無である。医者はみな、一定期間在籍したら去る。要するにゆきずりの旅人みたいなものだ。建築予定の病院のレストランの数なんか眼中にない。

 それにひきかえ、私立の病院は抜け目がない。上に示した写真は同じ愛知県にある藤田保健衛生大学病院である。病床は約1,500床を擁する。病床数は私が元いた病院の1.5倍だが、院内レストランはなんと5軒以上ある。しかも、それぞれのレストランは名古屋市内の名店のサテライトである。その後のこの大学病院の繁栄は知る人は知っている。

 官はいつまでたっても民に追い着かない。いや、官にはそもそも追い着く気がないのだ。

参考:公立病院はなぜ赤字なのだろうか?

病院は全室個室化の流れ

2013-10-25 06:00:22 | 医療
 昨日、20年前は50床のうち個室は5部屋しか作れなかったと述べた。本当は全室個室が理想だったのだ。

 精神科病棟に限れば、医者や看護師は医療と同じくらいエネルギーを使う事柄がある。それは、患者同士のけんかや派閥の形成である。また、恋愛沙汰にもエネルギーが削がれる。

 全室個室になれば、これらの問題のおおかたは雲散霧消する。医療者は医療にだけ力を入れればよくなる。

 それ以上に、元気な時にはホテルの個室に泊まっている人たちが、いったん病気になると、なぜ相部屋でがまんしなけらばならないのか?という疑問が常にあった。

 そんなところに、相部屋でカーテンは邪魔だという投書が載ったので驚いたのだ。

 もう病院の全室個室化の流れは止まらない。診療報酬が一般病床より少ない精神科病院でさえ全室個室の病院が出てきている。精神科病院にできて、一般病院にできないことはあるまい。

 これから新しく作られる病院は、すべて全室個室になるだろう。

(私が元いた病院は、個室は差額ベッド代が1日5千円だがなかなか空かず、順番待ちが現状である。)


(このクラスの個室だと、差額ベッド代は1日1万5千円。)

参考:入院患者に部屋の掃除をさせる病院はない


病院の相部屋のカーテン

2013-10-24 06:01:37 | 医療


 上の病院の精神科病棟をデザインした20年前、50床のうち5床しか個室が取れなかった。本当は全室個室にしたかったのだが、床面積の制限があって残りの45床は相部屋となった。

 やむなく、相部屋にはベッドごとにカーテンを付けた。プライバシーを守ろうとするせめてもの努力だった。

 じつはカーテンを付けることには反対意見があった。ベッドが個室化してしまうと、入院患者の自殺未遂の発見が遅れるというのだ。(精神科病棟にカーテンを付けるのは、この病院始まって以来のことだった。)

 私は「入院患者の管理に、他の入院患者の目をアテにしてはならない」との理屈で押し切ったが、自殺未遂を見逃すリスクが増えたのは確かだった。

 数日前、中日新聞愛知県版の投書欄に「相部屋のカーテンは、入院患者同士のコミュニケーションを妨げる」という意見が載った。せっかく相部屋になったのに、隣の人との挨拶さえやりにくい、というのだ。(投書者は年配者ではなく40歳代だった。)

 みなさまは、どう思われるだろうか?医療側から言えば、入院患者にはおむつ交換が必要な人もいて、カーテンはとても便利だったのだが・・。

参考:病院食

大学入試の面接重視に反対する

2013-10-23 05:50:33 | 教育

47ニュースより。センター試験会場。)

 報道によれば、大学入試改革を議論している政府の教育再生実行会議は、大学に対して論文や面接を重視するように求めるという。

 それは困る。大学は人当たりの良い爽やかな若者ばかりを育てる場ではない。少々変わっていても、ある道に精通する人物も育てなくてはならない。

 これまで専門バカとか学者バカと言われて虐げられてきた人種が、面接で振り落とされては立つ瀬がないではないか。

 どんなブスでも対人恐怖症者でも、勉強ならできるという者の生きる道を残しておかなければならぬ。大学とはそういうところなのだ。

参考:学会費の納入法

AKB48は、いつまでもつか?(第2弾)

2013-10-22 01:48:31 | 芸能
 私は2011年10月10日の「AKB48は、いつまでもつか?」という記事で、2011年の紅白まではもたないと予想した。それは見事に外れたばかりか、AKB48は2012年(昨年)の紅白にまで出演した。

 AKB48がもたないと予想した根拠は、じゃんけん大会とか総選挙といったバカバカしい催しはすぐに飽きられると踏んだからだ。

 今年も予想しよう。「AKB48は今年(2013年)の紅白まではもたない」。

 マエアツや板野や篠原などの一見して識別できるメンバーが抜けてしまった。今、私が識別できるのは、センターの指原と渡辺麻友だけだ。

 今回、私が「もうもたない」と予想するのは、目立つメンバーが抜けてしまったからという理由からだけではない。

 AKB48を初めとする一連のグループアイドルは、きのう説明した「一回に認識できるのは7名前後まで」(このまとまりを「チャンク」と呼ぶ)という原則に抵触しているからだ。48名という人数は、とっくに7名前後という「チャンク」を超えている。

 秋元康さんは、グループを4つに分けた。でも、各グループは20名ほどいて、これでもまだ一つの「チャンク」の限界をずっと超えている。

 1グループは7名前後に抑えるべきなのだ。AKB48そのように分割すると7グループができる。このグループの個数もまだ(グループ数として)「チャンク」内に収まる。こうすれば観客は、AKB48の全体を認識することができるようになる。

 昨年、紅白に出た「ももいろクローバーZ」はAKB48よりも生き残りやすいだろう。彼女らは5名構成で、最初から「チャンク」内に収まっているからだ。今回は、個々のアイドルグループの魅力は考慮せず、単に人間の認知能力の限界という面だけから考察してみた。


ももいろクローバーZのオフィシャルサイトより。)


漫画「サイボーグ009」のアラ捜し

2013-10-21 07:12:14 | 漫画

(復刻ドットコムより。)

 高校時代に読んだ石森章太郎の漫画「サイボーグ009」はすばらしく面白かった。

 うろ覚えだが、主人公(009)が宇宙で命がけのミッションを終え、ぼろぼろになって大気圏に突入していくのが結末のシーンだ。最後のコマは夜空に流れ星が一つ輝いて終わる。

 こんなの、それまでの漫画にはなかった。手塚治虫が石森に嫉妬したというが、分からぬではない。

 だが、いま考えるとアラがないではない。まず「009」という題名。その数年前にショーンコネリーのアクション映画「007シリーズ」が始まったばかりだ。だから、明らかに「009」は「007」のパクリである。今の漫画家には、そんなことをやる人はいない。

 もう一点、登場人物を10名にしてしまったことが、いけない。人間が一度に識別できる数は7個程度までである。これは実験心理学で証明されている(註)。昔のアイドルグループは3人が多かったし、ゴレンジャーも5人だ。虹の7色とか7大大陸とか、複数をまとめるときには7個程度までにしないといけない。「009」のサイボーグが総勢10名は多すぎるのだ。AKB48に至ってはセンターしか認識できない。

 まあ、いくらかのアラがあるにせよ、「009」は画期的な漫画だったけれども。

註:「マジカルナンバー7プラスマイナス2」というあまりにも有名な心理学論文がある。この論文は最後に「7つの海」や「アトラスの7人の娘」といった7にまつわる言い習わしや故事を繰り出し、7という数字をこれでもかと印象付けて締めくくられている。一回で認識できる7個程度のまとまりを、著者は「チャンク」と名付けた。

豪華列車「ななつ星」

2013-10-20 06:22:40 | レジャー

(Wikipedia「ななつ星」より。)

 JR九州の豪華列車「ななつ星」が人気である。来年の6月まで予約でいっぱいだそうだ。

 海外旅行が自由化された1969年から10年間くらいは、日本人が怒涛のように海外に出かけた。新婚旅行も国内より海外のほうが主流となった。その傾向は現在に至るまで続いているのだが、一昨日述べたように、海外旅行熱はすでに一服した。

 もし、まだ海外旅行熱が冷めやらぬうちに「ななつ星」が企画されても、これほどの人気は博さなかっただろう。

 「ななつ星」は3泊4日で、最高級室が一人55万円、安くても40万円だ。だが、海外ならこのくらいの値段はすぐに行ってしまう。すでに海外慣れしている人々には、海外旅行よりも「ななつ星」のほうが魅力的に見えるようになったのだ。

 国鉄民営化から四半世紀、JRも商売上手になったものだ。分割民営化の前には、国鉄の組合はイデオロギー闘争をやっており、乗客不在だった。サービス精神なぞ、これっぽちもなかった。まさに隔世の観がある。

(新幹線の車内販売の女の子の質が、国鉄分割民営化後に格段に良くなったことはすでに述べた。)

安上がりな番組「歴史秘話ヒストリア」

2013-10-19 06:05:09 | 歴史

(「歴史秘話ヒストリア」のホームぺージより。)

 NHKの大河ドラマ以外に、テレビの時代劇が低調である。一説には時代劇はセットや衣装などでお金がかかる割に視聴率を稼げないからだという。

 だが、世の中には歴女とか名古屋城検定とかがあって、歴史に興味を持つ人は少なくない。

 そんな中でNHKの「歴史秘話ヒストリア」は、本当にお金がかかっていないので感心する。放送に出てくるエピソードは無名の俳優が演じる、たった数カットだし、あとはイラストとアナウンサーの語りで済ませてしまう。

 それでいて、とても面白い。渡邊あゆみアナウンサーの存在感なしに、この番組はありえないだろう。

国内にも珍しいものはある

2013-10-18 06:02:30 | レジャー

(JALパックのホームページより。)

 このごろ日本各地でローカルに行われている風習や食べ物にかんするテレビ番組が人気である。私も楽しんで見ている。

 ある地方都市には夜の繁華街がない。だから、会社の仲間で飲み会をやるときには、誰かの自宅でやるしかない。そのため今度は夜の街が発達しない。私はその地方都市には何回か行ったことがあるが、そのような風習や現象までは知らなかった。

 別のある町では、地元の人がソバ屋で注文する品は○○と決まっている。地元の人はその○○が全国共通だと思っているが、私たちは知らない。

 この番組は、狭い日本でも私たちがいかに知らないかを教えてくれる。

 もうわざわざ海外まで行って、名所を見てくる時代は終わったのだ。だから、最近の海外パック旅行は、やれエッフェル塔だやれパルテノンだではなく、さらにレアな場所に行くようになった。

 だが、お金と時間をかけて、わざわざ海外のレアな場所を見に行く必要はなく、国内にも十分にレアな場所がいくらでもあることを、この番組は教えてくれる。

 国民の海外旅行熱が一巡して、「なんだ国内にもこんなに珍しい場所があるじゃないか」と国民が国内に目を向けるようになったから、このような番組が受けるようになったのではないか?

参考:このブログの「名古屋めし」の項目

テレビに子守りをさせることの是非

2013-10-17 05:23:57 | 教育

(オリンパス・フォトパスより。)

 私が中学生のころ、全家庭に白黒テレビが行きわたり、ぼつぼつカラーテレビが出始めた。

 団欒でテレビを囲む家庭が多かった。赤ん坊もテレビをおとなしく見ていた。テレビを見ていると、赤ん坊は騒ぎだすことが少なかった。

 当時、「テレビで赤ん坊を、あやしておいて大丈夫か?」という議論があった。赤ん坊をテレビ任せにするのは、育児をサボっていることにはならないか?また、発育に影響を与えるのではないか?などと心配された。

 あのころテレビに子守りをしてもらった赤ん坊が、すでに親になっている。当時の心配は、テレビは何も悪影響を与えなかったという確証もないまま忘れ去られた。

 最近の心理学的な研究では、テレビは親の代わりにはならないことが分かっている。テレビをは一方的に動画を送り出すだけで、赤ん坊はテレビとコミュニケーションしない。それが悪いことなのかは分かっていない。(少なくとも赤ん坊はテレビからは、心的交流についてなにも学習しない。)

 もうテレビによる赤ん坊への悪影響をだれも心配しなくなった。赤ん坊を後部座席に乗せることを前提に作られた車には、赤ん坊が見られるような位置にあらかじめテレビが付けられている。赤ん坊をテレビであやすためなのだが、それに文句を言う人はもういない。

(最近の研究では、母親が赤ちゃんを見ると赤ちゃんが笑い、赤ちゃんが笑うととっさに母親も笑うという瞬時の本能的なやりとりがあって、初めてコミュニケーションが成立することが分かっている。テレビにはそれができない。だから、ビデオによる英会話練習は、ビデオは瞬時に反応してくれないから、成人においても学習的な意味がないとする調査結果もある。たとえば、いつもお経を聴いているとお経が言えるようになるが、お経はコミュニケーションではないといえば分かりやすいだろうか。)