通ぶるわけではないが、私の妻子や兄弟が寿司の味をあまりに知らないので、すこし解説してみる。
寿司の値段はネタで決まることは誰でもご存じだろう。前回も書いたように、寿司が一番安くて美味いのは東京である。東京の寿司屋が築地でいいところを取ってしまったカスが地方へ流れる。(地方で取れたネタでも、一度築地を通してから地元に戻ってくる。不経済なことである。)
魚は冷凍でよいのである。最近の解凍技術は発達していて、ナマ(冷凍していないもの)と区別がつかない。
魚は香りである。香りで魚の区別が分かるのであって、味ではない。美味い寿司屋の魚は香りが違う。むろん生臭いのは論外である。
次に食感。獲れたてが美味いわけではない。獲れてから数日たったほうが、細胞が自家融解してアミノ酸が多く、食感もよい。したがって、生簀の魚は新鮮なようでいて美味しくない。なぜかというと、細胞が自家融解していない上に、餌も与えられずに泳いで、やせ細っているからである。
スジが多いのも駄目だ。スジが口の中に残ってしまう。これは食べなくても、見ただけで分かる。最近の大トロは皆スジがある。食べ心地を考えるなら、中トロのほうがよい。赤身でもよい。(昔はスジが目立たない大トロがあったらしい。)
シャリ(ご飯)は、人肌に暖かく、中に小さな空洞があって、口の中で自然に崩れるのが最上である。ここが寿司職人の最高の腕の見せ所である。ネタのほうは、技というより目利きが重要である。ときどき、シャリを握り締めてしまって、おにぎりのような寿司屋があるが、これは腕が未熟な証拠。逆に握りがゆるすぎて、すぐにネタが取れてしまうのも駄目。
ネタとシャリがうまくくっついているかは職人の腕である。せっかっくくっついているネタをわざわざはがして醤油をつける人があるが、それだったらちらし寿司でも食べていて欲しい。
最後に、美味い寿司屋の見分け方。かんぴょうが美味い寿司屋は他のネタも美味い。かんぴょう巻きは寿司の基本だと私は思う。
寿司の値段はネタで決まることは誰でもご存じだろう。前回も書いたように、寿司が一番安くて美味いのは東京である。東京の寿司屋が築地でいいところを取ってしまったカスが地方へ流れる。(地方で取れたネタでも、一度築地を通してから地元に戻ってくる。不経済なことである。)
魚は冷凍でよいのである。最近の解凍技術は発達していて、ナマ(冷凍していないもの)と区別がつかない。
魚は香りである。香りで魚の区別が分かるのであって、味ではない。美味い寿司屋の魚は香りが違う。むろん生臭いのは論外である。
次に食感。獲れたてが美味いわけではない。獲れてから数日たったほうが、細胞が自家融解してアミノ酸が多く、食感もよい。したがって、生簀の魚は新鮮なようでいて美味しくない。なぜかというと、細胞が自家融解していない上に、餌も与えられずに泳いで、やせ細っているからである。
スジが多いのも駄目だ。スジが口の中に残ってしまう。これは食べなくても、見ただけで分かる。最近の大トロは皆スジがある。食べ心地を考えるなら、中トロのほうがよい。赤身でもよい。(昔はスジが目立たない大トロがあったらしい。)
シャリ(ご飯)は、人肌に暖かく、中に小さな空洞があって、口の中で自然に崩れるのが最上である。ここが寿司職人の最高の腕の見せ所である。ネタのほうは、技というより目利きが重要である。ときどき、シャリを握り締めてしまって、おにぎりのような寿司屋があるが、これは腕が未熟な証拠。逆に握りがゆるすぎて、すぐにネタが取れてしまうのも駄目。
ネタとシャリがうまくくっついているかは職人の腕である。せっかっくくっついているネタをわざわざはがして醤油をつける人があるが、それだったらちらし寿司でも食べていて欲しい。
最後に、美味い寿司屋の見分け方。かんぴょうが美味い寿司屋は他のネタも美味い。かんぴょう巻きは寿司の基本だと私は思う。