院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「大横綱」の読み方

2017-12-02 00:50:03 | 日本語

日本相撲協会公式サイトより引用。)

 角界が揉めている。だが、私が苦になるのは揉め事そのものではなく、多くの司会者や出演者が「大横綱」のことを「だいよこづな」と読むことだ。これは違う。「大横綱」は「おおよこづな」と読むのだ。

 同じようなことは他にもある。「大地震」は「おおじしん」と読むべきであって「だいじしん」では決してない。

 理由もへったくれもない。むかしからそう読むように決まっているのだ。たとえば「大根」は断じて「だいこん」でなければならず、「大曲」は絶対に「おおまがり」でなくてはならない。

 ※今日の短歌
   病みつつも常に前向きその気概さびしと思ふ羨ましと思ふ
   西井京子(明日香)

日本語になった流行語「ばっちり」

2017-11-22 00:06:50 | 日本語

(谷啓。昭和ガイドより引用。)

 「ばっちり」とは「しっかり」とか「十分」というような意味だが、「ばっちり」以外の言葉で同じ意味内容を伝えるのは難しい。

 年配の人しかご存じないだろうが、「ばっちり」はクレージーキャッツの谷啓の持ちネタの流行語だった。(谷啓には「ガチョーン」という流行語もあり、こちらのほうが知られているかも。)

 流行語とはそれこそ泡のように消えていくものだが、「ばっちり」のように日本語として固定してしまったものは、たいへん珍しいと言わなくてはならない。

 ※今日の短歌
   「お」じゃなくて「を」なんですね、さをりさん。少うし淡くお呼びしますね
   堀眞希(広島県)

「自分らしく」とはどういう意味か

2017-11-15 00:05:57 | 日本語

(西野カナ。オフィシャルFaceBoock より引用。)

 映像がないのは寂しいから、ここでは西野カナの写真を載せた。でも、彼女の歌だけではなく、多くのポップスに「自分らしく」という用語が出てくる。

 「人まねでなく」「かりそめでなく」といった意味だろう。だが「自分らしく」があまりに頻繁に使われるのが私には苦になって仕方がない。

 言葉はもっと惜しんで使用すべきだと思うから、あえて言ってみた。

 ※今日の短歌
   紫陽花がだんだん淡い色になり夏のこどもが紛れはじめる
   漕戸もり(愛知県)






私が電子メールを嫌うわけ

2017-11-12 00:05:03 | 日本語

(ラインスタンプ。無料スタンプより引用。)

 「どこそこに何時に集合」といった用件だけならEメールでもよいだろう。だが、感情を伝えるのはEメールでは無理がある。ラインスタンプをいくら使用してもダメだ。

 武士同士が会うこともなく、手紙だけで交流していたとして、ちょっとした誤解から斬り合いになってしまうこともあったらしい。ラインによる交流でも仲間外れとか意地悪があるというではないか。

 手紙では実際に会うのと情報量が違い過ぎる。だから、手紙のルールが編み出されてきた。それを子供たちに教えないからライン如きでトラブルが起きる。

 まず時候の挨拶から始まり、「そうろう文」で相手を尊ぶ。それが「型」というもので、まず「型」を学ぶべきである。文章のみならず、絵でもスポーツでもまず「型」が重要であることを強調しておきたい。

 ※今日の短歌
   彼の人のことば時には思ほえど年々すがたの淡くなりゆく
   林邦子(埼玉県)

じっさいの分類に先立って言葉による分類があった

2017-11-04 00:02:47 | 日本語

(ウサギ。ウィキペディアより引用。)

 イヌもネコもウサギもみな四つ足である。幼児はこれらをみな「ニャンコ」と呼ぶ。

 そこに「イヌ」「ネコ」「ウサギ」という単語が入ってきて初めて、これらは区別されるようになる。本稿で言いたいのは「現実の分類に先立って、言語による分類がある」ということで、その逆ではないという点である。

 たとえば「心身」といい「こころとからだ」という。この場合、実際の「心」や「身」が、あらがじめ存在しているわけではない。言葉のほうが先にあったのだ。「心身」を分けたのは現実ではなく、まず言葉だった。

 したがって「心身問題」を「心」の側から研究しようが「身」の側から研究しようが、それらは恣意的であり、あらかじめ「心」と「身」が分けられて存在していたのでは決してない。「心身」を分けたのは人間の勝手に過ぎないのである。

 ※今日の狂歌
   その犬はボロ布めきて痩せこけて餓鬼のごとくに菓子パン食らう
   中里ひとし(愛知県)

「見れる」、「食べれる」

2017-07-22 08:34:58 | 日本語

(広告「英語学習ボックス」より引用。)

NHKテレビでは話し手が「見れる」、「食べれる」などの「ら抜き言葉」を使用しても、字幕では「見られる」、「食べられる」に直してある。

「ら抜き言葉」擁護派は、文法が先にあったのではなく実用例が先にあったのだから、文法の方を訂正するべきだという。もっともだと思う。

私が幼いころは「取れる」を「取られる」、「着れる」を「着られる」と話していた大人が結構いた。もう10年もすれば「見れる」、「食べれる」も普通の用法になるだろう。

(ただし現在ではまだ、ある程度の年齢の人が「ら抜き言葉」を使うと、教養を疑われることを覚悟しなくてはならない)。


 ※私の俳句(夏)

    冷たくて汁のこぼるるトマトかな

敵性言語としての英語

2017-07-21 08:39:41 | 日本語

(戦時中のアメリカのポスター。ウィキペディアより引用。)

私たちの親世代すなわち戦前派には英語の読み書きがまったく出来ない人が多い。彼らは自分たちの怠惰を棚に上げて「英語は敵性言語として禁止されていた」と言う。たしかに、そういう面もあっただろう。

東條英機はむしろ「敵の言語を知ることは大切だ」と考えていたが、民衆の「軟弱だ!」という声に押されて英語の授業時間は短縮された。

おなじことがアメリカやイギリスでも起こった。上のアメリカのポスターには「敵の言語をしゃべるな!」と書いてある。敵のことを知るのは大切なのに、民衆にまかせるとこういうことになる。民衆はしばしば愚かである。(なぜか戦前派でも一流人には英語に堪能な人が多い)。


 ※私の俳句(夏)

    老人の買ひものに添ふ娘(こ)の日傘

ことば遊びとしての哲学

2017-07-20 11:17:56 | 日本語

(アリストテレスの像。ウィキペディアより引用。)

(今日の話は興味のない方には不向きだからスキップしてください)。

随分むかし、ある大学の哲学科の聴講生になったことがある。古代ギリシャの哲学者はすごいなと思った反面、現代の哲学者の論はダメだと思った。

当時、流行っていたハイデッガーの論なんて何を言っているのか分からん。言葉遊びかとも思った。ハイデッガーは英語の be 動詞にあたるドイツ語の sein (ザイン)を名詞化して s を大文字にした Sein という概念を作った。

ザインは「存在」と日本語訳されているが、それではもっと分からなくなる。ほかにも、da-Sein , in-der-Weld-Sein (それぞれ現存在、世界内存在と訳される)といった珍妙な用語が使用され、日本語で読んだら絶対に理解できない。

自然言語にたよった新造語はいただけない。歴史的にハイデッガーは残らないだろうと直感した。プラトンやアリストテレスらが生き残ったのは新造語を使用しなかったという点にもあるだろう。

じじつ今、ハイデッガー哲学を学ぼうとしている人は極めて少ないのではないか?(半世紀前には大流行したのに・・・。ハイデッガーの理論をもとにした「現存在分析」という精神療法が提唱されたこともあった。現在「現存在分析」を学ぼうとする精神科医や心理学者はゼロである。屁理屈ばかりで治療効果がないから!)。


 ※私の俳句(秋)

    昼の熱ひきずつてゐる星月夜

クロマグロ(本マグロ)という名称

2017-07-17 08:42:28 | 日本語
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(3代目三遊亭金馬。ウィキペディアより引用。)

古典落語の「薬缶(やかん)」は3代目三遊亭金馬の得意噺であった。何でも知っていると豪語するご隠居に八五郎がいどむ。

「魚のコチはなぜコチというんですかい?」
という八五郎の問いに対してご隠居は
「こっちに泳いでくるからコチじゃ」
「向こうへ行ったらどうするんですかい?」
「お前が向こうに回ればいいのだ」

「ヒラメは?」
「平たいところに目がついているからだ」
「じゃあカレイは?」
「あれはヒラメの家来で、家令をしているからじゃ」

このようにして、ご隠居のこじつけがえんえんと続く。中にマグロの名称に対する問いがあり、ご隠居は「真っ黒だからだ」と答える。これはこじつけではないように思う。

一昨日述べたように、現在ではさらに黒をつけて本マグロのことを「クロマグロ」と呼ぶ。歴史的に最初は「クロ」だったが、「クロ」の中の中核として「真(マ)」が付けられ「マグロ」となった。さらに歴史を下ると「マグロ」の中の代表として「本マグロ」と呼ばれ、最終的に再び「黒」が付いて「クロマグロ」になったとは考えられないだろうか?

じじつ今のマグロ漁師は「メバチマグロ」や「ビンナガマグロ」をマグロとは呼ばない。漁師がマグロと言うのは「クロマグロ」だけである。値段もぜんぜん違う。「メバチマグロ」はたんに「バチ」と呼ばれる。

私たちが常に食べてスーパーでも売っているマグロの刺身はみな「メバチマグロ」である。スーパーごときで本マグロなぞ売っているはずもない。

     (タイセイヨウクロマグロ。ウィキペディアより引用。 )
     


 ※私の俳句(夏)

    老若が出てくるメロン狩りハウス


「ひもとく」という用語

2017-07-03 18:06:04 | 日本語


さいきん「ひもとく」という言葉をテレビなどでよく使う。「アイドルの生い立ちを、ひもとく・・」など。

「ひもとく」は元来、巻物(本)の紐を解いて本を読むことである。だから「アイドル・・」は少しひっかかる。

「滑舌」もよく使用されるようになったが、日常会話で使うのはどうか?

「たたずまい」は立っている姿である。すわっている姿は「いずまい」という。したがって、「池のたたずまい」はおかしいのである。

※私の俳句(夏)

    人去つて円座の残る古座敷

旧漢字の復活運動はなぜ起こらないのだろうか?

2015-11-16 23:29:35 | 日本語
 戦後、新漢字の採用で「單」が「単」に変わったけれども「せみ」を「蝉」と書くのは実は誤まりである。「蝉」は新漢字として定められていないので、「せみ」は元のように虫扁に單でなくてはならない。一文字だけ変えても、他のあまたの漢字まで変わったわけではないのだ。

 明治時代から日本語表記の改変の動きはあったらしいが、これだけ急速に変わったのなぜだろうかと不思議に思っていた。亡父は旧漢字旧仮名時代の大正生まれなのに、私は新漢字と新仮名を亡父から教わっている。

 そこには、やはりGHQが絡んでいたのだ。GHQは漢字を廃止させようと思っていたらしい。廃止までの過渡的措置として新漢字を発表した。

 GHQの命令だから反論もへったくれもなかった。ところがけっきょく漢字廃止は実現せず、新漢字だけが残ったらしい。いまこそ旧漢字を復活させよう。新漢字では語源が分からなくなるからだ。

「学」も「蛍」も上は「ツ」である。これでは意味が分からない。学の上は「興」、蛍の上は「火」が二つだったのだ。

 いつぞや台湾旅行をしたときに、漢字が全部旧漢字だったので、とても気持ちが良かった。


※私の俳句(冬)

   灯台を乗せし断崖波の花

現在、話し言葉に「えーと」をいれるのは許される!?

2015-11-11 14:24:45 | 日本語
 私たちが幼いころ、話し言葉に「えーと」と入れるのはほぼ禁じられていた。「えーと」は無教養の証拠のように見られていた。

 ところが現在では、大学教授のような知識人が普通に「えーと」と言う。話し言葉の変化は思っていたよりずっと早いようだ。


※今日、気にとまった短歌

  この店で笑顔が一番いい女性(ひと)がぷかぷかの靴いつも履きおり (小牧市)白沢英生


(下の映像の先生は10秒に1回くらい「えーと」と言う。)
https://www.youtube.com/watch?v=iyH5090tl8E

夢ナビ2014:ネット依存? 臨床心理学的に説明します!


非関税障壁としての英会話音痴

2015-07-24 05:15:25 | 日本語

英会話教材、口コミランキングより引用。)

 小学校から英会話を教えることになった。街で外国人に道を問われ、英語でうまく答えられず残念な思いをした人も多いだろう。私もその一人である。

 しかし、英語を母語とする国の人間と難しい外交交渉や前例のない契約をするとき、いくら英語がペラペラでも英語で交渉するのはNGで、通訳を立てるのが鉄則である。ぜったいに有利な結果にはならないからだ。

 もちろん道を教える程度の英会話力では、外国人を配下にもって仕事をすることなぞできない。ならば、いっそ全然できないほうがよいかも。

 むしろ、日本人が英会話ができないことは、非関税障壁としてのメリットのほうが大きいかもしれない。外国人のサーバントにならずに済むからだ。

 英語以外が母語なのに国民全体が英会話ができる国は、国民がメイドなどとして裕福な外国に出稼ぎ出る。なまじ英語が話せるために外国人に便利に使われてしまうのだ。お金は助かるかも知れないが、母国の文化的発展には役立たないのではないか?

 小学生に中途半端な英会話をうかうかと教えると、ヤブヘビになりますぞ!(ちゃんとした日本語ができなければ、英会話もヘッタクレもありません!)


※今日、気にとまった短歌

  待ち切れずもぎて齧(かじ)れり焼け跡の瓦礫除きて作りしトマト (日立市)滑川皓一

「ひとりひとりが・・」という無意味な主張

2015-06-10 06:42:14 | 日本語

(NHK朝のニュースより。)

 たとえば人口減少問題をどうするか、防衛活動をどうするかといった話題のとき、ニュースのアナウンサーは「この問題は、ひとりひとりに突き付けられています」とか「ひとりひとりが考えなくてはなりません」とまとめる。

 ニュースは中立を守らなくてはならないから、「ひとりひとりが・・」という結びでもよいかもしれない。しかし、自分の意見を述べるとき、「ひとりひとりが・・」という結び方をする学生がいるので驚いた。

 超有名大学の外国語学部の学生がテレビで、「外国との関係は、ひとりひとりの問題として・・」と言っていた。えっ!?君自身の主張はなんなの?君独自の説はないの?どうして、そんなニュースみたいな言い方をするの?そんなことを外国語で言っても、なんの意味もありませんよ!


※今日、気にとまった短歌

  新しいエアコンから吹く温風は青いたたみの匂いはしない (栃木県)石田信二

文体は内容を規定する

2015-05-13 06:12:40 | 日本語
 約一年前からこのブログを「だ、である調」から「ですます調」に換えた。私のブログにはしばしばキツいことが書かれるから、「(未逢の)患者さんから怖い医者だと思われるよ」という助言がある人からあったからだ。そこで、内容はともかく「ですます調」にしてみたという次第。

 ところが今度は内容がヌルくなったという意見が昔からの読者から出てきた。過去の記事を見返すと、いまは確かに穏やかになっている。「毒」が少なくなったのだ。そうなったのは、じつは「タネ切れ」の要素が大きいのだが、「ですます調」に換えたのも影響があったように思う。

 そこで再び「だ、である調」に戻します。私は冗談好きでよく笑い、急な来訪者でもあると、あせってゴミ箱を蹴っ飛ばし、あわてて机の上を整理してあとでモノの場所がわからなくなるような、愛すべき人間です。けっして怖い医者ではない(と自分では思っている)ことを大声で言いたいと思います。