(木桶の風呂。ウィキペディア「風呂」より引用。)
上のような木桶の風呂桶が普及したのは明治になってからのことです。当時、風呂を沸かすことは重労働でした。まず井戸から水を汲んで風呂桶に入れなくてはなりません。火力は薪でしたから、薪を割ってくべなくてはなりません。
(私が幼いころは水道がありましたが、燃料はまだ薪で、風呂桶も上と同じでした。現在のように自動的に湯が入れられ、湧いたら音声で知らせてくれるというのはまるでSFの世界の話のようです。)
そもそも内風呂がある家が少なく、都市ではもっぱら銭湯が利用されました。郡部に行くと銭湯もありませんから、村で交代で風呂をたて、住民は互いに「もらい湯」をしました。ひとつ風呂に30人以上が入りましたから、後のほうの湯は垢だらけだったといいます。
それに較べると、温泉は湯が耐え間なく湧き出ており、風呂に入る準備としての重労働も必要なく、人々はただゆっくりと湯治をすることができました。すなわち、温泉とは人々にとって神様の賜物のようなありがたい存在だったのです。しかも、万病に効くというのですから、温泉地は聖地のような場所でした。(その記憶が現代の「温泉愛好」まで繋がっているのでしょう。)
※今日、気にとまった短歌
リサイクルの冷蔵庫格安の訳は「キムチの匂ひがします」ほんとだ (山梨県)村田一広