院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

院内暴力その1

2008-05-31 08:30:22 | Weblog
 誤って人格障害の患者を入院させてしまったことがある。10年以上、前のことである。

 新人医師に主治医を任せた。

 当然、その患者は病棟で暴れ、他の患者さんに迷惑をかけ始めた。新人主治医は、さすがにこれは病棟に置いておけないと、強制退院を患者に申し渡した。

 そうしたら、その患者は、新人医師をぼこぼこに殴った。医師は抵抗してはいけないと教育されているから、その新人医師も無抵抗だった。

 当時、彼の上司に当たる私は、しっかり被害を診察してもらって、暴行による告訴をせよと指導した。新人医師はそのようにした。

 むろん、警察にも行った。だが警察の対応は冷淡だった。

 「精神科医が患者に殴られのは、当たり前でしょう。僕らも犯罪者にいつも殴られていますよ」と、取り合ってもらえなかった。

 今になって、患者による院内暴力が問題になっているいけれども、昔はこんなふうだった。

 新人医師に一発殴り返させてやりたかった。でも、医者が患者を殴ったら大問題になるという風潮だった。それが、現在の患者による院内暴力を生んだのだ。

 その新人医師は、今では優秀な中堅医師となっている。

代議士はそんなにおいしい職業か?

2008-05-30 08:34:05 | Weblog
 権力とはそんなに手放したくないものだろうか?

 いわゆる小泉チルドレンを見ていると、そう思う。チルドレンの佐藤ゆかり議員は、岐阜で野田聖子議員と争った。でも、岐阜をあきらめて、今度は東京で立候補するという。

 泡沫候補だったタイゾー議員も北海道で立候補するという。

 そんなにしがみつくほど、国会議員の立場というのは魅力的なのだろうか?給料もさほどでない。行くところでは挨拶ばかり求められる。

 議員というのは、それでも、やり続けたい職業なのだろうか?私には分からない。権力にはそれだけの魅力があるのだろうか?「先生」と言われたいのだろうか?

 私は身すぎ世すぎで精神科医をやっている。精神科医しかできないからやっているのであって、世のため人のためなんていう大層な理念をもっているわけではない。

 いつも「先生」と呼ばれるけれども、「先生と呼ばれるほどのバカでなし」とも思っている。

 昔、タレント候補で参院に当選した力士が一期で辞めてしまった。自分にはこういう仕事は向かないと言っていた。それが正常な感覚だと思う。

 正常でない人が代議士の身分にしがみつくのだろうか?

砂漠は人為的なものか?

2008-05-29 08:26:10 | Weblog
 砂漠は人間が焼畑とか伐採をやったから広がってきたという説を出す者がいる。

 つまり、砂漠は人間が作ったと言いたげである。

 砂漠が広がっているのは事実かもしれない。でも、すべての砂漠を人間が作ったというような論調には無理がある。

 砂漠での生活に適応したラクダのような生物を初め、砂漠の虫類、植物を忘れてはなるまい。彼らは砂漠に適応するように億年をかけて進化してきた。

 それに比べて、人類が自然に対して大きな侵害をするようになってから、まだ1万年もたっていない。

 砂漠はもともとあったのである。億年の昔から・・。それを、人間のせいだというのは、ほとんどマゾヒストである。

 ちょっと考えれば分かるようなことを、分からないのは、分かる気がないからである。

禁煙ファシズム

2008-05-28 10:27:29 | Weblog
 ビートルズが縦に並んで道を渡っている有名な写真がある。

 レコードのジャケットの写真かもしれないが、どこに載っていたのか忘れた。

 その写真のビートルズの一人が、歩きタバコのために指にタバコをはさんでいる。

 最近、その指のタバコが修正技術によって消されたのである。なんのために、そんな修正を加えるのか?

 理由は簡単で、これは禁煙論者の仕業である。こんなところまで修正をするとは、昔の思想検閲と同じではないか。

 ちょっと行き過ぎである。禁煙運動にファシズムの匂いがすると、何度も述べたが、ここでもまたファシズムを感じる。

民主主義が自らを輸出したがるのはなぜか?

2008-05-26 04:55:34 | Weblog
 民主主義が自らを輸出しようとするのはなぜか?

 しかも、世界にあまねくではなく、一部に輸出しようとするのはなぜか?

 世界に独裁国はごまんとある。共産主義国もある。軍事政権もある。

 チャーチルは「民主主義は最低の方法である。でも、それに変わる方法がない」と言っている。

 アメリカはアラブの王室支配を非難しない。つまり、それらの国々には民主主義を輸出しようとしない。これは、また一段上の疑問である。今回はこれについては述べない。

 とりあえず、わが国は民主化をしようとしている国々を応援する。それは、なぜか?

 たぶん、独裁は効率が良すぎるからだろう。民主主義の効率と言ったらひどいものである。選挙に多大の金を使う。投票するのは、必ずしも賢明とは言えない庶民である。だから、劇場選挙になる。議会は討論に膨大な労力を使い、時間もかかる。

 あまりに効率が悪い。そんなところへもってきて、独裁国に効率よく政治をやってもらっては、民主主義国は太刀打ちできなくなる。

 だから、独裁国を自分たちとおなじように非効率にさせるために、民主主義は自らを輸出しようとしているのではないか?

 これは、あまりに被害妄想的な考え方だろうか?

共産主義はなぜ自らを輸出しようとしたのか?

2008-05-25 07:36:41 | Weblog
 戦前、共産主義国はなぜ共産主義を輸出しようとしたのか、私には理由が分からない。

 また、わが国はなぜ共産主義を排斥したのかということも、同じくらい理由が分からない。

 共産主義とは宗教のようなものなのだろうか?だとすると、うまく理解できる。

 宗教は布教活動をする。他の宗教を否定する。戦前の共産主義活動を、そのようなものと考えれば、輸出も、それに対する拒否も理解可能である。

 わが国はなぜ「赤」を、あんなにも拒否したのだろうか?「危険思想」とか「主義者」と呼んで弾圧したのはなぜか?

 共産主義者の言い分では、わが国が共産主義を受け入れると、資本家が不利になるからだという。でも、資本家を不利にするのを防衛すべく、国民がこぞって「赤」を否定したのだろうか?

 戦前を知っている古老に聞きたいものである。まだチャンスはある。

 現代では、民主主義が自らを輸出しようとしている。私は現代に住んでいるから、これはある程度、意味が分かる。それについては次回。

生態系は変わるのが必然

2008-05-24 20:29:11 | Weblog
 はるかの古代から生態系は変わり続けてきた。

 そのよい例が、アンモナイトや三葉虫の絶滅である。これは、人間のせいではない。人間が自然に手を付ける以前から、生態系は変わり続けてきたのである。

 恐竜も絶滅してしまった。

 いま、レッドデータブックとかいって、絶滅危惧種が認定されているけれども、種が絶滅して、また別の種が繁栄するのは大昔からの自然の摂理であって、人間のせいではない。

 絶滅危惧種を人間が保護してどうなるのか?自然の摂理に反している無駄な努力ではないのか?

 琵琶湖に人間が、ブラックバスやブルーギルを持ち込んで、それが繁栄して問題になっている。でも、問題にするほどのことか?古来の琵琶湖の生態系が変わると言って、それらの駆除をおこなっているが、愚かではないか?

 人間の手が入らなくても、生態系は変わる。また、人間が手を入れても、生態系はそんなに変わるものではない。

 琵琶湖にブラックバスやブルーギルが増えたのなら、それらを食べればよいではないか?駆除するなんて、もったいないとは思わないのだろうか?

 ブラックバスやブルーギルは、おいしいと聞いている。

漢字かな交じり文のすごさ

2008-05-24 08:53:34 | Weblog
 漢字かな交じり文というのは、わが国でのすごい発明である。

 よく知られた例だが、次のような文章を全部かなで書くと意味が分からなくなる。

 「裏庭には2羽、庭には2羽鶏がいる」

 これを旧かなで書くと・・

 「うらにはにはにはにはにはにはにはとりがいる」となって、何が何やら分からない。

 別の例では・・

 「スモモも桃も桃のうち」は「すもももももももものうち」となってしまう。

 「母は歯は良い」は「はははははよい」となって、これも意味不明である。

 本当に漢字かな交じり文というのは、よくできている。

俳句の添削

2008-05-23 08:28:05 | Weblog
 原型を留めぬまでに添削してしまうのは好ましくない、というのが故浅野右橘先生の持論だった。

 ある句会で参加者が次のような句を出した。

    連翹に風の死角といふもあり

 浅野先生は、この句を次のように添削した。

    連翹に風の死角といふがあり

 これで、この句はすごく良くなった。せいぜい一字、多くても二字程度の添削が良いという、これは添削のお手本である。

 私はまだ添削される側であるが、する側になったら、そのようにしようと思っている。

環境問題について述べるのはもう止めようと思ったけれど・・。

2008-05-22 08:30:06 | Weblog
 地球環境問題や温暖化について、それらの情報がいかにいい加減であるかについて、多くの名著が出版されたので。私がここで言わなくてももういいと思っていた。

 ところがどうだ。温暖化の文字が新聞紙上に出ない日はない。NHKですら、温暖化、温暖化と言って特集を組んでいる。

 だから、また言う。

 私が少年のころは、これから地球は寒冷化すると言われていた。50万年ごとに温暖期と寒冷期があって、今は第4間氷期だと教わった。つまり氷河期と氷河期の間が現在であるという意味である。

 地球温暖化がほんとうに起こっているのかは、エビデンス(科学的証拠)がない。エビデンスがないところへもってきて、温暖化はCO2 のせいだと言う。これもエビデンスがない。

 エビデンスがないことを2重にも3重にも重ねて大騒ぎしている。これでは、世界中が集団ヒステリーになってしまったとしか思えない。

 もっと冷静になってくれ。温暖化が起こっているのなら、また、それがCO2 のせいならば、そのエビデンスを示せ。

 感情だけでモノを言うな。ゴア元アメリカ副大統領は、地球温暖化によって未来の地球はこんなふうにひどいことになるという映画を作って、ノーベル平和賞をもらった。想像に想像を重ねただけの、まったく科学的でない映画である。それが、ノーベル平和賞だと。

 笑わせてはいけない。ゴア氏が大統領にならなくてよかった。ノーベル平和賞というのは、昔からうさんくさかったが、今回のゴア氏の受賞によって、ついに馬脚を表してしまった。

四川大地震と外交

2008-05-21 08:02:28 | Weblog
 四川大地震ではわが国からも救助隊が駆けつけた。

 でも、5万人ともいう死者のところに、20人か30人の救助隊が行ってどれほど役に立つのだろうか?

 あまり役に立たないだろうが、駆けつけるのが礼儀なのである。これは、ひとつの儀式なのだ。

 外交とはそういうものである。たとえ少人数でも、駆けつけるのと駆けつけないのとでは大違いである。

 これは地域社会にも言えることである。葬式には行け。葬式に参列したからといって死者が戻るわけではないが、5千円もって出席することが重要なのである。

 結婚式には招かれれば、断るな。祝儀は多いほどよい。また、自家の結婚式なら、なるたけ多数を招け。

 世の中は、礼儀で成り立っているのである。

ワシントン条約の理不尽

2008-05-20 08:40:16 | Weblog
 ワシントン条約は理不尽である。絶滅危惧種でなくても貿易を妨害する。

 アフリカ象は絶滅危惧種ではない。でも、象牙の輸出入が禁止されている。自然死の象の象牙も輸出入禁止である。これはおかしい。

 タイマイの甲羅も輸出入禁止である。キューバではタイマイの繁殖に成功している。肉を食べるためだ。キューバではタイマイの甲羅は廃棄物に過ぎない。それの輸出入が禁止されているのである。

 これはアメリカのキューバいじめである。タイマイの廃棄物(甲羅)さえ輸出入を禁止したのだ。

 おかげで、わが国のベッコウ細工が危機に瀕している。象牙細工もそうだ。

ワシントン条約は、アメリカに都合のよい条約で、多くの国がこの条約のために困っている。アメリカはちっとも困らない。

天ぷら、寿司、鰻

2008-05-19 08:34:53 | Weblog
天ぷら、寿司、鰻といえば、わが国の3大ご馳走である。

 それぞれに最高の素材と技術が要求される。

 それなのに、変な店がたくさんある。天ぷら屋なのに鰻を出す。寿司屋なのに鰻を出す。

 こういう店はどちらもおいしくない。

 不思議に鰻屋は、天ぷらや寿司を出さない。これが正道である。

 正道でない店に、どうして客が来るのか不思議である。

大江健三郎氏のノーベル文学賞への疑義

2008-05-18 07:04:51 | Weblog
 狂牛病のプリオン説はノーベル賞をもらったが、これはノーベル賞のポカであり、いずれそれが分かるだろうと先日書いた(2008.2.5)。

 もう早いもので、10年前になるけれども、大江健三郎氏のノーベル文学賞もポカだと思う。

 本当は安部公房氏がノーベル賞を貰う予定だったのである。ところが安部氏は早く亡くなったので、そのおハチが大江氏に回ってきただけである。

 大江氏には安部氏のようには見るべき作品がない。安部氏は「砂の女」、「飢餓海峡」、「棒になった男」など、驚異的に優れた作品がある。大江氏にはそれがない。

 大江氏は「死者の驕り」で芥川賞を受賞したけれども、この作品は医学部の解剖実習用の遺体を処理する話で、当時医学生だった私は「この人は医学部の実態を何にも知らないな」と思いながら、この作品を読んだ。

 名作とされる「万延元年のフットボール」も、面白くも何ともなかった。

 ノーベル賞を貰ってからの大江氏の行動にも疑問に思えることがいくつかあった。知的障害の息子さんを、表舞台に引き出したことがその一つだ。ノーベル文学賞と息子とに、なんの関係があるのか?

 川端康成氏がノーベル文学賞を貰ったとき、「美しい日本の私」というメッセージを出した。それをマネて大江氏は「美しくない日本の私」だったかどうか、そんなようなメッセージを出した。これも、いただけなかった。

 みな大声では言わないけれども、大江氏のノーベル賞に疑問をもっている人は多いのではないか?

ジェネリック医薬品奨励政策

2008-05-17 08:24:11 | Weblog
 私はジェネリック医薬品を使用するのに少し抵抗がある。

 ジェネリック医薬品は精密な効果判定を受けていないし、そもそも特許切れの商品で商売するなんて、ずるい感じがする。

 厚労省はジェネリック医薬品を使用させる方向へ舵を大幅に切った。そのため、ジェネリック医薬品会社の株を買った人が多い。これからジェネリック医薬品が沢山売れ始め、ジェネリック医薬品会社の株が上がると読んでの「買い」だろう。

 だが、その判断は正しいのかどうか、私は疑問に思っている。

 ジェネリック医薬品の本場は、実はインドである。わが国がジェネリック医薬品を奨励するようになった機会を見逃すはすはない。インドのジェネリック医薬品は、わが国のそれよりもさらに安い。

 医療費節減のためにジェネリック医薬品を使用するなら、誰でもインド製を使用するようになるだろう。

 だから将来、わが国のジェネリック医薬品業界は発展できない。すべてインド製になるだけの話である。

 今回の措置で、わが国のジェネリック医薬品会社の株を買った人は、上がった時にすぐに手放さなければ、大損をこうむるだろう。