院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

モーニング娘。

2007-12-31 07:47:48 | Weblog
 モーニング娘。はみんな美人である。ただ、いずれも似ていて、誰が誰だか区別が付かない。

 ひとりでやっているアイドルタレントは、みな個性がある。誰が誰だかすぐに分かる。中にはモー娘。より美人でないのもいる。

 個性のない娘をひとりでデビューさせるわけにはいかないから、モー娘。は団体でデビューしたのだろうか?しかも、「卒業」がある。メンバーをしょっちゅう入れ替わらせることによって、モー娘。は人気をたもってきた。

 その人気にも翳りが出てきた。来年はモー娘。は終わりだろう。

 昔、オニャンコクラブというのがあった。モー娘。の祖先のようなものだ。彼女らはもう40代だ。生き残っているのは数名に過ぎない。

マンガ離れ

2007-12-30 09:22:45 | Weblog
 少年ジャンプが廃刊になった。往時は何百万部と売れたマンガ雑誌の廃刊である。隔世の感がある。

 私が子供のころにはマンガはむしろ蔑視されていた。マンガを読むな、普通の本を読めと言われた。

 ところが先日の新聞投書欄に、高校生の投書が載っており、それに一驚した。マンガ離れは危ういという論調なのである。TVゲームに押されて少年ジャンプは廃刊になった。マンガは漢字を覚えることができるけれども、TVゲームではできないと、その高校生は嘆いていた。

 マンガ離れが嘆かれるとは、これまた隔世の感がある。

 私たちの親の世代は、読み物と言えば講談本のような立川文庫だった。立川文庫も当時は大人たちに忌避されていたと思われる。当時の子供たちは、立川文庫を読むなら、鴎外を読め、漱石を読めと言われていたのではないか?

 TVゲームがすたれたら、今度はどんな論調が出てくるだろうか?TVゲームは反射力を高めるのに、TVゲーム離れは惜しいとかなんとかという意見が出てくることだろう。

名古屋市役所裏金問題の本質

2007-12-29 08:25:24 | Weblog
 名古屋市役所が裏金問題で叩かれている。

 20年前、私は名古屋市立の精神障害者リハビリ施設の長をやっていた。そのころにはすでに、裏金が存在した。係長級だった私は、裏金を前任者から受け継いだ。たいした額ではない。10万円もいかなかったと思う。訳もわからぬまま、私はその帳簿を引き継いだ。

 リハビリ施設のような弱小施設にも裏金があったのだから、保健所のすべてに裏金があった。名古屋市の職員は、末端にいたるまで裏金の存在を知っているはずである。それを、本庁(名古屋市役所)が調査するとは笑止千万である。いまは監督的な立場にある市役所の課長級以上も、かつては係長を経て出世したのだから、知らないはずはないのである。

 ただ、彼らの名誉のために言っておきたい。裏金は私利私欲のためにはいっさい使用されていないということだ。

 役所は杓子定規だと常に批判される。私も役所にいた時代にはそう思った。余った予算は本庁の収入役室に返還する決まりがある。私の部署で10円余ったことがあった。その10円を返すために、職員が一人、半日かけて交通費を使って、収入役室まで行ったことがある。

 バカらしいこと甚だしい。でも、そうしないと批判されるのである。裏金問題もその延長線で考えないと、単なる税金の個的使用として片付けられる恐れがある。

 裏金は主にどういう使われ方をしていたかを述べたい。

 私は名古屋市旧衛生局のことしか知らないけれども、裏金はまず長が町内の会(運動会や剣道大会など)に招かれたときの祝儀に使われた。会の後には必ず呑み会がある。そこへ出て、ただで帰ってくるわけにもいかない。だから、3000円程度の祝儀を包む。しかし、それは長のポケットマネーである。1回や2回ならよいが、月に10回ともなると公務員の薄給では苦しい。そこで裏金が使われるのである。(町内の会の祝儀という名目の予算は役所は出してくれない)。

 もうひとつ大きいのは、常勤医師が病気で休んだ場合、日にちを変えられない3歳児検診などへの急な外部の医師招聘の予算である。

 急に来てくれた外部の医師へ、来年度の予算から払うからそれまで待ってほしいと誰が言えるだろうか?この賃金にも裏金を使わざるをえなかった。予算という枠にしばられないためには裏金を使うしかないのである。

 今回、裏金が表に出てしまったことで、役所はさらにお役所的になるだろう。杓子定規だと大批判を受けることになるだろう。裏金はお役所仕事に潤いをもたらす潤滑油だったのである。

 本庁がこうした事態にも対処することができるように予算を組むようにしなければ、末端が苦労をするだけのことになる。お役所仕事にますます拍車がかかるだけである。

オスカー・ピーターソン逝く

2007-12-28 13:20:06 | Weblog
 ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンが亡くなった。82歳だった。

 私が初めて彼の演奏を(レコードで)聴いたのは中学生のときだった。超絶的な技巧にドギモを抜かれた。

 よく来日したので、コンサートも何度か見に行った。そのうちの一回は、まだ結婚のことなぞ全然考えていなかったころ、今の妻とデートで出かけた。40年近く前の話である。

 ベースのレイ・ブラウンとの掛け合いが絶妙だった。

 クラシックの素養がふんだんでなければ、ジャズピアノは絶対に弾けないというのがピーターソンの持論だった。

 往時のジャズメンで生き残っている人は少ない。アメリカのジャズメンは多くが短命だった。ピーターソンはむしろ例外的である。

 「昭和」がどんどんいなくなっていく。

「赤福問題」ふたたび

2007-12-27 14:11:09 | Weblog
 「赤福」のスタッフが「早朝から並んで赤福を買う人を気の毒に思っていた。なぜなら早朝の商品は昨日の売れ残りだからだ」と語っていたと新聞に載っていた。そう思っていたスタッフは確かにいそうである。

 しかし、別のスタッフが「製造日偽装はいけないことと分かっていても、言い出せなかった。創業家にたて突くとクビになって家族を路頭に迷わせることになるから」と語ったという。これって本当か?

 たて突いたらクビなんて今日び、ありうることなのだろうか?マスコミはしばしば誇張するから、この記事は眉に唾付けながら読まなくてはならない。

役得

2007-12-26 12:31:19 | Weblog
 職業人なら誰でも役得というものがあるだろう。例えばケーキ屋さんの店員は、ちょっと端が崩れただけで店頭にだせなくなったケーキを、ただでもらって帰ることができるだろう。

 八百屋さんなら、売れ残ったトマト。酒屋さんなら、賞味期限切れの酒などである。

 うちは医院を開業しているから、スタッフは薬を無料で貰うことができる。私は健康保険の3割自己負担分も取らないから、スタッフは大いに役得があると思う。

 私が公務員時代には役得がなかった。製薬会社の接待もダメ。薬代も普通に支払った。公務員はもっとも役得の少ない職業だと思う。

 高級官僚の天下りがあるではないかと言う人もいよう。でも、これがないと官僚のなり手がなくなる。天下りをなくすためには、官僚の給料をもっと上げなくてはならない。

 私が私立の精神科病院に勤めていたころ、そこの用度係のおじさんが出入りの業者からリベートを貰っていた。病院からはなんのおとがめもなかったが、リベート要求の露骨さと横柄な態度から、業者のほうが病院との取引を断わり始めた。

 そのおじさんは、とっくに故人となっているが、いまだに良く言う人はいない。そのおじさんは業者への尊大な態度とは裏腹に、病院の理事にはぺこぺこと取り入っていた。まるで小説にでも出てきそうな人物がホントにいたのである。

朝青龍問題ふたたびのふたたびのふたたび

2007-12-25 08:30:42 | Weblog
 横綱審議委員の内舘牧子さんが。抜き打ちで朝青龍の部屋を見に行った。

 朝青龍はけいこを6日もサボっていたという。そのうえ、高砂親方は内舘さんにろくろく挨拶もしなかったという。

 私は内舘さんの信念が正しいと思う者である。意地悪ではなく、相撲を正しい道へ導こうとせんがための抜き打ち見学だと思う。

 高砂親方は親方失格である。親方をなめてかかっている朝青龍も失格である。

 朝青龍は異種格闘技にでも行ったらどうか。

ガサ入れ

2007-12-24 07:58:42 | Weblog
 検察はときどきガサ入れをする。会社や自宅から何十箱のダンボールを持ち去る。

 あれは何のためにするのだろうか?あれだけのダンボールを持ち去って、入念に調べることなぞできっこない。99%以上の物品は捜査に不必要である。

 私はガサ入れを嫌がらせと見ている。会社や自宅をボロボロにして、資料を返すときはダンボールごと返す。返されても整理しなおすのが大変である。

 国民はガサ入れに反対していない。だから、検察もそのような横暴をするのだろう。

 ガサ入れは人権蹂躙である。即刻止めさせなければならない。

クエの刺身

2007-12-23 09:22:30 | Weblog
 九州でクエという大きな魚が獲れる。(アラとも言う)。けっこう珍しい魚で美味だという。

 昔、所用で単身、博多へ行ったことがあった。その晩、一人で居酒屋に入った。名古屋から来たのだが、なにか珍しいものはないかと親父に尋ねた。

 そうしたらクエが入っているという。刺身で供しようという。さっそく、注文した。

 だが、ピンク色をしたクエの刺身は大味でうまくなかった。

 クエの刺身が元来うまくないのか、その店のクエがうまくなかっただけなのか分からない。だが、すべての魚が刺身でも食えるわけではないと知った。

 カワハギの煮付けや干物はうまい。でも、カワハギの刺身というのは聞いたことがない。やっぱり刺身で食える魚と、そうでない魚があるのだろう。

 クエは煮るとおいしいそうである。もっとも、最近はクエは水族館の人気者で、食べることを考える人は少なくなっているように思われる。

「火の用心」の夜回りに意味があるか?

2007-12-22 08:22:06 | Weblog
 今年も火の用心の夜回りが始まった。

 地元の青年消防団の役割である。でも、これって意味があるのだろうか?

 昔は拍子木を持ってやっていたが、今は車で回っている。火の用心なぞと言われなくても、各家庭がやっている。

 昔は冬になると、炭や薪を焚いた。だから、冬には火事が多く、火事は冬の季語でもある。

 でも、今はどこの家庭でもガスか電気である。冬に特段、火の気が増えるというわけではない。

 しかし、地元の青年消防団はいまだに冬だけ夜回りをやっている。ほとんど無意味だと思う。

 もっとも、青年たちが夜回りにかこつけて、夜中に呑んで友情を暖めているとしたら、あながち批判や反対もできない。

縄文式土器

2007-12-21 08:29:17 | Weblog
 ひとくちに縄文式土器という。この時代に出てきた土器にはすべて縄文が付いている。どの場所から発掘された土器にも縄文が付いている。

 これって、すごく不思議なことではないか?発掘場所が違えば、通信機能が未熟だった縄文時代なのだから、違う土器が出てきてもよいのではないか?

 それなのに、どこで発掘された土器にも縄文が付いている。これはなぜか?

 私は縄文時代には、縄文を付けない土器は不吉とされていたのではないかと思う者である。このような迷信はすぐに伝わる。

 だから、この時代の土器には、場所がどこであっても縄文が付いているのではないか?逆に縄文が付いていない土器は、陰で使われていたのではないか?

 日用品なら、いちいち縄文を付けるのはめんどうなことだと思う。それでも縄文を付けたのは、何らかの迷信があったのではないかと思われる。

ゲレンデスキーはスポーツではない

2007-12-20 08:31:37 | Weblog
 昭和40年代にゲレンデスキーがはやった。大勢の人がスキーや荷物を持って、スキー列車は超満員だった。

 そこまでしてスキーをしたいのか?スキーとはそんなに面白いものなのか?と高校生だった私は疑問に思った。

 同級生も嬉々としてゲレンデスキーの計画を立てていた。毎年、必ずスキーで骨折する同級生がいた。骨折してまでやるほど、ゲレンデスキーは魅力的なのかと不思議に思った。

 私はゲレンデスキーをスポーツとして認めない。あれは大人の滑り台である。スキー列車が超満員だったのは、それが当時の流行だったからに過ぎない。

 ある時、乗鞍岳に行ったとき、一人で雪山をよじ登っているスキーヤーがいた。山スキーである。むろんリフトなぞない。私は、これこそ本物のスキーヤーだと思った。

 リフトを使わず、誰もいないところを一人で登って、頂上からスキーで降りてくる。スキーとは元来、こういうものだと感じた。スキーはもともと自転車のような交通手段である。山スキーを見て、本物だと思った。

 以上が、私がゲレンデスキーをスポーツだと思わなくなった理由である。

タレント・宮沢りえさん

2007-12-19 07:17:28 | Weblog
 宮沢りえさんが12歳のころ、雑誌「プレイボーイ」の表紙を飾った。私は一見して「この娘はビッグになるぞ」と思った。

 それで、「プレイボーイ」の表紙をかざしながら、「これはビッグになる」と当時の職場のスタッフにふれ回った。

 でも、スタッフの反応は冷ややかだった。「その娘あんまり好きじゃない」、「こんなのがビッグになるって、あんた正気なの?」という反応ばかりだった。

 でも、宮沢りえさんは事実としてビッグになった。

 女優としても一流ではない。モデルとしても、さほどでない。歌は歌わない。貴乃花との浮名を流したが、失敗した。母親は典型的なスタジオママとして顰蹙を買っている。

 でも、宮沢りえさんはビッグになった。落ち目のころ、ヘアーヌードで挽回した。

 ところが、今の宮沢りえさんの存在感はどうだ。大きいだろう。女優でもない歌手でもないモデルでもない。ただ、存在感だけがある。これは、すごいことなのだ。

 この小文の題名を「タレント・宮沢りえさん」とした理由はそこにある。彼女はタレント(才能)であって、女優でも歌手でもモデルでもないのである。存在感だけで稼いでいる。

 私は医者になるより、芸能プロダクションのスカウトになったほうが良かったのかもしれない。

体型で強弱が決まるスポーツはずるい

2007-12-18 13:42:55 | Weblog
 鍛えてもどうしょうもないことで強弱が決まるスポーツがある。バレーボールやバスケットボールがそれである。

 これらは背が高いチームが強い。でも、身長なんて鍛えて伸びるものではない。

 なんだか最初から勝敗が決まっているようで、ずるい感じがする。努力すれば何とかなるスポーツのほうがフェアだと思う。

 例えば、ボートとかスキーとか・・・。これらは身長は関係ないだろう。

 また、女子体操は小柄でないと鋭い技ができない。大きな女子は、それだけで不利である。現在の女子体操は子供のカルワザみたいで色気がない。チャスラフスカの時代が懐かしい。

 もっとも、スポーツには才能というのがあって、これがなければ鍛えても体型がどうであってもどうしようもないが。

 白状すると、私は運動音痴である。

可哀想な毛利衛さん

2007-12-17 08:27:21 | Weblog
 毛利衛さんは人格者だと思う。でも、今の肩書きは何なんなだろうか?今でも学者として研究をしているのだろうか?

 毛利さんの世に通じた肩書きは、元宇宙飛行士、それだけではないか?

 以前にこの欄に書いたが、スペースシャトルはアメリカの持ち物である。それに乗ったからといって、どこがめでたいのだろう。隣の家の高級車に乗せてもらって喜んでいるのと同じである。

 元宇宙飛行士という肩書きが毛利さんの人生を狂わせたのではないか?最近、建材会社のCMに出ている。毛利さんは本来、CMになぞに出る人ではないのではないか?

 毛利さんが可哀想である。

 向井千秋さんは、宇宙開発事業団の職員になっている。こっちのほうが毛利さんよりまだマシである。

 でも、向井さんは元来医者である。向井さんが慶応の医学部に入ったために、医者になれなかった人がいるわけで、これも罪作りである。

 毛利さんも、向井さんも、なんだか変な方向に行ってしまったなぁというのが、いつわらざる感想である。