院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

表現としての「確率」(6)(統計検定)

2014-07-31 05:42:11 | 科学

(日本統計学会の過去問集。統計検定のHPより引用。)


 最近はやりのビッグデータなど、今後、統計処理を必要とする分野が増えてきます。そうした現状に合わせ、2011 年より「統計検定」が行われるようになりました。この資格は国家資格ではありませんが、英検や簿記と同じように世間に通用する資格です。

 統計検定は4級から1級まであり、4級は小学校6年生で受かったケースがあるそうです。級の数字が少ないほど上級なのは英検や簿記と同じです。

 統計検定のさらに上位の資格として「統計調査士」、「専門統計調査士」があり、今後これらの資格が就職に有利となるでしょう。さらに、国際的に通用する資格として、RSS/JSS試験があり、Higher Certificate と Graduate Diproma の2つに受験できます。それらに合格すると、それぞれ欧米の大学の統計学修士課程、統計学博士課程の出願資格を得たことになります。

 統計処理がここまで重要になってきた背景には、むろんコンピュータで大量のデータを扱うようになってきたことが大きく影響しています。しかし、もっとも重要なことは、相手を説得する手段として統計的な言説が最強になったからだと、私は考えています。

 少なくとも医療界における指標(例えば血圧の正常値をいくらにするかとか)は、どんな権威者の見解よりも、無名の凡人が多数の患者を10何年にもわたって地道に調査、統計処理した結果のほうが信用されます。

(少し前、人間ドック学会が従来より緩い「正常血圧」を発表して物議をかもしました。高血圧学会がこれに激しく反論したのは、高血圧学会は10年以上にわたる追跡調査をもとに「正常血圧」を提唱しているのに対し、人間ドック学会は追跡調査を行わず(つまり将来どういう病気が出てくるかまで調べず)、粗雑にも現在の血圧分布の中間あたりを示しただけだからだ、と私は思っています。)

表現としての「確率」(5)(抗うつ剤の薬効検定)

2014-07-30 00:12:15 | 科学

(代表的なSSRI。薬事日報より引用。)

 うつ病治療の第一選択薬は現在ではSSRIという群の薬になっています。それまでは、三環系という抗うつ剤がうつ病の特効薬でした。今では第二選択薬となっています。

 なぜそうなったかというと、三環系特有の口渇、便秘といった不快な症状がSSRIにはないからです。それでいて、三環系とSSRIの効果は同等とされています。それだったら、SSRIのほうがよいに決まっていますよね。

 ところが、実際に両方の薬を使ってみると、SSRIよりも三環系のほうがよく効くように思われるのです。患者さんの「快癒感」が違うのですね。三環系が効くと、二週間後には患者さんは晴れ晴れとした表情で病院に見えます。SSRIには、その晴れ晴れとした感じがないのです。

 薬効検定は二重盲検法 (2013-07-13) で厳密に行われます。だとすると、薬効の評価尺度に問題がある可能性があります。うつ病の改善度はふつうハミルトンうつ病評価尺度で測定されます。(1960 年から使用されているので、この尺度がスタンダードになっています。)

 ハミルトンうつ病評価尺度は、自殺念慮よりも不眠のほうを重要視しているなど、欠点もあるのですが、ほとんどの抗うつ剤の薬効がこの尺度で測られてきたため、生き残っています。

 今後、SSRIと三環系を比較するときには、「快癒感」の項目を入れる必要があるだろうと考えています。

表現としての「確率」(4)(統計のウソ-2-)

2014-07-29 00:01:35 | 科学

(路上禁煙パトロール。足立区のHPより引用。)

 禁煙運動がさかんです。喫煙は多くの健康被害と結び付けられて語られます。

 何万人に1人という原因不明の難病があったとします。これをN病と呼んでおきます。非喫煙者3万人を調べて、N病の人が1人発見されました。一方、喫煙者3万人を調べたら、N病者が2人見つかりました。この結果から、以下のような結論を下しているメディアがありました。

 すなわち「喫煙者のほうが非喫煙者より、N病に2倍もかかりやすい」。いくら喫煙が憎くても、データからはこのような主張はできません。にもかかわらず、このような言説を弄するメディアが意外に多いことに用心しなくてはなりません。

(ここで言うメディアには、なんと学術論文も含まれます。)

表現としての「確率」(3)(統計のウソ-1-)

2014-07-28 06:03:30 | 科学

(国谷キャスター。NHKクローズアップ現代のHPより引用。)


 NHKの番組「クローズアップ現代」では 2013 年 7 月 3 日、「数字のカラクリ・データの真実~統計学ブームのヒミツ~」という番組を放送しました。その枕として次のような質問を通行人に行いました。

 「心筋梗塞で死亡した人の95%がこの食べ物を摂取していた。そして、がん患者の98%、強盗など凶悪犯罪者の90%が犯行前24時間以内に摂取していた食べ物。この食べ物を禁止すべきか否か?」

 多くの人が「禁止すべき」と答えました。でも、正解は「ご飯」です。みんな「だまされた」と言いました。

 テレビ番組で統計学の危険性を説明するには、とても面白い導入部だと思います。むかしから「統計のウソ」という言葉がありますが、だまされるほうにも、もう少し統計学の知識が必要でしょう。

 統計に親しんでいる人なら、上の質問に「よく食べられている食べ物」とすぐに分かったと思います。

表現としての「確率」(2)(選挙予想)

2014-07-27 15:58:16 | 科学

(AKB48 選抜総選挙 2013 。TOKYO POP LINE より引用。)

 大きな壺に赤玉や白玉や青玉がある比率で何万個も入っていたとします。この母集団を全部調べれば、何個ずつ入っているか分かりますが、一部を調べただけでも推計できます。これを「標本調査」と言います。

 標本数は多いほど正確な比率が分かります。壺からランダムに10個取り出して調べるより、100個調べたほうが実際の比率に近づきます。

 全部調べるのは、現在の選挙制度と同じです。全員が選挙権をもって投票(あるいは棄権)するからです。それに対して、新聞社などが行うのは標本調査で、ある有権者群が各候補をどれだけ支持しているかを見て予想を立てます。

 アメリカのある議会選挙で、世論調査会社が何万という標本から当選者を予測しました。一方、別の小さな調査会社は300名ほどの標本で調べました。そうしたら、選挙結果を的中させたのは小さな会社の方でした。

 冒頭に標本数は多いほどよいと書きましたが、それは標本が十分に撹拌されていることが前提です。アメリカの例では、大きな世論調査会社の標本は、撹拌が不十分だったと言えます。

 よく撹拌されていれば、300個ほどの標本でかなりのことが推計できるので、日本のテレビ視聴率調査会社は300軒ほどの調査対象しかもっていないそうです。撹拌の方法は企業秘密なのでしょうけどね。

※今日、気にとまった短歌

  偶然に捕獲されたるマンボウは偶然に来し吾を見てゐる  (静岡・吉田)半田豊

表現としての「確率」(1)(天気予報)

2014-07-26 00:30:07 | 科学

文部科学省・高等学校用解説書より引用。)

 最初、電子は原子核の周りを、地球が太陽の周りを回るように回っているイメージがありました。しかし、量子力学の研究が進むと、原子核の周りに電子がどのように存在しているかは、確率でしか言えないことが分かってきました。

 上の図の濃い部分に電子がある確率が高く、薄い部分は確率が低いというわけですね。高校の時に習って、ちょっと面喰らいました。

 量子力学が発展したのは大正末期から昭和初めにかけてですが、当時、確率でものごとを考えるのは学者くらいで、一般庶民には確率論的な考え方はなじみがなかったでしょう。

 天気予報が「降水確率」として、雨や雪の予報をするようなになったのはつい最近のことで、それまでは「雨でしょう」、「晴れた曇ったり」と文章で言っていたのでした。「降水確率」はまだ、60%とか90%とか切りの良い数字になっていますが、それでも「確率」という情報を庶民が理解できるようになったのは大変な進歩といえましょう。

 台風の進路予想円も確率表現です。むかしは進路予想は左右だけの扇型でした。それが円になり、台風の中心が前後に来る場合も加味されるようになりました。進路予想円とは、その時間に台風の中心が円内に入っている確率が70%という意味です。

 日本以外に天気を確率で知らせる国が、他にもあるのでしょうか?ないとしたら、日本の庶民の素養は大したものだと言わなくてはなりません。

「地域」とは何でしょうか?

2014-07-25 00:06:26 | 社会

怒りネットより引用。)

 精神科病院の長期入院者が退院していく先が確保できないので、病院を住居にしてしまおうという構想が厚労省にあります。上のポスターはそれに反対する集会への誘いです。病院を住居にしてしまうと、そこから先の改革がストップするのではないかと私も危惧しますが、今日はその話題ではありません。

 ポスターに「障害のある人も、地域をつくるひとり・・」とあります。若年のころ、私は「地域」という言葉の意味が分かりませんでした。そのころ私は名古屋市衛生局に職を得ましたが、保健婦さんも行政マンもいつも「地域」、「地域」と言っているのです。

 私は保健婦さんに「地域って、どこからどこまでのことですか?」とマジで訊ねました。さらに「地域とは学区や校区のことですか?」とも。(保健婦さんは学区校区単位で活動していました。)保健婦さんにはあまりに意外な質問だったらしく、きちんと答えられませんでした。

 そのころ、故山本夏彦翁が「社会と言うな世間と言え。地域と言うなご町内と言え」と書いている記事に巡り合い「あ、そうか」と腑に落ちたのでした。さらに翁は「分からない言葉に分からない言葉を重ねるから、地域社会などというまったく訳の分からない言葉ができるのだ」と書いていました。私はこのころから夏彦ファンになったのでした。

何のための熱中症キャンペーン?

2014-07-24 22:01:04 | 社会

豊中市のHPより引用。)

 90歳のお婆さんが、無傷で道に倒れて死んでいたら、死因はまず何を考えなくてはならないでしょうか?普通、医者は脳卒中や心筋梗塞を考えます。

 ところが、ここ数年は違うようです。暑い日だと熱中症の疑いということにされてしまいます。この数年、「熱中症キャンペーン」が行われているからです。本当の死因は解剖をしなくては突き止められません。

 今日は熱中症の疑いで500人以上が救急搬送され、1人が死亡したと報道されました。普通の人は、熱中症で死者が出たのかとショックを覚えるでしょう。確かに熱中症で死ぬことがあります。ですが、この報道で死亡した1人に数えられたのは、実は上記の90歳のお婆さんなのです。つまり、統計が相当にいい加減なのですね。

 熱中症はむかしからありました。溶鉱炉の作業員に見られました。夏で暑いから熱中症になるとは、むかしは言いませんでした。むかしのほうが冷房が完備していなかったにもかかわらずです。

 日本よりもはるかに暑く、冷房が完備されていない国では熱中症はどうなっているのでしょうか?アフリカや東南アジアなどです。そちらの国々のデータを知りたいものです。このことは昨年も述べました (2013-7-11)

 「熱中症キャンペーン」が始まる前は、冷房を28℃以下に下げないようにしようと奨励されていました。これを「28℃キャンペーン」と呼んでもよいでしょう。そのキャンペーンは熱中症を奨励していたことにはならないでしょうか?いま「28℃キャンペーン」は影をひそめました。なんのためのキャンペーンだったのでしょうか?

 現在の「熱中症キャンペーン」も、なんのために行われているのか理由が分かりません。このキャンペーンも将来、無駄なキャンペーンだったとされることでしょう。キャンペーンと聞いたら疑えとは、故山本夏彦翁の言葉です。

カウンセリングと「手の内」

2014-07-24 04:37:09 | 医療

(お札の手品。Yahoo!ショッピングより引用。)

 医療や遺伝のカウンセリングにせよ、心理カウンセリングにせよ、カウンセリングには交渉事としての側面があります。だから、面接者はカウンセリングの過程で手の内を明かしません。

 心理カウンセリングの場合、ある程度確立した技法があります。フロイトの精神分析療法やロジャーズの来談者中心療法などがそれですが、これらも最初のうちは手の内を明かしません。しかし、カウンセリングが進むにつれて、手の内を隠したままでは限界が見えてきます。

 そこからは、依頼者とカウンセラーが互いに人格を賭したやりとりが行われるようになります。この辺りが、心理カウンセリングが実り多いものとなる際のキモになります。

 ですから、カウンセリングが成功するかどうかは、技法の種類にはよらず、カウンセラーの人格によるところが大きいことが知られています。要するに、どんな技法でもそれはとっかかりに過ぎず、最終的にはたいして重要ではなくなります。どんな技法を用いても、けっきょくはカウンセラーの資質に帰着するということです。

面接と「権威」

2014-07-23 00:07:10 | 医療
(医学書院刊。)

 医療場面でもカウンセリング場面でも基本は面接です。『甘えの構造』で有名な土居健郎氏は上の『方法としての面接』で「面接には権威が必要」と説いています。いくら対等とは言っても、面接者が被面接者になんらかの影響を与えるためには、面接者には「権威」がなくてはならない、というわけです。

 医療場面の場合、医者の白衣なり病院の機械なりが「権威」の象徴となるでしょう。「精神分析家は背後に膨大な書物を置く必要がある」という皮肉があります。沢山の書物を後ろにしていると、精神分析家には一定の「権威」があるように見えるからでしょう。

 キリスト教の大聖堂や仏教の大伽藍も、聖職者の「権威」を高めるために考え出されたのかもしれません。

 そうしたこけ脅しのような「権威」ではなく、日ごろの行動や評判などから「権威」はおのずと滲み出てくるものです。「権威」がない面接者は馬鹿にされるだけで、被面接者に良い影響を与えることができません。ということは、面接者と被面接者は対等ではないということになりますね。この辺りのことがよく間違えられ、人間として対等であることが、面接者と被面接者が対等であるとすり替えて理解されることがあります。

(宝石とか携帯電話とか、専門的な品物を買うときには、若い女子店員でも客より上位にあり、人間としては対等でも、その商品については対等ではありません。)

※今日、気にとまった短歌

  新調の畳に座せば群青の紫陽花見えてその先は海  (三重・大紀)北村保

内科診療とカウンセリング

2014-07-22 00:45:49 | 医療
 医療の役割は一義的には痛みなどの苦痛を除くことですが、苦痛がない障害の場合、医者(ここでは内科医)のすることはカウンセリングとなります。

 たとえば、大酒家が肝機能障害を起こすとγ-GTPの値が上がることはよく知られています。その場合、医者は節酒や断酒を薦めるだけでは不十分です。その患者がアルコール依存症になるリスクや、なった場合の家族への影響なども考慮して、全体的に考えなくてはなりません。また、その患者が酒に走らないストレス解消法はなんなのか、患者の性格や嗜好に沿って考える必要があります。

(このような指導的なアプローチが可能になるためには、医者には良い意味での「権威」がなくてはなりません。「権威」については後日に述べます。)

 ここでの内科医の役割は、一昨日述べた「遺伝カウンセラー」と同じようなものとなります。控えめに注意深く患者と向き合わなくてはならないでしょう。お酒をやめさせるのが最善の道とはかぎりません。

(技術評論社刊。)

 上の本の著者は内科医ですが、東日本大震災の緊急診療所に派遣されました。そのとき、自転車で転んだおじいさんが受診してきました。おじいさんは酒臭く、「飲んでいますか?」と尋ねると「飲んでるよ」とのことでした。著者はおじいさんがこうむった厄災を考えると、かける言葉がなかったといいます。著者は「患者との控えめな対峙」という言い方をしています。また、「患者の気持ちが分かる」という医者の態度を、分かりっこないと否定しています。

ムンテラとカウンセリング

2014-07-21 05:18:52 | 医療
 患者やその家族に、医者が治療や経過について簡単に話すことをムンテラと言います。ムント(口)とテラピー(治療)というドイツ語をくっつけた和製ドイツ語です。

 「口先治療」とも言われ、むかしは素人の患者や家族をごまかすような意味あいもありましたが、現在ではインフォームドコンセント(説明による納得)も、ムンテラのうちに入ります。もっとも、今度はインフォームドコンセントという用語さえ、裁判で負けないための医者の保身という意味が含まれるようになってしまいましたが・・。

 分かりやすく外科手術を例にとりますと、術前術語のムンテラはきわめて大切で、精神療法とかカウンセリングと同じレベルにあると、私は思います。

 ムンテラはじつは高度なコミュニケーションで、医者によって巧拙があります。患者の性格、成育歴、家族的背景などを医者が知っていないと、十分なムンテラができません。その上で、外科医の気働きも重要です。

 朝、担当外科医が外来診療の前にちょっと病室を覗いて、一言二言患者と言葉を交わすだけで、たいへん強力なムンテラになることもあります。

 熱心な外科医は、紹介してくれた家庭医への現状報告を行います。電話で2,3分で済むことですが、それだけで家庭医は安心します。家庭医が安心すると、家族が家庭医に接する機会があれば家庭医の気持ちが家族に通じ、ひいては患者にもよい影響が及びます。

 だから、ムンテラは時間の長さや書類の多さよりも、短時間でもよいから行き届いている必要があります。それにより、医者患者間の信頼関係が増します。信頼関係が醸成されると、次のムンテラもうまくいくという好循環が成立します。

 以上のようなわけで、ムンテラは精神療法やカウンセリングに匹敵し、優秀な外科医はとくべつ精神医学を学んでいなくても、それができてしまうことを指摘しておきましょう。

遺伝カウンセリング

2014-07-20 00:15:50 | 医療

北海道大学病院のHPより引用。)

 遺伝病の遺伝子をもっていると、子孫に遺伝病が出る可能性があります。そうした人に遺伝学的な立場から助言を与えることを「遺伝カウンセリング」といいます。

 遺伝学の専門家は、ある遺伝病が子どもやその兄弟や孫に遺伝する確率を正確に計算することができます。でも、なんの精神的なサポートもないまま、遺伝病の発生確率を告知するだけではいけません。

 遺伝の確率だけではなく、それを聞いた依頼者がどのように振る舞えばよいのか、あるいは心づもりをしたらよいのか、依頼者に寄り添って考えるのが「遺伝カウンセリング」です。

 もし、科学的に計算するだけだったら、たんに「遺伝相談」でもよいし「遺伝教育」と呼んでもよいでしょう。でも、求められていることはそこにとどまらす、依頼者の心の動きにまで目を凝らさなくてはなりません。だからわざと「カウンセリング」という用語が使用されるのだと、私は思います。

風評被害(3)(サプリメントと実薬)

2014-07-19 00:03:46 | 医療

Qoo10のHPより引用。)

 サプリメントメーカーは「体に良い」という風評を立てるのに必死です。でも、サプリメントに有効性はまったくありません。毒にも薬にもならないから風評(イメージ)で売ろうとしているのです。

 ある会社は、コラーゲンを飲んでお肌すべすべになろうと売り込んでいます。でも、コラーゲンを飲んでもアミノ酸に分解され、体内では別のたんぱく質に合成されてしまいます。つまり、コラーゲンそのものにはなりません。牛肉を食べても、人間の筋肉が牛肉になるわけではないのと同じことです。

 もっとも、医者が処方する「正規の薬」も多くの場合、薬本来の作用で効いているわけではありません。医者は病気を治すものという風評があらかじめあるから、その風評によって効いたような気がすることが半分以上はあるのだと、私は思います。

風評被害(2)(風評はお金にもなる)

2014-07-18 00:11:15 | 社会
(出版社不詳。)

 「風評被害」に対して「風評利得」というものもあるでしょう。「風評利得」にめぐまれれば議員は当選できます。(記者会見で大泣きした県議も「風評利得」で当選したのでしょうね。)

 「風評利得」と「人気」とは、ほぼ同じものです。別役実は『当世商売往来』(岩波新書)の中で、タレントとは存在しているだけが仕事だと言っています。つまり、風評の対象としてだけしか存在価値がないということでしょうね。(だから、タレントが私生活を暴かれるのを「有名税だ」という人もいます。)

 風評は損害も生みますが、価値をもつことがあります。風評はイメージ(虚像)言い換えてもよいでしょう。大衆はイメージにお金を支払いますから、イメージは飯のタネになります。それだけで食べている人がタレントと呼ばれるのでしょうね。