院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

祭りの意味

2007-09-30 19:08:44 | Weblog
 祭りの効用は普通ハレとケの関係で説明される。

 日常生活は毎日変わらぬ農作業で、ケである。そんな日常を繰り返していてはノイローゼになってしまうので、ハレとしての祭りが四季折々に設定されている。こういう説明がいま一番説得的な説明である。

 文化人類学では、ポトラッチという考え方がある。ポトラッチとは、一晩で相当な量の食糧などを蕩尽することである。このような行動は合理的な生活態度からは説明できないけれども、ほとんどの民族に見られると言う。

 だとすると、わが国の祭りもポトラッチなのではないか?ハレなのではなく、蕩尽なのではないかと言う考えが拭い去れない。

互酬性

2007-09-29 11:34:38 | Weblog
 品物を贈られたら、お返しをしなくてはならない。これを文化人類学用語で「互酬性」と言い、すべての民族が例外なくもっている風習である。

 お返しの品物は、贈られたものと同じものであってはならない。同じものであったら、なにもしないのと同じことになってしまう。

 なぜ、お返しが同じものであってはいけないのか、本当のところはきちんと分かっていない。

 「互酬性」は民族の本能のようなものであるらしい。だとしたら、いま問題になっている政治とカネの関係も、単なる私利私欲では説明できない深い根拠があるのかもしれない。

敬語を正しくあやつれる人

2007-09-28 13:25:07 | Weblog
 敬語は難しい。敬語が話せない人が多いと嘆く投書もよく見かける。

 日本語の敬語は本当に難しい。だからと言って、練習すればできるようになるものだろうか?

 私は以前、このブログで「7%の法則」という記事を書いた。(2007,6,7)。どんな技能や技芸であっても、本当にモノにできるようになる人は人口の7%くらいではないか、という内容である。

 例えば、囲碁や将棋を始めた人で有段者になれる人は7%、鉄棒で蹴上がりができるようになる子も7%、ピアノやバイオリンをやっている人で、人前で恥かしくない腕前を見せるようになれる人も7%といった具合である。

 実は敬語にも「7%の法則」が適用できると私は考えている。つまり、日本語ができる人で、敬語が誤りなくしゃべれる人は、人口の7%くらいしかいないのではないか?

 だから、敬語がしゃべれない人が多いと嘆いても仕方がないのである。しゃべれない人を責めても、それはいくら練習をしても蹴上がりができない子を責めるのと同じである。敬語をあやつれる7%の人が、そうでない93%を責めるのは酷である。

 見方を変えれば7%の人の増長と言ってもよい。

メディアの変遷

2007-09-27 08:26:11 | Weblog
 先日、MDのコンパクトレコーダーを買いに行った。そうしたら、もう製造していないという。

 えーっ、MDなんてついこの前に出たばかりではないか。レコーダーの主流はすでに、ぶらさがり取材の記者が政治家に突きつけている携帯電話のような製品に移ってしまったのだそうだ。

 仕方がないから、旧来のカセット・テープレコーダの小型のものを買ってきた。MDよりもテープのほうが生き残っている。

 ビデオ屋に行くと、すでにVHSよりDVDの方が多い。さらに、そのうちHV-DVDに置き換わるだろう。

 子供の記録を残しておくなら、紙の写真に限る。ハードコピーなら機械なしに参照できる。私は子供の成長をビデオに撮らなかったから、かえって良かったと思っている。

職業に貴賎あり

2007-09-26 12:10:06 | Weblog
 表題は名コラムニスト故山本夏彦さんのコラムの題名である。

 夏彦さんによれば、税吏は賎業なんだそうである。昔は「貢(みつぎ)取り」と言って、農民から年貢を搾り取ったから、出自が賎しいのだという。

 新聞記者も賎業である。昔は「羽織ごろ」と言い、羽織を着て来訪し「貴社のことを書きたい」と言って金品をねだったのだそうである。「ごろ」とはゴロツキのことである。「羽織ごろ」が先祖だから、新聞記者も元来、賎業なのだと夏彦さんは言う。

 証券会社は昔は「株屋」と呼ばれ、もともと蔑まれていた。それが、証券会社となって、エリート学生がたくさん就職するようになったけれども、夏彦さんは証券会社は所詮「株屋」であり、賎業だという。

 さらに銀行、生命保険会社も理由は忘れたが、夏彦さんの手にかかれば賎業ということになってしまう。

 夏彦さんに言われると妙に納得してしまうから不思議である。

愛知県のタクシー全面禁煙

2007-09-25 14:17:17 | Weblog
 平成19年11月1日より、愛知県では全域でタクシーが禁煙となる。

 なぜタクシーを禁煙にするのだろうか?スモーカーでない運転手が嫌がるからだろうか?

 タクシーは排気ガスをばらまいて走っている。車内だけ禁煙にするなんて、まるでマンガである。その滑稽さにタクシー会社は気づかないのだろうか?

 少し敏感な人なら、ここにファシズムの匂いを感じるはずである。誰も大声で反対できないうちに、ものごとがどんどん進められていく。

 ヒトラーは非喫煙者だった。だから嫌煙運動が行われた。やがて人種差別からついにユダヤ人大量殺戮にまでおよんだ。

 わが国がそうならないという保障はない。

ガラスへの印刷

2007-09-24 14:34:01 | Weblog
 私は旅行のとき列車内でカップ酒をよく呑む。カップが空いたら捨てずに持ち帰る。カップ酒のカップは丈夫で割れにくいので、家で使用する。

 カップ酒のガラスには印刷がされていない。紙が貼ってあるだけである。

 昨日、缶詰めの金属への印刷について述べたけれども、ガラスには印刷できないのだろうか?

 これほど印刷技術が発達しても、ガラスに印刷できないとは僥倖である。ガラスは印刷できない最後の砦になってほしい。

缶詰めのカラー印刷

2007-09-23 12:34:09 | Weblog
 昔の缶詰めには紙が貼ってあるだけだった。中身や製造年月日は缶の裏を見れば分かった。

 今の缶詰めは金属にきれいなカラー印刷が施されている。金属に印刷すことは費用がかからないのだろうか?

 以前に安い内容の缶詰めは、金属の量を最低にするために、横から見ると正方形になると述べた。

 それほどまでに金属を節約しているのに印刷代を節約していない。金属に印刷することは、金属代を無視できるほど安いのだろうか?

 私は、缶詰めの値段を安くするために、金属へのカラー印刷を止めてはどうかと思う者である。

子供の足

2007-09-22 15:02:37 | Weblog
 ある時、実家から母校の小学校まで歩いてみた。あっという間に着いてしまって驚いた。子供のころにはとても遠く感じたのに・・・。

 子供は歩幅が小さいし、筋骨も発達しきっていないから、遠く感じたのだろう。

 電車などで子供のしつけのために子供を座席に座らせない人が多い。でも、体力的に考えると子供は老人や妊婦と同じではないか?

 ならば、子供に席を譲ってもよいのではないかと考えたりもする。

昨日の問題の解答

2007-09-21 11:25:08 | Weblog
 昨日の問題に解答してみる。

【解答】
 地球の直径をRセンチとすると、周囲はRπセンチである。

 いま地表から0,5センチのところに糸を張って赤道を一周させたとする。0,5センチということは、地球の直径が1センチ大きくなったのと同じだから、糸の長さは(R+1)πセンチ、すなわちRπ+πセンチである。

 意外なことに、わずかπセンチしか伸びないのである。

 問題は糸を1センチ伸ばしたのあるから、糸は地表から0,5/πセンチのところを通るようになる。1センチ伸ばしただけでも、地表から1~2ミリも上昇する。ここがこの問題のひっかけである。

 さて、ネズミが隙間をくぐれるかどうかだが、1センチ伸ばした糸をたぐりよせても周囲が1センチの輪しかできないから、ネズミは通れない。

 以上は私が考えた解答なので、間違っているかもしれない。念のため。

オイラー生誕300年

2007-09-20 12:47:56 | Weblog
 今年は大数学者オイラーの生誕300年だそうで、出身地のスイスのバーゼルではお祭り騒ぎだそうだ。

 バーゼルの路面電車には数学の問題が掲げられ、エレガントな回答を示した人は表彰されるという。

 中に次のような問題があった。ひっかけ問題だが小学生でも解けるものなので、一度挑戦してみてください。

【問題】
 地球は一周40000キロ。赤道の周りを弾力性のない糸でぴったりと結ぶ。この糸を1センチ長くすると、地球と糸のあいだにはどれくらいのたるみができるか?また、地球と糸との間をネズミがくぐれるようになるか?

オイリュトミー

2007-09-19 14:00:38 | Weblog
 シュタイナー教育ではいわゆる知育をしない。そのかわりに体の活動やお絵描きで教育をする。

 体の活動とは踊りや体操みたいなもので、これをオイリュトミーという。黒柳徹子さんの「窓際のとっとちゃん」に出てくるリトミックと同じものである。

 黒柳さんは「窓際のとっとちゃん」の中で、自分はリトミックで救われた、そうでなければ悲惨な少女時代を送っていただろうと書いている。

 すでに述べたが、私の息子と娘が行った保育園はシュタイナー教育を採用していた。娘はすぐに適応したが、息子はオイリュトミーがダメだった。バカらしくてやっておれないという様子だった。

 私自身、幼稚園のころお遊戯がバカらしくてできなかった。だから、息子の気持ちはよく分かった。

 でも、シュタイナー教育は良い面をたくさんもっている。この教育はオイリュトミーができない子供も決して見捨てなかった。

名古屋の鉄道マナー

2007-09-18 12:31:06 | Weblog
 名古屋は鉄道のマナーが悪い。座席をとろうとして、いっせいに電車に乗り込もうとするから、かえって入り口で詰まってしまい、乗車できない。

 それに引き換え、東京はマナーが良い。整然と並ぶから入り口で詰まることもない。

 でも、もしかすると、これはマナーの問題ではなく、東京の鉄道は誰も座れると思っていないからかもしれない。

青海苔を復活させよ

2007-09-16 10:35:32 | Weblog
 ソース焼きそばは誰が考えたのか知らないが、とてもおいしい料理である。私が幼少のころからすでにあった。祭りの屋台でも売られていた。

 小学校4年生のとき、父に浅草に連れて行ってもらったおりにも、私はソースやきそばを食べた。おいしかった。そのときの焼きそばに振りかけられていたのは青海苔だった。

 青海苔はソースと絶妙なハーモニーをかもしだした。これが、普通の海苔のきざみではダメだと思った。青海苔は不思議な調味料である。

 昔は青海苔の粉末の瓶詰めが売られていた。今は見かけない。青海苔はなぜ使用されなくなったのだろうか?

 青海苔が合う、というより青海苔でなければダメという料理が今でもたくさんある。白味噌の田楽には青海苔しか合わない。むろんソース焼きそばもだ。

 青海苔が絶滅した理由が分からない。青海苔は普通の海苔のキザミとは別の食品である。昨今、普通の海苔といっても、硬いおのばかりだ。アサクサノリにはかなわない。そのことは、この欄で繰り返し述べたので省く。

宗教が自分は宗教だと主張する不思議

2007-09-15 14:41:07 | Weblog
 宗教が自分自身を宗教だと主張するのは自己矛盾ではないか?信仰者はその宗教を真理と信じているはずであり、真理であれば宗教ではなく事実のはずである。

 自然科学は、自分は宗教であると主張しない。それは自然科学が真理であると(科学者は)考えているからで、まっとうな態度である。

 宗教法人の税制特例欲しさに、自分は宗教だと言いはってはばからない宗教集団が後をたたない。まことにおかしな行動である。

 私は自然科学も宗教のひとつだと考える者であるが、科学者はそうだと言わないところが偉い。自然法則は教えでも教義でもなく、宇宙の真実だと考えているところが偉いと言えば偉い。

 でも、自然法則もいつ変わるかも分からない。それを変らないと思い込むことは、ほとんど宗教的な信念である。なのに自然科学は宗教ではないと思っているところが滑稽ではあるが、偉い。