院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ビッグベン専用職人

2018-01-24 22:22:11 | 文化

(ビッグベン。">ブロミングより引用。)

 ビッグベンの時間の狂いを調整する家系があるらしい。

 彼らは振り子にコインを置いて時間を調整すると言うが本当か?

 振り子は長さに依存し、重さとは関係がないのだが。

 ※今日の俳句(春)
   屋上のかじかみてすぐ室内へ
   ひとし(豊橋市)

文字言語の発明

2017-11-15 07:07:49 | 文化

(語族の分布。ウィキペディアより引用。)

 世界には8,000もの言語があるらしい。うち文字表現をもっているのは、わずかに17言語だという。(ちょっと少なすぎる感じがする。たとえばドイツのドイツ語とスイスのドイツ語圏のドイツ語は互いに通じないのに、ひとつの文字表現としてカウントしているのだろうか?)

 いずれにせよ文字表現をもったことは革命的で、文字表現は文化を著しく進展させた。日本の場合、百済から1,000年以上も前に「千字文」が伝わってきたことは幸運だったと言わなければならない。これにより稗田阿礼のような口伝者が不要となった。

 日本では漢字を音として捉えたが、古代中国は違っていた。古代中国では漢字を音ではなく形として広めた。つまり「東」は音でなく「ひがし」を表す記号として広めた。そのため、まったく違う言語の民族に中央の意思を伝えることができた。(それにより広大な面積を支配できた。)

 言語もいろいろだと感心させられる。

 ※今日の短歌
   絵手紙に描かれたカツオ淡墨の光る背びれに初夏の輝き
   井上紀子(東京都)

「腰べん」をあなどるなかれ

2017-10-25 00:00:34 | 文化

(日炭高松炭鉱。西日本新聞フォトライブラリーより引用。)

 「腰べん」とは工員を指す侮蔑用語だった。腰に弁当をぶらさげて出勤したからである。

 20年少し前、私は名古屋から豊橋まで通勤しなくてはならなくなった。遠いので閉口した。息子や娘がまだ中学高校の時分だったが、転校は避けたかった。

 親友の父親にそのことをコボした。そうしたら父君は「君さえ頑張れば、すべて丸くおさまる」と言った。私は、なるほどと思った。依頼、文句も言わず始発のバスで通勤を始めた。冬はまだ暗いうちに家を出なくてはならなかった。

 始発のバスに乗って仰天した。そのバスはすでに超満員なのだった。同乗者は「腰べん」ばかり。彼らはこんな時間からもう出勤しているのだ。自分の甘さを思い知った。

 こうした生活が2年間続いた。「腰べん」をあなどってはならないと、つくづく思った2年間だった。

 ※今日の俳句(秋)
    台風禍自転車の人出できたる

精神障害者の美術展

2017-10-21 06:37:54 | 文化

(障害者美術展のポスター。東村山福祉学園のHPより引用。)

 「精神障害者の美術展」というのがある。仲間内で「精神障害者の」と枕詞つけるのはなぜかという議論があった。なぜたんに「美術展」ではいけないのかというわけだ。「精神障害者の」と付けると、なにか特別のことにように感じられる。精神障害者差別のようにも感じられる。

 じつは、そんなことではないのだ。「精神者障害の」と付けないと客が来ないからだ。別に精神障害者を差別しているからではない。プリンツホルンが精神障害者の「作品」を収集したのとは時代が違うのである。

 国立博物館でさえ赤字である。だから国立博物館は、ときどき「エジプト展」や「メソポタミア展」など俗受けする展覧会を開いて赤字を埋めようとしている。

 まして素人の展覧会に「精神障害者の」と冠するのは当たり前と言わなくてはならない。

 ※今日の俳句(秋)
    秋深しうなれる自動販売機


私の美術遍歴

2017-08-13 07:14:57 | 文化

(川端龍子作品「愛染」。ウィキペディアより引用)。

 亡父が美術好きで(日本画、木彫)私は幼いころからよく上野の美術館群に連れていかれた。国立博物館の仏像や刀剣などは怖いだけで少しも感動しなかった。小学2年生のころである。

 父は50センチくらいの木彫の仏像を彫っていた。そりゃあシロウトだから、デッサンに狂いがある。でも、シロウト木彫家を私は父以外に知らない。上の川端龍子展にも連れていかれた。川端氏が現場にいた。白髭の小柄なおじいさんだった。

 中学に入ってから私は写真に凝った。写真も美術の一種と思い込んでいた。(いまは違う)。ご多分に漏れず漫画にも凝った。漫画誌ガロとかCOMの時代で、そこに一コマ漫画を投稿して一席を一再ならず取った。

 高校時代は油絵を始めた。人物や静物を描いた。父も油絵をやってみたが、さすがに油絵はうまくなかった。父は日本画と木彫の人なのである。私の油絵はいまでも東京の実家に飾ってある。

 こうしていろいろ美術に挑戦したが、ほんとうによい作品とはなんなのか、正直なところ未だに分からない。一回、絵画の専門学校にデッサンを送ったことがある。そしたらなんと校長が家まで押しかけてきて、入学するように懇願するのだ。医学部志望だった私は断るのに苦労をした。(美術はあくまでも趣味に留めておきたかった)。

 高校時代の美術の教師が2名いて、両方とも日展出品の常連だった。友人と都美術館の日展を見に行ったことがある。私たちには美術の教師2名の作品のよしあしが分からなかった。入選にも入っていなかったし・・。(そのうちに分かるようになるだろうと軽く考えていた)。

 大学でも写真クラブに入った。大2の時にはクラブ長にさせられた。一方、造形作品の展覧会にも行った。当時「行動展」という前衛の展覧会があったが、なんの技術も要らない思い付きのような「作品」ばかりで、がっかりした。4年前にここに書いた愛知トリエンナーレ展も似たようなもので、歴史は繰り返すとつくづく思った。

 私はモダンジャズの演奏なら金額にしていくらの価値があるか、くらいまでのことは分かる。だが、高校時代に「(美術の価値は)そのうち分かるようになるだろう」と考えていたのは甘かった。実は未だに分からないのである。

 知人に瀬戸の陶芸家、加藤博一氏がいる。彼からは私が豊橋に住まいを新築した時に、お祝いに高さ1メートルほどの壺をいただいた。彼の陶芸に対する価値判断は明快だった。それは「値段は作品につくのではなく作者の名前につくのだ」という意見である。そうかもしれないと思う。


(加藤博一氏の作品)。

 私の人生も残りが少なくなってきて、けっきょく美術の価値(値段)は一生分からないまま終わるのだろうと、ちょっと寂しい気持ちなのだ。


 ※私の俳句(夏)
    掛け時計一時を刻む熱帯夜

四季に敏感な日本文化

2017-07-22 14:09:05 | 文化

(日本料理「志摩」のHPより引用。)

日本料理は四季を重んじる。温室栽培の季節外れの材料なぞ絶対に出てこない。

茶の湯にせよ能楽にせよ、むかしからの日本文化は常に四季を意識してきた。茶の湯の活け花はむろん当季のものだし、能楽の演目「鉢木」は冬のみ、「鵜飼」は夏のみしか演じられないそうだ。

俳句も同じ。季節(季語)が重要である。金子兜太氏らは無季の俳句を推奨しているけれども成功していない。金子氏は四季以外に「雑」という項目を設けている。しかし、それが詰まらない。(たとえば「雑」には「サラリーマン」などの語がはいる)。

無季俳句を奨励するなら、日本料理なら季節外れの材料を使い、能楽なら雪が出てくる曲を夏に演じるというくらいまで徹底しなくてはならないだろう。


 ※私の俳句(夏)

    夕立が街の匂ひを一掃す

花は美しいか?

2017-07-13 22:48:13 | 文化

(荘川桜、「荘川」より引用)

目黒川ぞいの桜が満開のとき「あぁ、美しい」と私が感じたのは小学校2年生のことだった。どうも私は、小学校2年生で「動物界」から「人間界」に移ったようだ。

と言うのは、花を美しいと感じるのは本能ではないと思うからだ。「正義の味方」をカッコいいと感じ、当時テレビでやっていた「月光仮面」に夢中になったのも小学校2年生だった。

花とか正義を美しいと感じるのは、広い意味での教育によるものだろう。それによって「人間界」では互いに共通の認識ができる。

花はよく見ると、うぶ毛が生えていたり粉のようなものを出したり、なまなましくて決して美しいばかりではないはずだ。

俳句の季語は共通認識の際たるもので、いまごろならアジサイが季語である。


 ※私の俳句(夏)

    紫陽花や西の雨雲切れてをり

世界中、子どもは同じ

2015-11-28 14:09:44 | 文化


 先日、新幹線に乗っていたら、前の白人の子が後ろの席を覗いた。日本人の子と同じだ。

 子どもはみな同じである。日本の小学1年生に、習字で「一」と書かせると、みな太い字で横一棒を書く。

 へんに個性化していくのは、そのずっと後のことだ。


※私の俳句(冬)

  心病む人との句座や茶の花忌

下駄屋の末路

2015-10-20 11:47:14 | 文化

丸屋履物店のHPより引用。)

 私は幼いころ下駄を履いていた。中学生になっても学校のプールにはホウバ下駄で通った。夏でも蒸れないので心地よかった。

 私が大学生になったころ(昭和44年)、下駄の時代は終わった。

 幼いころ近所に下駄屋があった。そこの老親父が上半身裸で夕涼みをしていた。(当時は東京のど真ん中でも夕涼みがあったのだ。)

 下駄屋の老親父を見て父親は言った。「あれが下駄屋の末路だよ!」。口の悪い父親であった。以来その下駄屋の復活はなく、老親父が死んで下駄屋一家はどこかへ離散してしまった。

 私の口が悪いのは遺伝である。


※今日、気にとまった短歌

  問題を提議し経過と結論を自分で言ひて妻は席立つ (松阪市) 山本公策

電車でいちゃつく男女・日本の恥!

2015-10-12 05:37:25 | 文化

(いちゃつく男女を台湾人が批判。KOARA.jp より引用。)

 みなさまは電車内でキスしたり、ベタベタといちゃつく男女が減ったと思われないだろうか?

 また、さんざん批判されたせいか、電車内で化粧をする女も減った。これは喜ばしいことである。

 ひと前で平気でキスをする西洋文化の国に住んだことはないが、少なくとも日本ではひと前でキスをしてはいけないのである。キス以上のいちゃつきや本番はラブホでやれ!という文化が日本にはある。

 若者についていろいろ言われるのは世の常だが、少なくともいまの若者は公徳心がある。草食系でもなんでもいいから、ひと前でいちゃつくのはやめてくれ!


※私の俳句

  銭として団栗くるる幼なかな

新文明が旧文化を破壊する!

2015-07-31 06:01:42 | 文化
  (文芸春秋社刊。)

 サイ人(ブッシュマン)は貨幣経済に馴染めず困っているという。

 以前にイヌイットが栄養障害を起こしていると報告した が (2014-03-04)、現在は先進国から送られてきた炭水化物でイヌイットは激太りし、同じく先進国から入ってきたアルコールのためアルコール依存症が多発し問題になっているらしい。(上の本が出版された1989年には、イヌイットはそのような状態にはなってはいなかった。)

 イヌイットという狩猟民が、狩猟を放棄して炭水化物を食べ、アルコールを飲んだらこのような結果になってしまう。

 前回述べたハザ族に文明を入れることには、慎重の上にも慎重を重ねなければならないだろう。


※今日、気にとまった短歌

  画用紙のおひなさまはみな歪なり全員ピカソのひばり組の児 (東久留米市)小林久枝

まだ残っていた狩猟採集民族

2015-07-30 11:31:54 | 文化

(ハザ族の日常生活。)

 だいぶ前、サイ人(ブッシュマン)に定住化政策が押し付けられて、これで純粋な狩猟採集民は地球からいなくなったと報告しましたが (2013-11-30)、じつはまだ残っています。

 それは、アフリカのハザ族です。文明化の象徴として先進国から最初に入ってくるのは、金属鍋とナタとTシャツなのですが、彼らにはそれさえありません。

 このような民族の暮らしを、私たちは手本にしなくてはなりません。それにしても、残っていたよかったぁ。

(彼らは植物がなくなる乾期には草の根(広い意味での芋)を食べているそうです。)


※今日、気にとまった短歌

  手渡したボールを手にし礼を言う子の父もまたはにかみており (東京都)清水伸子

タテマエこそ重要!

2015-07-26 05:09:11 | 文化

(韓美連合軍事演習。中国報道による(台湾の?)外軍聯合軍事演習嚴格按照實戰環境進行規劃より引用。)

 昨日、例に出した反戦川柳はホンネを言いすぎてしまったのだ。ホンネを言うと危険だから、外交や福祉は徹頭徹尾タテマエで行われる。ホンネを出すと殺し合いになる。

 ホトトギスの俳句は首尾一貫してタテマエである。汚いもの苦しいものは俳句に詠まない。これはきわめて正しい姿勢である。私の俳句の師、故浅野右橘先生は「人間界は醜いもの汚いもので満ちているのは分かっています。分かっているからこそ、俳句の世界ではそれらを詠まないのです」とおっしゃった。

 タテマエがいかに大切かについては、かつて述べた(道徳教育の教科化。2013-03-12。)。軍隊は国家のホンネの部分である。しかし、その実力を行使しないのがタテマエである。行使したらホンネになってしまう。このようなことからもタテマエの大切さが分かるのではないか?


※今日、気にとまった短歌

  子が親に似ていることを悲しげに噂されてるモリさん一家 (仙台市)工藤吉生




祭りの露店(テキ屋)の存在意義

2015-07-20 06:28:37 | 文化

(露店。ウィキペディア「的屋」より引用。)

 神社の例祭からテキ屋が締め出されるようになって話題になっている。締め出されるのは、そこに不良たちが集まって気勢を上げるからだという。テキ屋はたしかに怪しい。テキ屋保護派は、子どもは祭りの夜のテキ屋から詐欺やインチキや裏切りを学ぶのだという。

 私がテキ屋にコノヤローと思ったことは2回。小学校3年生のころ、ヤドカリを売るテキ屋が店を準備していた。「坊や坊や、バケツで水を汲んできてくれたらヤドカリをひとつやる」という。苦労して水場と何回も行き来をして、そのあと知らん顔でヤドカリをくれない。くれとも言えず、コノヤローと思いながら帰った。

 もう一回は、焼き鳥の串のようなものを4本、テキ屋の親父が指の間に挟んで、当たりの串が引ければ景品を貰えるというものだ。一種の手品だから当然当たらない。それだけならよいのだが、(タネを見破られるからだろう)その親父は一回終わると子どもたちの頭を叩いて、もうあっちへ行けと言う。かなり痛かった。なにも叩くことはないだろう、コノヤロー。

 小学校4,5年生になると、テキ屋の手口がかなり分かってきた。ピストルのおもちゃをくれるという触れ込みで、ガムの山からアタリのガムを見つけるガム売りがいた。テキ屋は、「ほうれこれだ」と当たりのガムを見つけて、ガムの山に戻すのだが、そこは手品だからもう当たらない。高いガムを買わされることになる。

 私が取ったガムは、他のガムとは違って半分腐ったように融けていた。「おじさん、このガム変だよ」と私。おじさんは、「そういうのがうまいんだよ」という。「じゃあ、おじさん食べなよ、あげるから」と私。おじさんは食べられず、ごまかすのに必死である。「こういうのがうまいんでしょ、だったら食べなよ」と追い打ちをかける私。

(私よりももっと悪ガキがいて、金魚すくいのおじさんがちょっと横を向くと、金魚を手づかみで大量に盗ってしまった。50匹くらい。)


※今日、気にとまった短歌

  あこがれた制服を今着ているの私はあこがれられているかな (都立鷺宮高校)池田なつき

動物愛護主義の存在価値

2015-07-06 06:06:51 | 文化

環境省のパンフ。)

 縁台のヘボ将棋には興味がありません。でも「ヘボ」にも存在意義があります。将棋界のすそ野を形成しているのは、ヘボ将棋を打つおじさんたちです。すそ野があるからこそ羽生名人が名人として尊ばれるのですよね。

 話は飛躍します。平安京の都でさえ死体が転がっていましたが、だれも見向きもしませんでした。芭蕉にも「野ざらし紀行」があるように、ちょっと旅に出れば行き倒れのまま野ざらしになった遺体が放置されていました。

 昭和初期の新聞には、奇形児を見世物小屋に売った親を非難する記事があります。つい昭和の中ごろまで子どもは親の所有物で、煮て食おうが焼いて食おうが親の勝手でした。間引きも捨て子もふつうに行われていました。(捨て子は翌日には野犬たちに食い散らかされていました。)

 個人の命の重さが、むかしは現代とは比較にならないくらい軽かったのです。(現在の日本では遺体が山に一体見つかっただけで、大騒ぎになりますよね。)

 私が幼いころの少女漫画や紙芝居は児童虐待が定番でした。(まま母によって、主人公の女の子だけが家族とは別に粗末な食事を台所で与えられるとか。グリム童話の「灰かぶり(シンデレラ)」は要するにいじめと、それに対する復讐のお話です。)

 そこで動物愛護の思想ですが、動物を愛護するのは人間を愛護する「すそ野」だと思います。動物愛護の考えがあるからこそ、人間はもっと大事にしなくてはならないという意識が芽生えます。

 ここで冒頭の将棋の話と結びつくのですが、何事もそす野が広くなければ頂上は高くなりません。動物愛護の精神は、人命を尊ぶという観念のすそ野であると考えると、動物愛護主義をあながち偏向した趣味だとは片づけられないのです。

(私は動物愛護主義者に対して「では諸君はなぜ豚や牛を喰うのか?」と責めてきましたが(2014-10-06)、人間愛護の「すそ野」として存在価値があることを認めましょう。)

(「犬公方」として軽蔑された将軍、綱吉は虫類まで愛護せよと命じましたが、同時に捨て子の禁止、老人愛護なども発令しました。たいへん進んだ将軍だったと言えましょう。)


※今日、気にとまった短歌

  遠足の点呼常より高き声黒磯駅の思わぬ活気 (宇都宮市)藤本一誠