院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

拘置所鑑定について

2014-08-31 06:05:56 | 医療

(大阪拘置所。週刊金曜日ニュースより引用。)

 私が精神科医になったばかりのころ、先輩が経験のためにと「拘置所鑑定」に連れて行ってくれました。私はまだ鑑定医の資格をもっていなかったので、本当なら拘置所には入れないのですが、先輩が拘置所に対して新人教育だと説明して中に入りました。初めて見る拘置所内でした。警察官が先輩に最敬礼するので、先輩が眩しく見えました。

 精神科医の間では「拘置所鑑定」と呼ばれていましたが、それが正式の法律用語なのかどうかは知りません。とにかく、独立した鑑定医2名が拘置所に赴き、被疑者の精神鑑定を行うことを、そう称していました。

 そのときに出てきたのは髭もじゃの青年で、器物損壊か何かをしたらしいです。2人の鑑定医は代わる代わる問診をして、30分もしないで精神障害者で入院が必要と診断しました。私にはどこが問題なのか分かりませんでした。

 鑑定医2人のどちらの病院が患者を引き受けるかが相談され、そのときは相手の病院に引き取られました。これが現在でも存在する「措置入院」です。「措置入院」は国家権力による強制入院であり、本人はもちろん家族の同意も必要としません。(そのため医療費は国が持ちます。)

 国家権力による入院は、もう一つ感染症法による感染症患者の隔離があるだけです。


※今日、気にとまった短歌。

  パトカーに尋問されし朝散歩自分としては徘徊ではない  (岡崎市)林建生

「医は仁術」の意味

2014-08-30 18:28:40 | 医療
ヤフオクより引用。)

 「医は仁術」とは「医は博愛の道である」という意味で、古くは唐の宰相、陸宜公が言いました。丹波康頼の『医心方』や貝原益軒の『養生訓』にもこの言葉は見えます。 もっとも有名な出典は山本周五郎の『赤ひげ診療譚』でしょう。

ですが、『赤ひげ診療譚』では、「医は仁術」という言葉は否定的に使われているのをご存じでしょうか? 山本周五郎は赤ひげ先生に次のように言わせています。(原文のままではありません。)「最近の医者は”医は仁術”なぞとぬかす。体のことはまだ何も分かっておらぬのに、自然治癒したものを自分の手柄のように言う」ということが書いてあります。 

意外に思ったので取り上げましたが、赤ひげ先生の言葉は、現代の医学にもそのまま当てはまるものです。

鑑定留置について

2014-08-30 00:04:39 | 医療

(私が若いころに勤務していた精神科病院(当時)。畑の真ん中にありました。)

 佐世保の女子高生殺害事件で「殺してみたかったから」と同級生を殺害した女子高生が「鑑定留置」に付されました。「鑑定留置」とは精神障害が疑われる被疑者の精神鑑定を行うために精神科病院に移送することです。

 「鑑定留置」は、鑑定医が毎日拘置所へ赴く時間がなく、また看護師らによる24時間の観察ができないために、精神科病院に被疑者を泊まらせる制度です。病院では被疑者は被拘置者としてではなく患者として遇されます。ところが、「留置」という用語が付いているために、刑罰の一種と誤解されたり、精神科病院が「代用監獄」との印象を一般の人に与えます。

 「鑑定留置」はあくまでも観察、診断、治療が拘置所ではできないから設けられた制度で、そのことをマスコミは報じないから、精神科病院が拘置所や刑務所と混同されることになります。

 私は若いころ上の写真の病院で、母親殺しの犯人である息子の「鑑定留置」を経験しました。鑑定を行ったのは私ではなく先輩医師でした。殺害現場の写真を見ましたが、母親はめった刺しにされ、首が半分えぐられたむごたらしものでした。

 息子は統合失調症で幻覚妄想にかられた犯行であることは明らかで、鑑定もやさしいものでした。息子はそのまま同じ精神科病院に入院となりましたが、おとなしい人で淡々と入院生活を送りました。この人のどこにあれほど激しい母親殺しのエネルギーがあったのだろうかと、意外に思わせる患者でした。

 病気がよくなって退院していきましたが、むろん刑に服することはありませんでした。ここのところが、一般の人が理不尽と感じる部分なのでしょうが、論評はいずれ行います。

 とにかく、マスコミは「鑑定留置」の説明を省いてしまうから、いつまでたっても精神科病院は収容所や刑務所と混同されるのだと、今回はそれだけを指摘しておきましょう。

※佐世保の殺人女子高生は絶対に精神障害ではありません!!

生い立ちを重視しなくなった裁判所

2014-08-29 00:10:27 | 社会
 (合同出版刊。)

 最高裁判所がホリエモンを執行猶予にしなかったとき、村上ファンドの村上さんはなぜ実刑を免れたのか不思議に思いました。たぶん、微妙に罪状が違ったのでしょうが、ホリエモンに実刑判決が下ったときには、私は最高裁判所でさえ世論に迎合するのかと失望しました。ホリエモンは自家用ジェット機に美女を乗せて飛んだりして、庶民の反感を買っていたからです。

 それはさておき、もう数年前になりますが、永山則夫死刑囚の死刑が執行されました。大むかしの事件ですが、19歳の永山は命乞いするタクシー運転手を初め、計4人を拳銃で殺害したのでした。

 上の本は私は未読ですが、永山がいかに貧困ですさまじく不幸な幼少時代を送ったかが書かれているそうです。死刑囚だった時期に書かれたもので、この本はそうとう売れました。

 読者の中には、これでは殺人鬼になっても無理はないと思った人が多かったようです。しかし、裁判所は不幸な生い立ちはともかく、極刑は免れないと判断しました。いちいち過去にさかのぼっていたら、あらゆる犯罪者にそれなりの理由があることになってしまうからでしょう。

 「なにかい?文章がうまければ罪が免れるのかい?」と揶揄したのは、ビートたけしさんでした。彼が人気があるのは、しばしばこのように本質を突くからではないでしょうか?

 永山の生い立ちをほとんど無視した裁判所が、村上さんを実刑にしないのに、似たような罪状のホリエモンには実刑を言い渡したので、そのアンバランスさに私は失望したのでした。この失望が的外れなのかどうか、法律にも証券市場にも暗い私には、いまだに分かりませんが・・。


※今日、気にとまった短歌。

  お盆近し胡瓜の馬ではもどかしいハーレー駆って早く来よ息子  (愛知・扶桑)井戸田雅子



(お盆に胡瓜の馬、茄子の牛を作って死者を迎える
地方があります。「みらいく」のHPより引用。)


えーっ!「のぞき」、「盗撮」、「痴漢」が病気だって?

2014-08-28 00:01:10 | 社会

(探偵用として販売されている腕時計型ビデオカメラ)

 最近、表題の破廉恥行為がやめられない状態を「性依存症」と一括して「病気」と見なす動きが一部にあります。病気とは社会的に保護すべきもの、治療すべきものという観点からすれば、「性依存症」と命名して「病気」としてエクスキューズを与えることに、私には強い抵抗があります。表題のようなことを繰り返す人は、ただの「変態」ではないのですか?

 2年前、統合失調症治療の本を書いたとき、病気とは何かについて考えました。治療の目的を深く考えると、簡単には答えが出せない問題だと難渋しました。治療の目的として、さっと思いつくのは「寿命を延ばすため」ですが、よく考えると寿命を延ばすことの意味のなさを指摘されたら、明快な反論はむずかしいのです。

 考察の途中経過を省くと、治療の目的は「現在ただいまの苦しみや痛みを取るため」ということに落ち着きました。だから、さしあたり本人に苦しみや痛みがなければ治療の緊急性はありません。

  (日本評論社刊。amazon の当該ページへ

 表題の破廉恥行為に加えて「露出症」、「小児性愛」、「サディズム」なども困った性的嗜好です。本人には快感こそあれ、苦しみや痛みはありません。そのような性癖が社会には受け入れられないことをもって「病気」と認めてよいのでしょうか?

 これらの行為の名称は確かにWHOの疾病国際分類(ICD-10)に搭載されています。ですが、ICD-10はあくまでも医療者間で意思疎通を図るためのマニュアルです。載っているからといって、それらが治療を必要とする「病気」と認められているわけではありません。

 ICD-10には「盗癖」も載っています。それでは窃盗を繰り返して刑務所に入っている人たちは、みな医学的に治療すべき人たちなのでしょうか?

 読者のみなさまは、どうお考えになるでしょうか?


非武装は戦争を防ぐだろうか?

2014-08-27 05:02:30 | 歴史
 先日(2014-06-26)、ポルノは性犯罪を助長するのか防ぐのか、ほんとうははっきりしないと述べました。ポルノによって劣情を募らせ性犯罪に及ぶこともあるでしょう。ですが逆に、ポルノのレベルで性欲が満足させられて、多くの性犯罪が予防されているかもしれません。(友人は、今のネット上でのポルノの氾濫が、草食系男子を作ったと解釈していました。)

 軍事力にも同じことが言えます。軍事基地は最初に叩かれますから、地元への基地誘致を地元住民は当然反対します。一方、反撃能力が十分にある国を、他国はうかうかと攻撃することはできません。このように軍備は攻撃を招いたり抑止したりします。マスコミでは両者がごちゃ混ぜに論じられているので、整理しなくてはいけません。

 満州に住んでいた日本人が、敗戦後ひどい目にあったのはロシアが侵攻してきたからです。なぜ、ロシアが条約を破って攻めてきたかというと、関東軍がすでに烏合の衆になっており反撃能力がなかったからです。(そのころ兵として満州に投入された父は、戦わずしてロシアの捕虜となり、シベリヤに2年間抑留されました。)

 歴史上、軍事力が弱くて辛酸をなめたケースは多々ありますが、軍備をもたなかったから相手が見逃してくれたというケースがあるでしょうか?(アメリカに威圧されたハワイ王国は軍備がなかったために、乞われて東郷平八郎の海軍が一時味方をしました。が、日本海軍は日清戦争中だったこともあり、けっきょく島民の武装蜂起はすぐに鎮圧され、島民の大虐殺が行われました。その後、ハワイ王国はやすやすとアメリカに併合され、パールハーバーの大海軍基地の建造へと繋がったのでした。)

 国際関係はもっと歴史に学んで科学的に考えなくてはなりません。非武装を唱え、すべて話し合いで解決するべきだと主張する人々は、歴史上にそのような幸せな事例がどれだけあったか、科学的に立証する義務があるでしょう。

俳句に見る季節の先取り

2014-08-26 05:45:23 | 俳句
 俳句では1月がもう春だったり、まだ寒い日があっても立夏を迎えると「暑し」という句を詠むようになります。これに違和感を覚える人は多いです。むかしは私もそうでした。

 このことは、しばしば旧暦の日にちを新暦に当てはめたから無理が出てきたのだと説明されます。しかし、そうとばかりは言えません。

 俳句には「春隣り」とか「行く春」のように、まだ次の季節になっていないのに、早々と次の季節の予感を感じさせる季語があります。

 「探梅」という季語なぞは、咲いている梅を探しに行くのではなく、まだ咲いていないのを承知の上で「もしかしたら」と梅を探すという意味です。すでに梅が咲いていたら「探梅」という季語はもう使えません。

 和歌の時代にすでに季節の先取りが行われていました。次の季節の兆しを早々に感じ取るのは、日本人の美学と言えないでしょうか?

 少年雑誌は12月に新年号が出るので、少年の私は不思議に思っていました。週刊誌は現在でも1,2週先の日付けが印刷されています。これは、わが国の季節先取り文化と関係があるでしょう。


(ウィキペディア「少年雑誌」より引用。)

 旧暦を新暦に日付けのまま置き換えた行事では、俳句では見られないような妙なことが起こります。七夕(星祭)は7月7日に行われますが、梅雨真っさかりで、私は幼いころから七夕というと雨を連想し、織姫彦星なぞ見たことはありませんでした。ですから、「七夕」は俳句ではちゃんと夏と秋のはざま(8月)の季語になっています。

オウム、インコを保護するNPO法人

2014-08-25 05:38:07 | 生物

(保護団体、TSUBASAのHPより引用。)

 NHKテレビで、飼えなくなったオウムやインコを専門に引き取るNPO法人が紹介されていました。

 飼えなくなるのは飼い主のエゴだと思われがちですが、オウム、インコに関してはそうではないようです。つまり、飼い主は飽きて捨てるのではなく、自身が高齢化したり死去したりして、やむなく預けるのだそうです。

 なぜかと言うと、他のペットに比べて、オウム、インコは人間並みに寿命が長く、飼い主のほうが先に老いるからです。番組では26歳とか42歳とかのオウムが出てきました。

 ペットとはどうも飼い主より先に死なないと、ペットとしての役割を十分には果たせないのではないでしょうか?

 先日(2014-07-12)、ペットの介護や葬式のお話をしましたが、介護や葬式まですべてを飼い主にやらせてくれない動物は、ペットには向かないのかもしれませんね。

「硬さ」って「力」なの?--MIT白熱教室を見て-- 

2014-08-24 05:58:59 | 科学

(NHK・MIT白熱教室のHPより引用。)

 NHKの人気番組、「MIT白熱教室」で天体物理学者のルーウィン教授の講義をおもしろく見ました。

 しかし、私には分からないことがありました。それは、手を振って机にぶつかり、手がそこで止まるのは、重力が原子間力より圧倒的に弱い力だからだ、というものです。

 私は、手が机に入り込めないのは、机が個体で分子同士が固く結びついているからで、一方液体や気体だとぶつかった手が中に入れるのは、分子同士の結びつきが弱いからだと思っていました。

 物質は原子よりも隙間のほうが圧倒的に多く、スカスカなのだそうで、本当なら個体と個体がぶつかってもすり抜けてしまうほどだそうです。なのに、そうならないのは原子間の力が重力よりも格段に強いからだと教授は言います。なぜ重力を引き合いに出さなくてはならないのか、そこが分かりません。

 物理に詳しい方、解説してください。

冷奴

2014-08-23 05:35:50 | 食べ物

オリオン食品工業のHPより引用。)

 豆腐が好きな私は、この季節には冷奴さえあれば満足です。私は薬味に鰹節を使うのを好みません。味が濃すぎるのです。豆腐には豆腐の味があるのですから。

 冷奴とは、買ってきた豆腐を洗ってそのまま供するものと思っていたら、違うのですね。昆布で一度湯豆腐にしたものを、冷やすのだそうです。

      冷奴幼き日より母とのみ  野村久雄

「○○だけど○○だ」という生き方

2014-08-22 05:40:33 | 心理

東京寺院ガイド・文京区より引用。)

 私の家の代々の菩提寺は、東京都文京区の寺が多い地区にあります。法事のときには親戚一同そこに集まります。

 私が幼いころ、菩提寺で法事がありました。私は字が読めて意味も分かりましたから、たぶん小学校3,4年生のころのことでしょう。子どもにとって法事やお経ほどつまらないものはありません。

 私は暇つぶしに寺にあった仏教のパンフレットを読んでいました。そこに次のように書いてありました。

 人はみな「○○だけど○○だ」と考えて生きている。例えば、「私は勉強はできないけど正直だ」、「私は不美人だけどスポーツ万能だ」という具合です。

 幼い私でも「なるほどぉ」と思えました。この記事が仏教の教えのどこから由来しているのか、いまだに知りません。

 50年以上前のことをなぜか急に思い出したので、書き留めておきます。

ODAの難しさ

2014-08-21 05:49:32 | 環境

NNNニュースより引用。)

 低開発国に援助をする場合、その国が水で困っていたら、水を与えるのではなく井戸の掘り方を教えましょうというのが、今の援助のセオリーだそうです。

 ある国でマラリヤで死ぬ幼児が多いことが分かりました。そこで先進国は、マラリヤの薬ではなく蚊帳を大量に贈りました。それにより、マラリヤは激減しましたが、年月がたつと蚊帳が破れてきました。

 ところが、そのころにはその国に少数ながらいた蚊帳職人が絶滅していて、蚊帳を修理する人がおらず、元の木阿弥になってしまったそうです。

 先日、ザンビアの女性が「援助してくれるなら民主主義とセットにしないでほしい、100年もかかってしまうから」とTEDで発表していたことをご紹介しました(2014-07-04)。援助とは本当に難しいですね。

終戦記念日に寄せて(3)(「茶の間の正義」)

2014-08-20 05:20:17 | 読書
(文芸春秋刊、1967年の復刻版。)

 今日になっても新聞の投書欄は「二度と戦争をやってはいけない」という趣旨の発言でいっぱいです。まったくもっともで、私にはなんの反論もありません。と言うより、誰にも反対できない百点満点の意見です。

 若年のころから故山本夏彦翁のファンだった私は、翁の文章はたぶん全部読んだと思います。その中に上の本があります。題名の「茶の間の正義」と聞いて、なんのことかピンと来た人は、そうとうに勘が鋭い人です。

 「茶の間の正義」だけはでは分からなくても、翁のエッセイの題名「平和なときの平和論」と言われれば、かなりの人が「ああ、そうか」と理解できるでしょう。

 ちなみにこのブログの題名「院長のへんちき論」は、翁の著書「変痴気論」から拝借したものです。


※今日、気にとまった短歌。

  雛壇に同じ顔ぶれ同じ語彙満ち足り顔の論壇誌閉づ  (羽咋)三宅立美

終戦記念日に寄せて(2)(負けを認めると見えてくるもの)

2014-08-19 05:31:30 | 歴史
 先の大戦はまだ総括されていないと言われます。ここでいう「総括」とは、日本の戦争責任とか日本がいかに悪いことをしたか、ということをきちんと言語化することのようです。(そんなこと、できっこありません。戦争はお互い様なのですから・・。)

 戦争に善玉も悪玉もありませんが、勝ったほうはすべて負けた方が悪いことにしてしまいます。これは常識です。勝てば官軍という言葉があるように、戦勝国の好き勝手はいま始まったことでことではありません。

 先日、広島の原爆記念日の項目でも述べましたが、アメリカ軍に何十万という非戦闘員を殺されても、式典でのアメリカ批判はタブーとなっています。石碑には「過ちは繰り返しませぬから」と刻んであって、この文の主語は誰であるかが問題となったりします。何十万人殺されても、アメリカに恨み言ひとついえない。これが戦争に負けるということです。

 「戦後、アメリカの圧倒的な豊かさを見て、こんな国と戦争しても勝てっこない。愚かな戦争だった」とか「物量から言って勝ち目はなかった」なぞと、あとづけの感想がしきりに聞かれますが、(変な言い方ですが)これは負けたから言えることです。もし、仁科博士らの学派がアメリカより先に原爆を開発していれば、勝ったかもしれません。

 日本人は負けたことを、もっと受け入れる必要があります。「敗戦」を「終戦」と言い直して、ひどい負け方の感じを薄めたのはだれでしょうか?日本が敗戦国であることを、きちんと意識すると、基地問題や国際問題で意味が分からない部分が、あっそうか!と分かることがあります。

 ロシアの裏切りと見えるシベリヤ抑留や北方領土の占領も、軍事力のバランスから生まれたもので、ロシアが一方的に不可侵条約を破ったと責めるのは、あまりにお人好しです。条約を破っても誰からも非難されなければ、条約はいつでも破られます。国とはサイコパスと同じですから、そのように付き合わなくてはなりません。

    終戦と言はぬ男の敗戦日  詠み人知らず

終戦記念日に寄せて(1)(戦争は負けるとひどい目にあう)

2014-08-18 06:03:26 | 歴史

(ウィキペディア「大阪大空襲」より引用。)

 最近の新聞から拾った言葉。「生きたまま焼かれた」(80歳、男性)、「機銃掃射から逃げた」(82歳、男性)、「勤労動員で照明弾を作った」(83歳、男性)。これらの言葉から「戦争はイヤだ」、「二度と戦争をしてはならない」という結論が導かれます。

 みなさん、言っていることはまことに正しいのですが、私はふと考ます。先の大戦にひどい負け方をしたから、こういう言葉が出てくるのではないでしょうか?もし勝っていたら、同じ人がいまと同じことを言ったでしょうか?

 ローマ軍によるカルタゴの完全破壊、平家の全滅、南アメリカ大陸の完全スペイン、ポルトガル化。いずれも、負けた方は徹底的にやられました。戦争とはそういうもので、負けた側は滅亡します。あるいは、言語や文化を失ないます。奴隷にされるかもしれません。

 いつぞや述べましたが、亡父はシベリヤ抑留を経験し、母は東京大空襲に襲われました。シベリヤでは極端な食糧不足とロシア兵による理由にもならないことでの処刑。東京は10万人が死に、焼け野原となりました。だから2人とも「戦争はつらかった」とは言います。しかし、なぜか「二度としてはいけない」とは言わないのです。

 私には2人とも「負けたんだから仕方がない」と諦めているように見えます。つまり、「勝っていれば、こんなことにはならなかったのに」という含みがあるように感じるのです。

 だから、冒頭のお年寄りたちの発言から導き出されるのは、「戦争をしてはいけない」ではなくて、本当は「戦争は負けてはいけない」ということではないでしょうか?

 日本が日露戦争にぎりぎりで勝ったとき、国民は提灯行列をして盛大に祝いました。ぎりぎりの戦勝でしたから、ロシアからこれ以上の賠償は取れません。それ対して民衆は「政府はなまぬるい」といきり立ち、日比谷焼打ち事件まで起こしたのでした。日露戦争でも戦死者はたくさん出ました。栄養状態が悪く、陸軍では2万人もの兵が戦争ではなく脚気で死に、それなりに悲惨でした。

 それでも「悲惨だ」、「イヤだ」、「二度と戦争をしてはならない」という声は聞こえませんでした。戦争に勝つと、国民は戦争に反省なんかしません。逆に「もっとやれ」と言うのです。ですから、いまお年寄りが先の大戦を「間違っていた」と感じるのは、戦いに負けたからに他なりません。

 私は戦争奨励論者ではありませんが、故山本夏彦翁の「春秋あるべし自然なら」、「最後は暴力の出る幕だ」という言葉が理解できるのです。