院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ホッケー・スティック曲線

2011-02-28 14:25:10 | Weblog
 地球温暖化について、最近は以前ほど言われなくなった。「地球温暖化論」については数年前からこの欄で批判してきた。ご記憶のかたも多かろう。

 なぜ「地球温暖化論」が下火になったかという理由をマスコミは報じない。だから、ここで述べる。

 地球が温暖化しているという説はIPCCという国連の一機関から出された。IPCCは気候に関する世界中の論文を集めて、それらを吟味して、気候に関して現時点で正しそうな見解を発表する。そのIPCCが「地球は温暖化しているようだ」と発表したから、最近高まってきた先進国の環境への関心とあいまって、世界中で「温暖化」がクロースアップされてしまった。

 もう一つ「温暖化」にからんで「CO2排出権取引」なる極めて奇妙な取引が発明された。わが国のように権利を買う方には不利だが、売る方はなにもしないで大金が入ってくるので、「地球温暖化論」はそのような国にとって大層都合のよい説だった。だから、「温暖化」は政治的に利用された。

 IPCCが最も影響された論文に載っていたグラフがある。そのグラフはその形にちなんでホッケー・スティック曲線と俗称されるようになった。そのグラフは、何千年前からの地球気温をプロットしたもので、最初はなだらかに下降していくのだが、20世紀に入ってから急に上昇速し、形が横にしたホッケー・スティックのようなのだ。まさに工業が発展した時に一致する。

 以前の「地球温暖化論」の大元は、この曲線である。ところが、この曲線は間違っているというより、捏造であるという疑惑が生じてきた。意図的にデータの一部を削除しているのだという。庶民は騙せても学者たちは騙せない。これでIPCCが根拠としていたデータそのものが崩壊した。ホッケー・ステッィックを作った学者が、データの一部を削除して、あたかも温暖化しているように見せかけよと指示したメールまで発見された。(さすがに、そこまであからさまな内容ではないけれども、結果として第三者には温暖化しているように見えるグラフになってしまう)。

 これは海外の一部では大スキャンダルとして扱われた。ところが、わが国では新聞もTVも全く報道しなかった。(マスコミが「知らなかった」と言うのなら、あまりにバカである。書かなかったとすれば、その意図はなんだろうか?)

 こうして排出権取引市場の規模は往時の10分の1になった。激減したといっても、まだ少しは存在しているというところが不思議である。このことも我がマスコミは報じない。

 本欄には5年前の最初からマスコミ批判が多いけれども、今後もそうしていくので、そうした論議がお好きなかたはご愛読ください。 

物理学、数学の才能

2011-02-27 11:39:57 | Weblog
 精神科医の畏友のひとりに元物理学者だったという変わりダネがいる。

 彼はある旧帝大の物理学科を出て、物理学博士になった。でも、理由は聞いたことはないが、その後別の旧帝大の医学部に学士入学して、今ではもう物理学者歴より精神科医歴のほうが長くなった。精神医学の著書もある。

 彼は医学業界に入って違和感を感じたことがあるという。それは、この業界ではお互いを「先生」よばわりする点だ。同輩はもとより、先輩が後輩を「先生」と呼ぶ。それどことろか、教授が研修医を「先生」と呼ぶことさえある。

 私も初心のころ先輩から先生呼ばわりされるのを、こそばゆく思った経験がある。

 だが物理学業界では、まったく逆で、物理学者の卵は「お前は才能がない」「早く辞めたほうがよい」といわれ続けるらしい。実はそれは「愛の鞭」であって、中途半端なまま物理学業界で歳をくってしまうとツブシが効かなくなることを見越しての助言らしい。

 物理学業界はプロの碁や将棋の世界に似ていて、才能も知能も十分でなければ食べていけない業界のようである。とんでもない天才しか必要とされない業界なのだ。

 それで思い出すのが私が高校生のころ読んでいた「大学への数学」というマニアックな雑誌である。(この雑誌は今でもある)。当時、名古屋の東海高校生だったか、「森君」という信じられないほど数学ができる生徒が、雑誌で活躍していた。どんなに難しい問題でも解いてしまうのである。

 雑誌の編集部もあきれて、彼を「怪物君」と呼んでいた。私もどんなヤツだろうと思っていた。それから20年ほどたってから、今度は新聞紙上で彼の情報がもたらされた。「森君」はどこかの大学の数学科の教授になっていて、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞したと報道された。

 報道にれば彼は小学校から高校まで、算数・数学は100点以外は取ったことがない、とあった。

 才能というものはホントにどうしようもないもので、いくら努力しても追い着けるものではないということを、私は中学高校の同級生や「森君」から学んだ。高校生のころは医学に才能は不要とは知らなかったけれども、たまたま医学業界はまったく才能を要求されず、むしろ努力や熱意が評価されるので幸運だったと思っている。

 冒頭で述べた畏友が、物理学業界から医学業界に転じたのは、どうしてだろうか?私には彼が「物理の才能がないから自分を見限った」とはとても思えない。彼の精神医学論文がすばらしいので、物理学に素人の私にはそう感じられてしまうのだろうか?

沈黙のわけ

2011-02-23 12:13:58 | Weblog
 なぜこのブログに1年以上書き込まなかったかというと、別の書き物をしていたからである。

 書き物とは日本評論社から出版予定の、私の単行本である。

 ゲラが上がってきて驚いた。内容がお粗末なのである。たぶん酔って書いていたからだろう。

 全面的に書き直すことにした。今度はシラフで書く。

 めでたく出版されたら、ここにご報告する。それまでは、気の向いたときにだけ、ブログを更新する予定である。