院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

わが国は学歴社会、格差社会か?

2008-03-31 08:38:35 | Weblog
 わが国はほんとうに学歴社会か?格差社会か?

 韓国の受験競争を見よ。わが国の比ではない。子供の塾費用に月20万円も使う。みな良い学歴が欲しいのだ。

 アメリカを見よ。95%の富を5%の人間が占めている。あとはみな平均かそれ以下である。アメリカでは高卒では絶対に出世できない。大卒でなければ、ホワイトカラーになれない。

 高卒の上司が大卒の部下をもつことは、わが国ではよく見られることだけれども、アメリカではありえない。

 アメリカでは下層階級は永遠に下層階級のままである。韓国はまだマシかもしれない。受験競争に勝てば、世の中でのしあがることができる。しかし、月20万円の塾費用を支払える層がどれだけいるのだろうか?早晩、階級が固定されるだろう。

 わが国は世界的なレベルで見れば、まだ平等な社会である。高卒でも出世する機会がある。(逆に言うと、大卒でもダメな者はダメである)。こんなに平等で機会均等な社会は世界でむしろ珍しいのである。

 それをマスコミは学歴社会、格差社会と言い募る。どういう神経か?なんで世界の標準を見ないのだろう。

 それはわが国のマスコミが、大衆迎合主義だからである。学歴社会、格差社会と言っておけば、おおよその人が新聞を買ってくれる。いわば「儲け主義」である。

 わが国が他国に比べて学歴社会でないこと、格差社会でないことを、もう国民は知るべきである。

文楽の思い出

2008-03-30 07:22:43 | Weblog
 幼いころ祖母に文楽に連れて行かれた。場所は渋谷の東横ホールである。

 文楽の会場ではさすがに飲み食いはできなかった。人形芝居なので、子供でも喜ぶと思って祖母は連れて行ったのだろう。でも、子供にとっては、意味が分からない極めてたいくつな人形劇だった。

 人形が別の人形を槍で刺すと、赤い布でできた「血」が出てきて、子供心に「よくできているなぁ」と思ったくらいで、あとは飽きてしまって、座席の通路を走り始めたので、祖母は「二度と連れて行かない」と怒っていた。

 浄瑠璃の良さが分かってきたのは、もっと小学校高学年になってからだった。当時、浪曲がまだ人気を保っていた。これはラジオに頻繁に出てきたので、ラジオにかじりついた。広沢寅蔵の「遠州森の石松」なんて、心から面白いと思った。

 同じころ落語も面白いとおもった。三遊亭円生や先代の三遊亭金馬が、めちゃめちゃ面白かった。

 先に述べた歌舞伎は意味が分からなかった。土蜘蛛が糸をばらまくシーンが印象に残っているくらいで、子供にはまったくつまらなかった。弁当だけがうまかった。

 この、面白いと思う年代と飽きてしまう年代の差は、5年くらいである。私が歌舞伎や文楽を見たときにはまだ幼なすぎたのだろう。落語や浪曲のように、小学校高学年で歌舞伎や文楽を見たら、もっと別の感じ方をしただろう。

 芸能を子供に見せるのに、あまりに早すぎてはいけないと思う。

歌舞伎考

2008-03-29 08:34:47 | Weblog
 「かぶき者」と言えば、江戸時代には現代のヤンキーを指していた。

 江戸時代には、踊りや演劇で衣食する者はちゃんとした国民と見なされていなかった。俗に士農工商というが、芸人はそのまたもっと下層のと見なされていた。だから、町なかに住めなかった。居住地は町の周辺に指定された。だから、「川原者」と蔑視された。

 明治になって、鹿鳴館時代に、西洋にはオペラなどの外国に通用する芸能がある。それに引き換え、日本ではどうか?それに匹敵するものがあるかと、明治政府は捜していた。

 鹿鳴館で西洋のマネばかりしていては侮られると考えた明治政府は、歌舞伎に目をつけた。歌舞伎は十分に西洋人を驚かせるだけの財産を持っていると明治政府は思った。こうして、歌舞伎は政府によって保護されるようになった。

 「梨園」が閉ざされた上流社会で、よそ者を排除するようになったのは、つい最近のことである。極言すれば、それまでは「梨園」は、ただの「川原者」の集まりだったのである。「梨園」が威張るようになったのは明治以降である。

 歌舞伎は江戸時代から庶民に圧倒的に支持されていた。歌舞伎の名場面、名ぜりふは江戸庶民の常識で、それらによって江戸庶民はコミュニケーションしていた。私の祖父の時代までそれは続いた。

 こうして歌舞伎は戦前までは、世界に冠たる芸能だったのである。

 敗戦により歌舞伎どころではなくなった。でも、戦後はまた息を吹き返し、歌舞伎座が建てられた。私は幼いころ祖母一家に連れられて歌舞伎座に行った。

 現在、幕の内弁当というものがあるけれども、これはよく知られているように、歌舞伎の幕間に出た弁当である。私たち一家は、幕の内弁当を作って、重箱に入れて歌舞伎座へ行った。舞台のソデの「特別席」で、弁当を食べながら一杯呑んで、歌舞伎を楽しんだ。

 つまり、昔の歌舞伎役者は格下の人種であり、庶民は飲み食いしながら歌舞伎見物をした。歌舞伎役者は芸術家でもなんでもなかったのである。

 歌舞伎役者の側も努力した。映画人がTVを嫌った時代にすでにTVに進出した。先代の松本幸四郎も、今の松本幸四郎もTVをおろそかにしなかった。使えるメディアは何でも使った。「川原者」としてしいたげられていた時代の血がそうさせたのだろう。

 今の松本幸四郎の娘の松たか子さんは、いつぞや述べたように私の好きな女優である。松さんが10代のころからウオッチしているが、彼女は最初から、「自分は美しい」という堂々とした態度でTVに出ていて、その度胸に一驚した覚えがある。

 その松さんが結婚した。時のたつのは早いものである。

ヰタ能アリス

2008-03-28 08:25:00 | Weblog
 中学1年生のときに国語の教師から「能を見たことがあるか?」と問われた。

 教養人の子弟が多い中学だったが、能を見たことがある生徒はクラスに一人もいなかった。教師は能を簡単に説明した。私は祖母に連れられて歌舞伎や文楽を見たことがあったけれども、能は見たことがなかった。

 そのとき、日本の伝統芸能を知っておかなければならないなと、漠然と感じた。

 中学3年生のときに、同好の生徒とモダンジャズのバンドを結成したが、日本の伝統芸能を知らずに洋モノだけをやるのはどうかと、これまた漠然と考えていた。

 高校生になったときに、水道橋の能楽堂(確か観世会館といったか?)に能を一人で見に行った。高校生が見に行けるのだもの、入場料は知れていたと思う。「葵の上」という演目をやったが、なにがなにやらさっぱり分からずに帰ってきた。ただ、謡いと囃し方の音楽をすごいと思った。

 当時、東京に住んでいた私は、中野の能楽堂にも行った。古い能楽堂で、客席はなんと座布団をたたきに敷いただけの桟敷席だった。ここでは「袴能」という面も装束も着けない能を見た。やっぱり、なにがなにやら訳が分からなかった。狂言は分かった。

 こんなに分からないのはなぜだろうと思った。もっと古典にさかのぼらねばならないと思い、大学受験の古文の勉強を兼ねて世阿弥の「風姿花伝」を読んだ。いわゆる「花伝書」である。

 「源氏物語」が難解なのに比べて、「風姿花伝」は極めて読みやすい古文だった。岩波文庫で読んだが、今でも出版されているはずである。「風姿花伝」には、「花」という概念が述べられていた。当時さかんだったTVのオーディション番組で、阿久悠さんが「君は美人だけど花がないから、芸能界なぞに入らず普通のお嫁さんになりなさい」と言っていたから、「花」という意味はすぐに理解できた。

 5年ほど前から妻が能の大鼓を習い始めた。その縁で、何十年ぶりかで能楽堂に足を運ぶようになった。でもやっぱり分からなくて、たいくつして帰ってくるのが常である。

 ただし、謡いと囃し方の迫力は高校生のときに感じたのと同じものだった。ミュージカルとしての能が分からないまま、音楽だけを聴きに行くというのは邪道かもしれないが、また来月、名古屋の能楽堂に行く予定である。

エコブームを嗤う

2008-03-27 08:24:37 | Weblog
 先日、レジ袋排斥運動を批判して、現在のエコブームを嗤った。

 電気はこまめに切ろうとか、割り箸は使わずにマイ箸を持ち歩こうとか、なんだかチマチマしているのである。

 クールビズもそうである。ノーネクタイとか半袖のスーツとか、これまたチマチマしている。そんなにエネルギーを節約したいなら、みな戦時中の国民服みたいなのを着てはどうか?夏用と冬用を大量生産するのである。これなら、服に使用するエネルギーを大幅に削減できるだろう。

 風呂はマキで焚くようにしよう。水は水道水を使わずに井戸水にしよう。マキで毎日風呂焚きは大変だから、風呂にはいるのは昔のように週2,3回にとどめよう。毎日入りたいなら、銭湯へ行こう。

 実際、「三丁目の夕日」の時代にはそうやって生活していたのだから、やってやれないことはない。ただし、GDPは下がる。

 そこまでやってこそのエコである。レジ袋排斥運動とかマイ箸運動とかクールビズがいかにばかばかしいか、いい加減に国民は気づくべきだ。

漫才師「爆笑問題」はタダモノではない

2008-03-26 07:08:07 | Weblog
 昨夜、NHKのバラエティー番組を見た。漫才師「爆笑問題」が司会をして、京大の教授や学生とトークをする番組である。

 ものすごく面白いので、見入ってしまった。「爆笑問題」(特に背の高い方)は、「金星は自分の意志で太陽を回っているのではないか?」とか「創造力と言うけれど、無から有を生じるものだろうか?」とか「天動説はそんなにいけないか?」といった本質的な問題を、京大生や10人ほどいた京大教授に投げかけた。

 この問いの深さに、マトモに反応したのは教授のうち二人だけだった。二人とも文系の教授だった。理系の教授の反応はお粗末だった。彼らはたんに「科学教」の信者で、自然科学は絶対だと思っていて、「爆笑問題」が投げかけた質問に本質的に答えられなかった。

 学生にも「自然科学絶対論者」がいて、彼らは「爆笑問題」の問いかけを理解できなかった。

 一流大学の学生や教授がこれでは困る。もっと、自身の学問に対する「疑念」や「哲学」を持ってほしい。「自然科学」は自明ではないのだ。

 この番組は、体裁はバラエティーだけれども、私には教養番組に思えた。このような企画をするNHKのプロデューサーをすごいとも思った。

自治体病院が赤字の理由

2008-03-25 11:51:37 | Weblog
 多くの自治体病院がなぜ赤字なのか、理由のひとつに事務方のヤル気のなさが挙げられる。

 自治体病院の事務方は役人である。彼らは病院事務のプロになろうとは、さらさら思っていない。いつ図書館や動物園に転勤になるか分からない。

 役人が一番行きたがるのは本庁である。どこの公立施設にいても、目はいつも本庁を向いている。そんな彼らに、すぐれた病院経営を求めるのは無理である。

 ちっとも仕事を覚えない。「僕らは薬や病気のことは分かりませんから」と、いろんな仕事が医者に回ってきて、自治体病院の医者はますます忙しくなる。

 民間病院は違う。民間病院の事務長は病院事務のプロである。役所に奉職したのではなく、病院に奉職したのだから、プロにならざるをえない。絶対に医者に雑用をさせない。つまり臨床以外のことで少ない医者を無駄遣いしない。

 自治体病院と民間病院の差は、ここが大きい。

オヤジの蕎麦打ち

2008-03-24 12:55:44 | Weblog
 オヤジの間で蕎麦打ちがブームだそうだ。

 私も付き合いで素人が打った蕎麦を食べたことがある。だが、おいしくない。

 なぜかと考えてみた。オヤジの蕎麦がうまくないのは、100%蕎麦粉を使うからではないか?

 蕎麦はやせた土地でも育つ植物である。要するに二流の穀物である。元来そうおいしいものではない。

 それがおいしくなるのは、つなぎに小麦粉を入れるからだろう。

 何割くらい小麦粉を入れるともっともおいしいのか、それは知らない。

アルコール依存症

2008-03-23 16:40:19 | Weblog
 アルコール依存症、いわゆる「アル中」は昔はなかった。

 酒は高級品で、しょっちゅう呑めるものではなかった。だから、アルコール依存症もなかった。

 アルコール依存症が始まったのは、産業革命以降である。産業革命によって、簡単にアルコールが作れるようになり、値段も下がった。

 産業革命当時は、夫婦共働きの家は、赤んぼにアルコールを呑ませて寝かしつけて、働きに出たということがあるほどだ。なんたることかと思うが、産業革命時代には本当にあった話である。

 私の行きつけのバーの主人の説であるが、戦国時代にキリスト教の布教に来た宣教師は、みなワインで民衆を魅きつけたという。異人が何の手土産も無く、民衆を魅きつけることはありえないというのが、バーの主人の説である。

 事実、大航海時代には大量のワインが船に積まれた。このワイン呑みたさに民衆は宣教師の元に集まったのだろう。

 それから300年後には、アルコールは貴重品ではなくなっていた。宣教師は純粋に奉仕でもって布教せざるをえなくなったのである。

技芸の上手下手、良し悪し

2008-03-22 08:23:57 | Weblog
 男性なら誰でもそうだろうが、女性が美人か不美人かというのは一発で分かる。

 私は、クラリネット、サックス、フルートなどの木管楽器の上手下手が一発で分かる。中学生のときから自分がやってきたことだからだろう。

 私は野球などのスポーツ観戦を好まないので、スポーツ選手の上手下手はあまり分からない。相撲なんて技が速すぎて、細かい内容が見えない。勝ち負けしか分からない。

 ただ、器械体操だけは見るのが好きで、これは上手下手が分かる。

 西洋画、日本画の良し悪しはある程度分かる。でも、抹茶茶碗の良し悪しはまったく分からない。1千万円の茶碗も500円の茶碗も同じに見える。

 陶芸は精神障害者リハビリ施設にいたころ1年間やったから、プロと素人の違いは分かる。しかし、一定のレベルに達したプロ同士の差は分からない。

 TV番組の「なんでも鑑定団」では、著名人のサインに値段がついたりするが、これは良し悪しとか上手下手の世界ではない。

 たぶん抹茶茶碗の価格の高い低いは、良し悪しよりも希少性にあるのであって、ほとんど著名人のサインに近いのではないか?だから、作品としての良し悪しは二の次になっているので、それで良し悪しが分からないのではないかと、今のところ思っている。

「炭焼き」の子が東大医学部に

2008-03-21 08:28:07 | Weblog
 東大医学部出身の医者から聞いた話である。私より10歳ほど年下である。

 東大の同級生に「炭焼き」の子供がいたという。「炭焼き」の子供でも優秀な子がいるのだ。

 「炭焼き」はもともと貧しかったし、先日述べたように、すでに家庭で炭が使われなくなっていたから、「炭焼き」は絶滅寸前の職業だった。「炭焼き」の子は、当然、学費が払えなくなった。むろん住居費も払えない。

 そこで同級生たちが立ち上がった。全員のカンパによって、「炭焼き」の子を支えたのだという。それによって、「炭焼き」の子は東大医学部を無事卒業できた。

 とても良い話なので、ここに紹介する次第。

「炭焼き」

2008-03-20 10:22:47 | Weblog
 私が小学校のころ、炭は日常生活に欠かせない燃料だった。

 炬燵にも炭、火鉢はむろん炭だった。火鉢の炭でお餅を焼いた。風呂は薪だった。さすがに調理はガスだったが、炭も薪も重要なエネルギー源だった。

 当時、もっとも過酷な労働は「炭焼き」と「きこり」だと知っていた。「炭焼き」や「きこり」は一日に4升の米を食べないと、体力的にやっていけないと聞いた。一人で一日に4升とは、とてつもない量だと思った。

 私が中学生になるころには、家庭から炭が急速に無くなっていった。以来、家庭内で炭が復活することはなかった。

 私の子供たちは炭を知らない。脱臭剤くらいにしか思っていない。燃料としての炭を子供たちが見るのは、焼き鳥屋の備長炭くらいだろう。

 「炭焼き」と「きこり」が重労働とは知っていたが、彼らが「山人」として、里人(村人)から差別されていたとは、つい最近まで知らなかった。

戦前の絵本

2008-03-19 06:40:32 | Weblog
 小学校低学年のころ、同級生に九頭龍さんという女の子がいた。九頭龍川の九頭龍である。東京に一軒しかない珍しい苗字だった。

 あるとき、その女の子の家に遊びに行った。お母さんが絵本を持ってきてくれた。それを見て、幼い私は驚いた。戦前の絵本なのである。

 自分の持っている絵本に比べて文字が多く、漢字もふつうに使用してあってルビが付いている。横書き文字は右からである。

 東京大空襲で戦前のものはほとんど焼失してしまったから、その絵本は私が生まれて初めて見る戦前の品物だった。

 当時はベビーブームで子供の数が多かったために、小学校がどんどん新設されていた。私は3年生になるときに、近くに新しく出来た小学校に転校した。九頭龍さんは元の小学校に残った。以来、九頭龍さんの消息は知らない。

 お母さんはまだご存命だろうか?だとしたら、九頭龍という姓の家が少なくとも一軒は東京にあるはずである。 

「俳句第二芸術論」

2008-03-18 08:25:28 | Weblog
 昭和21年、桑原武夫という人が「俳句第二芸術論」という論文を発表して、俳句界は大騒ぎになった。

 高浜虚子は「俳句も芸術と言われるようになりましたか」と泰然自若としていた。水原秋櫻子は、実作を積み重ねることによって、桑原の論に対抗した。

 桑原の俳句批判の方法は、プロの俳人の句と素人俳人の句をまぜこぜにして、東北大学の教員や学生に「どれがプロで、どれが素人か分かるか?」問うたものである。結果は「全然、分からない」という者が大多数を占めた。

 この「全然、分からない」というのが桑原の根拠である。

 私も「俳句第二芸術論」を読んでみた。そして、桑原が挙げた例句を見た。そうしたら、どれがプロの俳句で、どれが素人の俳句かすぐに分かったのである。

 東北大学の教官や学生を調査対象とした桑原の調査方法に問題があったのだ。

 私は俳句を始めて20年を超えた。そういう者たちを調査対象としていれば、桑原の立論は成り立たなくなる。

 前に能の舞の良し悪しが分からないと述べたが、分かるようになるまであと20年かかるのだろうか?

能の舞の良し悪し

2008-03-17 08:33:07 | Weblog
 私はダンスなら良し悪しが分かるが、能の舞の良し悪しが分からない。

 扇を持ってゆっくりと能舞台をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりするだけのようで、どこが面白いのか分からない。

 素人の舞もプロの舞も見たことがあるが、どちらが上手いのか分からない。だから、退屈なだけである。

 妻は舞の良し悪しが分かるという。舞を見る回数が妻と私では圧倒的に違う。だから良し悪しが分かるまでに私が達していないのだろう。

 妻は「自分でやらなければ、良し悪しは分からない」という。それも真実だろう。でも、私はダンスもフィギュアスケートもやったことがないのに良し悪しが分かる。

 舞はダンスより、もっと微妙なものなのだろうか?その辺の理解が、今後の私の課題である。