院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

『バカが多いのには理由がある』を読んで

2014-06-30 11:23:09 | 読書
(集英社刊。)

 「正義の分類」というのを私は本書で初めて知りました。大きく分けて4種類あるそうです。各政党は4種類のどれかを主張しているので、いずれも正しいが政党同士相容れないそうです。

 「正義の分類」が著者のオリジナルだったら、けっこうすごい人だと思います。『週刊プレイボーイ』に連載していた記事を一冊にまとめたそうですが、『週刊プレイボーイ』のヌードグラビアとはミスマッチな硬派な内容です。

 題名から衆愚批判だと思って読んだのですが、なんのなんの自分を含めた衆愚はどのようなメカニズムで生まれるかを考察した、深ーい書物でした。いまのところ、本書の主張に対する反論が思い浮かびません。政治評論家のような語り口ではなく、もっと上から政治評論そのものを俎上に乗せている感じで、私好みです。

(この本が出来たてほやほやなのは、集団的自衛権や嫌韓や反中を取り扱っていることからも分かります。でも、そこいらのマスコミとはぜんぜん視点が違います。)

『高学歴ワーキングプア』-「フリーター生産工場」としての大学院-を読んで

2014-06-29 05:30:46 | 読書
(光文社新書。)

 本書によれば「無職博士」が12,000人いるといいます。オーバードクター(3年以上博士課程に行ったが博士号がない者)はその数倍いて、毎年「無職博士」が5,000人生産されるそうです。

 大学の常勤職員になる道が閉ざされ、彼らの多くは時給雇いの非常勤講師とコンビニなどのバイトなどで食いつないでいるそうです。月収は15万円くらいで、社会保険はありません。著者自身も非常勤講師で、契約が更新されるかどうか分からない不安定な身の上だとか。

 こうした「ニート博士」が量産されたのは個人のせいではなく、平成3年から定員どおりに院生を入学させる方針になったからだと著者は主張します。そうなったのは、少子化で大学のポストがなくなるのを恐れた大学教員が謀って、自分たちの既得権を守ろうとしたからだそうです。経営側も院生という「消費者」がいなくなると困るので、教員側と思惑が一致したそうです。

 だから「モラトリアム」なぞと言って「ニート博士」を貶めるのは筋違いだと、著者は主張しています。

 確かに博士課程の学生が多くなり過ぎたとは言えるでしょう。ですが、大学院博士課程まで子どもを行かせられる家庭は、平均よりもかなり裕福だということに注意しなくてはなりません。

 有名大学に入れる学力があるのに大学にさえ行けなかった人を、私は複数知っています。学費がないなら奨学金などの手があると思われるかもしれません。しかし、彼らになかったのはお金だけではなくて、時間でした。その時間に働いて家族を養わなくてはならないのでした。

 多くの大学生は、修士課程にさえ行きません。それは、4年間で卒業したらすぐに働いて、親の負担を軽くしてやらねばならないからです。私の高校の同級生には日本の頭脳といえるような人材がごろごろいましたが、ほとんど大学院には行きませんでした。

 そんな現状で博士過程まで行くのは、よほどの金持ちか趣味人と私は考えてしまいます。著者はこのような考えを嫌っているようですが、この事実は争えないと思います。趣味で博士号を取って、まともな職がないと騒ぐのは、私には甘えとしか思えません。

 著者はアカデミズムでは非常勤講師として冷遇されているようですが、少なくとも本書のように極めて読みやすく、かつ説得力がある書物が書ける「博士」はそんなに多くありません。そちらのほうで活躍した方がよいと思います。

『週刊文春』には骨があるのかないのか?

2014-06-28 05:47:53 | マスコミ
(『週刊文春』今週号)

 タクシーの運転手さんにワールドカップの話を振られると困ります。私はサッカーに限らず、プロスポーツの試合を見ないからです。(自分の子どもの運動会なら見ます。私はプロスポーツにひいきがおらず、彼らの試合は子どもが出ていない運動会のようなものなので、見ないのです。)

 『週刊文春』の今週号に適菜収さんが、『とくダネ!』というワイドショウのスタッフが、ワールドカップの放送中に街を歩いている人に対して「何でサッカーを見ていないのか」と尋ねて回ったことを、恥を知れと批判しています。

 同じ号で、宮藤官九郎さんが「香川選手がマンチェスターなんとかに移籍したことを知らないと、サッカーファンが憤る」と述べ、官九郎さんが好きなパンクロックバンドについて「”あぶらだこ”のドラマーが後にラフィンノーズに移籍した」と言って相手が「知らねーし」と答えたら、自分は「ですよねー」と即座に撤退すると書いています。

 スポーツ番組を見ない私は「よくぞ言ってくれた」と思いました。こういう記事を載せるのは、なかなか骨がある週刊誌だな、と思いましたが別の記事がいけません。

 同じ号で、都議会でセクハラ野次を飛ばした議員を袋叩きにしています。この議員をぼろくそに言うことは、いまなら誰にでもできます。骨があるメディアなら、誰にでもできることをやってはならないでしょう。

住むなら古代遺跡の近く

2014-06-27 05:19:44 | 生活

(東山貝塚公園、GALA FLnext のHPより引用。)

 住居を建てるなら古代遺跡の近くがよいそうです。大昔の人が好んで住んだ場所は、災害がなく地盤がしっかりしていて水場も近いからです。

 私が生まれて育ったところは、偶然、目黒の東山貝塚の近くでした。近所のお婆さんが縄文式土器のかけらをたくさん持っていて、一個もらったことがあります。東山貝塚は上の写真のように現在、公園として整備されているようですが、私が育ったころは、なんにもありませんでした。

 現在住んでいるところから徒歩数分の場所に、大海津遺跡というのがあります。縄文から近世にかけての長年の生活の跡があるそうです。大海津という名称からもわかるように、この辺はむかしは浜辺でした。

 近くの公民館に「明治時代にこのあたりを埋め立てて開墾した」と書かれた石碑があります。埋め立て地は居住には適さない土地です。

 現在私が住んでいる場所は、陸側の浜辺のほうだったのか、海側の埋め立て地なのかは、よくわからないのですが・・。

スポーツの試合への熱狂的エネルギー/サッカーワールドカップに寄せて

2014-06-26 00:02:48 | スポーツ

(京都新聞・スポーツあらかるとより引用。)

 スポーツの試合への熱狂はすさまじいエネルギーです。民衆がスポーツの応援で発散すれば、彼らにはもう暴動を起こすエネルギーは残っていないのではないでしょうか?しかしながら、フーリガンに見るように、スポーツへの熱狂はしばしば暴動に発展します。

 つまり、スポーツへの熱狂は暴動を抑止するのか助長するのか、区別がつきにくいことがあります。

 同じことがポルノにも言えます。今のところポルノは性犯罪を助長すると考えられて、禁止されている国が多いです。ですが一方で、ポルノで性的エネルギーを発散してしまえば、かえって性犯罪は起こりにくくなるという主張もありうるのです。

 つまり、ポルノは性犯罪を抑止するのか助長するのか、これも区別するのに難しいところがあります。

男女が似すぎるとどうなるか?(4)(男女間には差異が必要)

2014-06-25 05:17:27 | 文化
(ブランド colobockle

 男女は歴史上つねに、たがいの差異が強調されてきました。あらゆる民族で男女は衣装が違っています。髪形も違います。男女は「違う」から、それぞれに存在価値があるのであって、男女の違いをなくそうとする文化はこれまでにありませんでした。

 ある国では男女全員に同じ国民服を着せたましたが、髪形まで同一にさせることはできませんでした。その国も豊かになるにつれ、男女差がはっきり分かるような服装になってきました。

 男女は異性が自分と違うところに惚れます。それは身長だったり、毛深さだったり、皮下脂肪の厚さだったりします。当然、衣装や髪形など人為的に変えられるところは、どんなことがあっても同じにすることはありませんでした。

 ところがイクメンだけは例外のようです。男女均等の掛け声のもと、夫と妻は限りなく同様であるべきだされるようになりました。こうした男女の差異をなくそうとする試みは歴史上一度もなかったことです。これで生物としての人類は本当に繁栄できるのでしょうか?

 アメリカの調査で、夫が家事育児を妻と同じようにやればやるほど、SEXの回数が少なくなるという結果が出ました。調査は「異性が自分と似ていると性的に魅かれなくなるのだ」と結論しています。ためにする調査なのかもしれないですが・・。

男女が似すぎるとどうなるか?(3)(夫婦制度が文化なら自然を破壊する)

2014-06-24 05:59:55 | 文化

ミツカン水の文化センターHPより引用。)

 文明文化は生態系や自然を破壊すると言いましたが、それは言い過ぎでしょうか?

 川は上の写真のように次第に蛇行してきて、ついに洪水となります。川はまっすぐになって、近くに三日月湖を残します。これが太古からの自然の営みです。洪水になると、洪水が引いた土地は栄養分が豊富になり、植物が繁茂します。その植物を餌とする動物や昆虫が栄えます。

 ところが、人間は川に堤防を造ります。そうすると、川の蛇行や洪水が起きなくなり自然環境が大幅に変わってしまいます。治水はじつは環境破壊なのです。

 人間は寄生虫や病原菌を撲滅してきました。それを文明の勝利と見てきたのですが、本当は生態系の破壊です。人間が文化的であるということは、自然の摂理へ反逆に他なりません。いつの日にか、人間はみずからが創造した文化によって絶滅するかもしれません。

 そこで夫婦制度ですが、それが自然の習性に従っていない人工的なものならば長続きしないでしょう。一夫一婦制が正しいのか、それとも別の男女関係のほうが本能に従っているのかは分かりません。しかし、少なくともイクメンという思想は(おっぱいの有無などの)身体構造の差異さえも無視した、自然のルールに逆らった考え方であるように思えてなりません。

男女が似すぎるとどうなるか?(2)(一夫一婦制は習性だろうか?)

2014-06-23 04:55:45 | 生物

JR東日本ジパングクラブHPより引用。)

 前回、皇帝ペンギンは、父親が卵を温めている間にメスが食料を獲りに行くと述べましたが、メスは必ず自分が産んだ卵のところ、すなわち父親のところへ戻ってきます。ですから、皇帝ペンギンは一つの卵を夫婦で育てる一夫一婦制をとっているようです。

 いっぽう、オットセイやゴリラが一夫多妻制であることは、よく知られています。人間は、現在多くの国で一夫一婦制ですが、これは本能や習性に従ったものでしょうか?

 イスラム国では男一人が複数の妻をもつことが認められていますが、この制度は習性にではなく文化にもとづくものと考えられます。

 イスラム国とは反対に、母権制の民族も存在します。たとえば、カナダの原住民ヘヤインディアンは女が一家を構え、男は女の家を渡り歩きます。そうやって子どもができるのですが、生まれた子どもたちの父親はぜんぶ別の男になるそうです。ですが、このような母権制が人類の本能や習性に基づいているとは、必ずしも言えません。これも文化なのかもしれません。

 ここで言えることは、一夫一婦制ではない夫婦制度では男と女の役割がまったく異なり、イクメンはあり得ないということです。イクメンは一夫一婦制のもと、夫婦の役割を限りなく同一に近づけようとして初めて成立しうる超人為的な制度です。

 繰り返しになりますが、人類は本能や習性によって一夫一婦制をとっているという証拠はありません。たぶん、それも文化なのだろうと推測できます。

 ところが、この文化というものが厄介で、生態系や自然をもっとも破壊するものが、じつは文化なのです。イクメンの推奨は文化的ではありますが、もしかすると種の保存には逆行しているのかもしれません。この先は次回に譲ります。

男女が似すぎるとどうなるか?(1)(生物としての人間の男女の役割分担)

2014-06-22 05:57:34 | 生物

OCN TODAY より引用。)

 生物はきわめて精妙な仕組みをもっています。種によって固有の本能や習性があって、それによって種の保存が実現されています。

 たとえば皇帝ペンギンは、2か月間マイナス40度の環境でオスが飲まず食わずで卵を温めます。そのときメスは、2か月間海に出て食料を獲ってきます。これらの習性によって、皇帝ペンギンは極寒の地での種の保存を可能にしています。

 人間は原始の姿では、どのような習性で子育てを行ってきたのでしょうか?太古の昔には粉ミルクなんてありませんでしたから、乳離れするまでは赤ちゃんは母親に育てられていたと考えられます。

 赤ちゃんの側にも習性があって、赤ちゃんは頬に乳首が触ると、そちらの方向へ首を向けます。これを吸啜(きゅうてつ)反射といいます。赤ちゃんがおっぱいがいらなくなるまでに成長すると、吸啜反射は消滅します。それが習性に従った場合の自然の成り行きです。

 父親が哺乳瓶を使って授乳することは、天与の習性や反射という恩恵に逆らうことにはならないでしょうか?自然の仕組みに従わない生き方には、どこかに無理がかかってくるように思われるのですが、それは杞憂でしょうか?

ホラー映画がなぜ受けるのか?

2014-06-21 00:10:55 | 芸能

TVnavi-web より引用。)

 ホラー映画がむかしから絶えることなく作られてきています。好きな人が多いのでしょう。でも、私はホラー映画を見る気がしません。なぜなら、現実の世界が十分に怖いからです。その上さらに怖い思いをしにいくつもりはありません。

 ホラー映画が好きな人たちにとって、現実の世界には怖いものがないのでしょうか?

ガソリン値上がりの影響

2014-06-20 00:09:06 | 経済

(有)ケーツープロジェクトのHPより引用。)

 中東情勢の緊迫もあってかガソリン価格が上昇しています。報道によれば5年ぶりの高値になったそうです。テレビは街の人たちにインタビューして「ガソリンが上がると本当に困る」という声を拾っています。

 そこで、ガソリンの値上がりで(自家用車の場合)街の人たちはどれだけ困っているのか、計算してみました。

 私たちの世代にとって自家用車は贅沢品というイメージがあります。なるべく、いい車に乗りたいという欲望もあります。

 ここで、そこそこの自家用車を切りのよい200万円としましょうか。それで何キロメートル走るか。4万キロも走れば、そうとう走ったことになるでしょう。地球1周分の距離です。

 ガソリン1リットルで15キロメートル走れるとしましょうか。20キロ以上走れるかもしれませんが、まあ低めに見積もっておきましょう。

 ガソリンの値段は1リットル150円くらいのときが長かったですね。これで4万キロ走ると、ガソリン代は40万円かかることになります。

 自動車本体が200万円。それに税金や保険や車検代を入れると少なくとも20万円くらいはプラスになりますね。それに対して、ガソリン代が4万キロ走ると40万円かかるわけです。

 ここで、ガソリン代が1割上がると、44万円となって4万円上がります。200万円の車を潰すほど走らせて、ガソリン代の値上がりは4万円です。自家用車は贅沢品ですから、4万円の値上がりが惜しければ軽自動車に乗ればよいのです。あるいはスクーターに。それがイヤで並みの乗用車に乗りたければ、4万円支払ってください。

 200万円の車に乗っている人にとって、4万円の値上がりは困る困ると言い立てるほどの数字なのか、疑問が残るところです。

(以上は自動車だけに焦点を当てた計算です。燃料価格が上がると光熱費をはじめ、いろんなものが値上がりするので家計への影響はあるでしょう。ですが、テレビのインタビューに「困る困る」と言っていた人たちが、そこまで考えて言ってたのかは甚だ怪しいと思います。)

再生可能エネルギー買取制度見直し

2014-06-19 00:15:29 | 経済

昭和シェル石油、環境新規ビジネスのHPより引用。)

 表題の見出しが昨日の朝刊の一面に載っていました。一面だから重大ニュースなのですが、面倒で読まなかった方も多いと思われますので、少し解説しましょう。

 再生可能エネルギーとはメガソーラーや風車によるクリーンなエネルギーのことで、エネルギー生産を化石燃料に頼るのではなく、クリーンエネルギーに置き換えましょうという政府の方針がありました。そのため、これらのエネルギーは政府が決めた「(高い)固定価格」で買い取られていました。

 ところが表題の記事は、「固定価格」ではもう買い取れませんよと伝えています。再生可能エネルギーはもともと化石燃料よりも割高で、こうなることは制度が始まった時から目に見えていたのでした。(いつまでも市場価格を無視して、政府が価格を保護するわけにはいきませんから。)

 割高な「固定価格」を維持するために、平成12年度は1,900億円が国民の電気料金に上乗せされました。(消費税値上がりの話題のためか、電気料金の上乗せはかすんでしまいました。)

 今年度の試算で、電気料金に上乗せされる金額は、なんと6,500億円に膨れ上がることなりました。さすがにこれではいけないと「固定価格」を引き下げることにしたのでした。そこには、このままでは電気の買取価格が制御不能になるとの経済団体からの要請がありました。でもまだ、再生可能エネルギー業者は「現在の固定価格を続けよ」と言っています。

 ここまででも再生可能エネルギー業者は(電気料金の上乗せによって)損はしていないのです。クリーンエネルギーを広めるのだという大義名分のもと、業者は発電設備をまだ増やしたいようです。(メガソーラーのために土地だけ確保されていて、まだ一台もソーラーパネルが設置されていない土地がいくらもあるようです。ソーラーパネルの値下がりを待っているのです。)

 メガソーラーの現実性について私は 2013-05-01 の記事で疑問を呈しました。その記事に対してソーラー発電の専門家と思われるSさんという方から、文献を明示した詳細な反論コメントをいただきました。少し勉強してから、私はSさんにさらに反論しました。このやりとりは今見ても面白いので、よかったご覧ください。

 そのとき私はクリーンエネルギー買取制度はドイツで失敗した前例があると書きました。表題の記事では、政府の人がこれからドイツに視察に行くと書いてありました。失敗した国になにを見に行くのでしょうか?後始末の方法でも習いに行くのでしょうか?

「こんなところに日本人」という番組

2014-06-18 00:20:47 | 芸能

「こんなところに日本人」のHPより引用。)

 「こんなところに日本人」という番組がおもしろく、ときどき見ています。外国の本当に辺鄙な田舎に日本人が住んでいるので、驚くことがしばしばです。

 中に移民一世という人がいます。例外なくたいへんな苦労をしてきています。わが国からの移民は明治元年から行われていますが、最初のうちは体のいい人身売買で、奴隷労働をさせられたそうです。

 番組に出てくる移民一世とは、むろん明治時代の移民ではなく、昭和30年代の移民です。奴隷労働ではなかったにせよ、何もない荒れ地に放り出されたようです。この移民たちが渡航したとき、私は小学生か中学生でした。移民一世が行ったあと、日本は高度成長を遂げたのでした。

 そのころ私は、日本から海外への移民がまだ行われていたとは知りませんでした。移民たちも、もう少し日本にいれば高度経済成長の恩恵を受け、あれほどの苦労をしなくて済んだのではないかと思います。

 ジャングルの奥地のようなところから日本人の老人が出てくると、何も知らずに日本で安穏と暮らしてきたわが身が、ちと恥ずかしい気がします。

「空想虚言癖」というもの

2014-06-17 08:27:20 | 心理
(幻冬舎刊。)

 上の小説には、複数の女性と疑似恋愛を同時進行させる男が描かれています。読者を混乱させずに同時進行が文章だけで表現されており、作者の乃南アサさんはホンモノのプロだと感じさせます。(タレントが余技のように小説を書く昨今、余計にそう思います。)

 この小説に直接書かれているわけではありませんが、結婚詐欺師は女性を100%だまそうして近づくわけではありません。ある程度は本気で恋愛関係になるのです。そして、空想なのか現実なのか、結婚詐欺師は自分でも分からなくなります。最終的には女性をだますことになってしまうのですが・・。

 結婚詐欺師は第三者には「うそまみれの男」と映るのですけれども、本人はそうは思っていません。このたび、W教授は別の細胞を渡されたと知って、怒りがこみ上げる以前に、いいしれぬ恐怖感に襲われたのではないでしょうか?細胞を渡してくれた人があまりに無邪気でフレンドリーだったからです。

 今日から「空想虚言癖」という用語がマスコミに乱舞すると考えられるので、「空想虚言癖」とは以上のようなものだと示しておきました。「空想虚言癖」と類縁の「ミュンヒュハウゼン症候群」という術語も出てくるかもしれません。

キツい内容を柔らかく書く

2014-06-17 03:48:57 | 日本語
(技術評論社刊。)

 私は岩田健太郎教授の読者です。岩田教授は神戸大学の感染症内科の先生ですが、感染症の本だけではなく、いろんな方面で発言しておられます。私がもっともだと感じることをおっしゃる方です。

 2014-03-05 の.I.教授とはこの方のことです。上の本で先生は「患者の気持ちが分かる」という医者を信用しないと書いています。そのような過激なことを書いているのに、柔らかい感じがします。それは「ですます調」だからかも知れません。私も少し「ですます調」で書いてみることにします。