院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

夏彦翁曰く「それがパパづらかママづらか」

2015-08-22 05:52:38 | 歴史

(今年の帰省ラッシュ。毎日新聞 web 版より引用。)

 毎年のことだが、お盆に帰省した若い家族が、満員電車や飛行機で返ってきた様子をテレビが報道していた。幼な子が祖父祖母のことをジイジ、バアバと言っているのが異常に目立った。違和感がある。

 たぶん、父や母のことをパパ、ママと呼んでいることからの自然な発展型なのだろう。私の幼少期にも親をパパ、ママと呼んでいる子がいた。外国帰りなら仕方がないが、そうでない家庭でもパパ、ママと呼ばせている親がいて、子供心に違和感をもった。

 私が長じてから山本夏彦翁の「それがパパづらかママづらか」というエッセイに出会って膝を叩いた。違和感をもっている人間が自分以外にもいるのだと分かって「おお!」と思った。その後も夏彦翁は、私が言葉にできなかった違和感を次々と指摘するので、いっぺんに夏彦ファンになってしまった。

 夏彦翁の存命中には、まだジイジ、バアバという用語はなかったから、今度は私が「それがジイジづらかバアバづらか」と言わせてもらおう。


※今日、気にとまった短歌

  遊びにも緩急があり鉄棒に子供らもたれかかる午後四時 (仙台市)工藤吉生

「戦争はいけない!」という声ばかり

2015-08-14 16:04:33 | 歴史
 日本人が書いた戦前の英文書に杉本えつ子の『武士の娘』がある。この本は大正末期に書かれ8ヶ国語に翻訳されベストセラーになった。(NHKBSで放送。)

 本書の日本語訳は太平洋戦争中にようやく出版されたが、前書きがアメリカの有名人だったために、前書きを日本人が書いてようやく出版にこぎつけた。

 えつ子を知る存命の婦人が(番組中で)言っていた。「えつ子さんは、太平洋戦争の勃発を防ぐにはどうしたら良かったのかを考えていました」。続けて「いまの人たちは戦争はいけないと言うだけでしょう?」と述べた。もっともである。

 「戦争はいけない」とは誰でも言える。だが、戦争が起こったのは事実である。それはなぜなのか?という当然のことを問う声が少なすぎるのでないか!?

(信州の宿のパソコンより。)

原爆投下は人体実験だったのか?

2015-08-06 05:18:01 | 歴史

(真珠湾攻撃。共同通信のウェブサイトより引用>)

 原爆はB29の爆撃で破壊されなかった広島と長崎に落とされた。被害状況を研究する目的だったとも言われる。

 2つの都市でウラン型とプルトニウム型が落とされた、これも実験だったと言われる根拠になっている。

 事実だったらひどい話だ。

 近海に落としても十分戦争抑止効果はあっただろうに、ヤツらは広島と長崎の真上から落とした。言い訳は聞かぬ!!


※今日、気にとまった短歌

  夏の朝蒸るる暑さに目覚めたり思へば五歳の夏もかくあり (豊橋市)中里ひとし

経済という「有機体」の振る舞い

2015-07-22 04:48:53 | 歴史

(ユーロマーク。手短かニュースより引用。)

 有機体の振る舞いは複雑で、いろんな切り口で語ることができる。むしろ、有機体を一言で説明している説があったら眉にツバを付けたほうがよい。

 ドイツが、盗っ人に追い銭のように、なぜギリシャの債務を大目に見たか?ドイツ国民には、自分たちの汗の結晶で(ギリシャのような)ナマケモノを救う必要はないという声が多いらしい。

 一方過去において、ドイツがギリシャを身ぐるみ搾取したという認識がギリシャにはあるらしい。

 ドイツ人は自分たちの汗の結晶と言っているが、ドイツは現在たまたま輸出で儲かっているに過ぎないという話もある。さらに、ドイツがマルクではなくユーロを使っているからこそ労せずに儲かっているという人もいる。その心は、ドイツがいまだにマルクを使用していたら、ものすごいマルク高になって儲けは相殺されるはずなのに、ユーロだから諸資本がピンポイントでドイツ経済に介入できない!というのだ。

 有機体というものは、ほんとにどんな角度からでも眺められるものですなぁ。


※今日、気にとまった短歌

  あこがれの人が社長と言う定時制高校生の投書読む朝 (静岡市)菅沼美代子

80代老人の「戦争体験?」

2015-06-29 06:12:43 | 歴史

(日露戦争の兵士を迎える凱旋通り(絵葉書)。鳥飼行博研究室のHPより引用。)

 上の写真は日露戦争の兵士を迎える道路である。(終戦後の写真かは不明。)大国ロシアに勝ったと、終戦後は日本各地で戦勝を祝う提灯行列が行われたという。

 日本政府は、このまま戦争を続けると物量で負けると察して、有利なときロシアと講和した。したがって、賠償金は奪えなかった。それに激昂した民衆が「賠償金を取れ」と日比谷焼打事件を初めとする破壊行動を起こした。

先の大戦後、2年間シベリヤに抑留されていた亡父は「ひどい目にあった」とは言ったが、「このたびの戦争は間違っていた」とは言ったことがなかった。戦争に正しいも間違いもないのだ。

 最近、「戦争体験者」として80代の老人の発言が珍重されるけれども、80代の前半ならまだ少年少女で「戦争体験者」ではなく、「"敗戦"体験者」に過ぎない。そのような人たちの「戦争は2度とやってはいけない」という言葉は「"負け戦"は2度とやってはいけない」と読み替える必要がある。

 その老人たちが、もし日露戦争の時代に生きていたら「戦争は2度とやってはいけない」と言うだろうか?喜色満面で提灯行列に参加したクチではないか?そのように人間とは弱くて愚かなものだ。


※今日、気にとまった短歌

  歓声の0.5秒前に鳴るミットに収まる白球の音 (川崎市)十詩子

旅行の記念写真の元祖

2015-06-26 04:29:51 | 歴史

(ポンピオ・バトーニによる青年の肖像。AIIposters のHPより引用。)

 17世紀、イギリス貴族の子息たちにフランス経由でイタリアに旅行することが流行った(グランド・ツアー)。交通網が発達して、イタリアのルネッサンスや古代ローマの文物を見聞する目的だった。旅行と言っても最低1年、普通は数年にわたったから留学のようなものだった。

 上の肖像画は、グランド・ツアーに来た若者が、イタリアの人気肖像画家ポンピオ・バトーニに描かせたものである。この種の肖像画の特徴はイタリアのものがあえて描き込んであるところである。上の絵では左側に古代ローマの彫刻、窓の外のかなたにベスビオス火山が見える。

 現代の私たちも旅行に行くと、自分の映像だけではなく、現地に行った証明として現地の景色を画面に入れた写真を撮る。同じことが17世紀に行われており、時代は下って写真が発明されると、写真がそれに取って代わった。

 かつて私は、写真の発明によって画家の仕事が激減し、後年の画家たちは抽象画に活路を見出さざるをえなかった、と述べた(2012-05-28)。個性のない写実画家は存在価値を失ったのだ。(むかしの映画看板の職人はウソーというほど上手かった。)


(映画看板職人、紀平昌伸さん。FM三重・RADIO3 のブログより引用。)


※今日、気にとまった短歌

  何これ?と弾みし声で包み解き低く何これ?君はまた問う (習志野市)小野晋吾

「余剰」が戦争を可能にした

2015-05-26 06:19:00 | 歴史

(日本軍の食事風景の絵葉書。カミモノネットより引用。)

 前線の兵士は食糧の生産ができない。だから補給部隊が食糧を補充する。

 補給部隊は食糧を補充しても飢えない。それは、食糧に余剰があるからである。

 その日暮らしの狩猟採集民族は、余剰がないから毎日、食糧を探し求めなくてはならず、戦争なぞやっているヒマがない。

 戦争は余剰をもった農耕民族特有の仕業と言えるだろう。(だから、農耕民族が狩猟採集民族を滅ぼすのは造作もないことだった。)


※今日、気にとまった短歌

  「復員」や「内地」「外地」という言葉シベリア還りの祖父より教わる (岐阜県)三ツ井リカ子

五島列島の教会群

2015-05-06 15:32:05 | 歴史
      

 五島列島にはいくつもの教会があります。いずれも小規模ですが、エキゾチックでよい眺めを作っています。

 2007年、長崎の教会とともに、五島列島の教会も4か所が世界遺産に推薦されています。(正式認可は来年の予定。)

 7,8年前に訪れたときには、人っ子一人いませんでした。今回はそれよりも観光客が増えましたが、それでも教会は深閑としており、地元の信者が普通に利用しているようです。

 各教会には必ずトイレがあるし、出入り自由で写真も自由なのがよいですね。

 すべての教会のデザインが洗練されています。だれの設計になるものでしょうか?


※今日、気にとまった短歌

  喉元から顎へさっさと剃り上げる話の好きな若き理容師 (長崎県)中上鉄郎

長崎奉行とはなにか?

2015-05-06 06:39:28 | 歴史

(長崎歴史文化博物館入口。)


(長崎奉行の居室。)


 すでにこの欄で述べたように、私は秀吉がザビエルを受け入れながら、後にキリシタン禁止に至った理由が分かりません。そして、なぜ徳川幕府も反キリシタンを踏襲したのかが分かりません。(小学校の歴史ではキリスト教の「神の前ではみな平等」という教義が身分制度に反すると教わりましたが、絶対にそれだけでない私は思います。)

 さらに、九州の外様大名がなぜキリシタンを厳しく弾圧して江戸幕府の歓心を買おうとしたのかが正確には分かりません。(キリシタンに同調的な大名も、自分自身がキリシタンの大名もいました。)

 長崎奉行が最初は官位が低かったのがなぜなのかも謎です。キリスト教をもたらす外国船管理のためなら長崎奉行の地位は、最初から高くなくてはならないというのが私の考えです。

 そのような諸問題が少しでも分かるかもしれないと思い、長崎歴史文化博物館をのぞきました。しかし、なにも明らかにならず満たされない思いで博物館を出ました。展示に一貫性がないのです。

 ただ、島原の乱について天草四郎の「あ」の字も出てこなかったことには博物館の見識を感じました。16歳の天草四郎はたんにアイドルとして一揆に担ぎ出されたとしか思えないからです。(島原の乱は一揆かどうかも本当は怪しいです。大名の勢力争いの側面もあるからです。)

 博物館では、長崎奉行が裁判を行う寸劇をやっていました。長崎奉行は遠山の金さんみたいなお裁きもやっていたのですね。同博物館は、当時お白洲が実際にあった場所にお白洲が復元されました。柱の位置も正確に再現されたそうです。


(長崎奉行の「お裁き」を面白おかしく演じる一座。背景はほんもののお白洲。普通の小石だったそうです。)


※今日、気にとまった短歌

  ほほゑみは救ふだらうかこの国の夢はひとつもないと言ふ児を (大分県)佐藤良美

ネパール大震災に寄せて

2015-05-02 03:06:54 | 歴史

(ネパール大震災。毎日新聞WEB版より引用。)

 80年ぶりのネパール大震災では、ネパール及び周辺国のみなさまに大いに同情とお悔やみの気持ちをささげます。

 この地震に際してむかしの言葉が連想されました。誰の言葉か忘れました。(もしかすると、私自身の言葉だったかもしれません。)

(1)太古から大地震によってヒマラヤ山脈は高くなることを続けてきた。

(2)地震は(天災ではなくて)人災である。建造物がなければ倒壊も火災も起こらなかったから。

(3)ピラミッドが4,000以上年も持ちこたえているのは、もともと倒壊した形をしているから。


※今日、気にとまった短歌

  物忘れ多くなりしと言ふ吾にそれがわかればよしと医師言ふ (三重県)徳田せつ

もう度しがたい人類

2015-03-27 05:41:25 | 歴史

(ウィキペディア「ピラミッド」より引用。)

 ピラミッドは古代文明の輝かしいモニュメントどころか、私には人間のサイテーさを示す文字通り墓標に見えます。

 
 その日暮らしの狩猟採集時代には、富を蓄えることができませんでした。農耕の発明により穀物を主とした「余剰」が生まれ、「余剰」をどれだけぶんどるかで階級や王が作られました。

 ピラミッドという無用の長物を作るために、何万人の奴隷が動員され死んだことでしょうか?現代人はそれをまだ(戦争という形で)引き継いでいます。もうほんとうに度しがたいです。

 「諸悪の根源は農耕の発明にあり」とは、このブログで繰り返し言ってきたことですが、しばらく言っていなかったので、このたびまたしつこく言わせてください。

 (ピラミッド造りを愚行だと切り捨てた一番最近の記事は「整理整頓はよいことでしょうか?」(2014-09-08)だったかもしれません。)


※今日、気にとまった短歌

  生まれつき善き人のよう色白の額に降った雨は弾かれ (東京都)竹内亮

若者が住みたい街、吉祥寺

2015-03-15 05:25:39 | 歴史

(本駒込の諏訪山吉祥寺。筆者撮影。)

 東京の若者が一番住みたい街のひとつが吉祥寺だそうですね。しゃれた店がいくつもあり、文化の香りがする街、吉祥寺。

 あまり知られていないことですが、吉祥寺町には吉祥寺という寺はありません。

 町名のもとになる吉祥寺は江戸期には本郷か水道橋近辺にありました。明暦の大火(1658年)で門前町が焼け、そこのが住人が一団となって現在の武蔵野のこの地に移住し、新田を開いたのが始まりです。その新田が吉祥寺村と呼ばれ現在にいたっています。(私が幼ないころもまだ駅周辺以外は全部、畑でした。)

 もとの諏訪山吉祥寺が再建されるおり、幕府の命令で江戸城外、すなわち今の本駒込に移されたのでした(上の写真)。多くの寺が江戸城外に移転させられましたから、江戸城近辺には寺がありません。

 なぜそのような措置がとられたのか、調べてみましたが分かりませんでした。ご存じの方がおられたらお教えください。


※今日、気にとまった短歌

  友達と紹介されて友達でいることにする髪どめをとる (大東市)泳二

目黒と目白

2015-03-14 05:18:28 | 歴史

(文京区本駒込の赤目不動尊。筆者撮影。)

 東京の目黒と目白という地名は有名です。じつは、これ以外に目赤、目青、目黄という名称がありました。これらは明治期より「五色不動尊」と呼ばれました。

 目黒、目白、目赤は江戸時代から存在したようです。上の目赤不動尊は現在でもあります。

 目青不動尊らしき寺は世田谷区太子堂にあって、私は世田谷線の車窓から見たことがあります。しかしながら、目黄不動尊だけはどこにあるのか、あいまいなままです。

 地名として残ったのは目黒と目白だけなのですが、残ったいきさつは詳らかではありません。


※今日、気にとまった短歌

  若草に触るるばかりに膨らめる牛の乳房の青き静脈 (鴻巣市)細野隆

娯楽としての「説法」

2015-01-29 05:31:25 | 歴史
    
(イグナチオ・デ・ロヨラの肖像画。ウィキペディア「イエズス会」より引用。)

 戦国時代に渡来した宣教師がもっとも困ったのは、仏教のことをよく知らないと庶民から相手にされなかったことです。(だから宣教師はまず仏教を学ばなくてはなりませんでした。)

 当時、字が読めない庶民でさえ仏教に精通していました。庶民は辻説法によって仏教の知識を得ました。京の街ではそこここで僧侶による説法が行われ、いつも人垣ができていたといいます。

 ここからは私の空想ですが、庶民にとって辻説法とは、近代の浪曲や講談のような娯楽だったのではないでしょうか?ときあたかも戦乱の世で、お釈迦さまの救いを説く説法に庶民はぐいぐいと引き込まれたと想像されます。なかには名調子やイケメンで人気を博した僧侶がいたかもしれませんね。


※今日、気にとまった短歌

  書き上げし辞表を胸に出社せしこともあったね明日は定年 (さいたま市)石原正規

秀吉のキリシタン弾圧

2015-01-19 04:32:32 | 歴史

(マリア地蔵。ウィキペディア「隠れキリシタン」より引用。)

 秀吉は初めキリスト教を保護しました。それが一転、禁止にまわったのは何故でしょうか?

 九州のキリシタン大名が寺社を破壊し始めたことや、ポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に売ったことなどが原因とされています。一神教の不寛容さが指摘されることもあります。

 キリスト教が身分制度を否定しているから禁止された、という小中学校で教わった単純な図式は必ずしも正解ではなかったわけですね。どうしてそのようなことが学校で教えられたのでしょうか?

 信長と一向一揆の関係を、秀吉が見ていたことも影響しているかもしれません。ほんとうに歴史は一筋縄ではいきませんね。


※今日、気にとまった短歌

  梅雨晴れのまひるま汗は石走るたぎりて落つるこの禿頭を (神奈川県)中瀬真典