院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「平等」を起点とした論述は破たんする--教育論にせよ政治論にせよ

2015-09-20 08:29:56 | 教育

(報知プロスポーツ大賞授賞式。Nittaku のHPより引用。)

 小学校の運動会で、かっけこのゴールにはみんなが手を繋いで入り、順位は付けないことがあったそうだが、今でもやっているだろうか?

 人間に順位が付けられるようになったのは、農耕社会になってからだということは、この欄の読者ならすぐにご理解いただけるだろう。(穀物の備蓄すなわち余剰がない時代には、王や豪族といった存在に富が偏在することはありえなかった。)

 プロスポーツは順位が命の世界である。一位は他の者より格段に多い報酬が得られる。四位五位に終わった者が努力の人だったとする。一位の人より四位五位の人のほうが数層倍努力したのに、たったこれだけの報酬では可哀そうだという論者が出てくるかもしれない。しかし、それはそれで「努力の量」で順位を付けていることになる。

 社長は人間としてヒラより偉いわけではない。ただし、会社で不祥事があった時、責任をとって辞職するのは社長でなくてはならない。副社長以下が辞職しても何の意味もない。

 人間の順位付けは、もう何万年も前に農耕が始まってから続いているのだから、「平等」を起点や前提とした考察は、どんな論述でも必ず矛盾を生じてくると考えたほうがよいだろう。


※今日、気にとまった短歌

  もし君がどんなに偉くなったってオレが尊敬することはない  詠み人知らず




丸暗記は必要ないか!?

2015-08-27 04:16:52 | 教育

(ウイーン体制下のヨーロッパ。コトバンクより引用。)

 小学生から「スマホで調べればすぐに分かるのに、世界の国の首都をどうして覚えなくちゃいけないの?」と問われて、教師が答えに窮したというが作り話だろう。将来、見聞を広めるためには、どうしても丸暗記しなくてはならないことがあるのだ。

 ベルリンがドイツの首都と知らなくて、いきなり「ベルリンの壁」と聞いて意味が分かるか?まして、以前はドイツが分断されていたことになぞ、まったく考えが及ばないだろう。「首都の名前は調べれば分かる」んだったら、全部スマホで調べてくれ。飯の炊きかたから大化の改新まで!

※今日、気にとまった短歌

  大変だ金が要るとの電話切り浪費され行く頭脳を惜しむ (東京都)安川醇

人文科学の冷遇反対!

2015-07-21 06:39:46 | 教育

(女性研究者が語る考古学最前線。山梨県立考古博物館協会のブログより引用。)

 学問は哲学から始まった。古代ギリシャでの数学は、もともと哲学の一部だった。

 現代において自然科学は物質文明に役立つ。人文科学は役立たないから、大学教育から排除せよ文科省は言う。

 冗談ではない!人文科学の歴史のない土壌でノーベル賞はぜったいに生まれない。人文科学は重要である。それが、女子学生の「花嫁道具」であってもだ。

 (まあ、直接の役に立たない学問の面倒を国が見られないということは、日本はヨーロッパに比べてまだまだ貧困なんだろうね。およそ役に立たない研究をしているのは、また白人だけになるんだろうか?)


※今日、気にとまった短歌

  爪のにおいハーモニカでも吹くようにかいでいました 窓際の席 (大阪市)蒼井杏

AO入試

2015-07-17 04:11:47 | 教育

(AO入試の説明。関西大学のHPより引用。)

 いまや高卒者の半分くらいが大学に行くようになった。(私たちの時代は1割。)今の大学生のうちほぼ半分がAO入試とやらで入学したらしい。(私の理解では、AO入試とは面接や論文でヤル気を測って、学力は問わない入試。)

 大学にとってのAO入試のうまみは、一般入試の募集人員が減って倍率が高くなり一般入試の偏差値が上がる(そして公表される)ことである。(AO入試はそもそも偏差値が算定できない。)

 ある数学者の報告によれば、AO入試で入ってきた学生は、二次関数三角関数初等微積分などの地道な訓練をしていないから、そこから始めなくてはならない。ヤル気だけでは駄目なのだという。

 さらに、AO入試で入った学生は一般入試による学生より、成績(点数)が30%低い。中途退学者も多く、一般入試の退学者が16人に1人なのに対して、AO入試のそれは6人に1人だという。

 まあ、一般入試だけしかやらないとAO入試をやる大学に学生を取られてしまうから、多くの大学に広まったのだろう。二次関数三角関数初等微積分は、それが将来の考え方に役立つ人は1%もいないと思う。重要なのは論理性よりも、円滑な対人関係だというわけだ。

 文科省は大学入試で対人関係や人柄を重視せよと言っているが、東大京大までそれでは困る。高校には対人関係は駄目でも、古典文学にメチャ強い、うそみたいに物理ができるという奴がたくさんいるのだから。


※今日、気にとまった短歌

  電柱に片足上げて用を足(た)す人所在なくそれを待ちをり (松坂市)有田典子

模擬試験は何のためにやるのか?

2015-06-14 06:04:36 | 教育

(中学生の模擬試験風景。ALL-up のHPより引用。)

 模擬試験というものは、自分の順位を知って今後の学業に生かすために行うものと思っていた。ところが、ある予備校教師が次のように言ったので、なるほどと思った。

 「模擬試験は諦めさせるためにやるのです!」


※今日、気にとまった短歌

  ワイシャツの背中を濡らし自転車と夕焼け色の風になる君 (東京都)高橋梨穂子


かけ算の順序

2015-05-31 08:02:42 | 教育
ウィキペディアより引用。)

 図の上のような場合、2×3=6が正しく、同じ問題を3×2=6と答えると、小学校では誤りになるという。

 掛け算については小3で交換法則を教わる。ということは、抽象度が上がったわけだ。それでも3×2は誤りとみなされるらしい。

 抽象化したあとなのに、具体しか認めないというのは矛盾である。

(小3ともなれば、けっこうな子どもが長方形の面積の出し方を知っている。「縦×横」と「横×縦」を区別するナンセンスさも分かるはずだ。)


※今日、気にとまった短歌

  スカートに風入れながら立ち漕ぎをする少女らの自転車光る (水戸市)木沢美千子

旺文社の名物社長・赤尾好夫

2015-05-23 06:22:06 | 教育

旺文社のHPより引用。)

 私の大学受験時代、大学では学園紛争が華やかだった。「大学解体」などの言葉が舞っていた。(私には意味不明だった。)

 同年齢の人口が多く、また大学進学率が上がり始めたころで、「受験戦争」という言葉が作られた。私は受験勉強がイヤになって、なんのために大学へ行くのだろうかなぞと考えることがあった。

 そんなころ、受験関係の出版で有名な旺文社の名物社長、赤尾好夫がラジオで演説していた。

 「大学入試を批判するなら受かってから批判しろ!!」

 なるほどなぁと思って、私は受験勉強にいそしんだ。


※今日、気にとまった短歌

  くねくねと的を外して議論する雲形定規のやうな人々 (愛知県)松下三千男

時計に困難を感じた幼少期

2015-04-21 05:50:49 | 教育

(カシオ掛け時計。amazon より引用。)

 当たり前のことですが、右手は自分の右側にありますよね。しかし、向かった相手から見ると私の右手は左側にあるのです。

 小学校1年生のとき「時計の3は右左どちらにあるでしょう?」という問題が出て困りました。自分が時計になったとしたら3は左だし、向かって見ると右側にあるからです。

 時計は右回りだというのも理解できませんでした。12時のところを見れば右回りですが、6時のところを見ると左回りです。のちに「時計回り」という用語を知って、ほっとしました。

 台風は左巻きだといいますが、時計と同じ意味でよく分かりません。さらに、宇宙から見たのか地上から見たのか、それによっても違ってくるので、時計よりさらに難しいです。


※今日、気にとまった短歌

  「東京ばな奈」と卒業写真お土産に孫はさくらの花と帰り来 (名古屋市)小松とみゑ

「ゆうびんきょくのしごと」

2015-04-03 04:22:09 | 教育

(郵便車スユ15(2001)。ウィキメディアコモンズより引用。spaceaero2 氏によるCCライセンス。)

 表題のような題名の絵本を小学校1年生のころ読みました。都会の幼い孫が北国の田舎に住むおばあちゃんに手紙を出すという物語仕立てです。

 孫がポストに手紙を投函するところから始まり、中央郵便局での手作業による郵便の仕分け(当時は郵便番号なぞありません)、続いて写真のような鉄格子の入った郵便車が疾走します。こうして孫の手紙は運ばれていきます。

 列車の鉄格子から、郵便(小包や現金書留も含む)とはいかに大事なものなのかを子どもは学びます。(現在ではほとんどが空輸だそうですね。郵便車を見かけません。)

 山奥に住むおばあちゃんの家までは、現地の郵便配達人が徒歩で運びます。雪深く、配達人は膝まである雪を掻きわけて、おばあちゃんの家まで突き進みます。

 ここで感動しない子どもはいないでしょう。昨日、私は郵政の悪口を書きましたが、根底には尊敬の念をもっているのです。

(数学者でエッセイストの藤原正彦氏は、イギリスに国際小包はまず届かない、何回も催促してやっと届いても中味が抜かれていると書いています。職務に忠実でない者たちが間に何人も挟まると、生産性がゼロになる例ですね。)


※今日、気にとまった短歌

  五円玉一つのアイスキャンディよ冷房など無き高校のころの (杉並区)本間木丈

有名大学生が行う「馬鹿な行為」

2015-03-25 03:38:50 | 教育

(MITのピアノ落とし。MITNewsより引用。)

 MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生がボロボロのピアノを屋上から落として破壊するという「行事」は、すでに40年の歴史があるそうです。

 MITはノーベル賞学者を何十人も輩出している名門校です。だからこそ、こうした馬鹿げた「行事」が許されるのでしょう。

 下の写真は京大の卒業式です。京大の卒業式に着ぐるみや仮装が登場するのは、もはや「定例」となっています。着ぐるみや仮装はまさに京大だからOKなのであって、ほかの無名校がやっても洒落になりません。


(京大の卒業式。キン肉マンが混じっていたりする。京都大学のHPより引用。)

 今のところ、MITや京大の「馬鹿な行為」は庶民に支持されています。ですが、ちょっとでも勘所を間違えると、敏感な庶民は「馬鹿な行為」の底流にひそむエリート意識を激しく批判するようになるでしょう。

「馬鹿な行為」を批判を浴びずに行うのは、けっこう難しいのです。


※今日、気にとまった短歌

  眼と鼻をクチャクチャにして頭痛までこれでどうだと言わんばかりに (岡崎市)梅基彰

大学の大衆化と奨学金の矛盾

2015-03-11 03:38:45 | 教育

(安田講堂。東京大学キャンパスライフより引用。)

 現在、大学進学率は約50%で、大学生の総数は250万人程度とされています。(私たちのころは大学進学率は10%程度でした。)

 先日の報道では、無利子奨学金利用者が46万人、有利子が87万人だそうです。計133万人ですから、大学生の2人に一人が奨学金を借りていることになります。

 私たち団塊の世代が大学生のころ、国公立の学費は年額12,000円(月額1,000円)でした。それでも奨学金をもらっている学生がいました。

 私たちが卒業してから数年後に、国公立の学費は年額30万円ほどに急騰しました。今では国公立年額82万円、私立131万円です。これでは奨学金は絶対に必要になり、卒業時に800万円も借金をかかえている学生がいるといいます。

 大学の大衆化といいますが、借金で縛られた学生を大量生産しているわけですね。これは異常です。

日本はアメリカと並んで世界トップクラスの学費が高い国です。学費が高くても大学だけは出ておこうという人が多いのは、大卒初任給が高卒初任給より高いのが大きな原因です。これまで「大卒」はブランドでしたが、大衆化によって今後、大学名によってはかえって「逆ブランド」になりえます。

 大卒初任給、高卒初任給という分け方がすでに古いのです。これからは大卒高卒は問われず、会社ごとに勝手に初任給が決められるようになっていくでしょう。つまり、大卒の初任給が高卒初任給と同等にならないと、(「逆ブランド」でさえ一定の価値があることになり)借金まみれ学生の生産と就活地獄が続くことになってしまいます。それがイヤなら他の(アメリカ以外の)先進国並みに大学の学費を安くする必要があるでしょう。

(もっとも若者に、一見無駄に見える大学生活というモラトリアム期間を与えないと、長い目で見れば日本の文化レベルが落ちてしまうかもしれませんが・・。難しいところですね。)


※今日、気にとまった短歌

  もたついて電車のキップ買う我を微笑みながら許す青年 (愛知・幸田)吉口三男


小学校での英語必須化に寄せて

2015-03-09 05:20:19 | 教育

(英会話教室のチラシの原案。Lancers のHPより引用。)

 私は英語が読めるのに話せない世代です。小学校で英語が必須になることについて、識者には反対が多いです。日本語がちゃんと身についてからにせよというわけですね。海外で活躍している人は、英語が必要な日本人は1割だけだと言っています。(9割の人は英語を勉強しても一生縁がないといいます。)

 小学生は会話はうまくなるでしょう。でも、中学に入って読み書きが始まると、とたんに困難を感じる子どもが続出すると思います。

 私の周辺にいる外国人の多くが「隣りのネコが子を産んだ」程度の内容しか話しません。とにかく無内容なのです。でも、私が英語でどう言ったらよいのか悩んでしまうようなことを、ふつうに言えます。例えば、以下です。

 「入れ歯をはめる」
 「テレビに出る」
 「お年寄りとのふれあい」

 これらの日常語を即座に言えないのが、私には残念でなりません。


※今日、気にとまった短歌

  味も香も知らず空想広げしは西田佐知子のコーヒールンバ (岡崎市)兼松正直

識字率の男女差

2015-01-10 05:30:15 | 教育

(寺子屋の風景、『文学万代の宝』より。江戸東京デジタルミュージアムより引用。)

 むかしから日本の識字率の高さは有名です。寺子屋があったからだといいますが、では生徒の男女比はどうだったのでしょうか?寺子屋には共学、男子専用、女子専用があったとはいえ、トータルとしては男子の数のほうが圧倒的に多かったのではないかと推測されます。

 パキスタンの現在の識字率は、男性79%女性61%だそうです。イスラム圏であるパキスタンですが、女性の識字率が意外に高いのですね。

 日本も幕末にはこの程度の識字率の男女比だったのではないかと勝手に考えています。パキスタンのデータは、あるマスコミが「ほら女性の識字率がこんなに低い」というために出した数字ですが、残念でした。少なくとも私は意外に高いと感じたのでした。

年頭に当たって--大学受験制度について

2015-01-01 00:05:28 | 教育
 みなさま、あけましておめでとうございます。今年もこのブログをご愛読くださいますようお願いいたします。

 この時期は大学受験生の皆さんは最後の追い込みでしょう。私にも経験がありますが、私はこの時期には苦手な科目を捨てて得意科目の整理だけをやっていたように記憶します。

 私の受験時代にはセンター試験というものはありませんでした。その代わりに、独自の一次試験を課して受験者数を絞る大学がありました。ところが、だいぶ前から多くの大学がセンター試験を一次試験として利用するようになりました。

 そこでマスコミ的に評判が悪いのが、一次試験を足切りに使用することです。一次試験で倍率を3倍くらいまで狭め、二次試験は記述式にしてじっくりと採点するという方式は、私には合理的に思われます。マスコミがそれに難色を示すのはなぜでしょうか?

 大学側が足切りを行うのは、選挙に立候補するときの供託金のようなものだと私は考えています。誰でも立候補できるのが理想ですが、泡沫候補が山のように出てきては、選挙事務に悪い影響を与えます。私は供託金をやむなしと考えます。

 記述式の採点の大変さは、知り合いの大学教員がいつも言います。採点者同士で激論になることもあるそうです。だから、「お呼びでない」受験生は遠慮してもらおうと考えるのは仕方がないでしょう。

 マスコミが足切りを嫌がるのは、「お呼びでない」と扱われた(一次試験で落ちた)受験生が気の毒だというわけでしょうか?

 大学側は、センター試験で足切りを行うのは独自に一次試験を行う場所が確保できないからだと言いますが、嘘が含まれています。なぜなら昔は独自に一次試験を行っていたからです。

 大学側は足切りを行う合理的な証拠を示すことができるのに、やらないのは何故でしょうか?つまり、ぎりぎりで足切りを免れた受験生が二次試験に合格する確率を示せばよいのです。

 その中から合格者がけっこう出るようだったら足切り自体が間違っていたことになります。ほとんど出なければ堂々と足切りを行ってよいのではないでしょうか?

(足切りをされた何千人の受験生から一人でも二次試験合格者が出たら、足切りは根拠を失うというマスコミは言うかもしれません。でもそうしたら、試験当日インフルエンザで受けられなかった受験生はどう扱うのですか?どんな試験でも「運」は付き物です。「運」を完全に排除してしまったら、温もりのない世の中になるのではないでしょうか?)

(高校の各学年での達成度を入学試験に加味するという文科省の方針は、限りなく「運」を排除する仕組みです。ですから私は反対です。入学試験は一発勝負でよいのです。いつもはできない受験生が試験当日は不思議にできて一発勝負で受かったなんて、宝くじのようで夢があるじゃないですか。)

(超優秀な頭脳の友人がたくさんいます。そのような頭で生まれてきたこと自体が「運」ではありませんか?)

センター試験改悪に反対する

2014-12-28 06:09:47 | 教育

(伊藤公昭氏による「実践型!集団面接講座」。三重大学のHPより引用。)

 50年近く前、センター試験の前身が試験的に行われたころ、マークシートでは限界があることは分かっていたのです。(私はこの試験を受けました。大学入試にはまだ利用されませんでしたが・・。)

 何十万人という受験生の答案を一気に採点し順位をつけ、しかも不公平が絶対にないようにするにはマークシートしかありませんでした。

 新しい試験の「要綱」には「面接や集団討論で主体性や協調性を見極める」とあります。昨年、大学入試の面接重視に反対しました。それと同じ理由で「協調性の重視」にも反対します。

 多数者に飲みこまれないような協調性のなさこそが、みんなが常識と思っている事象を疑うことができます。私が知っている大学教授や研究者には「変人」がいっぱいいます。彼らがいなければ、オリジナルな研究なんて望めなくなりますから・・。