博士論文を書いていた時、『琉球諸嶋風物詩集』を紐解きました。故にどんなプロジェクトか、興味を持って参加しました。詩集を読んだ方はお分かりと思うが、歌人の名嘉真恵美子さんは、3人の「ちる」がいたみたいですが、とさらっと話していましたね。つまり、惣之助さんは、辻の竜宮場でおおいに、遊んだ詩人だったがゆえに、花風節が多く取り入れられたことが分かります。
芥川龍之介の惣之助への短歌は、竜宮城のジュリへの憐憫の情がこめられています。「あわれ」は、かわいいの意味があると名嘉真さんは話していたのですが、琉球の遊里(竜宮場)で沢山放蕩した詩人を揶揄しているように受け取りました。
しかし多くの歌詞を残しています。「美はしの琉球」は聞いたことがあります。伊波南哲や山之口貘と東京で交流があったことなど、話が弾んだことでしょう。辻遊廓は沖縄にやってきた中央の文化人やジャーナリスト、官僚、商人にとって、宿であり、サロンであり、レストラン、文化交流の最たる時空でもあったことが分かります。
仲村渠達也さんが、惣之助のこの詩集に注目し、詩編の前に添えられた琉歌の節を再現し、詩を朗読するという企画を思いついたのは良かったですね。当時、大正期、伊波譜猷もいわば沖縄にまだ在住していた時に、那覇に逗留した惣之助が当時の沖縄の事象を風俗を芸能にすっかり入れ込んだ形で詩に結晶化したのは、身近で触れあったジュリの女性たちや遊廓の芸能、また端道にあった芝居小屋の影響も大きいかと推測できます。
ジュリの芸妓から教わったという琉歌が並んでいます。ジュリの芸能をつぶさに見て感じていたに違いないですね。「花風」は惣之助の詩や散文から、まさに写実的な踊りであり琉歌、節だということが実証されています。
所で、演劇はあまり気にならないのですが、琉球舞踊を上から見下ろして観るということは、あまりよろしくないことが分かりました。国立劇場おきなわのステージの方がはるかにいいです。朗読や歌三線の演唱は良かったです。地謡の方々の声音もいいし、聞きごたえは良かったです。座談会もまぁー、少し物足りないところはあったものの、意外な発言と発見がありました。惣之助をもっと深堀しょうと思う皆さんにとってはいいプロジェクトでした。
娼妓としでだけではなく、芸能者としてのジュリはしっかり捉えられています。私にとってはそれが重要です。博論はジュリの女性たちの芸能者としての歴史をしっかり実証し、彼女たちを琉球・沖縄芸能史の中で確と評価することでした。その目的は果たしたと思っています。出版を急ぐ必要がありますが、ゆらりゆらり~。
博論では第四章の「近代沖縄芸能・映像に表象された遊廓・ジュリ・芸能」
第二節 琉球舞踊に表象されたジュリ
第一項 琉球舞踊
第二項 ジュリの表象
第三項 「花風」の世界
第四項 詩人佐藤惣之助が目撃した那覇埠頭の光景
第五項 「花風」の人気
第6項 「花風」が先導した女性の一人踊りー「古典女踊り」の変容
つまり第四項で取り上げました。詩の中にも船旅の見送り場面が描かれていますが、三重城の情景は、まさに「花風」の踊りを彷彿させます。
佐藤惣之助が目撃した、体験した三重城の光景は、おそらく港が重要な場でありつづけた近世琉球においても、同じ情景が観察されたことになります。それは琉球史料の中にもはっきりとした記述が残されています。団扇や手拭で招くような者がいたことが記録されています。逆に見送る人々もいたのです。