45年前の高校1年生の時、3年生の先輩がサイクリング同好会を作り、即刻入会。
同好会として定期的に、10数名でいろんなところへサイクリングしました。
そんな楽しい思い出の中、その年の夏休みに友人と二人だけで野宿の旅に行く事を企て、当然学校には届け出を出せるはずも無く、現金は5千円だけで後は3日分のお米や自炊用品をサイクリングバックに満タンに詰めてある晴れた早朝、朝霧の中をさっそうと出かけました。
予定したルートは、
一日目:実家の烏山から那須のロープウェイまで登って、白河から福島県に入って海に向かいつつ一泊。
二日目:山を越えて福島県いわきの勿来海岸に出て、そこから海岸線を南にひた走り、茨城県の海岸付近で一泊。
三日目:帰宅
そもそも野宿ですから、泊まる場所は現地調達。
雨? そんなものだって降ったら降ったで、現地で何とかする。完全サバイバルの旅。
ほぼ、毎日約100kmコースです。
当時はコンビニなどありませんし、田舎道なのでスーパーなどもありませんから、何かを調達するにはある程度の町を通過する必要があります。
一日目、朝6時頃友人と出発、那須の大丸温泉まで登りましたが家からそこまで70kmあり、しかも標高1300mまで重いサイクリングバックを付けた自転車で登るのは三苦労でした。
そこから先のロープウェイ駅まで行く気力を無くして、大丸温泉で下る事に。
その後、山を下って福島県に入って白河を通って東に向かいましたが、夕方になり西の空には入道雲がモクモク。
やばそうな雰囲気で山間の小さな町に差し掛かって野宿の場所を探していた時に、道路の右側に小さな川が流れる静かなところに橋があり、その先には住職が住んでいそうな大きなお寺が見えました。
ふと、私が友人に「あのお寺に泊めてもらおうか?」と云うと、「雷雨が来たら困るからそうしてみようか」と友人も同意。
早速、橋を渡るとそこには龍宮城のような赤い門があり、その奥に大きな本堂がありました。
お堂右手に人が住んでいそうな家があり、行って宿泊を頼むと「いいですよ。それなら、お堂に泊まりなさい」と云ってお堂に泊めて頂く事に。
更に、食事もどうかと聞かれたので、自分達で作りますと云うと、奥さんに「xxxを持ってきてあげる」と云われたが???
お堂裏山のお墓のところの枯れた杉の落葉を集めて庭で火を焚いて飯ごうでご飯を作ってカレーも作って出来上がった頃、奥さんがお茶碗に味噌汁を入れて持ってきてくれました。
「xxx」は味噌汁の事だったんですね。単語が違っていて分かりませんでした。未だに何と云ったのか分かりません。
そして暗くなり、真っ暗なお堂の中央には大きな仏像が鎮座していて、その仏像の目の前の座敷で寝かせて頂きました。
トイレは周囲の回り廊下に出てお堂の裏手にありましたが、とても怖くてなかなか行けず、朝4時頃になって明るくなり始めるまで我慢していました。
朝になって周りをいろいろ見渡していたら、石碑か何かが有って戦没者の方々の名前が沢山書かれていた記憶があります。
朝も、飯ごうでご飯を作って食べてから住職と奥さんに何度もお礼を云ってお寺を後にしました。
この野宿サイクリングで無料で泊めて頂いたお寺の事は、当時のTBSラジオの「パックインミュージック水曜パック」通称「そらまめパック」という「滝良子さん」がパーソナリティの深夜2時?からの番組で葉書を読んで頂きましたし、とても思い出に残るサイクリングの旅でした。
2日目は途中国道6号線を南下中に土砂降りの通り雨に遭いましたが、間もなく良い天気になり茨城の砂浜に有ったテトラポットの下に寝ました。
あれは、日立の河原子海水浴場だった様な・・・? これは定かでない。
3日目は大洗海岸まで南下して、そこから家に帰る道を辿った。
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でも、このお寺がどこに有って、なんて云うお寺なんだろうと40年以上も気になっていましたが分からずじまい。
なにせ、どこを走ったのかも大まかな予定しか立てて無かったし、地図上に書いたわけでも無いので明確に分からない。
ただ、周囲の山々の景観と、道路に沿って右手に小川が流れていて、お寺に行くための橋とその先に龍宮城の様な赤い門。
そして大きなお堂と杉の木の裏山が有ったことは脳裏に写真の如く焼きついていました。
近年になって、googlマップでストリートビューが日本全国の田舎道まで入って情報が載って来ています。
それで、昨年の丁度今頃から何度もそれらしき道をgooglマップでストリートビューしていましたが、全然見つからず「あの思い出は夢だったのか?」と思うようになりました。
ところが!!
先日、会社の同僚達とお酒飲んで帰って来てエアコンの前で寝転んで涼んでいたら、思い立った様にスマホを開いて地図を見たくなり、適当に画面を流して行ったら・・・・
あっ! ほぼ南に向かった道路の右側に小川・・・
エーッ! お・・お寺だ!
早速、ストリートビューで周囲の確認。
「あった!! ここだ!」 思わず、大声で叫んでしまった。
あの龍宮城の様に感じた赤い門に、お堂。
そのお寺は、「亀堂院」というお寺でした。
一年がかりで発見しました。
でも、実際には南に向かっている道ではなく、南東向きの道でした。まあ、でもそこそこ方向感覚は狂ってはいない。
ストリートビューの画面ではこんな感じです。
当時はもっと見晴らしが良くてお寺がこの場所から橋の向こうに見えました。
今住んでいる場所からだと、最短だと途中、八溝山系の峠を越える必要がありますが片道65kmくらいで行ける場所でした。
あの時の住職と奥さんはまだ居るだろうか?
もう一度自転車で行ってみたくなりました。
まさかこの年で野宿と云うわけには行かないので、どこかに一泊して2日コースなんて言うのもいい。
車で行けば直ぐだけど、それじゃ駄目だね。自分の心が許さない。
今年が無理なら退職した来年にでも行ってみたい。
これで楽しみの目標がまた一つ増えました。 良かったぁ!
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今更、地図で走ったと思われるルートを確認すると、
一日目は120km、二日目は85km、三日目は100kmくらいだったと思われる。
高校1年生で、しかも45年前の当時は5段変速の重い車体のクロモリフレームの自転車で、未舗装など道路事情もあまり良くなかった(特に茨城県内)あの時代に3日で約300km走ったなんて、今に思えば凄い旅だったと言わざるを得ない。
でも、その半年後の春休みに銚子までの片道約170km22時間のサイクリングしてますから、まあ物好きな奴だった訳です。
この銚子までのサイクリングを今の道路環境や自転車の進歩を加味して現代に置き換えれば、300kmに匹敵する連続で走るブルベに近いサイクリングだったかも知れません。