いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

姓名は自由生命。 surname is free life

2021-06-24 20:02:59 | 日記
 (1)人間が自分の姓名を選ぶのはまさしく「自由」の問題だ。ここでいう「自由」とは成人となり社会的権利、義務、意思決定、選択が自分の意思で自由に行える、責任を負える段階のことであり、現在でも婚姻によりどちらかの姓名を名乗ることは「自由」だ。

 (2)今問題となっているのはもう一つの道、夫婦別姓を認めるのかどうかであり、どちらかの姓名を名乗る民法、戸籍法が憲法の定める「自由」に抵触するのかであり、最高裁は「家族の呼称を一つに定めるのは合理的」とした2015年判決をそのまま踏襲している。

 「合理的」の正当性については「国会で論ぜられ、判断される」(報道)ことと具体的な論証はせずに立法府の問題としている。

 (3)保守思想の多い自民党内では夫婦別姓は家制度を壊し、社会秩序を乱すという考えで反対意見が多い。しかし、彼ら彼女らの言う家制度、社会秩序というのはすでに現在では大きく変化し、姿を変えている。

 少々乱暴だが(LGBTのことではない)、男性が女性のような恰好をして女性のような言葉を使い、女性が男性のような恰好をして男性のような言葉を使うことが常態化して不自然ではなく存在する自由社会だ。

 (4)そこでは家制度とか社会秩序というのは基本的なところでは存在しない。自由が保障されて、自由な生き方が求められている。人間は国家、社会に対して平等、公平な責任、義務を持ち、負担をすれば個人の生活は自由であり、それがかっての家制度、社会秩序を壊したとしてもまたあたらしい社会秩序を生み出していくだけのことである。

 (5)ましてや成人となって社会意思決定力を持てば自分の姓名を選ぶのは「自由」の問題であり、国や司法がとやかくいう問題ではない。現在社会で自分の姓名を変えられるのは婚姻、養子など必ずしも「自由」に選べれる立場にあるばかりのものではないが、少なくとも国や司法がとやかく言えるものではなく、人間の自由な生き方の問題でしかない。

 (6)夫婦別姓に反対する人たちのいう家制度、社会秩序は大家族制から核家族制に変化して、自由な生き方、働き方の社会秩序に変化してきている。少なくとも家制度とか社会秩序論は破たんしており、人間個人そのものの自由概念の中にある。

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