いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

自由の理念に阻まれて。 blocked by an idea of freedom

2023-07-10 20:34:59 | 日記
 (1)メディアが旧統一教会問題を盛んにとりあげていた頃に宗教2世問題が特集されてこれに「犯罪者を利する」とする声があったといわれ、一方で安倍元首相銃撃事件の実行容疑者に対して報道される家庭事情に対して「助命嘆願」が多数来ている報道が見られた。
 メディアは公平、公正、自由な立場から事件の事実の背景を掘り下げて読者にニュースを提供するものだが、事実、真実により近づかなければ説得力、理解力を欠いて事件のら列紹介に終わってしまう。

 (2)もちろん犯行の凶暴性、計画性、被害性を伝えず事件実行者を被害者扱いすることなどできないし、その責任性は判例にもとづいて裁判審理で解明される事実、真実にもとづいて公平、公正、平等に妥当な審理判決されるものだから、国民社会としては各個人それぞれにいろんな意見、思いはあるだろうが「犯罪者を利する」や実行容疑者の「助命嘆願」は拙速無益で裁判制度を無視した法治国家の国民としてあるべき言論、思想の自由に合致したものとはいえない。

 (3)言論、思想の自由が無制限、無制約でないことを意味する。言論、思想の自由、信教の自由、結社の自由が宗教団体の存在、活動を保障するもので、今回の旧統一教会金銭被害、人権問題では昨年岸田首相が法律にもとづいて旧統一教会解散請求を視野に質問権行使を表明し、文科相のもとで旧統一教会とのやり取りが続いているが、文科省の質問権が何度も何度も行使されるだけで一向に事件証明のとりまとめに近づいた報告もなく、最近では旧統一教会からの回答内容も減り回答しない項目も増えているといわれる。

 (4)文科相は質問権を何度も何度も行使するだけで、旧統一教会側はどういう回答をしているのかわからずに事態はこう着して、昨年旧統一教会解散請求に意欲を示した岸田首相からは最近はまったく言及もない変わりようだ。
 結局は憲法が保障する理念に阻まれて、旧統一教会問題に簡単には切り込めない自由主義国家の限界をみせられている。

 (5)こういうことが前述のような国民の報道に対する「犯罪者を利する」意見に犯罪実行容疑者の「助命嘆願」に向かわせている無軌道で無秩序、不条理性(unreasonableness)となってあらわれていると解釈する。

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