3月24日(金)8日目ティンプーのホテルを出てパロParoへ移動する
今、ブータンは柳の緑と桃の花が美しい

ティンプーのホテル前の桃の花



7時~8時
ホテルの前は高校生の通学路になっているらしい。
多勢の学生が三々五々通っていく、その後姿を撮らせてもらった。

制服は決まっているが、カバンなどはそれぞれの好み?
男子学生は黒のハイソックスだ。これは大人の男性も同じ。


8:15 ホテルを出発した。
まず、ホテルからそう遠くない所のナショナル・メモリアル・チョルテン





チョルテンの周りをお経を唱えながら時計回りで周っている。たいがいは朝1回らしい、一日中周っている信仰の篤い人もいるという。
私たちも1回だけ回らせてもらった。

朝の朝礼風景
小学校や中学校が市内にはいくつあるんだろう?次々に新しい学校が次々作られているようだ。子供の数が多いのに驚く。
次に案内してもらったのは
クエンセル・ボダン「ティンプー大仏」と呼ばれている(外堀は建設途上の)お寺。
シンガポールと香港の億万長者が寄進したものという。パンフレットには“総工費80億円で、高さ50mで“世界最大”とうたっている。様々な仏像が安置されている三層の寺院で、ティンプー市内を一望できる展望台としても名高い・・”
ということで見学コースに入れてくれたらしいが、金ぴかの張りぼて?の大仏には(私は)あまり感動できなかった・・ このブータンには似合わない。
何年かすれば“しっくりくるように・”なるんだろうか?
ゾクゾク建てられている外資系のホテルなど、しっくりしなかった。何でも受け入れる国になってほしくない。






ここからティンプーを離れた


2つの川の合流点 ブータンから流れ出る川は全てインド洋に流れていく

対岸の山肌は特徴的・・この小さな写真では伝わらないと思うが。
かってヒマラヤ山脈が海の底からわきあがってきたということが実感できる。
日本にこんな岩壁があったら、直ぐ名前がつけられ名所にしてしまうだろうナ
車は2時間ほど走って、パロに入った。
資料によると
“パロは古くからの仏教の聖地のひとつとしてチベット世界に知られており、多くの高僧や修行者が巡礼や布教に訪れている。政治と宗教が表裏一体の関係にあった・・・パロはチベットとインドをを結ぶ主要な街道に隣接しており、また、パロ自体もチベット向けの米、インド向けの馬という重要輸出品目の産地で・・ パロは地形的に孤立しがちなブータンの中にあって常に新しい文化や技術が入ってくる窓口だった・・”

柳並木は1週間前により緑が濃くなっている

その柳並木の傍に弓道場があり、試合中だった。弓道はブータンの国技
キプシュ氏に是非観てほしいと誘導された。

日本の弓道ちがうところは、150m先にある両サイドの的に向かって矢を放つのだ。
弓を打つ前になにやら歌を唱いダンスをしている。命中するとお祝いの踊りがある・・。
日本のような厳粛な雰囲気はない。






街中の食堂で昼食、その食堂の壁に掲げられていた歴代の国王、5代前から

前国王と現国王

パロ・ゾンとパロ国立博物館(タ・ゾン)を見学
やはり、中は撮れないないので大きな木造建築の外観だけ・・
僧堂と市庁舎と裁判所などが一緒になっている建造物








この穴の下は、かつての地下牢だったような・・・

パロ・ゾン下の伝統様式の例の橋
Paro・Chhu(パロ川)に架かっているのが見える





パロ・ゾンはなかなかいい感じだ




夜、ライトアップしたパロ・ゾンをホテルから撮ってみた

今、ブータンは柳の緑と桃の花が美しい

ティンプーのホテル前の桃の花



7時~8時
ホテルの前は高校生の通学路になっているらしい。
多勢の学生が三々五々通っていく、その後姿を撮らせてもらった。

制服は決まっているが、カバンなどはそれぞれの好み?
男子学生は黒のハイソックスだ。これは大人の男性も同じ。


8:15 ホテルを出発した。
まず、ホテルからそう遠くない所のナショナル・メモリアル・チョルテン





チョルテンの周りをお経を唱えながら時計回りで周っている。たいがいは朝1回らしい、一日中周っている信仰の篤い人もいるという。
私たちも1回だけ回らせてもらった。

朝の朝礼風景
小学校や中学校が市内にはいくつあるんだろう?次々に新しい学校が次々作られているようだ。子供の数が多いのに驚く。
次に案内してもらったのは
クエンセル・ボダン「ティンプー大仏」と呼ばれている(外堀は建設途上の)お寺。
シンガポールと香港の億万長者が寄進したものという。パンフレットには“総工費80億円で、高さ50mで“世界最大”とうたっている。様々な仏像が安置されている三層の寺院で、ティンプー市内を一望できる展望台としても名高い・・”
ということで見学コースに入れてくれたらしいが、金ぴかの張りぼて?の大仏には(私は)あまり感動できなかった・・ このブータンには似合わない。
何年かすれば“しっくりくるように・”なるんだろうか?
ゾクゾク建てられている外資系のホテルなど、しっくりしなかった。何でも受け入れる国になってほしくない。






ここからティンプーを離れた


2つの川の合流点 ブータンから流れ出る川は全てインド洋に流れていく

対岸の山肌は特徴的・・この小さな写真では伝わらないと思うが。
かってヒマラヤ山脈が海の底からわきあがってきたということが実感できる。
日本にこんな岩壁があったら、直ぐ名前がつけられ名所にしてしまうだろうナ
車は2時間ほど走って、パロに入った。
資料によると
“パロは古くからの仏教の聖地のひとつとしてチベット世界に知られており、多くの高僧や修行者が巡礼や布教に訪れている。政治と宗教が表裏一体の関係にあった・・・パロはチベットとインドをを結ぶ主要な街道に隣接しており、また、パロ自体もチベット向けの米、インド向けの馬という重要輸出品目の産地で・・ パロは地形的に孤立しがちなブータンの中にあって常に新しい文化や技術が入ってくる窓口だった・・”

柳並木は1週間前により緑が濃くなっている

その柳並木の傍に弓道場があり、試合中だった。弓道はブータンの国技
キプシュ氏に是非観てほしいと誘導された。

日本の弓道ちがうところは、150m先にある両サイドの的に向かって矢を放つのだ。
弓を打つ前になにやら歌を唱いダンスをしている。命中するとお祝いの踊りがある・・。
日本のような厳粛な雰囲気はない。






街中の食堂で昼食、その食堂の壁に掲げられていた歴代の国王、5代前から

前国王と現国王

パロ・ゾンとパロ国立博物館(タ・ゾン)を見学
やはり、中は撮れないないので大きな木造建築の外観だけ・・
僧堂と市庁舎と裁判所などが一緒になっている建造物








この穴の下は、かつての地下牢だったような・・・

パロ・ゾン下の伝統様式の例の橋
Paro・Chhu(パロ川)に架かっているのが見える





パロ・ゾンはなかなかいい感じだ




夜、ライトアップしたパロ・ゾンをホテルから撮ってみた
