昨日から我が家の花畑にヤマオダマキ(山苧環)が咲き始めた。
夏の高山でひときわ美しく目を惹く花
前陛下の退位、新天皇陛下即位の報道がつづいている。
新天皇は(浩宮殿下)の趣味の一つに山歩きがあり、長野県の山にもいくつか登っておられる。
(信濃毎日新聞には)八ヶ岳とか乗鞍岳に登った時のエピソードがかかれている。
しかし、1992年9月に常念岳~蝶ケ岳を縦走されたことが出ていない。
その時、私も少し関わったので、1992年のアルバム「皇太子殿下行啓」を開いてみた。
1992年9月17日・18日の常念乗越から槍ケ岳連峰
殿下が一の沢を登って、常念乗越に出られたところ
その直前まで槍穂連峰は雲に覆われていたのだが、一団が乗越に到着された途端、雲が引いた・・
小屋主の山田恒親父さん”やっぱ殿下は何かもってる・・”と。
殿下は”いつも写真で観ていた風景が目の前にあって感動した・・”と夕食時に山田さんに話されたという。
私たちの前で止まってポーズをとってくださった。
殿下は診療所のメンバーにいくつか質問してくださった。
「夏の間、患者さんは何人くらい?」「どんな病気ですか?」だったかな。
返事は主にDr小林がしてくださった。
小屋に入られひと休みの後、横通岳に登られ、翌朝、常念頂上~蝶ヶ岳に向かわれた。
山田恒さんは気さくな「殿下」をすっかり気に入られた様子で、殿下も本当に楽しそうだった。
その年の暮れに殿下は雅子さまと婚約されたのだった。
殿下は夏山の最盛期、花の美しい時期にアルプスに登ることが難しいという。
繁忙期の山小屋の事情、警護の難しさなどがあるからであろう。
確かに殿下の「行啓」が決まってから、常念小屋は準備に大変熱が入っていた。
その日の夕食のメニューは特製カレー。
その時期は常念夏山診療所は閉所しているのだが、主なメンバーに上がってほしいと要望があった。
殿下と皇軍皇宮警察の皆さんは怪我などの心配はないのだが、報道関係者と追っかけのオバサマ達が心配だからという。担当医師と診療所係の医学部学生、ナースの私が登った。
夏の高山でひときわ美しく目を惹く花
前陛下の退位、新天皇陛下即位の報道がつづいている。
新天皇は(浩宮殿下)の趣味の一つに山歩きがあり、長野県の山にもいくつか登っておられる。
(信濃毎日新聞には)八ヶ岳とか乗鞍岳に登った時のエピソードがかかれている。
しかし、1992年9月に常念岳~蝶ケ岳を縦走されたことが出ていない。
その時、私も少し関わったので、1992年のアルバム「皇太子殿下行啓」を開いてみた。
1992年9月17日・18日の常念乗越から槍ケ岳連峰
殿下が一の沢を登って、常念乗越に出られたところ
その直前まで槍穂連峰は雲に覆われていたのだが、一団が乗越に到着された途端、雲が引いた・・
小屋主の山田恒親父さん”やっぱ殿下は何かもってる・・”と。
殿下は”いつも写真で観ていた風景が目の前にあって感動した・・”と夕食時に山田さんに話されたという。
私たちの前で止まってポーズをとってくださった。
殿下は診療所のメンバーにいくつか質問してくださった。
「夏の間、患者さんは何人くらい?」「どんな病気ですか?」だったかな。
返事は主にDr小林がしてくださった。
小屋に入られひと休みの後、横通岳に登られ、翌朝、常念頂上~蝶ヶ岳に向かわれた。
山田恒さんは気さくな「殿下」をすっかり気に入られた様子で、殿下も本当に楽しそうだった。
その年の暮れに殿下は雅子さまと婚約されたのだった。
殿下は夏山の最盛期、花の美しい時期にアルプスに登ることが難しいという。
繁忙期の山小屋の事情、警護の難しさなどがあるからであろう。
確かに殿下の「行啓」が決まってから、常念小屋は準備に大変熱が入っていた。
その日の夕食のメニューは特製カレー。
その時期は常念夏山診療所は閉所しているのだが、主なメンバーに上がってほしいと要望があった。
殿下と