山の峰にどっしりと大黒さまが座っている。
五竜岳と唐松岳の間にある恵比寿・大黒の頭と呼んでいる黒い岩峰。大きな白馬連峰においては、小さな突起だが、特長ある岩の塊。この日も青い空と白い峰の間ににくっきりと見て取れた。
田淵氏は「広い意味の雪形と考えられる」といっている。
五竜岳と唐松岳の間にある恵比寿・大黒の頭と呼んでいる黒い岩峰。大きな白馬連峰においては、小さな突起だが、特長ある岩の塊。この日も青い空と白い峰の間ににくっきりと見て取れた。
田淵氏は「広い意味の雪形と考えられる」といっている。
白馬本峰と小蓮華岳(大日岳)間の稜線下に大きく闊歩している「白い馬」でなく「黒い馬」。
この雪形も武田菱と同じ黒い雪形である。
雪から飛び出している岩には雪が付き難かったり、先に雪が融けたりで黒い馬が形成されるのだ。6月になって回りの雪が解けると、馬は周りに吸収されていく。
この雪形も武田菱と同じ黒い雪形である。
雪から飛び出している岩には雪が付き難かったり、先に雪が融けたりで黒い馬が形成されるのだ。6月になって回りの雪が解けると、馬は周りに吸収されていく。
神城を過ぎて車を走らせていると、白馬岳の雪形を代表する「代掻き馬」が見えてきた。赤信号で停車したら、丁度、代掻き馬の頭の下で赤いランプが着いているのに気がついた。
もうひとつ「雄馬」というのは、白馬岳山頂を臀部にし、北の二の肩を頭にして右下向きになった馬の形が現れるというが、ここからは判りにくい。
これは白馬の平から撮った。この4つの菱形は五竜岳が見えるところに出ればすぐ分かる。
田淵氏は「・・端正で明快で、美しい雪形・・・この地と因縁浅からぬ武田氏のご紋として尊崇の思いで仰ぎ眺められたであろう」
また、山名の由来について
「武田菱」の他に「御菱(ごりょう)」ともいわれ、一説には現在使われている五竜岳の山名の根拠として、御菱から五竜への転化を唱える向きもあると聞く」と書いている。
田淵氏は「・・端正で明快で、美しい雪形・・・この地と因縁浅からぬ武田氏のご紋として尊崇の思いで仰ぎ眺められたであろう」
また、山名の由来について
「武田菱」の他に「御菱(ごりょう)」ともいわれ、一説には現在使われている五竜岳の山名の根拠として、御菱から五竜への転化を唱える向きもあると聞く」と書いている。
左側の山が小蓮華山。その稜線に仔馬が山を跨ぐように現れるが、今はまだ小さい仔馬というより、頭と胴体の間がつながっていないので、仔馬に見えない。
また、小蓮華岳と(鶏の雪形の)白馬乗鞍岳との間に「嫁岩」があり、3人の嫁さんがおしゃべりしているように見えるが、この方向からは変形していてわかりにくい。嫁岩の左下にはこれまた「種まき爺さん」がいるが(私の目には見えているが)クローズアップしないと分からないだろう。
昔、栂池高原スキー場から三人の嫁さんが良く見え、ミツバツツジを前景にして写真に納めた。今日も是非と思ってスキー場に車で登ってもらったが・・。
hiroさんが隣の白馬乗鞍スキー場にも行ってみましょうかと言ってくれたが(小谷で会たい友人が待っているので)また次の機会にしようと諦めた。
また、小蓮華岳と(鶏の雪形の)白馬乗鞍岳との間に「嫁岩」があり、3人の嫁さんがおしゃべりしているように見えるが、この方向からは変形していてわかりにくい。嫁岩の左下にはこれまた「種まき爺さん」がいるが(私の目には見えているが)クローズアップしないと分からないだろう。
昔、栂池高原スキー場から三人の嫁さんが良く見え、ミツバツツジを前景にして写真に納めた。今日も是非と思ってスキー場に車で登ってもらったが・・。
hiroさんが隣の白馬乗鞍スキー場にも行ってみましょうかと言ってくれたが(小谷で会たい友人が待っているので)また次の機会にしようと諦めた。
5月16日は晴天で、この白馬乗鞍の「鶏」は安曇野の池田町からも見えた。
この写真は仁科三湖の青木湖畔で撮った。
このニワトリ・鶏の雪形について田淵氏は山に鶏よりもカモシカが似合うのではないかと言っているが、私もその考えに賛成!
この写真は仁科三湖の青木湖畔で撮った。
このニワトリ・鶏の雪形について田淵氏は山に鶏よりもカモシカが似合うのではないかと言っているが、私もその考えに賛成!
鹿島槍ケ岳の「ツル・鶴」と「シシ・獅子」
獅子は南峰の下、ダイレクト尾根の一角に現れ、獅子はこのツルに向かい合うように現れる。双耳峰をつなぐ稜線の南面、吊り尾根直下の壁に。
この獅子は大町から北に寄って撮ったほうが、“いかめしく格好よくみえる”と田淵氏は書いている。
これは5月16日に大町の南隣、池田町立美術館の庭で撮ったもの。
獅子は南峰の下、ダイレクト尾根の一角に現れ、獅子はこのツルに向かい合うように現れる。双耳峰をつなぐ稜線の南面、吊り尾根直下の壁に。
この獅子は大町から北に寄って撮ったほうが、“いかめしく格好よくみえる”と田淵氏は書いている。
これは5月16日に大町の南隣、池田町立美術館の庭で撮ったもの。
爺が岳の南峯と北峯に現れた「種まき爺さんと種まき婆さん」 *最近は両方とも爺さんといわれているが、田淵氏は爺さんと婆さんだと書いている。
いつもは5月になるとこの爺と婆の間に、もうひとつ爺さんが現れる。雪の多い今年は、まだ小さな点々にみえる。
雪形は観察する地点で形が変わる。これは池田町立美術館で撮ったもの。
いつもは5月になるとこの爺と婆の間に、もうひとつ爺さんが現れる。雪の多い今年は、まだ小さな点々にみえる。
雪形は観察する地点で形が変わる。これは池田町立美術館で撮ったもの。
この写真は左は北葛岳、その右側の大きなかたまりは蓮華岳。(針ノ木岳はこの大きな蓮華岳の裏に隠れて見えない)
田淵行夫氏は「山の紋章・雪形」の中で山名の由来について、以下のように説明している。
「針ノ木蓮華は黒部ルートの籠川谷の左岸を独り占めしている膨大な座積を誇る山であるが、その山名も陽春雪解けの頃の残雪模様がハスの蕾がまさにほころびようとする姿を連想させるところからきている」
注;蓮華とはハスの花のこと
この説明を納得してもらうのには、蓮華岳の山全体が見えるように、この写真の右側を切ってしまってはいけなかった。
田淵行夫氏は「山の紋章・雪形」の中で山名の由来について、以下のように説明している。
「針ノ木蓮華は黒部ルートの籠川谷の左岸を独り占めしている膨大な座積を誇る山であるが、その山名も陽春雪解けの頃の残雪模様がハスの蕾がまさにほころびようとする姿を連想させるところからきている」
注;蓮華とはハスの花のこと
この説明を納得してもらうのには、蓮華岳の山全体が見えるように、この写真の右側を切ってしまってはいけなかった。
池田町町立美術館からは常念山脈と北へ伸びる後立山連峰が一望できる。
この日も多勢の絵書きさんが山に向っていた。皆さんお仲間同士かな思ったら、「どこからですか?」「はい、私達は横浜ですがあなたは?」というような会話が聞こえてきました。
ここでhiroさん(いつもこのブログにコメントをくださる古い友人)と待ち合わせ。10時にという約束だったが、私がちょっとばかり遅刻してしまった。明科で寄り道していたのが原因です・・。hiroさんは夕方まで撮影助手(実は話し相手兼ドライバーさん)として付き合ってくださるというので、ここでもゆっくり写真を撮り、白馬方面へと北に向った。
この日も多勢の絵書きさんが山に向っていた。皆さんお仲間同士かな思ったら、「どこからですか?」「はい、私達は横浜ですがあなたは?」というような会話が聞こえてきました。
ここでhiroさん(いつもこのブログにコメントをくださる古い友人)と待ち合わせ。10時にという約束だったが、私がちょっとばかり遅刻してしまった。明科で寄り道していたのが原因です・・。hiroさんは夕方まで撮影助手(実は話し相手兼ドライバーさん)として付き合ってくださるというので、ここでもゆっくり写真を撮り、白馬方面へと北に向った。