The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

縄文の本来的生活

2009-01-14 07:00:04 | Weblog
 ウィルタの老人の言葉は、根本的な疑問を投げかけていた。
 我々の正義や価値は、土地に密着した農耕社会から成立したものではなかろうか。
 ウィルタの老人の提言は、狩猟採集社会からの意見であり、これは、最近の人類学の主張とも一致している、一部の学者は、これまでの未開で野蛮という解釈ではなく、人間の本来的社会とまで言い切っていた、
 「ヒトは、なぜ、狩猟採集を捨て農業をやるのだろう。民族誌を調べてみると、狩猟採集の生活は、労働時間が短く、人びとが集まって物語や歌や踊りに興ずる時間が多く、食糧もけっこう豊富である」
 それに比べて、
 「農耕社会は、労働時間が長く、貧富の差がはげしく、人間関係の摩擦が多くて争いがたえず、ついに戦争までおこす。
  現代は、その悪い点がいっそう増幅されているのではないか」
                      ― 小山修三著 『縄文時代』 ―
 さらに、一言、
 「狩猟採集民の方が、自由で気楽でもっと人間らしい生活をおくっていたのではないか」
 「自由で気楽で人間らしい生活」、なかなか高い評価になっている。
 だが、やはり、人口が増えなかったのではあるまいか、これが、大変な欠陥であった、だから、後発の農業社会に席捲されてしまう。
 食糧が確保され保障される農耕社会では、人口の爆発的上昇が可能となる、数十倍・数百倍それどころか数千倍の人数では、これは勝負にはならない。
 ともあれ、列島に展開した縄文の内容をもっと調べる必要があるかもしれない。
                            ― 縄文火焔土器 ―