都会の人間には考えられないことがある、縄文の文化の調査で、東北地方の町立の博物館を訪問したことがある、実に、多くの土器や土偶が展示されていた、それについて質問をすると、
「初めて来た人になんか答えられない」
「・・・ 」
「二回か三回、いや五回ぐらい通ってくれなけりゃあねえ」
まだ、30代の館員、これにはびっくりしてしまった。
都会だってたいしたことはないが、これでは、東京に出ていった若い連中が帰ってこないはずだ。
きっと、本家か分家か、長男か次男、座る位置まで決められているんじゃあないかな。
私は、そんなに難しい質問をしたのではない、五回も通って聞くほどのコトではない、インターネットの時代になってもこんなことがあるんだなあ。
そうそう、東京の大学の先生が「こう言った、ああ言った」いう言葉があった。
大学のセンセーさまの言うことはゼッタイみたいだ、これも発見である。
大学の研究室に閉じこもって現地の調査もしない連中では、実際のところは分からない、血の通った研究や発見は無理、それよりも、自分の目を信じ磨いていくことのほうがどれほど貴重であるか、そこんところを自覚してもらいたいもんだ。