縄文の中期は人口が多く、八ヶ岳の山麓にも、比較的多くの人びとが、住み着いていた。
七月の八ヶ岳は気持ちがいい、日本列島の中では、もっとも快適な地域ではなかろうか。
だから、大らかで明るい土器や土偶が作られらたのであろう。
八月の下旬、高速バスで中央道を使って、帰ってきたことがある。
新宿に着くと、ベトベトした暑さ、ここがヒトの住むところかと思った。
多くの人口を養わなければならない農業社会は、湿潤な広い平野で発展してきたのだが、本来の日本の人びとの生活は、ちょっと違っていたのかもしれない。
そう、縄文の中期にクッキーが発見されている、これは脂肪酸の分析によって分かったもので、当時の彼らは、様々な工夫をしていた。
この時期は、日本列島の青春だったのかもしれない。