天皇系の神社は、どちらかというとモダーンで洗練されている、出雲系は粗野で荒々しく底が深い、女性の中には涼味(りょうみ)のある人がいる、日本の歴史はこの二大潮流の飛沫(しぶき)の中にあり、豊臣は成りすましの天皇系で、徳川は、やはり、出雲系であろう。
大國魂神社は武蔵の国の総社であり、「大國魂(おおくにたま)」は大國主(おおくにぬし)と同一、すると広大な武蔵の原野は出雲族によって開発されたのか、長い期間、ひっかかっていたモンダイだ。
5月3日、南武線の府中本町の駅を下り、右側のやや下り坂の道を行く。
幕末、京都の天皇家が江戸に行くことを逡巡(しゅんじゅん)したのは、列島のライバル・出雲族の植民地の本拠地に移転することがイヤだったのか、しかし、千数百年間の確執と抗争にトドメを刺す必要がある、それが、明治維新の目的のひとつかもしれない。
大國主は大きな國(くに)の主であり、どうやらこの列島の最初の王国を建設したのは、こちららしい、だが、その情報の大半は消失した・消失されたようだ。
ここには、
1、小野大神
2、小河
3、秩父
4、杉山
5、金砂祭
6、御霊
7、国内諸神
氷川神社が見当たらない、2に含まれるか、4の杉山神社はヨコハマにある、これはヤマト系かと思っていたがそんなことはなかった、こちらか、御霊(ごりょう)神社のルーツはここだった、
半島系は7に入れたのか、神田明神はどうなっているのか、神田明神の神輿(みこし)は江戸城に入ることが許されていた、なんと興味深いことか。