高知県は遠い、その高知県の辺境から陳情団が来た、たしか「ゴミ処理場の建設反対」、このグループの中に、180センチの身長で肩幅が広く・胸板が厚い、相撲の「大砂嵐 おおすなあらし」にそっくり、堂々たる体格なのだがソワソワ・キョロキョロ、それに知的なトコロがない。
あるいは、黒潮に乘ってやってきた人々の子孫か、
「このヒトたちは どんな風にした生きてきたのか」
この黒潮のもっと先の紀州には、
「われわれの先祖は インドから来た」
そして、紀州にはタイヘンに進歩的な気風の町があり、明治になるとさっさとアメリカに働きに出た。
そして、あの大逆事件に参加する者がいた、この裁判はデッチアゲという意見がある、あの機会に日本の社会主義者を一網打尽(いちもうだじん)にしてしまおうという明治の暗黒政治、これを、見破ったのは、当時、朝日新聞にいた石川啄木、彼は徹夜で大審院の記録を見た、
「この国は ダメだ」
大逆事件で処刑された大石誠之助は紀州の出身で、
わがために泣くひとありと聞きし時
とめどころなく なみだこぼれぬ
わがむくろ 煙となりて はてしなき
かのおおそらに かよい行くかも
熊野の怒涛(どとう)のような感情、抑え切れない正義感、真実に対する憧憬(どうけい)、そして、この世の営みに慣れることのない少年のこころ・・・大石は医者だったが貧しい人々からお金を受け取らなかった。
あの幸徳秋水の血を吐く言葉、
「おれが 頭を下げるのは 真実の・真実の天皇だけだ」
そして、「仏法は 王法の上にあるべきだ」、禅僧・内山愚童(ぐどう)の悲痛な抗議・・・みな、すばらしい男たちだ、明治の誠意・明治の良心ではあるまいか。
一高で徳富蘆花(ろか)は、
「彼らこそが 本当の志士(しし)である」
維新から40年、高位高官の禄を食(は)むかつての若者たちは、すでに理想と情熱をなくし、ただアジアをマーケットにして、巨大な利権をものにしようとする薄汚い魂胆(こんたん)だけだったのであろうか。
紀州の山奥でさびしく消えた後南朝のなみだが、紀の川の水となり、海沿いの町に達し、紀の国の人々のこころに届き、真実の歴史・真実の叫びに駆(か)り立てたのではなかったか。